夏の扉のプロローグ



ここ分かんないなあ、と早々に白旗をかかげた瞬は、カレンダーに意識を向ける。
大きく丸で囲んだ日まであと3日、そして控えている期末テストはその前日だった。
大きな瞳を憂うつの色でくもらせている姿に気がついた紫龍は、「瞬、」と声をかける。
「なまえさんと会うのが楽しみなのは分かるが、もうすこし集中したほうが良いんじゃないか」
「分かってるんだけどさ・・・難しいよね」
無邪気さばかりが印象的だったはずの彼に訪れた恋の行方を、紫龍はあたたかな目で見守っていた。
「僕、もうちょっと大人になったほうが良いと思う?」
「なぜ?」
「だって、なまえさんよりも年下だし」
どう頑張ってもその差は埋まらないぞ、と紫龍が言うと、彼はため息をつく。
「だよねー・・・ねえ紫龍」
「なんだ?」
「やっぱりなまえさんは、聖域にいる黄金たちみたいな人がタイプだと思う?」
あいかわらず勉強などそっちのけの瞬を見て、紫龍は「どうだろうな」と笑って答えた。
「真面目に答えてよ」
「答えているさ。分からないんだからしょうがないだろう?」
そっか、と瞬は呟く。
「・・・勉強しよ」
「ああ、それが良いな」
彼が言う黄金たちが具体的には誰を指しているのかは分からなかったが、紫龍はそれについてあえて口にはしなかった。

***

「終わったー!」
待ち合わせの校門の前、満面の笑顔でそう叫んだ瞬に、アイスを頬張っていた星矢は面食らったような顔をする。
「おう、良かったな」
「余裕だな、星矢。その様子なら手応えありというところか?」
紫龍の質問に対し、彼は「いやーどうかな」と苦笑いを見せた。
「まあ、いつもどおりというか。赤点じゃないくらいで」
「答案も返ってきていないのに赤点ゼロを宣言とはやるじゃないか」
感心したような氷河の言葉に、星矢はあわてる。
「いや、ゼロとは言ってないぜ」
「なんだ、そうなのか?」
「そういう氷河はどうなんだよ」
俺は、と彼は口ごもる。
「まーお前はいっつも良い点だもんな。聞くだけムダか」
いやみ交じりの言葉の中に切実な羨ましさが聞こえた気がして氷河は苦笑した。
本当のところ、良い点と評されるには若干少ない数字だったが、星矢と比べれば高いことのほうが多い。
「氷河は真面目だからな」
「でもさ、おかしいぜ?俺たちと一緒に戦ったりゲームしてるのは変わらないのに。やっぱり頭が良いんだな」
「時間の使い方が上手いんじゃない?」
と瞬が言うと、氷河は照れたように「もうそれ以上言うな」とさえぎる。
「それなら紫龍はどうだ?」
絶対満点だろ!と星矢は決めつける。
「いや、今回は数学がちょっと」
「だとしても100点」
「どういう理屈だそれは」
肩をすくめてみせた彼は、
「そういえば、そろそろなまえさんが着く頃じゃないか?」
と言ってちらりと瞬を見た。
「あ!そうだった」
空港行かなきゃ、と駆け出そうとするのを氷河が引きとめる。
「あの車、もしかして」
一台の見慣れた高級車が門前に止まるのと同時に、後部座席のドアが開いた。
そして、
「星矢!」
「あっ、沙織お嬢さんじゃないか!」
白いワンピースの裾をなびかせてこちらへ走り寄る姿を、あわてて飛びだした彼女のボディーガードがはらはらしながら見守っている。
「あいかわらず辰巳のやつは過保護だなあ」
そう呟く氷河の隣で、今度は瞬が叫んだ。
「なまえさん!」
沙織に続いて地面に降り立ったのは、彼がずっと待ち焦がれていた相手だった。
「瞬くーん!みんなも!」
大きく手を振る彼女の元へ、今度こそ瞬は走り出す。
助手席から降りたミロは「まるで子犬が転がって来るみたいだな」と言って笑みを浮かべた。
「瞬くん、また背が伸びた?」
そう言って彼女は眩しそうに見上げる。
「うん、すこし。わあ、久しぶりだな」
はしゃぐ彼らに追いついた紫龍たちは落ち着いて挨拶をした。
「お久しぶりです。本当なら空港まで迎えに行くつもりだったんですが」
「予定よりひとつ早い便に間に合ったんでな。なまえも久しぶりに日本の地を踏めると楽しみにしていたぞ」
そう答えて、ミロは目を細めて彼女を見つめる。
その視線に既視感をおぼえた紫龍は、すぐにそれが何であるかを知った。
「(なるほど、)」
どうやら、瞬が言っていた黄金とはミロのことであるらしい。
当の彼女はというと、自分たちが制服に身を包んでいることが見慣れないのか、まじまじと眺めている。
「そういう格好をしていると学生みたいね」
「みたいじゃなくて俺たち本当に学生なんだって、なまえさん」
今日まで期末試験、と星矢が言うと、「そっかテスト!」と彼女は納得したようだった。
「夏休み前だもんね」
「ふうん、テスト・・・で?手応えはあるのか?」
にやにやとミロは笑って尋ねる。
「まあまあかな」
「お、ずいぶん自信があるようだな。では必ず見せろよ」
「いやそれはちょっと・・・」
すると氷河が、
「今日はカミュはいないのか?」
と口にした。
「ああ。あいにく都合がつかなくてな。それで俺が代わりに来たのだ」
「そうか」
相手がわずかに失望の色を浮かべたのを見て、ミロは笑顔をひきつらせる。
「悪かったな、お前の師匠じゃなくて」
「いや、良いんだ。あなたにも会えて嬉しい。それに、」
なまえさんに会えるのを瞬がずっと楽しみにしていた。
「!」
それを聞いて、瞬の顔が真っ赤に染まる。
氷河の言葉に悪気はなかったし、事実ではあるものの、あまりに突然だったので彼はしどろもどろになる。
「な、なに言って、そんな・・・僕は」
「私も会いたかったよ。瞬くんにも、みんなにも」
なまえの言葉に救われて、彼はほっと笑顔を浮かべた。
「みんなでバーベキューとか花火をしようって計画してたんです」
「楽しそう。夏だもんね」
そんな姿を眺めていたミロと、瞬の視線が重なる。
けれどそれはすぐにそらされ、ミロは心の中で苦笑した。
「(まだまだ純粋だな)」
誰にも聞こえないようにそう呟いて、彼は星矢の肩をぐいと引き寄せる。
「ならさっそくバーベキューでもするか!」
「おっ、良いねえー!」
「では俺が食材の買い出しに行こう」
そう紫龍が名乗り出ると、「俺も行く」と氷河が言った。
「でしたらこのまま車で行きましょう。なにせ食べ盛りが4人と、黄金聖闘士までいるんですもの」
沙織の提案にミロは、
「アテナ・・・黄金とはいえ食べる量は平均ですからね」
と言った。
「スーパーマーケットという場所に行くんでしょう?私、初めてなの。楽しみだわ」
屈託なく笑う彼女に対して星矢は呆れたように肩をすくめてみせる。
「かなわねえなあ、沙織さんには」
「こら、星矢!お前なんて口をきいて、」
怒りだしそうな辰巳をかわして星矢は「早く行こうぜ!」と車に乗り込む。
「行こう、瞬くん」
「うん」
この夏は最高の思い出になる。
誰の胸にも芽生えた予感は、きっと本当になるだろう。


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