3



バイトからの帰り道、自分が定めた目標を見つめ直す。
私、勘違いしていたのかもしれない。
進藤くんは友達。
プロ試験までの、私の碁の先生、それだけ。
駅前の本屋に立ち寄って、奥の本棚へと向かう。
数種類ある本の中から、私は一冊詰め碁の本を手にとってレジに向かった。
「・・・よし、」
小さく呟いて、気合いを入れる。
次に進藤くんと打つ時、少しでも成長している私でいたい。

***

「・・・強くなったね」
ぽつりと進藤くんはそう言うと、目線をこちらへと向ける。
「ほんと?」
うん、と彼が頷くので、私はほっとしたように小さく息を吐いた。
「特に死活が強くなったよ」
勉強した?と尋ねられ、何だか少しだけ気恥かしいような気がして、僅かに視線を泳がせながら「うん」と頷く。
すると進藤くんは「そうだ、」とぱっと顔を上げると、
「ね、幽霊と打ってみる?」
と言った。
えっ、と私は驚いて、そっと目を彼の後ろへと向ける。
「ほんとに、・・・打てるの?」
「打てるよ。佐為っていうんだ。藤原佐為」
始めまして、じゃないけど。
「・・・よろしくお願いします、」
そう言うと、進藤くんは嬉しそうに笑って「よし、やろ」と片付けた碁石を差し出す。
「互戦ね、」
あれ、何だろう、これ。
数手打ち進めて気付く。
いつもの進藤くんじゃないみたいだ。
白石が、私の曲がった軌道をそれとなく修正して、正しい方向へ導いてくれているような、そんな感覚。
終わってしまえば、当然の結果だったが、私は思っていた内容との差に、息を吐く。
「・・・どう、だった?」
進藤くんの問い掛けに、「すごく、楽しかった」とぼんやり盤面を見つめながら呟く。
「良かった、」
彼は嬉しそうに笑うと、後ろを振り向く。
しばらくそちらを見ていたが、やがて小さく片をすくめて、
「手筋がすごく綺麗、だってさ。あと、一カ所に掛ける手数がちょっと多いって」
そんなことまで、私はびっくりしたものの、しかし「ありがとうございました」と頭を下げる。
「すごく、打ちやすかったです」
誰もいないように見える彼の後ろに向けて、感謝をした。

***
始めまして、ではありませんね。
私は藤原佐為、と言います。
なまえちゃんの碁はいつも見させてもらっていますよ。
手筋がとても綺麗で、碁盤の上のあなたの石はとても美しい形をしています。
ヒカルもあなたも気付いていないけれど、少しばかり一カ所に掛ける手筋が多いような気がしますね。
ほら、例えばここなんか、ね。
ここはこれだけで十分。
そんなに気を配らなくとも、きちんと挽回出来るから大丈夫。
ね、ヒカル、ちゃんと私の言葉、伝えて下さいね。
「伝えて下さいって言ったのにー!」
「しょーがねーだろ、あんなに一度に沢山覚えられっかよ、」
ヒカルのばかばか、あれじゃ私ただのインケンなお化けじゃないですかあ。
いくら訴えてもヒカルは「分かった分かった、ごめんって」と適当な反応しか見せてくれない。
ごめんね、なまえちゃん。
でも、私本当にあなたの碁が好きなんです。
だから、諦めないで下さいね。
『本当は、そう伝えたかったんですよね・・・』
今も彼女は一人で、静かに碁の勉強をしているのだろうか。
私の姿が見えたら、いくらでも相手をしたいのに。


