Honey.7



「おめェまた食ってんのかよ」
あいかわらず不機嫌そうな声が響く。
「いやあ、うまいからなんか食っちまうんだよな」
「ったく、それで腹割れてんだからムカつくわ」
ばす、と荒北が新開さんの尻を軽く蹴った。
・・・すごい光景だと思う。箱学の日常をこの目で見れるとは思わなかった。
ドリンクを運びながらしみじみ感じる。
私、今生きてる。
マネージャー!と荒北が叫んだ。
「っはい!」
「今からコイツと走るからタイム測ってくんねえ!?」
今から?と尋ねる新開さんに「いいだろ、軽くクライム」と言った。
「クライム?」
「おお。オレもおめーも山は得意じゃねえ。てことはお互いハンデなしでやれんだろーが」
「なるほどな」
「ンで買ったほうが飲み物おごるってのどうだよ」
「いいな。乗った」
悪いな##NAME2##、そう言って新開さんは私の運んでいたボトルケースを取り上げる。
「あ、」
「タイム測ってもらう代わりにこっちは俺がやっとくよ」
悪いからいいのに、そう思いつつ「ありがとうございます」と素直に感謝をした。
「ん」
先行こーぜ、と荒北が私を促す。
「はい」
歩きながら、マネージャーって面倒くせェ仕事だよなあと彼は言った。
「ドリンクくらい自分で用意させてもいんじゃねーの」
「そうしてくれたら助かりますけど、それも仕事なので」
フーン、と荒北は答える。
「てかさあ、マネージャーの名字さっき知った」
ははは、と乾いた笑いが出る。
いや、いいんだけどね。彼自身、途中から入部してきたわけだし、自転車と向き合うので精一杯だったことも知っている。
だからまあ、一応ね、・・・うん。
「いいんです、荒北さんなんで」
「オイ、そりゃどーいう意味だ」
ギロリと鋭い視線が刺さる。
「あ、いたたた!」
「近頃の後輩はテメーといい真波といいずいぶん正直に言ってくれるよなァ」
容赦なくこめかみをぐりぐりされる痛みにもだえていると、
「待たせたな。おっ」
「おっせェよこのバァカ!」
「はは、あいかわらず靖友は口が悪いな。##NAME2##、大丈夫か?」
「新開さん助けてください!」
「まあまあ靖友、マネージャーは女子なんだから」
「わァってるよそんくらい!」
ようやく解放されてふらついている私を尻目に荒北は自転車にまたがった。くそう・・・!
「マネージャー!」
「はい!」
やけくそに返事をしてストップウォッチを取り出す。
そして彼らが走り出すのと同時にボタンを押した。
・・・あれ?
ふたりがするのはクライム勝負、てことはゴールは山頂か?どうやって計測するんだ。
「おーい・・・」
ぼんやり突っ立っていると黒田に話しかけられた。
「おい、何やってんだよこんなとこで」
「いや、荒北さんと新開さんにクライム勝負するから測れって言われてるんだけど、どこでゴールするのかなって」
「そりゃ、・・・たぶん上か下った先だろうな」
「だよね・・・」
なにやってんだろうなあの人たち、と黒田は呆れたように言った。
「楽しそうだよねえ」
「人事かよ。おまえは楽しくねえのか」
不意の問いかけに「楽しいよ」と一拍置いて答える。
この時間が楽しい。本当ならいつまでも続いてほしいとも思う。
「黒田、練習は?」
「休憩中」
ふーんとうなずく。
「##NAME2##が退屈そうだから話し相手になってやるよ」
「ありがとー」
「棒読みすんな」
「うそうそ、嬉しいよホントに」
そうかよ、と彼はへたくそに笑った。
・・・引きずってるよね、やっぱり。悔しいだろう。
「黒田さ」
「なんだよ」
「数学の宿題出てる?」
「あ?数Uか?出てる」
「やった?」
「まだだけど今日やる」
教えてください、と手を合わせる。
「なんでだよ」
「分かんないんだよー」
「はあ?分かんないって、」
「お願い、黒田塾を開講してください」
「開いてねえよ、んなモン・・・ったく」
彼は「明日の練習終わったら図書室来いよ」とため息混じりに言った。
「やった!」
「代わりに昼メシおごりな」
「うーん・・・仕方ない、手を打とう」
何様だよ、と笑って小突かれる。
「そういやあの人たちいつ出た?」
「さっきだよ」
「ならまだだいぶかかるだろ」
「だよねえ・・・」
しばらくして、ふたりはやっと帰ってきた。
「いやあ、すまねえな。タイム、せっかく測ってもらってたのにあんまり意味なかったみたいだ」
だろうね・・・。
「なに、黒田はサボりかよ」
休憩中です、と彼は訂正する。
「##NAME2##、これ」
そう言って新開さんから何かを手渡される。パワーバーだ。
「お詫び。うまいぜ」
「え、いいんですか!」
やった・・・!一度食べてみたかった。
すると今度は、
「ん」
「え?」
「おめーにやるよ」
荒北からスポーツドリンクが差し出される。
「べプシ買おうと思ったけど、泡立つからやめた」
「ありがとうございます」
おお・・・嬉しい。
大事にしますと言うと「なんでだよ」とすかさず返ってくる。
「飲め、今すぐ」
俺らも休憩するか、と新開さんは言った。
「黒田はちゃんと走ってこいよ」
「分かってますよ、荒北さんに言われなくたって!」
じゃあ明日な、そう言い残して黒田はその場を離れた。
「なに、デートの約束ぅ?」
「違いますよ。数学の宿題、教えてもらえることになって」
「へえ。マネージャー、数学が苦手なのか?」
苦手というレベルではない。ヒイヒイ言ってる。
今さら高校生の勉強なんか分かるかって感じだ。
「3年になれば理数と文系に科目に分かれるからもう少しの辛抱だよ」
ケッと荒北は吐き捨てる。
「エリートは勉強もできんのかよ。・・・なあ、##NAME2##チャン」
「へ、えっ?」
小野田チャン、##NAME2##チャン。
憧れの呼ばれ方ではないか・・・。
「下の名前はなんての?」
なまえです、と答えれば「へー」と荒北はうなずく。
「知らなかった」
「俺も」
「つか名字も今日知った」
それはさすがにひどいぜ靖友、と新開さんは苦笑する。
そうだ、ひどいぜ靖友!
「いんだよ別に」
それは私のセリフじゃないかなあ・・・。
「あの、」
「ん?」
「自転車乗ってる時ってどんな感じですか?」
どんなって、と荒北は言いかけて口を閉じる。
「・・・うまく言えねえ」
「最高の気分だよ」
新開さんの答えに彼は、
「ハッ、まあ・・・そうだな」
と笑みを浮かべてみせた。

