おしえてマキアベリ



冥界を訪れることを喜ぶ者は少ない。
本来ならば、長さに差はあれど、定められた生をまっとうした者だけが足を踏み入れるべきその場所は、暗澹たる空気で満ちている。
しかし、冥府をつかさどるハーデスと他の神々たち、生きながら闇の世界に存在することを許されている冥闘士にとっては、住み心地が良いのかもしれなかった。
彼らに会うため遣わされたアフロディーテは、わざとゆっくりとした歩調を進めている。
季節の変化を告げる風や、眩しい陽ざし、燃えながら沈む夕日や夜空にきらめく無数の星々。
人間が創りだすことのできない自然の美しさへのあこがれは、太古の昔から遺伝子に刻まれているものだと思っていたが、冥闘士たちはそうではないのだろか。
「ラダマンティスやミーノスたちはここにいて退屈ではないのかな・・・」
それとも、そんなことさえ感じないほど忙しい日々を送っているのかもしれない。
すくなくとも、彼はそんな特別な感覚の持ち主ではないのだから、1分1秒たりともこんな場所にはいたくないのだった。
ほんの短い間にせよ、賊軍のような形でアテナに敵対していた過去を、いやでも思い出す。
あの時はああするしかなかったのだとおくら自己弁護しようとも、過去はなにひとつ変えられないことは分かっている。
ただ、それを受け入れられるほど、時間は過ぎていない。
やがて、彼の目には悪趣味とも思える装飾がほどこされた扉の前で、そっけなく冥闘士に告げる。
「アテナからの書状を持参した」
あわよくば、門前で用だけ済ませてさっさと帰りたかった。
しかし願いは叶わず、相手は張り詰めた声で答える。
「どうぞ、お通りください」
「・・・どうも」
長い廊下をたどって案内されたのが冥界の最高神、ハーデスの御前であることを知って、彼は驚きのあまり目を見開く。
いつもならバレンタインあたりが事務的な顔をして受け取るというのに、なぜなのか。
仕方なく、敬意を表すため身を低くかがめていると、頭上から「顔を上げよ」という声が降る。
「久しぶりだな、アフロディーテ」
笑みを含んだ声音を聞いて、彼は形式的な挨拶を返した。
「ハーデス様もお変わりなくお過ごしのご様子、なによりです」
すると相手はつまらなそうに鼻を鳴らして言った。
「心ない世辞など、誰も求めてはおらぬ」
この、とアフロディーテは心の中で毒づく。
自身が忠誠を誓ったわけでもない存在に軽く見られるのは、良い気分ではない。
「アテナより書状を承りました」
すると、控えていたラダマンティスが彼の元へ近づくのが見えたため、何も言わずに黙ってそれを手渡す。
ラダマンティスの手からうやうやしくそれが渡ったのを見届け、これで終わりだろうとアフロディーテはは軽く息を吐いた。
ところが、ハーデスはそれを開こうともせずに脇へ置くと、美しく微笑んで「アフロディーテよ」と呼びかける。
「なんでしょうか」
「お前は、今日が誕生日らしいな」
「・・・はい」
「生まれた日など、ここでは尊ぶべき理由などない。が、お前はわずかの間とは言え、広い目で見れば役に立ったこともあるからな」
ふざけるな、と叫び出しそうになるのを、奥歯を噛みしめてどうにかこらえる。
しかし、固く握りしめられた拳をラダマンティスが気づかないはずもなく、鋭い視線が彼を射抜いた。


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