こないだはありがとね。
駅までの帰り道、並んで歩いている進藤くんにそう言うと、彼は「ん?」と首を傾げる。
「佐為さんと、打たせてもらったこと」
ああ、と進藤くんは笑った。
「良いって良いって。あいつも打ちたがってたんだよ。すっげー褒めてた」
そうなんだ。
何だか嬉しくなって、進藤くんの隣にいるであろう存在に意識を向けた。
そういえばさ、と彼は思い出したように、
「なまえが前に言ってた囲碁部の後輩って、多分俺の知ってるやつだよ」
無意識の内に避けていた話題を突然振られて、私は「そうなんだ、」とわざとらしく答える。
「そうそう。あいつ、嬉しいって言ってたよ。たまに強い先輩が打ちに来てくれるんだ、って」
進藤くん、あんまり打ってあげてないの?
そう呟くと、彼はきょとんとした顔をする。
「ん、まあ・・・だってほら、あいつ部活やってるし。中学の時と違ってそんなに会う機会もないしさ」
でも、あの子は進藤くんと打つのを、すごく楽しみにしていた。
なのに、私は毎週打ってる。
あの子と同じ学校で、条件は変わらないのに。
「・・・なまえさん?」
「どうして、進藤くんは、いつも私と碁を打ってくれるの・・・?」
そう言ってから、自分の口にした言葉の重さに気付いて、気まずくて視線を逸らす。
「どうして、って、だってなまえさんはプロ試験目指してるじゃん」
あいつのは部活だし、と答える進藤くんの横で、私は足を止めた。
「でも、・・・プロ試験、受けるって決める前から打ってくれてたよ」
え、と言葉を切る彼に、ちょうど自分が乗る電車がホームに停まっているのを見つけて、「ごめん、電車来てるから行くね」と、顔も見ずに駆け出した。
「あ、なまえさん!」
進藤くんの声が後ろから聞こえたが、急いでホームの階段を駆け下りて、彼の姿が見えなくなったところで、自分の口にした間違いを吐きだすように、今更ため息を吐いた。
私、馬鹿だ。
あんなこと言って、絶対進藤くんに変に思われてる。
どうしてなんて、自分が一番良く分かっている筈なのに。
進藤くんは、私がプロ試験に合格するために頑張ってくれている、それだけ、なのに。
家に帰ると、お母さんが「叔父さんがね、囲碁ニュースがテレビでやっていたのを録画して貸してくれたの」と嬉しそうに言っていた。
「ふうん、」
見てみようかな、とリビングで再生してみる。
あ、
『進藤くんが出てる・・・』
進藤ヒカル、二段、だって。
地方で行われたイベントのようで、彼はきっちりとスーツを着て、棋譜を書き込んでいるらしかった。
画面の中の彼は、いつも私に碁を教えてくれる彼とは別の、何だか遠い人のような気がして、画面を消す。
私、舞い上がっていただけなのかもしれないなあ。
自分の部屋へ向かう階段を登りながら、ふとそんなことを考える。
進藤くんは大丈夫、と言ってくれていたけれど、実際のところ自分の棋力がどれほど通用するのかは分からなかった。
パソコンで、プロ試験について調べてみる。
院生上位と、外来受験者の総当たり戦。
イメージすら湧かないそれに、挑もうとしているだなんて。
はあ、ため息がまだ冷えている部屋の中で白く浮かび上がる。
「あ、メール」
"あのさ、次の金曜日なんだけど、塔矢がなまえさんと打ちたいんだって。だめかな?"
私の悩みとは裏腹に、彼らしいメールの内容に対して、良いよ、と返信する。
もう、半ばやけくそのような気持ちに等しかった。
授業中、教科書の間に昨日この間買った詰め碁の本を忍ばせてみるものの、何だか無意味なもののような気がして、ぱたりとそれを閉じる。
ぼんやりと外を眺めながら、意識を他のことに向けた。
思えば、最近の私は碁会所、囲碁、進藤くんのことばっかりだ。
たまには別のことをして気分転換をした方が良いのかもしれない。
今日はこの後寄り道して、買い物でもして帰ろうかな。
そう考えて、残り少ない授業時間の終わりを待つ。
3、2、1。
就業を告げるチャイムと共に、教科書を片付けながら、窓の外に視線を向ける。
『あ、』
渡り廊下の向こうに、藤崎さんの姿を見つけた。
移動教室だったらしい。
今日も部活、行くのかな。
・・・いつも、一人で打ってるのかな。
***
進藤さー、最近何だか楽しそうじゃん。
「そうかな、」
彼女でも出来たか?なんて和谷が言うので、つい「そんなんじゃねーよ!」と答える。
どうやら俺の反応が予想外だったのか、彼はきょとんとした顔をした。
「・・・何、お前マジなの」
うそー信じらんねえ。
和谷の言葉に、「だから、違うって言ってんじゃん」と返すものの、信じているのかいないのか、にやにやしながら俺を見る。
「でもさ、最近付き合い悪くねえ?前はさ、回転寿司だーラーメンだーって散々連れ回してたくせに」
今さ、プロ試験控えてる子に教えてるんだ。
そう言うと、和谷は「プロ試験?」と繰り返す。
「そう、」
「へえ・・・院生?」
「ううん、外来受験」
外来ねえ、と呟くと和谷は、
「だけど、プロ試験ってマジで厳しいじゃん。外来で受かるのだって、よっぽど強くないと難しいぜ?」
俺も伊角さんも院生長かったから分かるもん。
「プロ試験、マジできつかった。一局打つごとに気力がすり減るっつーか、」
寝ても覚めても囲碁漬け、そりゃもちろん好きだから苦にはならないけどさ。
「俺がちゃんと教えるからへーき、」
お前だから不安なんだよ、そう呟いた和谷の言葉をわざとスルーしていると、「ていうかそいつ、男?」と彼は尋ねてきた。
「ううん、」
「うっそ、マジ?同い年、それとも年下?」
一個上、そう言うと和谷は「年上かよ!」と驚く。
「まあでも、それじゃ外来だわな。週に何回打ってんの、」
「えーと、俺が手合い無くて、向こうがバイトない日だから・・・2、3回かなあ」
2、3回?と彼は聞き返す。
「うん、」
「それじゃ無理だって」
と、和谷は言った。
「進藤だって、プロ試験がそんなに甘いもんじゃないことぐらい身に染みて分かってんだろ。ましてや外来」
そこまで言って、彼は言葉を切る。
「あと半年しかないんだぜ」
あと、半年。
このままのペースじゃ、合格は難しいのだろうか。
「うちの研究会に連れてこいよ、」
え?と顔を上げると、「師匠にも言っとくからさ。進藤の彼女候補ですって」と言って笑う。
「・・・和谷!」
あのさ、とおずおずといった様子で進藤くんは口を開いた。
「なまえさん、何か悩みとか、ある?」
先日私が思わず言ってしまった言葉が頭をよぎるが、「ううん、何で?」と返事をする。
本当のことを言えば、漠然とした悩みなら幾らでもあった。
だけどそれらは、どれも形にならないもやもやとしたものばかりで。
プロ試験、受かるのかな、とか。
大学受験、どうしようかな、とか。
このままで良いのかな、・・・とか。
「そっか。いや、何となく、なんだけどさ」
和谷って奴が同じプロにいるんだけど、と彼は続ける。
「うん、」
「院生の時から一緒だったんだけど、なまえさんに研究会見に来てみないかって」
研究会、という言葉に、私は首を傾げる。
「プロを指導して育成している先生のとこだから、きっとなまえさんも強くなれるよ」
「・・・ほんと?」
強くなれる。
強くって、どれくらいだろう。
そう考えて、思い切って進藤くんに尋ねてみる。
「私って、今どのくらいの強さなのかな」
プロ試験、・・・場違い、じゃない?
進藤くんは一旦は口を開きかけたものの、僅かに目を伏せる。
そして思い直したように、「俺と、互戦打ってみない?」と言った。
「互、戦」
「そう。それでなまえさんの納得する答えが出ると思う」
少しだけ躊躇ってしまう自分がいる。
いつもは平気で打てていたのに、何だか怖いような気さえする。
でも、これで自分の答えが出せるのなら。
「・・・うん」