***

彼らとの日々を思い出す。
過ぎ去った時間がまるで昨日のことのようだ。
「(懐かしいなあ・・・)」
同じ部室にあの時の3年生はもういない。
・・・部屋、けっこう埃っぽいな。
朝連の時に掃除してるって言ってたけど、出入りが多いからすぐに元どおりになってしまう。
ロッカーからホウキを取り出して履いていると、ドアが開く音がした。
悠人くんだ。
「あれ、##NAME2##先輩」
掃除ですか?と不思議そうな顔で尋ねる。
「うん、ちょっと隅っこでふわふわしてたから」
「あー、まあそうなりますよね。手伝います」
「え、いいよいいよ」
「そう言わずに。ふたりならすぐ終わりますよ」
悠人くん、いい子だよな。
最初こそ尖らせて張っていたバリアもずいぶん薄くなってきている気がする。
彼は「そういえば、真波さんと仲良いんですね」と言った。
「別に、そんなことないけど」
「ありますよ、そんなこと。なんかいつもふたりで楽しそうにしゃべってるし」
「それは、」
そう見えるのだとしたら、きっと1年間、同じ思い出を共有しているからだと思う。
ペースがいい時も最悪の時も、ずっと先輩と後輩、選手とマネージャーの距離で彼を見ていた。
「真波とは2年目だからね」
ふいに、
「先輩は俺のこときらいですか」
と悠人くんは言った。
「え?」
「俺は好きですよ、なまえ先輩のこと」
「なに言って、」
彼の表情が自信に満ちているように見えた。
「ふたりきりですね、今」
まっすぐなまなざしが私を映す。
「好きです、なまえ先輩。俺と付き合ってください」
「・・・なんで私なの?」
最初から引っかかっていた。
同じ部活の数少ない女子マネだから興味を持ったんだろう、なんて考えたこともあったけど、多分それはちがう。
「理由ですか?そうだな・・・」
隼人くんからいろいろ聞いてたんです、と悠人くんは話す。
「どんな人かなって思っててずっと楽しみでした。先輩っていい人ですよね」
彼は笑顔を見せる。
「優しいし、明るくて可愛いし。タイプなんです、先輩みたいな人」
先輩からしたら1年なんてガキかもしれないけど、絶対そんなこと思わせないですよ。
「だから、」
「いいかげんにしてよ」
これ以上聞きたくない、言わせたくなかった。
言葉にすればするほど、彼の兄に対するコンプレックスが痛いほど伝わってくる。
悠人くんの瞳が動揺する。だけど、私だって限界だ。
「私を新開さんへの当て馬にするのはやめて」
「!」
「悠人くんさ、そういうのちょっとだけ面倒くさい」
しばらくして彼は、
「・・・ひどいこと言いますね」
と呟いた。
「俺、ちゃんと本気なのに」
「嘘ですけど、じゃなくて?」
そう言えば、悠人くんは一瞬ひるんだように見えた。
「・・・スイマセン、急に変なこと言って。練習戻ります」
遠ざかる足音が聞こえなくなって、張り詰めていた息をようやく吐き出す。

(私、ひどいこと言ったかもしれない)」
いや、言った。確実に言った。
嘘ですけど、じゃなくて?は辛辣すぎるだろ・・・。
自分の言葉に頭を抱える。
後悔しないと言えば嘘になる、でもこっちだって限界点を突破していた。
私が悠人くんと新開さんを区別するたび、彼はもっともっとと相違を求める。
だけどきっと、そういう答えや見方は自分で見つけるものだと思うのだ。
誰かの言葉で安心するようなものじゃない、できるわけがない。
・・・と思う。
「あー・・・もっと言葉を選ぶべきだった・・・」
明日から彼とどんな顔で接すればいいんだろう。


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