金曜、あるいは土曜の午後3



予定よりもすこし早い時間に着いたら、工藤くんはまだ来ていなかった。
よし、と思っていた私の頬に、ふいに冷たさが軽く押し当てられる。
「ひゃっ」
「おはよーございます、なまえさん」
ふり向けば、ペットボトルを手にした彼が立っていた。
「びっくりした・・・おはよう工藤くん」
「はいこれ。飲みながら行きましょう」
爽やかな笑顔を浮かべて差し出す姿は、まるでCMのワンシーンのよう。
「まぶしすぎる・・・」
「2回目ですよ、それ」
ホーム行って待ってましょうか、とうながす彼に従う。
「いつも制服だったから、私服の工藤くんてなんだか新鮮だね」
「そうですか?なまえさんは大人っぽくていいですね」
「え、そ、そうかな」
急に褒められても、なにもあげられるものがない。
それなのに、
「いつもそうですけど。なまえさんのセンス、好きだな」
普段からこんな感じだとしたら、なるほどファンが多いのも頷ける。
顔や性格だけじゃなく頭まで良いのだから、ほっておかれるわけがない。
「工藤くん、なにか運動とかやってたりする・・・?」
「え?あー、サッカーは得意ですけど」
もうだめだ・・・パーフェクトすぎる。
こんなに完璧な人間っているんだなあ。
「急な誘いなのに、来てくれてありがとうございます」
「ううん。だけど、ほんとに私と一緒で良かったの?」
「行って、なまえさんならどんな反応するんだろうと思って。宇宙とか星とか、興味あります?」
「星を見るのは好きだよ。それに、昔の人にとっては神秘のかたまりだった夜空が、どんどん科学で説明されてくじゃない?すごいけど、ちょっともったいない気もする」
なんて、そう言うと、工藤くんはふっと笑う。
「・・・やっぱり、なまえさんと話してると飽きないですよ」
「そう?」
「だって面白いですもん、視点が。そうくるか、みたいな」
「えー・・・じゃあ、工藤くんは?」
「うーん、そうですね・・・真似するわけじゃないけど、宇宙ってまだまだ解き明かされていない謎がたくさんあるから。そういうのって知りたくなります」
あいかわらず、彼は謎に夢中みたいだ。
「いつかほんとに行ってみたいよね、宇宙」
「そうですね。いつになるかな・・・」
やがて着いた電車に揺られながら、ずっとそんな話で盛り上がった。

***

「プラネタリウムなんて、久しぶりに見たよ」
「俺も。なんか本当に宇宙に行った気分になりますね」
科学館の隣のカフェでランチをしながら、感想を言い合う。
「ここ、初めて来たけどいい場所だね」
「でしょ?けっこう好きなんです。メニューおいしくて」
デザートも絶品ですよ、という言葉に期待が高まる。
「そういえばなまえさんって、」
「ん?」
「どうして推理小説が好きなんですか?」
そう尋ねられて、私はフォークを置いて考えてみた。
「もともと、本を読むのが好きなんだよね。でも多分、きっかけは工藤優作って人の作品だったかも」
「え」
「ナイトバロン。読んだ?」
「あ、ええ・・・まあ」
「すっごい面白いよね。ずっと大ファンなの、ぜんぶ集めてるよ」
「へー・・・」
あれ、なんだか反応が薄い気がする。
私、なにか変なこと言っちゃったかな。
「もしかしてあんまり興味なかった?」
「いや、じゃなくて。なまえさん、俺の名字知ってます?」
「え?工藤くん・・・えっ」
工藤新一、工藤優作・・・まさか。
「ええっ!?」
「俺の父親なんです」
その答えに、頭の中が真っ白になる。
「えっ、ほ、本当に・・・?偶然じゃなくて?」
はい、と頷く相手に、興奮冷めやらない私は思わず「握手してください!」と手を差し出す。
「はあ・・・なまえさんって、ほんとに面白い人ですよね」
いやな顔ひとつせず応じてくれる工藤くんはいい人だ。
「うわーそっか、そうなんだ・・・いいなあ」
「あ、じゃあついでに、なまえさんにもっと良いもの見せたげましょうか?」
いいもの?と首をかしげていると、彼は言った。
「工藤優作の書斎、見たくありません?」