***




先番が彼女は、定石通りに手数を進めている。
でも、些か地を広く取り過ぎたように思える。
もちろんそれはヒカルだって感じているところで、
「 、」
なまえちゃんは一瞬、はっとしたような表情をした。
ほら、ね。
噛みつかれてしまったでしょう。
引き際を見極めるのは大切、でも逃げてばかりもいられない。
そこが奥深さでもあり、面白いところですね。
彼女の視線が碁盤の上を彷徨う。
白石の弱い部分を見定めているのだろう。
眼差しが、きりりと一角を見据える。
・・・どうやら、腹を決めたようですね。
逃げてばかりもいられない、彼女の指先が白石を攻める。
戦わなくては。
伸びる白石に沿って、黒石が追う。
ヒカルの持つ白石が、とうとう黒石の頭を叩いた。
「!」
・・・彼女は、立派に成長している。
いつもなら受けていた筈の一手、切り違えた黒石と白石が睨み合う。
アタリ、伸び、ハネ。
ヒカルの築いた白地を、黒が大胆に切り裂いていく。




***




「・・・負けました」
中央を走る黒の大石は、結局活ききることは出来なかった。
ヒカルはぽつりと、
「なまえさん、もっと打とう」
と呟いた。
進藤くん、と彼女はぼんやりと顔を上げる。
「・・・俺すげえ楽しかった、」
もっと、打ちたい。
なまえさんと、もっといろんな碁をさ。
そう言って一瞬時計に目をやると、「あ、」と声を上げた。
「ごめん、いつもより遅くまで」
ううん、と彼女は首を横に振る。
「私、本気で頑張る。だから、どれだけ厳しくても良いよ」
進藤くんと同じ場所に、立ちたい。
真剣な眼差しでそう告げる彼女の言葉に、私は嬉しくなる。
ヒカルと打つことで、あの子の才能は伸びる。
「うん、・・・俺、待ってるよ」
ヒカル、きっとなまえちゃんがあなたを追いかける日はそう遠くはないですよ。
もうすぐそこ、もしかしたら来年のプロ試験のすぐあと、かもしれませんね。

遠慮するなまえさんを説き伏せて、夕飯を一緒に食べた後に家を出たのは20時を回った頃だった。
「ごめんね、夕飯まで頂いちゃったのに」
冷えるから、玄関までで良かったのに。
済まなそうな彼女の言葉が、冬の空気に白く溶ける。
「良いんだって。夜は危ないし」
それに俺が送りたいんだから、と言うと、彼女は小さく笑って「ありがと」と言った。
「・・・もうすぐクリスマスだね、」
それが終わったら年末、正月。
「なーんかあっという間だなあ」
私さ、となまえさんは口を開く。
「バイトやめる。碁に集中したいから」
20日まででおしまい、と言うので、俺は「クリスマスは?」と尋ねた。
「俺は手合いだけど、その、予定、とか」
あ、そういえばなまえさんって彼氏、いるのかな。
予定かあ、と彼女は呟く。
「その・・・彼氏、とか、」
「いないいない」
今は囲碁だけ、そう言って笑って答えると、定期を通して「またね」と手を振って向こう側のホームに消えた。

