素直になりたい



「もうっ、なまえさん!」
丁寧に制服の毛玉を取りながら王ドラは言った。
「脱いだらちゃんと自分できれいにする約束だったじゃないですか!」
洗面所から「ごめーん」とあわてる声がする。
「だって寝坊しちゃったんだもん」
「帰ってきた時にすればよかったでしょ」
「忘れてたの」
彼は大きくため息をついた。
結局、お世話係として自分がやってしまうのだ。
けれどこのままでは彼女のためにはならない。
いつか自分が帰ってしまったら、その時は自分で何もかもをしなければいけないのだから。
「(いつか、私が帰る時が来たら・・・)」
つい、手が止まる。
そんなことなど考えたくもないほど、ここでの時間が愛おしい。
けれど、きっと彼女はそんなこと微塵も思いはしないのだ。
振り向いて身支度を整えている背中を見つめる。
いつか、
「いなくなっちゃうかもしれないんですよ」
ぽつりと呟いた。
「え?」
「なんでもありません。ほら、早くしないと朝ごはん食べられなくなりますよ!」
はーい、とのんきな返事をしながら彼女は席に着いた。
「今日からテストですよね」
「げ、なんで知ってるの?」
「ちゃんと分かってます。いい点を取れ、とは言いませんが、せめて赤点だけは回避してくださいよ」
「そんなこと言ったって・・・あ、じゃあテストの問題が前もって分かる道具貸してちょうだいよ」
「なに言ってるんですか。だめに決まってるでしょ」
「だよねー」
「道具に頼ろうとしないで、ちゃんと自分の力で勉強してください」
なんか今日の王ドラ小言ばっかり、となまえは呟く。
「なんで?私なんかした?」
「そ・・・ういうわけではないです、けど」
「じゃあなんで?」
王ドラはコトリと箸を置いて答えた。
「いつか、私が帰ってしまった時に甘え癖がついていたらなまえさんが困るじゃないですか」
「・・・帰んの?」
なまえは目を丸くして尋ねた。
「そりゃ、いつかは」
「いつかっていつ?」
「さあ、そこまでは」
なーんだ、となまえは安心したように言った。
「じゃあまだじゃない」
その言葉にむっとしたように王ドラは返す。
「分かりませんよ、今日いきなり帰ってこいなんてこともあるかもしれないんですから」
「そうなんだ」
「そうなんです」
あ、もう時間だ、となまえは時計を見上げた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。気を付けて」
「なんか今日の王ドラ、ほんとにいじわるだね」
そう言い残して、ドアを閉める背中を見つめながら彼はぽつりと口にした。
「だって・・・いつ本当になるか分からないじゃないですか」

***

いつものように掃除をして、洗濯物を取り込む。
10時、お茶とドラ焼きで一息つくのが王ドラの日課だった。
お昼は軽くすませて、それからちょっとお昼寝、
「(その後はお買い物に行って今夜のごはん・・・)」
そんなことを考えていると、ピンポーンと来訪を告げる軽快なチャイムが鳴った。
「はいはーい」
確かめもせずに開けた瞬間、
「やっほー!王ドラ、遊びに来たよ!」
「ドッ、ドラリーニョ!?」
サッカーボールを小脇に抱えた親友が当たり前のようにそこに立っていた。
「どうしてここに?というか試合は・・・?」
「今はオフシーズンだよ。だから来ちゃった!」
曖昧な理由が彼らしい。
「どうぞ、上がってください」
「ねえねえ、なまえちゃんは?」
「学校ですよ」
「えっなんで?」
「なんでって・・・今日は金曜日じゃないですか」
そだっけ?と首を傾げるドラリーニョにあいかわらずだなと苦笑しながらお茶を差し出す。
「ありがとう、王ドラ」
「いいえ。ちょうど暇していたところでしたから、なんて言っちゃ悪いですかね」
「ううん、僕も突然来ちゃったから」
のんきな友人相手に、王ドラは胸の奥にしまいこもうとしていた葛藤をわずかに取り出すことにした。
「あのね、ドラリーニョ」
「なあに?」
「もしも、急に未来へ帰るようにって言われたとしたら・・・どうします?」
「えーやだなあ。だってチームメイトと離れるのさびしいもの」
でも、とドラリーニョは言葉を切ると、
「そうなったとしてもずっと友だちだけどね」
と笑った。
「離れてもずっと・・・」
「どうしたの、王ドラ?もしかしてなまえちゃんと何かあった?」
ちがうんです、と王ドラは首を振る。
「ただ、私はお世話ロボットなので・・・いつかはそんな日が来るのでしょうし」
シュン、としてしまった彼をドラリーニョはなぐさめる。
「でも、今すぐ帰ってこいって言われてるわけじゃないんでしょ?」
「まあ、それはそうですが」
「だったらケンカするよりも、今たっくさんの思い出を作らなきゃもったいないよ!」
「そうですね、ってあれ?私、ケンカしているなんて言いましたっけ・・・?」
「ううん、そんな気がしただけ。でも、当たっちゃったみたいだね」
困ったように笑う相手に、王ドラは「いいえ」と言った。
「ドラリーニョが教えてくれなかったら、たぶん私は気づけなかったと思います。ありがとう」
「どういたしまして!ふたりが仲直りできるのならよかった・・・そうだ!」
今日はなまえちゃんの好物をたくさん作ろうよ、とドラリーニョは提案した。
「いいですね、きっと喜んでくれます」
「うわあ楽しみ!僕も手伝うね!」