***

いくつもの蔵書が収められた本棚に囲まれているのは壮観だった。
目の前にはシックなデスク、ここで執筆に勤しんでいたのかと思うと胸が熱くなる。
「幸せすぎる・・・!」
「良かった。ゆっくりしていってください、お茶淹れてきますね」
そう言い残して、工藤くんは部屋を出て行った。
好きに見ても大丈夫ですよ、と言われていたものの、やっぱり遠慮しそうになる。
だけど、
「あれも、あれも・・・!もう絶版で手に入らなかったやつばっかり・・・」
すごいすごい、ここは楽園か。
それでもやっぱり、指先が選んでしまうのはナイトバロンシリーズだった。
工藤優作の書斎で著書を読める日が来るなんて、もう死んでもかまわないと、本気でそう思った。

***

なまえさんが、そんなに父さんのファンだったとは思わなかった。
書斎に案内した時の喜びようといったら、きらきらした目をして、彼女は何度も確認してきた。
「ほんとに?本当に入ってもいいの?」
「大丈夫ですよ。許可取ってありますから」
「うん・・・あーでも、緊張する・・・!」
いつも落ち着いているなまえさんしか知らなかったから、思い出すとなんだか笑ってしまう。
その時ふいに携帯が鳴って、画面を確認した俺は通話ボタンを押す。
「もしもし」
『おお新一、』
「博士、どした?」
『こないだやった科学館のチケット、どうじゃった?』
「ああ、ちょうど今日行って来たんだよ。サンキュな」
蘭くんも楽しんでくれたじゃろ、そう言われて俺は紅茶を注ぐ手を止める。
「え?」
『?蘭くんと一緒に行ったんじゃないのか?』
「あ、いや。今回は別の人と」
『なんじゃ、そうじゃったんか。わしはまたてっきり・・・それともほれ、あの大阪の』
「でもねえよ。俺の交友関係どれだけ狭いと思ってんだ」
笑いまじりに答えると、博士は『まあ友だちが多いのは良いことじゃわい』と言った。
友だち。
なまえさんは、友だち、なのか?
年上だし、いつの間にか勝手に名前で呼んでたけど・・・やっぱり失礼だったかな。
『どした新一』
「ん?ああいや。ちょっと考えごと」
『そうか。まあ、蘭くんや園子くんにもよろしくな』
そう言って電話は切れた。
トレーに乗せた紅茶を運びながら考える。
「うーん・・・微妙なとこだなあ・・・」
ないない、なんて否定されたどうしよ。
想像したら、なんだか落ち込んだ。
「なまえさん、お茶・・・」
まただ。
図書館の時と同じように、すっかり物語の世界に入り込んでしまっている。
彼女の向かいに腰を下ろして、しばらくは真剣な表情を眺めることにしたのだった。

***

おはよ、とあくび交じりに教室に顔を出す。
「あ、新一!」
「おう。はよ、蘭」
あのね、と彼女は言った。
「園子と京極さん、昨日トロピカルランドに行って来たんだって」
「へー」
「超楽しかったわよ!京極さんたらずっとエスコートしてくれたのー」
すっかりゴキゲンな園子ののろけにあてられながら、俺は自分の週末を振り返る。
なまえさんと科学館に行って、ランチを食べてからうちで読書。
図書館の時と同じように、熱くミステリーについて互いに語っていたら、いつの間にか時間は過ぎ去っていた。
「和葉ちゃんも、今度行きたいって言ってたよ」
「そっか。今ならたしか期間限定のイベントもやってるし、いいんじゃねーか?」
すると園子が「にぶいわね!」と叫ぶ。
「へ?」
「んもう、蘭は新一くんと一緒に行きたいのよ!」
「ち、ちょっと園子!?私は別に、」
待て待て、なんの話だ。
「まったく、事件の時は鋭いくせに、こういうことは疎いんだから」
困った俺は、蘭のほうを見る。
すると、彼女はこちらを見上げて小さな声で言った。
「もし、新一さえ良かったら・・・」
「あ、まあ・・・そうだな。んで?」
もう予定は決まってんのか?と尋ねると、「あ、ううん。まだ」と蘭は答える。
「なんだ。なら、俺から服部に連絡しとくよ」
「じゃあ、お願いしようかな」
どこかほっとしたような笑顔を蘭は見せた。