***
なまえの後ろ姿を見送った後、見知った姿がこちらに向かってくるのにヒカルは気付く。
向こうも彼に気が付いた様子で、
「ヒカル?」
と小走りに向かってきた。
「あ、やっぱあかりじゃん」
今帰り?そう尋ねると、あかりは「今日は先生の手伝いで遅くなっちゃって」と答えた。
ふうん、そう言いながら、2人の足はどちらともなく並んで歩きだす。
「学校、どう?」
普通かな、とあかりは笑う。
「毎日勉強、時々テスト」
テストかあ、とヒカルは嫌そうに空を仰いだ。
学生の時と同じ彼の姿に、「ヒカル、一夜漬けばっかりだったもんね」とあかりは言った。
「俺は良いんだよ、囲碁があったから」
・・・背、また伸びた?
背?どうかな。あんま意識したことないけど。お前が縮んだんじゃないの?
失礼なこと言わないでよ、私だってちょっとは伸びました。
駅へ向かって続く2人分の足跡は、いつの間にか降り始めていた雪で薄れ始めていた。

ごめん、待った?
大丈夫、今来たとこ。
お決まりの言葉を交わしながら、並んで歩いて棋院へ向かう。
こないださ、と進藤くんが口を開いたので私は顔を上げる。
「院生の時一緒だったプロの、あ、和谷っていうんだけど」
そいつがさ、なまえさんのこと、研究会に連れて来いって。
「どうかな、」
研究会、という耳慣れない言葉に、首を傾げる。
「プロ同士で検討会やったり、お互いを高め合う?みたいな、そんな感じ。でも、森下九段っていう上段者が指導してくれるんだ」
「そんな、とこに私なんかが行っても良いの?」
だってプロでもないのに、と彼の提案に戸惑っていと、進藤くんは「大丈夫だって」と笑った。
「少なくとも今日打つ相手みたいなやつはいないから、」
碁会所のドアを開けると、市河さんが「よっ」と声を掛ける。
「アキラくんなら先に来て待ってるわよ」
進藤、と立ち上がった相手の姿に、あ、この人見たことある、と頭の隅で思い出す。
確かこの間借りた囲碁ニュースで、進藤くんと一緒に映っていた人だ。
「何だよ塔矢、先に来てたのか」
「ついさっきだよ。そちらが、」
視線が重なり、私は「はじめまして」と声を掛ける。
「はじめまして、塔矢アキラです」
あの、お会いする前からいろいろお話を伺ってしまって、何だかすみませんでした。
出会って間もないにも関わらず、申し訳なさそうに彼がそう言うので、
「あの、気にしないで。ほら、同じ学校の先輩後輩だったし」
そういやそうだっけ、と進藤くんは呟く。
「・・・まあ、良いじゃん。とりあえず打とうぜ、」
ほら席座って、と彼が促すので、静かにそれに従う塔矢くんに倣う。
「それじゃ、・・・二子、置きましょうか」
私が彼に言われるがままにそうすると、塔矢くんは「お願いします、」と背筋を伸ばして礼をした。
***
私と彼の棋力には天と地ほどの差があるということは当然だったけれど、
「・・・負け、ました」
あまりにも圧倒的な彼の打ち筋に、到底なす術など無いに等しかった。
ありがとうございました、淡々とした言葉の後に、塔矢くんは「すみません」と顔を上げる。
「え、」
「進藤から、あなたが進路を決めかねているというお話を聞きました。それでつい、日高先輩に話してしまって、僕が、勝手に」
最初、彼が何を言っているのか分からなかったが、日高という名前が出て私は納得する。
「ああうん、良いよそんなの」
「先輩って、ていうかいつの間にそんな風になってたんだよ」
進藤くんが向かい合う私達の顔を見ながら焦ったように言うので、良いの良いの、と笑ってみせる。
「ほんとに、二人とも気にしないで。ね、」
それから、と塔矢くんは口を開いた。
「これから言うことは、もしかしたら不快に感じるとは思います。でも、」
そこまで言って、彼は言葉を切る。
「・・・##NAME2##さんは、本気になるのを怖がっている、とも日高先輩から聞きました」
切れ長の、澄んだ眼差しが私を鋭く射抜いたような気がして、思わず瞬きをしてから、視線をゆっくりと手元に落とす。
「おい塔矢、お前何失礼なこと言って、」
しかし彼は進藤くんの言葉を遮り「囲碁は、」と続けた。
「囲碁は、小さい頃から僕にとってのすべてでした。持っているものを全部ぶつけて挑むことが当たり前だった。囲碁だけじゃない、結果が伴わないからといって、努力を怠るあなたの姿勢は間違っていると、僕は思います」
見るに見かねた進藤くんは再び「塔矢!お前、」と身を乗り出す。
「謝れよ、幾らなんでも言ってること失礼過ぎだろ、」
進藤には関係ない、塔矢くんは反論を許さない口調でそう言うと、
「僕が失礼なことを言っているのは承知しています。すみません、」
静かに私に視線を向けて、言葉を切った。
彼の一言一言が、以前の自分にだったら氷の破片のように刺さっていたのかもしれない。
・・・でも。
先程の一局を打ち終えた碁盤を見つめる。
この碁は、怖がりだった時の私が打ったものじゃない。
きっと進藤くんと出会って、プロ試験に挑むという目標を持てない時のままだったら、こんなに踏み込んだ囲碁は打てなかった。
顔を上げて、私は塔矢くんを見据える。
「君の言ってること、何も間違っていないと思うよ。確かに私は怖がりだったかもしれない、けど、」
それ以外の私を何も知らない君に、そんなことを言われる筋合いはないよね。
私の言葉に、彼は再び、「すみません」と静かに謝る。
なまえさん、と進藤くんは呟く。
「私ね、・・・頑張ってみようと思うんだ」
進藤くんの方を見てそう言うと、彼は小さく頷いた。
「俺、知ってるよ。なまえさんがすごく頑張ってることも」
それなら、と塔矢くんは彼の方を見て、
「彼女をうちの研究会に連れて来るっていうのはどうだろう、」
と提案した。
「な、・・・はあ!?」
