弱ぺダss



「ただいまー」
玄関から一差の声がした。
彼はうちに来る時の挨拶はいつもただいまだ。
「いらっしゃい」
「そこはおかえりって言うとこでしょーが」
「ごめんごめん。おかえり」
進学した私のひとり暮らしの部屋に、3年に進級した彼は時々こうして遊びに来る。
つっかれたー!と一差は足を投げ出した。
「県外だからねえ。小野田くんもそうだったけどすごいなあっていつも思うよ」
「だってそのほうが金かからねえし。時間はかかるけど」
ありがとう、と言うと彼は、
「まあ、会えるから別に苦じゃねえし・・・」
と呟く。
「なあ腹減った」
言うと思った。
テーブルに乗せたお皿の中身を見て彼はきょとんとする。
「・・・なにこれ」
「鶏ささみのおせんべい」
「ササミ!?これが!?」
叩いて平たくしたささみに味を付けて焼いただけだけど、お酒にも合う。
「んじゃいただきます・・・うまっ!」
「こっちが生姜醤油、もうひとつはチーズ」
一差はぱくぱく口に放り込んでいく。
「ぐッ・・・!」
「あ、お茶!」
げほげほとむせた後、
「はー・・・死ぬかと思った」
「そんなに急いで食べるから」
最後の一個を飲みこんで、ごちそうさまでしたと彼は手を合わせた。
「やっぱ先輩メシ作るの上手だなー」
「一差はいっぱい食べてくれるから作り甲斐があるね」
「俺、先輩と結婚したい」
「えっ」
ありがとうと笑う。なんだか照れくさい。
言っとくけど本気だから、と一差は小さな声で言った。
「俺まだ高校生だけど・・・いつかはちゃんとしたいと思ってるんで」
なんとなくふたりとも黙りこんだ。顔が熱い。
「そうだ、」
一差はごそごそとバッグを漁って何かを取り出した。
「これ、一緒に行きましょうよ」
差し出されたそれは水族館のペアチケットだ。
「いいの?行きたい」
「俺でっけえトンネル見たいんすよ、水槽の!」
へへっと笑う彼の笑顔は入学した時から変わらない。
「好きだなあ」
「へ、」
一差は「俺も!」と叫んだ。
「俺も好きッス!」
「声大きい、隣に聞こえちゃうから」
「いいです聞こえても」
「私がよくないんだって!」
盛大な告白、お隣に聞こえてたらどうしよう。

ドリンクの用意をしていると悠人がやって来た。
「お疲れ悠人」
お疲れさまです、と彼はにこっとする。
「俺いま休憩中なんで、ちょっとだけ話してもいいですか?」
「いいよ」
「やった。先輩って好きな人いるんですか?」
出た。恋バナ大好き新開悠人。
「いませんー」
「うっそお、モテるでしょ?」
「モテないモテない。そう言う悠人のが人気あるでしょ?」
「俺なんて隼人くんに比べれば全然」
「うわー反応に困る返事」
「あはは、先輩のそーゆーとこ好き」
「ありがとう、じゃあこの話はおしまいで」
「カレシとか作らないんですか?」
「黙秘。あ、銅橋くーん!」
露骨にうげ、という顔をされてしまった。ショックだ。
「悠人がおサボりしてるよ」
「おまえ先輩に迷惑かけてんじゃねえよ」
迷惑ですか、と聞かれて言葉に詰まる。
「そういうわけでは・・でもそろそろロードワーク始まるんじゃない?」
その時こちらへやって来る黒田の姿が見えた。
「おい、お前ら集合だぞ!」
すいません!と銅橋くんはすぐさま謝る。
「もうそんな時間ですか。残念」
「おい行くぞ」
うながされ、悠人は「それじゃまた今度教えてくださいね」と言い残して行ってしまった。
「おまえもマネなら時間守らせろ」
「ごめんなさい」
半分はとばっちりなんだけど・・・と思いつつ尋ねる。
「黒田は?行かなくていいの?」
「部室に用があるんだよ。なあ、」
「ん?」
「なに話してたんだよ」
なにって、と私は口ごもる。
「別に」
「別にってなんだよ」
部活中に恋バナしてましたなんて言ったら確実に怒られる。
「・・・言えねえようなことなのか」
「そういうわけじゃないけど、ここでは言いたくない」
そうと答えれば黒田は「あっそ」とボトルを手に取る。
「あ、」
「それ半分置いてけ。俺があとから持ってく」
突然の優しさに感謝する暇さえ与えず、彼はさっさと行ってしまった。
お礼に後で差し入れでも持って行こう。


