ソングバード・イン・ザ・ゲージ



宗三左文字と初めて出会った時、彼はまわりに冷たい印象を与えていた。
笑顔ひとつ作らず、つんとした表情を崩そうともしないため、なんとなく遠巻きに眺めるしかなかったのだ。
宗三もまた、それで良いと思っていた。
天下五剣のような名刀も顕現しているとはいえ、自らも天地に名高い名将たちに愛された過去がある。
今川、織田、豊臣。
天下人の目をとおして時代の移り変わりを見てきた彼にとって、現在の主という人間は物足りない存在だった。
「(僕を愛でようともしない)」
特別扱いするどころか、たくさんの刀剣のうちのひとつとして接する彼女のやり方にうんざりしていた。
ここでは天下五剣も、不穏な由来の刀も、逸話のない刀も同等に扱われている。
そのくせ彼女自身の細腕では誰ひとり振るうことすらできないのだから笑わせるというものだ。
いつしか彼は、なまえという主人のことを軽蔑のまなざしで見ていた。

***

「小夜。宗三くん最近どう?」
どうって、と彼はくり返す。
「態度のこと?」
「いや、いろいろ・・・馴染んできてるのかなあって」
「さあ・・・見てのとおりだと思うけど」
そっか、と私は呟いた。
「なんか、彼いつも憂鬱そうだから気になってね」
気怠げな表情でぼんやりしている姿に声をかけても、短い返事をするだけで会話にはならない。
出陣だと言えばため息交じりに重い腰を上げ、傷を負って帰った時は傷や痛みを不快だと言わんばかりの態度を見せる。
手入れが終わってもやっぱりつまらなそうな顔でさっさと部屋へ戻ってしまう。
嫌われてるか、と最初はただそう思うだけだったが、特別に仲の良い男士がいるようにも見えない。
「ごめんね、いきなり」
「ううん。あのさ」
兄はあなたをナメくさっていると思うよ、と唐突に小夜は言った。
「うっ・・・!な、なんでそう言えるんですか」
「普通は自分の主人にあんな態度はとらない。それに・・・僕の知ってる宗三兄様とは多分ちょっと違う」
「なにか至らない点がありますでしょうか・・・」
そりゃたくさんあるでしょうけど。
手が回りきらなかったりやる気が起きなかったり、自覚してるので頭が上がらないです。
「多分そういうとこだよ」
「え?」
「僕は・・・あなたは、もっと主らしく振る舞ってもいいと思う」
主らしくないってか。再び抉られる傷。
「詳しく教えてください」
そう言って正座をすれば、小夜は目を丸くしてあわてて座った。
「違うよ、そうじゃなくて」
「いえ大丈夫です、分かってますすみません」
「もっと、強く言っても誰もいやな顔しないよ。・・・だって、あなたはここの主なんだから」
「だって・・・お、まえが言うんかとかって思われそうで」
思わない、と小夜はきっぱりと言った。
「あなたは僕たちを統べる者で、この本丸の将だ。将がそんな態度ではいけない」
「・・・うん」
「主が優しいのはみんな分かってる。でも、甘いのはよくない。将がそれではつけ上がる者が出てくる。・・・僕の、兄のように」
「そんなこと、思ってない」
「それでも今の宗三兄様を黙認すれば、きっといつか綻びが出てくる。似たような態度を取る者だっているかもしれない。その時ばかり注意しては不公平だとみんな考えるよ」
息が詰まる。
小夜の、言うとおりだ。
「私、」
主、と小夜が小さな手を伸ばして私に触れる。
「大丈夫。あなたならできる。僕も、いる」
「小夜・・・ふがいない主でごめん」
思わず鼻をすんと鳴らした。だって、だって。
情けないなあ。こんなこと、言われなくても気づかなきゃいけないことなのに。
それに、こんなに言いづらいことをはっきり教えてくれた小夜にとても感謝してる。
「小夜、ありがとう。教えてくれて」
「出過ぎたことを、言ってしまって・・・ごめん」
「ううん、小夜が教えてくれて本当に良かったって思う。・・・宗三のこと、ちゃんと考える。でも、小夜からもアドバイスがほしい」
よろしくお願いします、と私は頭を下げる。
「うん・・・もちろん」
小夜の指が、そっと頬に伝う涙を拭った。