だって強くなりたいんでしょう?そう問われ、私は何と答えれば良いのか分からず、「まあ、うん」とだけ頷いて見せると、
「駄目駄目、なまえさんを塔矢門下にさせる訳ないだろ!大体、もう和谷から誘われてるんだよ、」
じゃあ、森下九段のところに通うのか、と塔矢くんは言った。
「そういうこと、」
「それなら、良いと思うよ。ただ僕が言っているのは、プロを目指すなら、独学では限界があるということだから」
##NAME2##さん、と彼が穏やかな目をして言ったので、私は彼に向き直る。
「僕は、待っています。あなたが僕たちと同じ場所に来る日を」
彼の言葉を受け止めるつもりで、私はただ「うん、」とだけ答えた。
あの後、塔矢くんは早速研究会があるということで先に帰ったが、その際にも進藤くんと二言三言軽口を交わしていたので、「二人は仲が良いんだね」と言うと、
「そう見える?」
と進藤くんはげんなりしたように眉根を寄せた。
「あ、そうだ」
私ね、この後バイト先に辞めるって言いに行くんだ、と告げると、彼は「あれ、こんなに早く良いの?」と尋ねる。
「うん、来年は受験生だし、どっちにしろ辞めるつもりでいたから」
コートを羽織って立ち上がると、進藤くんも席を立ち、「下まで送るよ」と言った。
「え、悪いから良いよ、寒いし」
「平気だって。それに俺、ちょっと打ってくつもりだから」
気にしないで、そう言って笑う彼の提案に甘えて、私は席料を払ってビルを降りた。
***
進藤くんさあ、と碁会所に戻った俺に市河さんは口元を吊り上げて声を掛ける。
「なに?」
いつからなの?という彼女の問いに、俺は「は?何が?」と尋ね返す。
「まったまたぁとぼけちゃってー。なまえと、いつから付き合ってるの?」
はぁ!?何それ、驚いて思わず目を見開くと、「やだやだ、そんなリアクションしたってばれてるのよ」と彼女は楽しそうに言った。
「そう見えてるんなら違うよ。俺はただ、教えてるだけだもん」
俺の言葉に市河さんは、「あら、そうなの?」と拍子抜けしたように呟く。
「なーんだ・・・変ねえ。私のこういう時の勘って、結構当たるのに」
でもでも満更じゃないんでしょ、そう言って再び肘で突いてくるので、何だか打つ気が削がれたような気がして俺は早々に碁会所を後にしたのだった。
ビルの外に一歩出ると、12月の冷気が地面から街を冷たくする。
寒ぃ、そう呟いてポケットに手を忍ばせると、先程の市河さんの言葉を何となく反芻する。
『いつから付き合ってるの?』
「付き合ってたら、・・・」
あれ、と俺は自分の中の違和感に気付いてふと足を止める。
ヒカル?と佐為が立ち止って振り返ったが、俺はそれに言葉を返すでもなく、足元を見つめる。
なまえさんと碁を打つのは好きだ。
それだけじゃなくて、他愛のない会話をするだけのような、単純に一緒に過ごすことが、好きなのかもしない。
もしも、彼女が無事、プロ試験に合格したとしたら、これまでのように会って打てるのだろうか。
気軽に電話やメールをする理由までも、無くなってしまうのだろうか、
「俺、・・・なまえさんのことが、」
好き、なのかも。
そう胸の内で呟いた瞬間、一気に顔に熱が上るのが分かった。
しかし、
『今更気付いたんですか、』
呆れたような佐為の言葉に、今更ってなんだよ、と彼を睨む。
『大体、俺が知らなかったのにお前が気付いてる訳ないだろ』
『それはヒカルが鈍いからですよ。私は、もう随分前からそうじゃないかって思ってましたよ』
楽しそうな平安の幽霊に何だか見透かされているような気がして、小さく吐いた溜め息は冬の空気に白く溶けた。
あらあかりちゃん久しぶり、とおばさんが声を掛ける。
「お久しぶりです。あの、」
「はいはいヒカルね、ちょっと待っててね」
ああ、なんかこういうの懐かしいなあ、と私はぼんやり考える。
中学までは、これが当たり前だったんだなあ。
何だよもー、眠そうなヒカルの声が聞こえてきて、思わず笑みが零れた。
「あ?・・・何であかりがいんだよ、」
「あのさヒカル、今日空いてる?」
不躾ともとれる突然の誘い方をしたのは、私と彼の間に何の距離も溝もないことを確認したかったからなのかもしれない。
ヒカルは、んー、と少し考えた後、「まあ、夕方までなら」と頷いた。
「ねえ、葉瀬中行かない?」
「はぁ?何で?」
私の言葉に彼は訝しげな顔をする。
「筒井さんとか、たまに来て打ってるらしいよ。小池君とかいるしさ、」
ね、行こうよ。
そう駄目押しをすると、彼は「まあ、いいか」と笑った。
***
「まっさか加賀までいるなんてさー、思わなかったよ」
ヒカルの言葉に頷いて、「みんな元気そうだったね」と答える。
「ていうかお前ら、みんなして俺をなめてかかりすぎ。互戦で勝てると思ってんの、」
「あ、それ調子乗り過ぎ」
小池君も筒井さんも、強くなってると思う。
そう言ったら、「お前が一番ヘボだっつの」とヒカルに軽く小突かれた。
「あ、やべ。もう時間だ、」
家まで送れなくて悪いけど、と謝るヒカルの言葉に平気、答えて、
「囲碁の勉強会?」
と尋ねる。
「あー、まあそんなとこ。あ、そだ、なまえさんって知ってる?」
名字なんつったっけな、と思い出そうとしている彼の言葉を、私は呟いた。
「なまえ、さん・・・?」
「そうそう、前に囲碁部来たことあったんじゃないかと思ってさ」
私の頭に思い浮かんだ、先輩。
背筋を伸ばして、綺麗な指先で石を打つのが運症的だった彼女。
「そうだけど、・・・どうしてヒカルが先輩のこと知ってるの?」
「俺今その人と打ってんだよ」
あ、電車来た、と彼は私の疑問に答える間もなくじゃあなと軽く手を振ってそれに飛び乗って行ってしまった。
どうして。
今、その人と打ってる、ってどういう意味なの?