「くそっ」
言えねえのかよ。
あいつが言葉を濁らせるなんて珍しい。もしかして新開が何か言ったのか。
インハイ前だ。余計なことを考えるつもりはない。
全部終わったらちゃんと向き合おうと思っていた。
それなのに、
「(出し抜かれるなんてかっこ悪ィだろ)」
勝利が欲しい、あいつもそうだ。
「っし」
気合いを入れる。負けてたまるかよ。


「・・・聞いたぜ銅橋」
「?なにをスか」
お前カノジョできたんだろ、と黒田に言われ真っ赤になった銅橋はすぐに青ざめる。
「えっ、え!?その話どこから、」
「どこだっていいだろそんなん。水くさいじゃねえか、なあ?」
「ス、スンマセン・・・」
「いいんだぜ?別に。ただせめて教えてほしかったんだけどなあ」
えーっそうなの!?という声が聞こえた。
「ゲッ葦木場さん」
「おめでとう!バッシーよかったね!」
「よくな、いや拍手すんのやめてください!」
すると彼の後ろから悠人が顔を出した。
「俺、カノジョさんのこと知ってますよ」
「エッそうなの?悠人」
「ハァ!?なんでだよ!」
「見ましたもん、こないだ。デートしてたでしょ」
今度は泉田が「お疲れ」とやって来る。
「塔一郎、聞けよ銅橋のやつが」
「・・・ッッッ!」
咆哮が部室を揺らした。

***

「いいんじゃないか?別に」
それがモチベーションにつながるなら、と泉田は言った。
「恋愛禁止なんてルールもない。あとは本人次第だ」
ッス、と銅橋は頭を下げる。
「年上ですよね」
「なッ、てめェなんでそれを」
「ということは僕たちと同学年なんだね」
「だけど制服がちがいましたよ」
「おまえもう黙っとけ!!」
黒田は驚いたように「いつの間に知り合ったんだよ」と尋ねた。
「まあ、なんつーかいろいろあって・・・その」
その時ドアが開く音がした。
「お疲れさまでーす」
「真波、遅刻。ってこれ言うの何回目だよ」
すいませーん、と彼は笑う。
「今ね、バッシーの彼女の話してたんだよ」
「え?バッシーの?ああ」
ああっておまえ、と黒田は言った。
「まさか知ってんのか」
「知ってますよ。総北のマネージャーさんですよね。3年の」
「あ?マネージャー?」
「真波イィ!さらっと俺を売るんじゃねえ!」
「おい銅橋」
銅橋はハイ、と固い声でふり返る。
「水くせえじゃねえか。インハイ競った相手だっつーのによォ・・・」
「ス、スンマセ」
「見せろ」
「へ」
「あんだろ、写真の1枚や2枚」
黒田の剣幕を見て「こえー」と悠人は呟く。
「てか真波さん、知ってたんなら写真とか撮ってないんですか?」
さすがにそんな都合よく持ってないでしょー、と葦木場は笑った。
「ありますよ」
「あるの!?」
「たまたま撮ったインハイの写真に写ってたんですよねー」
真波は携帯をいじって「あった」と画面を見せる。
「ちっさ」
「まあ偶然ですから」
全員が見せろ見せろと詰めかける。
「あ、彼女見たことあるな」
「へー可愛いですね」
「実物はもっと可愛いですよ」
「オメーが言うなよ!」
「銅橋、」
なれそめ教えろ、とにっこり笑った黒田は言った。
「も、もう勘弁してくれえ・・・ッッッ!!!」