***

つまらない日だ。
昨日も、その前も。きっと明日だって同じだろう。
終わりのない戦いに駆り出され、傷ついては直される。
なんのために。
こんな体、ちっとも欲しくなんかない。
「(腹は空く、眠くなる・・・まったく肉体とは面倒なものだ)」
別に、あの人に愛でられたいとは思わない。
ただ、求められるのが当たり前だった僕にとって、今の状況が不愉快なだけだ。
天下人の誰もが、喉から手が出るほど僕を欲しがっていた。
天下を統べる者たちが、こぞって僕を称え大切にする。
僕にはその価値がある。
それなのに。
この場所では天下五剣や古から伝わる名将の刀たち、中には贋作と云われるものや流浪の者に振るわれた刀でさえ、同じような扱いを受けているのが信じられなかった。
それに、戦以外にすることといえば野良仕事や馬の世話だなんて。
旧知の仲のへしきり長谷部や薬研藤四郎に少しばかり愚痴を言ってみたが、笑って取り合ってはくれない。
前者にいたってはいい加減にしろと追いかけまわされたばかりだ。
「はあ・・・まったく、いやになる・・・」
こんこん、と襖を叩く音がして「どなたです」と声をかけた。
「蜂須賀虎徹だ。今日は畑の日だけどまだだったから」
ああ、そうだった。憂鬱だ。
「忘れていました・・・着替えてからいきます」
「ああ。小夜が先に行って待ってる」
今日はお小夜とか。
彼は随分しっかりしているから、ここの主に重宝されているようだ。
弟と一緒なら今日の内番はマシなほうだろう。
あまり喋らない子だけれど、彼といるのは居心地が良かった。
のろのろと着替えてたすきを締め、着物を丁寧に掛ける。
「(行きたくない・・・)」
他の刀と一緒だったら適当な理由をつけてさぼるのに。
乾いた地面を歩いて、畑の端に鍬を持って待っている弟に声をかけた。
「すみません、遅くなりました」
「・・・遅いよ。もうあんなに日が高い」
小夜の言うとおり、太陽はかなり登ってしまっている。
「今日は畑をたがやして、しっかり肥料を入れなきゃ」
「・・・別に、いいんじゃないですかそこまでしなくたって。肥料なら、適当に撒いておけばいいでしょう」
本当は触りたくもない、あんな汚らしいもの。
すると小夜はため息をついて言った。
「僕は、恥ずかしい」
「え?」
「いつか良くなると思ってた。でも、ならない。だから主にあんなことを言わなくちゃいけない」
怪訝に思って「何の話です、」と問えば、彼は細い目でこちらを睨む。
「彼女はここの主だ。なのに、兄様はあの人をなんだと思ってるの」
「・・・そんなこと」
どうだっていいじゃないですか、と吐き捨てる。
なんだってこの子がそんなことを気にするんだ。
「そう。あなたがそれなら別にいい。でも、畑仕事はちゃんとして」
そう言うと小夜はさっさと鍬をふるいだした。
「・・・っ」
ああ、この身を得てから気に食わないことだらけだ。