もう他に打つ場所がない碁盤を見渡して、
「うん、・・・二子置いてこれなら上出来だな。君、プロ試験までここへ通いなさい、見てあげるから」
森下先生の言葉に、緊張しっぱなしだった私は顔を上げる。
「 、は、い。ありがとうございます、」
やったじゃんなまえさん、進藤くんが後ろから嬉しそうにそう言って笑う。
「進藤、お前も腰を入れてやらないと彼女に抜かれるぞ、」
「ははは、進藤怒られてんの」
和谷、お前もだ!目の前の光景に私がぽかんとしていると、冴木さんという人が「いつものことだから気にしない方が良いよ」と笑う。
「高校生だっけ?なまえちゃんて、」
そうです、と答えると、若いなあと彼は笑った。
「でも、冴木さんだって若いでしょ」
「んーまあ。でも、やっぱり伸び盛りっていうか、」
進藤も和谷も、あっという間に伸びてくんだよね。
「俺の方こそ抜かれちゃいそうでこわいよ」
よし冴木、打つぞ、と声が掛かり、彼は「はい、」と答えて慌てて席を立った。
***
たっぷり三時間検討を行って、帰途につく。
どうだった?と並んで歩く進藤くんに尋ねられ、私は「なんか、お腹いっぱいって感じ」と返す。
「頭の中で消化するのが、大変みたい」
少しだけ俯くと、うっすらと積もった雪の上に街灯の影が映っている。
あのさ、と彼は口を開いた。
「やっぱ、大変だよね、こういうの」
「うん、・・・でも、楽しい」
何かに本気になるのが、こんなに楽しいなんて思わなかった。
「もともと駄目もとだったのにね。今は、なんか、ちょっとだけいけるかも、なんて思ってたりする」
図々しいよね、そう言って笑ってみせると、「そうかな、」と彼は首を傾げた。
「あ、そうだ・・・進藤くんってさ、家、逆でしょ?」
良いよ、送ってくれなくても。
「もう遅いし、悪いから」
良いの、と彼は笑う。
「俺が送りたいんだから。それに、夜遅いとなんか危ないし」
そんなこと言われたら、・・・ちょっとだけ、期待しちゃうのに。
ありがと、と彼の申し出を受けると、進藤くんはちょっと迷った後、右手を差し出す。
「あの、・・・えっと、寒いから」
手、繋いじゃだめ?
彼の頬が僅かに赤く染まっている。
きっと、私も同じなんだろうな。
「ん、良いよ」
重ねた手の平から、体温が伝わってゆく。
私、いよいよ進藤くんのことが好きなのかもしれないなあ。
彼の右手は、私の手の平なんてすっぽりと覆われてしまうくらい大きかった。

