金曜、あるいは土曜の午後1



週末。
予約していた本は、もう届いているだろうか。
買うには少々お高めで、立ち読みをするには厚すぎる小説でも、図書館なら気前よく貸してくれる。
カウンターで聞いてみると「ちょっと待っていてくださいね、」と言われ期待がふくらんだ。
「こちらですね。2週間でお願いします」
「分かりました」
やった、とうとうゲット。
500ページ2段の大作、これならたっぷり楽しめそうだとうきうきしながら棚を眺めていたら「あの」と背中に声がかかる。
「え?」
「その本、なんですけど。読み終わったら次貸してもらえませんか?」
見慣れた高校の制服を着た、きれいな顔をした男の子が立っていた。
「あ・・・ごめんね。そうしてあげたいんだけど、たぶん次も予約が入ってると思う」
「そっか・・・その人、人気ですもんね。それに新刊だし」
なんでもないような口調とは反対に、彼は残念そうな表情を浮かべている。
なんだかかわいそうになり、ついこう言ってしまった。
「じゃあ先に読む?又貸しになっちゃうけど」
「え?」
「1週間後に返してくれるなら。ほら、返却期限2週間だし」
「あ、なら俺が後に読みます。・・・っと、声でかかったかな」
あたりを見回した彼は小声で「ほんとに良いんですか?」と嬉しさを隠しきれないような顔をして尋ねた。
「うん、いいよ」
「やった!ありがとうございます。これってけっこう分厚いから立ち読みには向かなくて」
「同じこと思ってた。やっぱり家でゆっくり読みたいよね」
そうそうそうなんですよ、と彼は頷く。
「やっぱりミステリーは静かな場所でじっくり味わうものだから。そうだ」
これなんかもおすすめですよ、そう言ってためらうことなく指が本を選び取る。
「へー・・・その人は読んだことないかも」
「本当に?軽い文体で読みやすいですよ。それからこれも・・・うーん、こっちも面白いかな」
せっかく真剣に悩んでくれているのだし、せっかくだから彼のおすすめも読んでみようか。
「じゃあ、それも一緒に借りてみるね」
「はい。きっと一気に読んじゃうと思いますよ」
先ほどの小説と合わせて3冊。
本当に読み切れるかな、と不安になる。
いざとなったら延長させてもらおう、そう思いながらさっきの場所へ戻るとあの子と目が合った。
来週渡すねと言おうとした瞬間「すみません」と彼は謝る。
「え、なんで?」
「さっきは俺、なんだか調子に乗ったみたいで」
分からずにいると、
「あれこれと押しつけられて迷惑だったでしょう?」
と言われ、私はまさかと首を横に振る。
「いつも迷ってばかりだったから教えてもらえて良かったよ」
「本当に?だったらいいんですけど」
彼はほっとしたのかようやく笑顔を見せた。
笑うと端正な顔立ちに幼さが混ざってなんだか人懐こくなった気がする。
「ちょっと外出ませんか」
その言葉に頷きエントランスに移動する。
「俺、工藤新一っていいます」
「あ、そっか。私は##NAME2##なまえです、よろしくね」
自己紹介もしないままあんなに言葉を交わしていたのを知って驚く。
そのくらい彼との会話は自然だった。
「来週の金曜日、またここに来るので」
「うん。頑張ってちゃんと読み切るね」
待ってます、そう言って工藤くんは嬉しそうに笑った。

***

結局、朝までかかってしまった。
渡す前に読み終えてしまわなければというプレッシャーもあったけれど、なによりも面白くて気づいたら夜が明けていた。
「なまえ、目が閉じそうだよ」
「うん、すっごく眠い・・・」
ストーリーが面白すぎるのが悪い、なんて。
今ならしっかり内容をプレゼンできる自信がある。
もっとも工藤くんは読む気満々なんだけど。
夕方。
すこしずつ日が長くなっているなあ、と思いながら図書館へと向かう。
「あ、」
声に気づいて顔を上げた相手は、笑顔を浮かべて私の名前を呼んだ。
「なまえさん」
なまえさん、だって。
なんだか弟みたいで可愛い。
美少年が駆け寄ってくるのを立ち止まって眺める。
「どうしたんですか?」
「目の保養をしてました」
「なんですかそれ」
笑顔のままの彼は「どうでした?本の感想は」と尋ねた。
「あのね、すごいよ!途中からありえない展開になるの。謎解きもまさか、」
「ちょちょ、ストップ!」
私の言葉を遮った工藤くんは、
「それ以上はネタバレになりそうだからだめです」
とその先を制した。
「だいぶぼかしたつもりなんだけどな」
「勢いが隠せてないから・・・とにかく、めちゃくちゃ面白いってことは分かりました」
じゃあはい、と私は本を取り出す。
「どうぞ。寝ないで読んじゃった」
「ありがとうございます。そんなに一気に読み終えたんですか?」
「だって、工藤くんに回さないといけなかったし」
彼の顔がくもったのを見てあわてて訂正する。
「あ、いやでもね、本当に面白くって」
「なまえさん、」
真剣な表情をして工藤くんは言った。
「場所変えません?おごるので」

***

「ほんとにいいの?ごちそうになっても」
「全然。悪いことしたなと思って」
注文したアイスコーヒーが来ると、工藤くんは「じっくり味わうべきだって俺が言ったのに」とグラスを手に取る。
「ちゃんと楽しんだから平気だよ」
「でも、クマができてますよ」
うそ、と思わず目元に触れる。
「ほんとに?隠れてない?」
「んー、よく分かんないけどうっすら見える程度?」
そっか・・・ちょっとだけ落ちこむ。
「ね、やっぱり自分で出すよ」
「だめです。俺から誘ったんですから」
そう言ってゆずらない工藤くんはコーヒーに口を付けた。
しかたなく私は店内を観察する。
喫茶ポアロ、だっけ。
初めてだけれど、落ち着いた感じの雰囲気は私の好みだった。
「そうだ。教えてもらった本、まだ読めてないの」
「今度こそゆっくり読んでください。実は、」
なまえさんともっと話してみたいなって思ってたんです、そう言われてきょとんとする。
「どうして?」
「俺のまわり、なかなかいないんですよ。がっつりミステリー読む人」
「ミス研とかないの?」
すると「どうかなあ」と彼は首を傾げる。
「あるのかもしれないけど。俺、学校休みがちだから」
「え・・・なんで?」
なんでって、と工藤くんは言葉に詰まった。
もしかして、悪いこと聞いてしまったのかもしれない。
「あ、ごめんね。いやなら全然教えてくれなくてもいいよ」
「えーと・・・俺の名前、どこかで聞いたことないですか?」
名前?と私はくり返す。
「・・・もしかして、知り合いだったりする?」
その答えにがくりと肩を落とした工藤くんは、頬をかきながら呟いた。
「やっぱなんでもないです」
「でも、」
「忘れてください今のは。お願いですから」
そう言われたらしかたがない。
それからいつの間にか巧みにすり替えられた本の話題ですっかり盛り上がり、また会おうねと約束を交わして帰途についた。
あの後、工藤くんがなにを思ったかは分からない。

***

「はあー・・・」
情けなくてため息をつく。
やってしまった。
「(馬鹿かよ、俺・・・)」
すこしくらい有名になった気でいてうぬぼれていたのかもしれない。
安室さんがいなくて良かった、と心の底から思う。
もしもあの人がいたら、きっとなにも言わずに笑ってキッチンからこちらを眺めていただろうから。


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