***

一瞬、彼を近侍に据えるかと思った。
けどやめた。無理。あんなん側仕えさせたら仕事なんか絶対終わらんわ。
「宗三、・・・宗三なあ」
天下人の元を渡り歩いた刀。
それほど大きくはないし、刀身が太いわけでもなかった。
「(・・・あ)」
もう言うか。いっそ。
「ねえ蜂須賀」
なんだい、と一緒に頭を悩ませていた近侍が答える。
「宗三くん呼んできてもらっていい?どうなるか分かんないけど適当に苦情を言うわもう」
「ええ・・・本当に大丈夫なのか」
不安そうな蜂須賀。いや確かにね。私だって不安だわ。絶対あの子に圧倒される自信あるもん。
「そいでお願いだからふたりっきりにはしないで・・・一緒にいて」
「俺がいても助けにはなれないかもしれないよ。だいぶ、凝り固まった考え方をしているみたいだから」
「分かってる・・・でもこっちの頭ががちがちになる前にアクション起こしておかないと、私こういうのほんと苦手だから」
うう、緊張してる。
分かった、と蜂須賀は立ち上がって部屋を出た。
「・・・あー無理ーもう無理ぜったい無理ー」
無理ー無理ーいやな顔されるー言いたいことはそれだけですかって絶対言われるー。
なんだよ、こんな役目があるなんて聞いてないよ。
つーかいやならやめろよ、別にブラック企業じゃねえんだからさあ。
しばらくして蜂須賀の声がした。
「主」
「!」
どうぞ、と声をかける。
「(うわーマジか、なんだあの顔・・・)」
わざわざ僕を呼びつけやがってって顔してる。こえー。
なんだかいろいろなキャパがもう限界で、そうしたら怒りの方が上回ってきているような気がした。
はあ?おめえいい加減にしろよ。
いやでもこんな言い方したらアカンよな、頑張れ私。
「僕に、なにか用ですか」
「まあ」
「はあ。・・・で、なんです」
つんと顎を上げてこちらを見下ろすような視線。
くっそ、こいつほんっとムカつく顔してんな。
蜂須賀はどこに座っていいものか迷っているらしく、結局差し向かう私たちの間に座った。
いや行司か。ちょっと面白いな。
「本丸での生活、慣れた?」
「・・・別に」
「そっか。じゃあ戦は?何回か出てもらったけど」
「・・・別に」
「別に、とは?」
もう笑顔を見せるのも最初から諦めた。顔引きつるの目に見えてるから。
「別に、は別にです」
「別にじゃ分かんないんだけど」
はあ、と彼はため息をついてみせる。
「もう戻ってもいいですか。今日は内番で疲れてるんです」
「駄目。君の個人面談の日って決めてるから」
すると彼は投げやりな口調で「もう慣れました」と言った。
「皆さんとも仲良くやれています。内番もちゃんとやっていますし、戦いで敵も切っています。これでいいですか」
なんっやねんこいつは。頭が痛いんだけど。
「あのさあ」
「・・・」
「私、この仕事就く前に刀剣を見に行ったことがあるのね」
答えない宗三、蜂須賀。
「何振りかはここにいる刀もいた。三日月とか村正、歌仙、次郎、毛利。中でも膝丸と、同田貫と明石はすごい感動した。ぎらぎらしてて超かっこよかった」
何を言っているんだという眼差しが注がれる。
「長谷部と君は並んで飾られていた。たくさんの人たちに混ざって私も眺めた。君の胸に入っている刻印もじっくり見させて頂いた」
「・・・さっきから聞いていればなんなんです、どうでもいい」
「これは私が生まれて初めて、宗三左文字と会った時の感想なのね。君だけど君じゃない本体に。なんかほっそりしてた」
「はァ?」
「綺麗だなーと思ったけど、うーん・・・衝撃みたいなのはあんまりなかったなあ。そこにたどり着くまでにたくさんの刀を見てきたからかもしれないけど」
宗三の目が忌々しげにこちらを射抜く。
「私ね、正直言って刀剣とかど素人だから。見ても価値とか全然分かんない人間だから。長いとか大きいとか、あとは逸話聞いてすごいって思うくらいなんね」
「だからなんです」
「や、分からんけど君は特に来たばかりだから言っといたほうがいいかと思って。ほら、天下人の手元を渡り歩いてきたすごい刀じゃん?だけど君が思うほどちゃんと分かってないと思うから、ごめん」
宗三の顔が蒼白になっていく。
そして、
「僕は・・・こんな場所へ来たくなんかなかった」
と言った。
「え、なんで?」
「っ主ともあろう者が、これほど無知で愚かだからに決まってるでしょう!」
僕をなんだと思ってる、と彼は叫んだ。
「馬鹿にするのもいい加減にしろ、おかしいんですよあなたは!天下人の刀に土を、馬の世話だなんて!馬鹿げてる!」
ぽかんとする私。たぶん蜂須賀も。
やべーこいつガチ切れじゃん・・・こわ・・・。
はあはあと息をしながら宗三はなおもこちらを睨みつける。
「みんな僕を大切に扱っていた、それなのに!なんであなたはそうじゃないんだ、」
「大事にしてるし。ここのみんなちゃんと、」
「そうじゃなくて!僕を、ちゃんと僕を見ろ!」
怒りと懇願が一緒くたになった感情が声になってぶつけられる。
ああ、彼はそれが言いたかったのか。
「見てるよ」
「・・・嘘ばっかり」
「見てるよ、ちゃんと。だから見せてよ」
「あなたはっ・・・僕を、見ようともしない」
「そう思わせていたならごめん。でも、そうじゃないよ。もっと宗三のことが知りたい、教えてよ」
深い呼吸をくり返しながら、やがて宗三はばつが悪そうに呟いた。
「みっともない真似をしました」
「別に」
「なんです、それ。さっきの僕の真似ですか」
「はは、そうかも。あれ超むかついたわ」
もう知らねえ、言う。思ったこと全部言うわ。
「宗三」
「・・・なんです、」
「おまえさ、調子乗んなよ。別にあの態度を許してたわけじゃない」
立ち上がって彼を見下ろした。
「私はそこまで優しくない。天下人の刀とか名刀だとか、そんなの知ったこっちゃない。ここにいる全部は、私の刀なんだよ。君もそう。それ以外の、それ以上の価値なんて最初から知らないの」
宗三は綺麗な顔で私を見上げている。
「だからちゃんとしなさい。私の刀として恥じない刀になって、側にいなさい」
ゆっくり息を吐いて、再び腰を下ろした。
「言いたいことはそれだけ。ごめんね、疲れたところを呼び出して。部屋に帰ってゆっくり休んで」
やがて、宗三は「いえ、」と口にすると黙って部屋を出て行った。
「・・・」
「・・・」
はーっ、とふたり同時にため息をつく。
「もー知らん、知らんよ私は・・・!」
「頑張った、主。すごくよかったよ!」
「ほんとー?もう今日はなんも頑張らない日だからね・・・!」
よしよしと蜂須賀が私を抱きしめる。
「よくやったよ君は、よくあそこまで言い切った。俺の方こそ、あなたの刀であるのが誇らしいよ」
「うう、なんていい子・・・!蜂須賀を最初に選んで大正解だった!」
もしも初期刀選択に宗三左文字がいたら。
そんなこと考えたくない。

