和泉守兼定は近侍である1



「・・・主」
「・・・はい」
「手が止まってるぞ」
「スイマセン・・・」
眠い。とにかく眠い。
昨日、遅くまで続いてしまった担当とのやり取りが響いている。趣味の話で盛り上がってしまったから、なんて口が裂けても言えない。
「よし。今日はこのへんで区切ろうかな」
すると途端に「何言ってやがる」と檄が飛ぶ。
「これは急ぎじゃないから大丈夫だよ」
「あとほんのこれっぽち、さっさと終わらせちまうほうがいいだろ」
出たよ。この近侍、こうなったら頑として譲らない。
「(うう、蜂須賀・・・)」
息の合った、柔軟な考え方ができる初期刀が恋しい。
同時に隣にいる和泉守の存在をちょっぴり恨めしく思い、近侍の交代を申し出た彼との会話を思い出す。
「え?なんで?」
「俺以外にもこの仕事ができる者がいたほうがいいと思うんだ」
「そりゃもちろんそうだけど・・・また最初からになっちゃうねえ」
「ああ、それなら俺がついて教えるから大丈夫だよ」
「そっか。でもなんで急に?」
「急・・・そうだね」
蜂須賀は考えこむ。
「なんとなく、かなあ」
「そう・・・でもまあ、そうだよね」
誰にすっかなあと悩んでいると、
「推挙したい者がいるんだがいいだろうか」
蜂須賀は言った。
「え?誰?」
「和泉守兼定」
「あー和泉守・・・ねえ。なんか意外」
「そう?ああ見えてマメな性格だから、しっかり勤め上げてくれると思う」
たしかに、彼はストイックな面がある。
さすが鬼の副長の刀というか、最初の頃はあまりにも捨て身覚悟な進退判断にひやひやさせられたものだ。
「受けてくれるかしらね」
「多分。この仕事、興味あるみたいだよ」
「そうなんだ。じゃあ試しにお願いしてみようかな」
その結果がこれだ。とんだ鬼教官である。
キンキンの目薬をさして頑張る私に、彼はさらに追い打ちをかける。
「だいたい、確認を何度もするのは効率的じゃねえだろ」
「安心料なの」
安心料ねえ、と鬼教官はくり返す。
「ま、どっちにしろこのやり方じゃひいひい言ってるのもうなずけるな」
「どういうこと?」
「歳さんだったらこんな無駄、さっさとなくしてるぜ」
はい出た歳さん。
「はあ?んだよそれ」
「?なにが?」
「まじめにやる気があんのかって言ってんだ」
「いやいや、あるよもちろん」
「んじゃどうすんだよ」
どうって、と言葉に詰まる。
「でも、確認は大事だよ。見落としとかあるかもしれないし」
「だから、あんたが集中してやりゃいいだけのことだろ」
完全に平行線である。
なのに、ため息をついたのは和泉守のほうだった。
「はー・・・何度も言わせんなよ」
目をそらしうんざりしたとばかりに呟かれた言葉。
「(・・・はア〜?それをやんのが近侍の役目だろーが!!!)」
いやいや落ちつけ私。
「確認が私だけだと不安だから、近侍にもお願いしたいの。これまでもそうしてきたし」
「一人で済ませりゃそのぶん俺が別の仕事ができるだろうが」
ちょっと呆れて「そんなに仕事量ないから大丈夫だよ」と言うと、和泉守は肩透かしを食らったような顔をした。
「はあ?なんだそれ・・・」
「えーと、あるよ。あるんだけど」
ほんとのところ、彼が蜂須賀から引き継いだ業務はそれほど多くはない。
戦績の整理や提出物の記入、在庫管理や内番表の作成などなど。
言ってしまえば単調なデスクワークばかりだった。
ちなみに、経理は博多と一緒にやっているため彼には関わりがない。
政府とのやりとり、戦場へ送り出す者の選別、定期監査対策、会議の付き添い。
これらはあいかわらず蜂須賀と一緒に行っているし、むしろ彼じゃないと今のところおそろしい。
「・・・」
黙って書類に目を落とす。
確認作業だってりっぱな業務だし、無駄なんかじゃない。
それに、ただでさえぎこちなくなった仕事になぜ彼の機嫌までとらないといけないのか。
「とにかく、それが近侍の仕事のひとつだから」
「へーへー分かりましたよ」
べし、と机に置かれた書類たち。
「なに、」
「終わった。他にやることは」
「や、今のところは大丈夫」
「そうかい。じゃ、なんかあったら呼んでくれ」
そう言いながら和泉守は立ち上がる。
「行くが、いいか」
「どうぞ。お疲れさま」
がらり、すたん。
無情にも閉められる障子。
んんんんん。
「・・・ッはあ〜〜〜もう・・・」
行き場のない怒りを抱えて畳に転がる。
感情を言葉にするのはいけないと思い、盛大な舌打ちに変えて放出してみた。
ていうか、どう考えても向いてない。少なくとも”私の”近侍には。
たしかに意見とかは言ってほしい、改善点なんかももちろん。
だけど、あれでは頭ごなしにダメだしされているのと一緒だ。
これじゃいけない。
審神者は、本丸の将だ。
どんなに頼りなくても、決定は私がするべきであり、同時に責任も背負わなければならない。
慎重になるのはやむなし、小さなミスになれてしまっては大きな間違いを未然に防げない。
失敗ばかりでは、上やみんなからの信用さえ失ってしまう。
そのことを、誰よりも近侍という存在には分かっていてほしい。
「(まだ初日だし仕方ないのかなあ・・・)」
蜂須賀と比べちゃいけない。
でも、彼が前任のようになってくれるのは一体いつになることやら、考えるだけで胃が痛い。
***

