Honey.6
ローラーをひたすら回す音が響く。
うつむいて苦しそうにペダルを回す姿、目の前の何かをひたすら見据えて懸命に漕ぐ姿。
インターハイが近づいている。
誰が出るかなんて最初から知っているから、頑張れなんて簡単に言えない。
塔一郎、ユキ、葦木場くん、銅橋くん、真波、悠人くん。
彼らが背負うものの本当の重さを、私はきっと理解することはできないだろう。去年の夏と同じように。
***
結果なんて最初から知っていた。
だから、インハイメンバーが練習に打ち込む様を見るたび胸が締めつけられた。
「(どんなに頑張ったって勝てないのに)」
マネージャーは選手を一番近くで支え、信じる存在なんだと思う。なのに私はそれができない。
箱根学園は総北に王者を譲る。それが彼らの努力の先にある答えだ。
ほんの少しだけ、もしかしたらストーリーが変わるんじゃないかなんて考えたこともあったけど、果たしてそれが正しいことなのか。
考えれば考えるほど、出口のない迷路にいるみたいに感じた。
毎日遅くまで残って走る彼らのそばにいるのが苦しくて、退部をしようとも思ったけど言えなかった。
部誌を書くペンの動きが止まる。
「(どうしよう・・・書けない)」
何を書けばいいんだろう。
練習メニュー、タイム、校外試合の結果。レースレポートもまとめないと。
なんだ。やることたくさんある。それが少しだけ私を安心させた。
彼らに対する後ろめたさが日に日に大きくなっていくたび、比例するようにマネージャーの仕事に打ち込んだ。
そうすることで、勝手に罪滅ぼしをしているような気持ちになっていたんだと思う。
そんなある日、
「なあ」
山になったタオルを運んでいるとふいに話しかけられた。
「?はい」
振り返ることができないのでとりあえず返事をする。
「そんなに持ってちゃ前が見えないだろ。半分持つよ」
タオルが誰かの手に渡り、急に視界が開けた。
「ありがとう、ございます・・・」
新開隼人だ!と思った。同じ部活とはいえ、先輩の彼らとそれほど深い関わりはない。
「どこまで?」
「あ、ロッカーです」
オーケー、と彼は軽く頷く。すごい、近くで見るとめちゃめちゃ顔がいい。
「いつもこんなに遅い時間まで仕事してくれてんだな」
「洗濯は葦木場くんが一緒にやってくれているから、そんなに時間かからなくて」
そう言ってはっとする。
「(しまった、墓穴掘った・・・!)」
「そうか。葦木場がなあ・・・」
なんとなく顔が上げづらくて、前だけを見て歩く。
「あのさ」
「はい」
「おめさん、最近元気ないよな」
え、と思わず声が出た。
「そんなことないですよ。いつも通りちゃんと元気です」
「そうか?どっちかっていうと空元気って感じだぜ」
私、そんなふうに見えてるのかな。大事な時期に身が入っていないって怒られるんだろうか。
すみませんと言おうとした時、
「なあ、ちょっと自転車乗ってみないか?」
と新開隼人は言った。
「え?」
「上がる前にちょっとだけ。俺のバイク貸すからさ」
名案とばかりに目をきらきらさせている彼に連れられ、タオルを置いた私たちは部室の前に来ていた。
夕暮れの地面をライトが照らす。
「いいか?自転車は先にまたがるんだぜ」
いや、明らかにこの車体大きいんですけど。ていうかすごいふらつく。
「あの、座れないです・・・」
「普通の自転車みたく地面に足はつかないからなあ」
この自転車に乗ってインハイを走るのか。ひょっとすると私はすごい体験をさせてもらってるのかもしれない。
「かっこいい」
気づけばそう口に出していた。彼のほうを見れば、満足げに笑っている。
「いいよな、ロードバイク」
「はい」
「楽しみだな。インハイ走るの」
心臓が痛くなる。インハイ。
「もし、」
「ん?」
もしも箱根学園が2位だったら。そんなこと、聞けるはずがない。
「##NAME2##?」
「うわ、近!あっ」
思わずバランスを崩してバイクを倒しそうになる。やばい、これすごく高価なのに!
「・・・っと。大丈夫?」
私ごと車体を支えて新開隼人はこともなげに言った。
「すみません!危ないところだった・・・」
こいつは軽いからなあ、と彼は笑う。
「よかった、ロードバイクって高いからひやひやしました」
「はは、そうだよな。悪いな、無理言って乗せちまって。緊張しただろ」
はい、と素直に頷く。正直に言う、こわかった。
「だけど丈夫なんだ。俺も何回か落ちたりしてるけど、今んとこ問題ないぜ」
「やっぱりすごくハードな競技なんだ・・・」
「そうだな。それにインハイなら怪我することだって普通にあるしな」
でもやめられないよ、と彼は言った。
「ずっとこいつと一緒に走ってきた。それはこれからも変わらないさ」
「・・・新開先輩は、自転車が大好きなんですね」
「ああ。おめさんは?」
言葉が出てこない。私は、どうなんだろう。
自転車が好き?それとも知ってるからという理由で、なんとなくマネージャーをやっているだけなのか。
「分かりません」
正直に答える。
「でも、一生懸命に自転車と向き合う姿は好きです」
ひたむきにうちこむ熱意に何度も心を打たれた。挫折してもくじけずに立ち上がる強さが好きだとはっきり言える。
「やっぱりおめさんはいいマネージャーだな」
いつもいい仕事してくれてありがとう、と大きな手がくしゃりと頭を撫でた。
「・・・私、何もできてないのに」
「たくさんしてくれてるよ。毎日遅くまで残って、片付けしたり記録付けてくれたり。寿一も尽八もそうとう助かってる。マネージャーがいてくれるから競技に集中できるって言ってるよ」
涙がこみ上げる。そんな、そんなの、マネージャーだから当然のことなのに。
すいませんと呟いて袖口で涙を拭う。
「まいったな。ごめん、泣かせるつもりはなかったんだ」
「すいません、私が勝手に泣いただけで・・・!」
「あーあーこするなって。目が腫れるよ」
なんとなく気恥ずかしくてどうにか涙をひっこめる。
「お見苦しい姿を見せてしまいました・・・」
あー穴があったら今すぐ入りたい。
「暗くなったし送ってくよ・・・って言ってもまだ目が赤いよな。ちょっと遠回りするか」
自転車を置いて、寮の前まで並んで歩く。
「俺さ、弟がいるんだ」
知ってる、と心の中で頷いた。
「たぶんアイツも来年ここに来ると思う。その時はよろしく頼むな」
なんだかんだ言っても、きっと弟くんにとって彼はいい兄貴なんだろうなあ。
「私も新開さんみたいな兄弟がほしかった」
「##NAME2##が妹だったら楽しいだろうな」
そんな会話をしながら門の前に着いた。
「ありがとうございました」
「ああ。目、もう大丈夫だな」
彼は私の顔を覗きこんで確かめる。
「もう平気ですよ!ほんとに」
「なら良かった。それじゃ、また明日」
遠ざかる背中がもったいないような気がして、見えなくなるまで立っていた。
インハイメンバーとちゃんと会話してしまった。泣いてしまった。だけど、ふっ切れたような気がした。
私は結末を知っている。それでも彼らを応援したい。
その気持ちに気づかせてくれたのは新開さんだ。
私にとって、彼はただのキャラクターなんかじゃない。
一瞬一瞬をたしかに生きている生身の存在で、尊敬できる先輩だ。
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