***

翌朝。
少し早めに朝食の席へ向かう途中のこと。
「(あれは、)」
宗三くん。おやまあ、しっかりたすきを締めて、真面目にお庭を掃いて。
すると視線に気づいたのか、こちらをふり向いた彼はいやそうな顔をして言った。
「なんです、見世物じゃないんですよ」
「そんなつもりじゃないよ。でもいやな気持ちにさせたらごめん」
はあ、と宗三はため息をつく。
「まったく、あなたと接していると調子が狂うんですよ」
「そーですか・・・」
なんやねんこいつ、いやみの百貨店か。
「朝からお疲れさま。きれいにしてくれてありがとう」
「べつ・・・に、内番なんだから当然でしょ」
別にって言おうとしたのを聞こえなかったふりをする。
あれ、ていうか、
「(いつもより会話してる・・・)」
おお、おお、おおお。
「主」
「ん?」
「昨日の話の続きですけど」
ぎく、まだあるんかい。
「これだけの刀を統べる者としてその価値が分からないだなんて、主人がそんなことでは刀として恥ずかしいのですが」
そーきたかー。コイツ・・・!
「口達者な・・・」
「・・・ま、それでも主に対する僕の態度に非があったことは認めましょう」
すみませんでした、と彼は口にした。
すみませんでした・・・ませんでした・・・でした・・・(エコー)。
「いや、うん」
「なんですかその反応。はいとかなんとか言いなさいよ」
「はい」
「箒しまってきます。ついでに僕の席も取っておいてください」
いやパシリか、そう言おうとした矢先、
「あなたの隣以外は座りません」
という言葉が先を越した。
その背中が見えなくなるのを目にしながら開いた口が塞がらない。
え?アイツ今なんて?
その時、廊下から小夜が現れる。
「おはよう、主」
「あ、小夜・・・おはよう」
「懐かれたね」
「はっ?」
「上手くいったじゃない。蜂須賀から聞いた。僕だけにって内緒で」
「あ、そうなん・・・あの時はもうだめかと思ったよ」
「かっこよかった、惚れ直したって蜂須賀が言ってた。だから多分、兄様の心にも響いたと思う」
「そうだったら嬉しいよ」
ねえ、と小夜は袖を引く。
「兄様が隣なら、もうひとつの隣は僕が座ってもいい?」
「もちろん!座ろ座ろ」
そして朝食の席、全員が信じられないものを見るかのようにこちらに視線を注いだことはきっと一生忘れない。


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