Honey.8



練習、ぜんぜん身が入らなかった。
「(むかつく)」
別にあの人に対してじゃない。
気持ちが見透かされていたこと、空回りしていた自分の行動、とにかく全部に。
振りはらうようにがむしゃらにペダルを回してみたけれど、体が重い。
黒田さんにも「めちゃくちゃな練習をすんな」と言われてしまった。
くそ、くそ。うまくいくと思ったのに。
あの人がオレのモンになったら、そしたら。
オレは、一体なにを期待していたんだろうか。
あの人に褒めてもらって調子に乗って、それで満足するつもりだったのか?
「(ちがう)」
それだけならあの人じゃなくたっていいはずだ。だったら泉田部長や黒田さんのほうがよっぽど嬉しいに決まってる。
なのに、どうしてオレはあの人に認めてもらいたがっているんだ?
「悠人」
「・・・真波さん」
練習もう終わるよと言われてはっとする。
「あ、スイマセン片付けます」
くそ。なにが嘘ですけどじゃなくて?だ。
アニキと比べられるよりもずっと苦しかった。
オレ自身が否定されたような気がしたからだ。だけど、あの人が否定したのは新開悠人だ。
静かに息を吐く。
何やってんだオレ。ばかじゃねーか。
あの人はずっとオレを見てくれていたのに、こわがって試してばっかで。
嫌われるのも当然だ。・・・それとも、もうとっくに嫌われてんのかな。
「(だったらやだな)」

***
あれから悠人くんは私に近づかなくなった。
本音を言えば寂しい。でも、仕方がないと理解している。
最初に試すようなことをしたのは悠人くんで、全部知っていて拒絶したのは私。しょうがないんだと自分に言い聞かせる。
同情でうなずくことなんてできない。それに私の立場ならこれが正しいんだ、きっと。
身が入らないまま部活の片付けを終え、寮に戻ると携帯がメッセージの新着を告げた。
「(新開さんだ)」
連絡なんて、彼が卒業して以来始めてのことだ。
“よう”
たった一言の後、すぐに次のメッセージが届く。
“元気にやってるか?”
毎日がんばってます、と無難な返事をする。しばらく続いた世間話の後、
“悠人は?”
と聞かれた。
なんて返すべきか。告白してくれたけどこっぴどく振ってしまいました?とてもじゃないけど言えない。
「うわ、」
突然コール音が鳴って反射的に受話ボタンを押してしまった。
「あの、もしもし」
「よう、元気か?ってこれさっきも言ったな」
新開さんの声だ。なつかしい。
「お久しぶりです」
「ああ、元気にやってるみたいだな。オレもたまにハコガクに戻りたくなるよ」
新開さあん、と私は情けない声を出す。去年の塔一郎の真似だ。
はは、と電話の向こうで新開さんは笑う。
「後輩が入ってきて大変なんじゃないかと思ってさ。おめさんの性格だからがんばりすぎてるんじゃねえかって」
いつもどおりです、と答える。
「そうか?ならよかった」
新開さんは「悠人のことなんだけどさ」と切り出した。
「アイツ、おめさんに迷惑かけてないか?」
「なんでですか?」
動揺しないように聞き返す。
「うまく言えねえけど・・・うーん」
やっぱりうまく言えねえ、と彼は言った。
「悠人くん、すごい子ですよ」
「そうか」
「はい。いつも頑張ってて、毎日すごいハードな練習をやって。レギュラーと同じメニューなんですよ、1年なのに」
新開さんはまたそうか、と相槌をうつ。
「真波のあとを追いかけて山登ってるし。それから体力つけるためにごはんもいっぱい食べてて、」
ぶはっという声がした。
「え?」
くっくっと新開さんは笑っている。
「私なにか変なこと言いました?」
「いや、おめさん勘違いしてるみたいだけどさ。オレと同じでアイツはもともとエンゲル係数高いぜ」
「えっそうなんですか?」
新開家の家計に思いを馳せる。おそろしいな・・・。
なあ、と新開さんは言った。
「オレたちの時も、おめさんはずっと頑張ってマネージャーしてくれたよな」
「あの時はいろいろと必死でした」
知らない世界に飛ばされて、学校生活送りながらマネージャーまでやっててひいひいの毎日だった。今でもそんなに変わらないけど。
「ほんとに感謝してるよ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえてよかった」
「今年は受験だな」
あーハイ受験ね・・・考えないようにしてたんだけどね・・・。
「そうですねえ」
「進学先もう決めた?」
「それは、まだ」
「そっか。・・・もし、の話だけどさ」
慎重に、言葉を選ぶように新開さんは言った。
「##NAME2##さえよければうちを受けてみないか?」
「明早を?」
「ああ。俺と寿一、自転車続けてんだ。できるなら、##NAME2##とまた一緒に走りたいと思ってる」
考えてみます、と答える。
「ありがとな。でも、ちゃんと考えて決めろよ」
「もちろんです」
「いきなり電話かけちまって悪かったな。ゆっくり休んでくれよ。・・・それじゃ、おやすみ」
おやすみなさい、と電話を切った。
一番最初に生まれたのは、嬉しい、という気持ちだった。
また一緒に走りたいって言ってくれた。私、自転車も持っていないのに。
一緒に走ってたのかな。・・・そうだったらいいな。

***

受験のこと、インハイのこと、頭の中はいっぱいだ。
マネージャーとあちこちから声がかかる。いけないいけない、集中。
だけど、部活を抜きにすれば私たちは受験生だ。期末テストや夏期講習に模試、みんな必死になっている。
昨日あれから新開さんたちの通う大学について調べた。明早は人気校だ。入りたい学部はある。
だけど、なんのために?新開さんたちとまた一緒に部活やりたいから?
その後はどうするんだろう。ふたりが卒業してしまったら、私は明早を選んだことを後悔するのか。
分からない、と思う。頭の中がぐしゃぐしゃだ。
その時、風に乗ってパワーバーのゴミが飛んでくる。ったく、誰だよ・・・。仕方なく拾ってゴミ箱に捨てた。
ふと、 悠人くんの姿が視界に入る。最近じゃ彼とは目も合わない。いや、それは別にかまわないし仕方ないんだけど。
なんだか新開兄弟の板挟みだな。
新開隼人は罪な男だ。
一緒に部活がしたい、それだけの理由で私のことをを簡単にぐしゃぐしゃにさせる。
悠人くんだってそうだ。あの日の告白を思い出して、気持ちが暗くなった。
やっぱり私、言いすぎたよな。
謝らなきゃ、そう思うのに踏み出せないまま時間ばかりが過ぎている。
少なくとも気持ちを踏みにじったのは間違いない。
悠人くんは素直だ。全部受け止めて、真正面から立ち向かおうとする。
先回りして傷つかないように生きている私とは大違いだ。
・・・だからさ。私よりもずっといい子がいるよ、なんて心の中で呟く。
ぐしゃぐしゃで、もやもや。
そんな気持ちを振り払うように目の前の仕事に意識を向けた。 


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