「俺が何をしたってんだ・・・」
縁側に腰をおろして心の中で文句をくり返す。
先代に代わって近侍に任命された瞬間の喜びは今でも忘れない。
一番近くで彼女を助け、尽力することを期待されているのだと思うと胸が熱くなる。
そう思ったのに。
あれそれで通じ合う之定とは反対に、どうにも自分は上手くいかない。
以前の主の苛烈なやり方を間近で見ていたからこそ、彼女のやり方は手ぬるく、もどかしくさえ感じるのだ。
もちろん、よくない考えだとは分かっていた。
「あーくそっ!どうしろってんだよ・・・」
ぐしゃぐしゃと髪をかき回していると、いつの間にか小夜左文字がそばへやって来ていた。
「・・・あの」
「あ?ああ・・・どうした」
「和泉守さん、どうかしたんですか」
その問いに対し「別に、なんでもねえよ」とそっけなく答える。
「なにかいやなことでもあったんですか」
「いや・・・別にそんなんじゃねえけど」
もしかして歌仙が、そう言われて俺はあわてて否定した。
「あいつは関係ねえよ」
「そう・・・ならいいけど」
隣に腰かけ黙々と柿を剥き始めた相手との間に気まずい空気が漂う。
「なあ」
「なんですか」
「俺になんか用か?」
「別に。用はないです」
ないのかよ。
けれど、小夜は続けて言った。
「あなたと歌仙は似てる」
「そうか?そりゃ同じ兼定だからちったあ重なる部分はあるかもしれねえが・・・別に似てはないだろ」
「そんなことないです」
「なら、俺と之定はどこが似てる?」
意地っ張りなところ、と彼は言った。
「あなたも歌仙も素直じゃない。・・・特に主には」
「之定も?」
冗談だろ、と思う。
阿吽の呼吸とは彼らのためにあるような言葉だ。
大げさかもしれないが、主の何気ない一言の背景にあるものを読み取り、先回りして行動できる彼が羨ましい。
「やっぱり近侍は、あのまま之定が務めていたほうが良かったんじゃねえのか」
「歌仙に聞いてみたら?」
「いやだね」
それだけは絶対にいやだった。
どうやったら主と上手くやれるか。
彼女のために自分は何ができるのか。
本当はそれが一番の近道なのかもしれない。
だとしても、
「あいつにだけは絶対聞かねえ」
「・・・やっぱりあなたたちは似てるよ」
「は?どこが?」
「歌仙も最初から上手くやれていたわけじゃない。でも、ちゃんと主と向き合おうとしていたと思う」
先ほどの自分の行動をふり返る。
はたして自分はそうしていただろうか。
彼女のやり方を甘えだと切り捨て、目を背けてはいなかったか。
「悪い、小夜」
「僕は別に」
ありがとよ、そう言い残して俺は来た道を戻ることにした。