***

なんか、今日は疲れた。
朝から王ドラと変なケンカをしたせいで。
「(いやケンカっていう感じでもないけど・・・)」
なんで急にあんなこと言ったんだろう。

”今日いきなり帰ってこいなんてこともあるかもしれないんですから”

うそばっかり、そんなのありえない。
だって王ドラがいない生活なんて、
「・・・そんなのやだ」
ぽつりと口にして立ち止った。
もしも、家に帰っていなくなっていたらどうしよう。
そう思ったら、帰る足が遠くなる気がした。

***

「遅いですねえ・・・」
時計を見上げて王ドラは呟いた。
いつもならとっくに帰ってる時間なのに。
彼女の好きな点心だって冷めてしまう。
「僕、迎えに行ってくる!」
そう言ってドラリーニョは立ち上がった。
「すみません、お願いします。私はキッチンを片付けてしまいますね」
「うん!」
軽やかな足取りで学校の前、商店街、よく行くコンビニを探し回るもののいっこうに見つからない。
河川敷を歩きながら腕を組み考える。
「う〜ん・・・あとは・・・」
日が暮れてきている。
暗くなる前に見つけないと、探し出すのは難しい。
何気なく公園の前を通り過ぎようとした時だった。
ドラリーニョはふと、ブランコに座っている姿を目にして立ち止まる。
いつもよりも背中が丸い。
「なまえちゃん」
「!」
ドラリーニョ、と彼女は驚いたように顔を上げた。
「帰ろ?王ドラが心配してるよ」
「・・・帰るの、やだ」
なんで?とドラリーニョはしゃがんで目線を合わせる。
「いなくなってたらどうしようって考えたら、こわくて」
「王ドラ、いなくならないよ。ちゃんとなまえちゃんのこと家で待ってるよ」
「でも、いつかそんな日が来るかもしれないんでしょ?」
不安に揺れる、彼女の瞳。
「・・・君たちって、本当に似た者同士何なんだねえ」
「え?」
空いている隣のブランコに立って漕ぎ始めながら、
「王ドラもおんなじこと考えてたよ」
とドラリーニョは言った。
「王ドラが?」
「いつかそんな時が来るかもしれない。僕だってチームメイトと離れなきゃならないかもしれないし。でも、ずっと友だちだよ」
もう会えないわけじゃないし、と彼は笑った。
「僕たちは未来から来たロボットなんだから、タイムマシンとどこでもドアで、いつでもなまえちゃんに会いに行けるんだよ」
「いつ、でも・・・」
「うん。だからね、なんにも心配なんていらないの。それにさ、よっと!」
ぴょん、とはずみをつけて彼は飛び降りる。
「くよくよしている時間がもったいないじゃない!」
「・・・そうだね」
なまえはこぼれそうになる涙をぬぐって立ち上がる。
「帰ろっか、ドラリーニョ」
「うん!」

***

ドアを開ける前に、深く息を吸う。
「ただいまー・・・」
すぐさま「遅いですよ!」という声が飛んでくる。
「どれだけ心配したと思って、う」
王ドラの目がうるむ。
「・・・ごめんねえ王ドラー!」
「私のほうこそすみませんでしたあー!」
ぎゅうと大切な存在を抱きしめ合うふたりに、ドラリーニョは「よかったね、王ドラ、なまえちゃん」と心の中で声をかけた。

***

お世話になりました、とふたりそろって頭を下げる。
「やだなあ、僕はなにもしてないよ」
「いいえ。ドラリーニョのおかげです」
「ほんとだよ。ありがとう、ドラリーニョ」
そう言われて彼は照れくさそうに頭をかく。
「そうだ、これおみやげ。帰り道でさっき買ったの」
なまえが差し出した紙袋の中身を見てドラリーニョは「わあっ!」と顔を明るくした。
「ドラ焼き!こんなにたくさん、いいの!?」
「もちろん。またいつでも遊びに来てね」
「うん!ありがとうなまえちゃん」
王ドラの分もあるからね、となまえは隣にいる彼に告げる。
「わざわざありがとうございます」
「ううん、いつも家事してくれてほんとに助かってるんだ。ありがとね」
にこにことした笑顔でドラリーニョは言った。
「僕がいる時、たまにだったらけんかしてもいいよ!」
「それ、絶対どら焼き目当てですよね・・・」
「いやあ、ばれた?」
「まったく・・・」
いつもと変わらないやりとりを見て、なんだか幸せだなあ、となまえは笑った。


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