***

一日が終わり、俺はまだ教室の中にいる彼女に声をかける。
「行くぞ、蘭」
「あ、待って新一」
カバンを持って立ち上がる相手をドアの外で待っていると、日誌を手にして蘭は「お待たせ」と笑った。
「ねえ、最近事件のほうはどう?」
「関わりたいのはやまやまだけど、そろっと単位に集中しねーと」
「そっか。できることがあればなんでも言ってね」
「ああ。サンキュな」
嬉しいんだ、と隣で蘭は言った。
「え?」
「ずっと新一がそばにいてくれるのが」
俺はそっと横顔を見つめる。
心なしか耳が赤くなっている気がして、ついあさっての方向へ視線を動かした。
「トロピカルランド、楽しみだね」
「だな。しばらく行けてないもんな」
いや、コナンの時にけっこう行ってる。
つか、あそこは因縁の場所だから正直微妙ではあるんだよな・・・。
それでも、ずっと心配してくれていたこいつが喜んでくれるなら良い。
「服部くんたち、予定どうかな?」
「あとで電話して聞いとくよ。今日って部活だっけ?」
「うん。もうすぐ大会もあるし」
「そっか、頑張れよ。あ、日誌出しとくから」
「ありがと。じゃあまた明日ね」
「おう」

***

コール音が1回、2回。
『おう。なんや工藤、どないした?』
「服部、おまえ週末どっか空いてねーか?」
週末なあ、と相手は渋る。
『最近は事件続きで忙しいんや』
「マジかよ、」
いいなあ、と言いそうになってあわてて飲み込む。
すると服部は『まだ解けてへん謎があるんやけど』と言った。
「へえ?」
『お前、こないだの電話ほんまはなんて言うつもりやった?』
「お、ぼえてねーよんなもん」
『嘘つくなや。水くさい』
ほんとに大したことじゃねーんだって、と答える。
「それより、」
『工藤』
「・・・」
『工藤』
「・・・分かったよ」
観念させられ仕方なくあの日言おうとした疑問を口にする。
「高校生ってさ・・・まだ、ガキか?」
『・・・はあ?』
間の抜けた返事に頭を抱える。
こうなるから言いたくなかったんだよ・・・!
『えーと、どういう意味で?』
「いや、意味も何もねえけど・・・」
しどろもどろになっているのが自分でも分かる。
『ひょっとして気になるおねーさんでもおんのか?』
「別に気になるとかじゃねえけど」
え、と服部は呟く。
『ほんまに恋愛絡みなん?』
「だからちげえって」
『せやけどあの子は?蘭ちゃん』
蘭。
「あいつは幼なじみで、別に・・・」
『ほーん。俺はまたてっきり、いやええんやけど』
そんで?と声色が変わる。
「え?」
『相手はどんなべっぴんさんなん?』
「言うと思うか?本当にそういうんじゃねえよ」
ただ、彼女といるとつい自分の好きなことばかり話しすぎてしまう気がするから。
前のめりになってしまうのを後になってから気付くのだ。
「たまたま知り合ってよく話すんだけど、友だちって言っていいのか分かんねえってだけ」
年上の女の人なあ、と服部は言った。
「おい、勝手に決めつけてんなよ」
『せやけど図星やろ?隠さんでもええて』
そう言われてぐうの音も出ない。
「もういいだろ?んでトロピカルランド」
トロピカルランド?と相手はくり返す。
「和葉ちゃんが行きたがってるって蘭が言ってたんだよ。お前も一緒にどうかって」
『あーそれでか。分かった予定確認しとくわ。・・・ほんならそん時に今の話詳しく言えよ』
「は?んなわけ、」
ほなな、と一方的に通話を終えてしまった相手にため息がこぼれた。

今度は俺から電話を掛ける。
『なんや工藤か、どないした?』
「あのさ、おまえ週末予定あるか?」
『それが最近は事件事件で忙しゅうてなあ』
「マジかよ、」
いいなあ、と言いそうになってあわてて飲み込む。
いけないいけない。
すると服部は、『まだ解けてへん謎があるんやけど』と言った。
「へえ?」
『こないだ工藤が言っとった、「高校生ってガキか?」発言についてや』
「なっ・・・覚えてたのかよ・・・」
『当たり前や。あれから考えた結果・・・気になる相手がおると見た。しかも、』
相手は年上やろ。
「ッなわけねーだろ、バーロー!」
つい声が大きくなってしまい、はっとする。
『ほー、図星か。ま、ええわ。さっきも言ったけど俺は今忙しいんや、落ち着いたらこっちから連絡する』
「っおい、」
『そん時に絶対言えよ。ほなな』
一方的に切られた電話の相手に、俺はため息をつく。
「くそ・・・」


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