***

疲れた。
「あーもう無理、なにもしない・・・」
寝る。
そう決めて横になり目を閉じる。
もやもやと頭に浮かぶのは和泉守のことだった。
「(怒ってるかな・・・近侍、降りるって言ったらどうしよう)」
彼を今の立場に推挙したのは歌仙だった。
そろそろ僕の他にもこの仕事を委ねてみるのはどうかな、そう言われて最初は戸惑った。
「どうして?歌仙、近侍がいやになった?」
「そうじゃないよ。だけど、最初からずっと僕だっただろう?近侍を変えたほうがきっと君も成長する」
そうかな、とためらうと彼は笑って言った。
「そんなに僕が恋しいのかい」
「そうじゃないけど、でも・・・やっぱり歌仙がいい」
「ならこうしよう。僕の代わりに、和泉守に任せてみてはどうかな」
「和泉守?」
「ああ。振る舞いは乱暴に見える時もあるが、あれでまめな気骨のある男だよ」
信頼する初期刀がそう言うなら思いきってやってみようか。
分かったと頷いたその日のうちに、彼らの立場は交代した。
うとうととまどろみが意識を包む。
静かに扉が開く音がした気がするが、まぶたは開かない。
やがて、「なあ主」という声がした。
「俺は、俺にできることしかできねえ」
之定のように何もかも上手くはやれないかもしれない。
でも、彼には彼の得意分野があるように自分にだってできることがある。
「力になりてえんだ。役立ててくれよ。あんたの役に立ちたい」
そっと頭を撫でた手の感触でようやく言葉を紡ぐ。
「和泉守・・・」
んな、と彼はおかしな声を出した。
「お前、起きてやがったのか・・・!」
体を起こすと、浅葱色の羽織が掛けられていることを知る。
「寝てたよ。今起きた」
「嘘つけ。・・・ッくそ!」
顔を背けた彼の耳が真っ赤に染まっていた。
「和泉守」
「・・・んだよ」
「ごめんね」
すると彼は振り向いた。
「なんで、あんたが謝るんだよ」
「情けない主だなあって思って。これからはもっとちゃんとするから」
「別にあんただけがそうするもんでもねえだろ」
「え?」
思わず聞き返すと和泉守は「だから!」と叫んだ。
「ちゃんとするのはあんただけじゃねえって言ってんだ!分かれ!」
「す、すいません!」
思わず背筋が伸びる。
深呼吸をして、私は言った。
「和泉守兼定」
「ああ」
「これから、どうかよろしくお願いします」
「・・・おう」
口調はぶっきらぼうでも桜吹雪が舞っている。
彼となら、きっとうまくやれる気がする。
すこしずつでもいいから、互いを心から信頼しあえる関係になっていきたい。

主のやり方が悪い。
そんなことは分かりきっている、なのにこのもやもやはなんだというのか。
大体、どうして余計な手間をかけるのか。
歳さんならあんなもの、さっさと終わらせるに決まっている。
ひとつの書類を何度も眺めるなんて馬鹿みたいだ。
「・・・」
不満の理由はそこばかりではない。
明らかに、彼女が自分にゆだねている仕事量は少ない。
審神者の、近侍の仕事があんなに簡単に終わるものか。
部隊編成の相談相手も未だに蜂須賀虎徹だ。
ぐ、と思わず拳を握る。
「(俺じゃ力不足だってのかよ・・・!)」
ずっと近侍になりたかった。
一番近くで主を助け、力を尽くす。
かつての自分にこの身があれば、と何度も考えた。
それがようやく叶ったというのに、自分は望まれてはいないのかとさえ思う。
胸につかえているのは焦りか、虚しさか。
それとも、
「(今の主への失望など、あっちゃならねえが・・・)」
どうにも上手くいかない。
彼女と、己の心に上手いこと折り合いをつけられないものか。
「はあー・・・」
その時、
「あ、いた。和泉守」
「!」
まさか。なんで彼女が。
驚きが顔に出ないよう意識しながら、「なんだよ」と冷たい返事をする。
「あのね、和泉守」
「あ?」
「話そう!」
は、と思わず固まる。
「なに、」
「蜂須賀ともたくさん話したんだよ。何を考えているか、どうしたらいいか・・・意思疎通ができていないとぶつかるばかりだったから」
ぶつかるのは悪いことじゃないけどそれで終わりたくない、と彼女は言った。
「・・・あんた、俺の意見聞かねえだろうが」
「聞くよ。ちゃんと聞く。だから私の話も聞いてほしい」
真剣なまなざしを受け止めた和泉守はやがて、
「そんなに言うなら聞こうじゃねえか」
と向き直る。
「確認作業はふたりでしたい。私が


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