花に狂わじ



見えてんの、そう尋ねられて、なまえはふたりの顔を交互に見つめる。
「まさか、こいつのこと」
「うん・・・ばっちり」
あまりの驚きにヒカルと佐為は同時に「まさか!」「マジで!?」と叫んだのが、まるで昨日のことのようだ。
「ここに来ると、なんだか思い出すなあ」
ヒカルの言葉になまえも「懐かしいね」と答える。
『でも、本当にあなたのような人がいるとは思いませんでした。私はずっと、取り憑いた相手にしか視えなかったんですから』
佐為の言葉になまえはそうなんだ、と見上げる。
「ちょっとだけ・・・寂しいかもしれないね」
何気ない彼女の一言に、佐為の意識は彼方へ向く。
寂しいとは、そうなのかもしれなかった。
幸運なことに、死してなお囲碁を打つことができたし、神の一手と呼べるものの片鱗にも触れた。
才気溢れるふたりの少年を棋士として導くことも、なんと素晴らしい思し召しであっただろう。
それなのに。
佐為は胸の内で呟く。
『私は、もっと惜しくなってしまった』。
視線の先では、靴ひもを結んでいるヒカルを待つ彼女の横顔が桜に美しく映えている。
今ほど、生きている体が欲しいと願ったことがかつてあっただろうか。
本来の生をまっとうしていたなら、決して出会えてはいないなまえを想うことこそ、自ら命を絶った自分への罰なのかもしれない。
「ヒカル、できた?」
「ああ。ごめん待たせて」
「ううん、良いよ」
並木道にふたり分の影が落ちている。
ああ、ヒカルの馬鹿。
どうしてあなたはそんなにも輝いて生きているのです。
「あ、ちょっと待って」
「どうしたの?」
不思議そうな表情を浮かべているなまえの髪にひとつ、花弁が風に乗って舞い降りたのが見えた。
教えてあげようと口を開きかけた矢先、ヒカルの指先が何も言わぬまま伸びてそれを取り去る。
彼女に触れたそれは、地面に落ちているたくさん花の中に埋もれて分からない。
「ありがとう」
「ううん。・・・佐為、なんでさっきからぼんやりしてるんだよ」
『・・・別に』
あんまりにも、桜が綺麗だから。
このまま、いつの間にかあなたのことを攫ってしまえたら。
歩き出すふたりの後を着いて行きながら、ひとひらの憂いを淡い春の中に隠した。


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