「ねえ塔ちゃん、エアコンつけようよ」
まだ早いよ、と泉田は答えた。
「えーでもお」
「まあ確かに練習してっと熱いかもな。とりあえず窓開けっか」
黒田は立ちあがり窓を開け放した。
「・・・風ねえな」
「でしょー?」
ローラーを漕ぎながら悠人は隣の真波に話しかける。
「熱いだけで体力削られる感じありますよね」
「だよねえ」
「今からエアコンはさすがに・・・」
本格的な夏の到来にはまだ間がある。普段なら山の風が吹きこんでいるのだが、今日はあいにく湿度ばかりが高かった。
その時、
「うお!?」
ブウンと何かが飛び込んできた。
「なんだあれ」
ハチだ!と黒田が叫んだ。
「ええッハチ!?」
「あわてんな葦木場!窓開けて逃がせ!」
開けたから入って来たんだけどね、と真波が指摘する。
「うるっせえよ!てかお前ものんきにローラー回してんじゃねえ!」
「アブ、ユキ!そっちだ!」
「潰せ葦木場!」
「えっ!?かわいそうだから逃そうよ」
「んなこと言ってっと刺されんぞマジで」
てかあれスズメバチですよ、と悠人は言った。
「悠人やっつけてよ」
「えっオレ?なんで?」
「ピークホーネットでしょお」
「いや、そういうアレじゃないんで」
真波は「仲間じゃん」と言った。
「ちがいます。というか仲間ならなおさら殺せないし」
5分後、部室の中をぶんぶん暴れまわったハチは満足したのかようやく出て行った。
全員息が上がっている。
「はあ、はあ・・・やっぱエアコンつけるか」



「(風つよ)」
自転車が通り過ぎるたびタイムをチェックし記録する。
山からの風が自転車の勢いに乗って吹き下りてくる。
「っ!」
やばい、砂が入ったかも。
次の部員が来る前になんとかしなきゃとぐしぐし目をこすっていると、誰かが足を止めたのが見えた。
「先輩?」
「・・・真波?」
いつの間に、ていうかタイム測れてない。
「泣いてるんですか?なんで?」
「目に砂が入っただけ。ごめん、途中なのに」
「えーそれ大変ですよ」
見せて、と彼は覗きこんだ。
「あ、真っ赤になっちゃってる。保健室行かないと」
「でも他の部員が来ちゃうよ」
「代わりますから。泉田さんには俺から言っときます」
そう言われてしまい、もう一度「ごめん」と謝って洗面所に向かう。
保健室の先生にも大丈夫と言われ、念のため目薬をもらって部室に戻った。
「あ。目ェ大丈夫だったか」
「黒田。ごめんね、途中で仕事投げ出して」
「いや、引き継いだ真波がちゃんとやってくれたから問題ねえ。なあ塔一郎」
ああ、と彼は頷いて言った。
「もし大丈夫だったら、真波のタイムを測ってやってもらえないか?」
もちろん、と私は頷く。
「真波ならさっきの場所にいるはずだ。だけどくれぐれも無理はしないように」
「ありがとう」
走って行くのが見えたのか、遠くから真波が手を振っている。
「先輩、大丈夫ですか?」
「うん、もう平気。ありがとう真波」
よかった、と彼は笑った。
「走ってたら先輩泣いてるんだもん。驚いちゃいました」
「ごめんね、変な誤解させて」
「でもラッキーでした」
「ラッキー?」
それには答えず真波は自転車にまたがる。
「それじゃ出ます」
「あ、うん。いつでもオッケーだよ」
先輩、と彼は言った。
「俺のことちゃんと見ててくださいね」
そう言い残して自転車は走り出す。
「・・・見てるよ、ずっと」
私の返事はきっと聞こえない。


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