結局、あの後進藤くんは家の前まで送ってくれた。
「ごめんね、ほんとに。ありがとう、」
「ううん、全然。電車も定期あるし」
じゃね、そう言って彼は冬の夜の中を背中を向けて歩いて行った。
風呂から上がり、部屋でぼんやりと携帯をいじっていると、突然軽快なメロディが鳴り響く。
「あ、由梨だ」
もしもし、と乾ききっていない髪をかき分け耳に当てると、『この間ぶりね、元気?』と明るい声が聞こえた。
『ねえ、あれからどう?進藤とは』
私、プロ試験受けることにしたの。
そう報告すると、少しの沈黙の後、あんたとうとう、やったわね!と由梨は叫んだ。
「ん、でもまだ受かってもいないし」
『違うわよ、とうとうやりたいことが見つかったのね、ってこと。余計なお世話かもしんないけど、私これでも心配してたんだから』
どうやら私の優柔不断は、彼女に少なからず心配をかけていたらしい。
苦笑いが零れる音が彼女に伝わらないようにありがと、と答えると、
『塔矢が先生ならもっと安心なんだけどね』
と由梨は言った。
「でも、進藤くんの紹介で森下先生っていう方の研究会に通うことになったの。他にもプロの人が何人かいて、」
へえ、なんかだいぶ話が進んでるじゃない。
『頑張りなさいよ。私、応援してるんだからね』
「ん、」
ねえ由梨、
なーに、しおらしい声出しちゃって、
なんでもない。・・・ありがとね。
『しんみりしちゃって、やあね。ね、進藤との進展具合、ちゃんと教えなさいよ』
それじゃあね、と一方的に切れた通話の最後が急に進藤くんとのことに切り替わり、ほんの少しだけ妙な余韻が残った気がした。
「・・・もう、」
***
ね、ヒカル、なまえちゃんと手繋いじゃいましたね。
『寒いから、ですって。ね、』
「・・・あーもう、うっせーなー!」
俺が思わず叫ぶと、下から「ヒカルー?なあに、急に大声出して」と母さんが怪訝な様子で尋ねるのが聞こえた。
なんでもない、と僅かにドアを開けてそれに答えると、佐為はわざとらしく扇子を口元に当ててにやにやと笑みを浮かべている。
ちぇっ、こいつ悪趣味だな。
ごろりとベッドに寝転がって、帰り道の出来事を思い出す。
・・・やっぱ変に思われたかな。
だっていきなり手、とか、つーか寒けりゃポケットに入れりゃ良い話じゃんか。
あーだのうーだの唸っている俺に佐為は、『若いって良いですね』と呑気に声をかける。
『なまえちゃん、彼氏いないって言ってましたね』
そっか、彼氏、いないんだっけ。
好きな相手、とか、いたりすんのかな。
・・・いやいやでも、ていうかそれってつまり。
『ヒカルー?』
なんです、一人で百面相しちゃって。
俺の顔を覗き込んで、佐為は呟く。
『ねえ、いっそ告白とかしちゃいなさいよ』
「な、はぁ!?」
いきなりそんなん出来る訳ねえだろ、と声を荒げると、再び母さんが「ヒカルー?」と呼んだのが聞こえた。
「ったくもう、お前のせいだぞ」
って、あれ、
「メール・・・あ、あかり?何だろ、」
『今、ちょっとだけ会えないかな?』
だって。
良いけど、なんだろ。
俺は『良いけど。お前んちの前で良い?』と返信すると、とりあえずコートを羽織った。

「よっ、」
家の前で、ぼんやりと壁に寄り掛かっているあかりの姿に声を掛ける。
「あ、ヒカル」
「おう。どうしたんだよ急に、」
ううん、なんかいきなりごめんね。
「久しぶりに、ゆっくり話がしたくなっちゃったの」
そう言ってあかりは笑った。
あ、こいつの笑い方ってちっちゃい時から変わってないなあ、なんてふと感じる。
「前はさ、学校とかでいつでも話せたじゃない?」
そういえば、と俺は頷く。
「確かに最近は全然だったかも。こないだ中学ん時の部活に顔出した時以来か」
会話をしている時の息が白く染まってゆく。
あかりは曇って僅かにほの明るい空を見上げながら、「なまえ先輩、プロ試験受けるんだね」と呟いた。
「あれ、お前本人から聞いたの?」
「うん、こないだね」
受かると良いね、とあかりは言った。
「受かるよ絶対、」
だってなまえさん、毎日すげー頑張ってるもん。
「そっか、」
そっか、とあかりは一人ごちるように繰り返す。
「ヒカル、・・・なまえ先輩のこと、好き?」
え、
何て返そうかと言葉に迷っていると、「私は、好き」とあかりは躊躇いもなく言った。
「お前、」
「碁が強くて、綺麗で、素敵な先輩。私もあんな風になりたい」
そう言って視線をざらついた地面に向けた。
なれるよ、俺が声を掛けるとふっと顔を上げる。
「ヒカル、」
「だってお前も囲碁頑張ってんじゃん」
あれ、こいついつの間にこんなに背低くなったんだっけ。
「うん、・・・なれるかな」
あ、雪だ、そう言葉を切って、袖に降りた氷の粒に指先で触れる。
呆気なく体温で元の姿に戻ったそれと同じ冬空の破片が、幾つも降って来るのが見えた。
「なまえさんてさ、すげー頑張り屋なんだよ。プロ試験受かるためにすごく一生懸命で、・・・なんか、応援したくなるんだ」
うん、あかりは小さく頷いて空を見上げている。
「雪降ってきたし、お前そろそろ中入れば、」
俺はコート着てるけどさ、お前部屋着じゃん。
そう言うとあかりは「平気だよ、」と笑う。
「うん、でももうそろそろ部屋に戻ろうかな」
「ああ、お前に風邪引かれたらやだしさ」
ヒカルって優しいね、その言葉に俺は「今更気付いたのかよ」と苦笑いをすると、
「うそ、前から知ってたよ。じゃあね、」
とあかりは小さく手を振った。
「おやすみ、」
***
少しだけ離れた場所から振り返る。
ああ、やっぱり彼女は俯いていた。
ごめんね、と私はヒカルにも聞こえないよう心の中で呟く。
ヒカルってほんと、ニブチンなんです。
でも、きっとあかりちゃんがヒカルのことを好きなくらい、気付いていないだけでヒカルはなまえちゃんのことが好きなんです。
だから、許してあげて下さい。
決して届かないことを知りながら、私は小さく声を掛けた。
ごめんね、泣かないで。

あの、」
正門に向かう途中、後ろから聞き慣れた声に呼び止められる。
「あ、」
少しだけ、お時間ありますか。
屈託なく笑っているのが似合うのに、藤崎さんは僅かに緊張した眼差しを私に向けている。
どうしよう、と一瞬視線を彷徨わせてみたものの、彼女の問い掛けを断る明確な理由など見つからない。
声に出して答える代わりに小さく頷くと、藤崎さんは「ヒカルのこと、知ってたんですね」と呟いた。
「うん、」
ごめんね、と謝るのも変な気がして、短く返事をする。
「・・・こないだ、部活に来てくれて」
久しぶりに打ちに来てくれたんです、と彼女は照れたように笑った。
「そっか、」
校門の前に立っている彼の姿を思い出す。
藤崎さんと、進藤くん。
並んでいたらきっと、しっくりくる二人なんだろうな。
「失礼な質問だって分かってます。あの、なまえ先輩はどうして、ヒカルと、」
私、プロ試験目指してるの。
「プロ試験、」
彼女の問いにわざと被せるように、私は先回りして答えた。
無意識に踵で踏んでいた砂利の音が、微かに鳴る。
「それでね、たまたま碁会所で進藤くんと知り合いになって、指導してもらってるだけで」
すらすらと、まるで誰かの台詞を声に出して読んでいるかのように言葉が紡がれてゆく。
そっか、と藤崎さんは小さく声に出した。
「だから先輩、強いんですね」
最初に打ってもらった時、何だかヒカルと打ったような感じがしたんです。
ほっとしたように笑って、彼女はふと、時計に目をやる。
私はぼんやりとその姿を見つめて、ちくりと胸の奥が苦しくなったような気がした。
私と進藤くんとの間がなんでもないって思ったのかな。
いや、実際何もないんだけど。
その時、17時を告げるチャイムがグラウンドに鳴り響いた。
「ごめんなさい、私、呼び止めちゃって」
先輩バスですか、という問いに、私は「電車だから大丈夫、まだ時間もあるから」と笑って答える。
「そうですか、良かった」
私応援してます、先輩がプロ試験合格するの。
「頑張ってください、」
うん、ありがとう、そう言った自分の声が、耳の奥で乾いて聞こえたような気がした。



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