サイレントナイト



光の無い世界。
静寂が響き渡る処女宮の奥の寝室は柔らかな香が漂い、休息を取るにはふさわしい場所だった。
「・・・眠れないのだよ」
ぱちりと目を見開いてシャカは呟く。
何度も寝返りをうつものの、睡魔が訪れる気配はない。
とうとう身を起こしてはてなと頭をひねる。
香が神経を刺激するのかもしれない、そう思って窓を全開にして再び目を閉じるもなにも変わらなかった。
このままでは明日の執務に影響が出てしまう。
のそりと布団から這い出たシャカは、着替えもそこそこに階段を降り始めた。

***

乾いた石畳の上を歩く音が聞こえた気がして、アイオリアの意識は引き戻される。
「誰だ・・・?」
覚醒しない頭を振って気を引き締めると、ベッドの中で息を殺して気配をうかがった。
やがてノックの音が響き渡り彼は思わず身構える。
「アイオリア・・・起きたまえ」
聞き覚えのある隣人の声に脱力して、なんだシャカかと彼は呟いた。
なにも聞かなかったことにしてベッドに帰ろうとすると、脳内で声がする。

“起きたまえ、アイオリア”

「・・・ああっ!一体なんの用だ」
強引な意思疎通についに観念したアイオリアはドアを開けた。
「どうしたシャカ、こんな時間に」
「眠れんのだ」
そんなの知るか、と噛みつきそうになる相手にシャカは言った。
「子守歌でも聞けば少しは眠くなるかと思ったのだが。アイオリア、歌は得意かね?」
「自信はないが・・・しかしそれなら、ホットミルクでも飲んだら良いんじゃないか」
「なるほど。なかなか鋭いことを言う」
では出したまえ、と手を出すシャカに彼は「ミルクの買い置きがない」と答える。
「デスマスクのところに行けばあるんじゃないか」
「そうか。邪魔をしたな」
そう言い残してあっさりと出て行ったシャカが、さらに下って巨蟹宮の扉をノックしようとした時だった。
「ああ?・・・おい、シャカじゃねーか」
いぶかしげな表情のデスマスクは、
「こんな時間に何か用かよ」
と尋ねる。
「うむ。ホットミルクが飲みたい」
「はあ?なんでまた」
「眠れないのだ」
それを聞いてデスマスクは「うっそだろ、おい・・・」と呟いた。
「女官でも呼んで作ってもらえや」
「アイオリアがデスマスクのところにならあると言っていた」
「はー?ったく、面倒なの押しつけやがって・・・」
げんなりとしたデスマスクだったが、このまま押し問答を続けるよりはさっさと飲ませて帰らせたほうが手っ取り早いと考えてドアを開ける。
「しょうがねえな。入れよ」
「感謝する。本当はアルデバランの所に行った方が良いかとも思ったのだが」
シャカの言葉に牛乳を鍋にかけながら「なんでよ」と聞き返す。
「牡牛座だからな」
怪訝な表情を見せたデスマスクの頭に、牛=ミルク、という方程式が浮かんだ。
「マジで言ってんのかよ・・・よく聖闘士やってんな」
「?甘いほうがいい」
「へいへい。ったく、自分が招かれざる客だってこと知ってんのか」
文句と一緒にたっぷりの蜂蜜を入れたマグを手渡す。
「ありがとう」
「いや・・・・別に良いけどさあ」
真夜中にこれほどくだらない理由で降りてくる黄金聖闘士がかつていたのだろうか。
「・・・うむ。馳走になった」
「ああ。そのへん適当に置いといてくれ」
そうして巨蟹宮を後にしたシャカは戻ろうと階段を登りかけた。
が。
「・・・腹が減った」
温かいものを飲んだことによって腸内活動が活発になってしまったらしい。
牛=焼肉、という方程式に導かれ、彼はさらに下の宮へと足を伸ばすことにした。

***

バラン、ルデバラン。
自分を呼ぶ声がする。
夢を見ているのだ、と思った。
故郷の景色が次々とまぶたの裏に浮かんでくる。
「アルデバラン、おい」
はっと彼は目を開けた。
ベッドサイドにぼんやりとなにかが立っているのに気づいた瞬間、
「わーッ!」
と叫び声を上げる。
「やかましい、こんな真夜中に。もう少し静かにしたまえ」
たしなめられ、思わずアルデバラン「ああ、すまん」と謝る。
しかし、
「いや待て。どうしてここにシャカがいるんだ」
と疑問を口にした。
「眠れない」
「なに?」
なんだそんなことか、と再び枕に頭を沈めながらアルデバランは提案する。
「羊でも数えてみたらどうだ」
「なるほど、ジンギスカンかね」
「いや、せっかく数えた羊を食べようとするのは感心しないな」
「だが小腹が空いて眠れないのだ」
ようやく、彼のちんぷんかんぷんな内容を理解したアルデバランは戸棚からビーフジャーキーの缶を取り出した。
「ほら、これを食べるといい。そして頼むから寝かせてくれ」
「おや、いいのかね?」
いいのかねと言いつつ両手でしっかりつかんで離そうとしない彼に苦笑しながら、
「ああ、全部食べていいぞ」
とアルデバランは了承した。
「・・・と、いうことがあったのだ」
なぜこんな真夜中に白羊宮まで降りてきたのかという質問に対し、シャカはこれまでのいきさつをとつとつと説明した。
「答えになっていませんってば。大体アルデバランからジャーキーを分けてもらったのならなんで降りてきたんですか」
ムウの問いにシャカはむっとして答える。
「わざわざビーフジャーキーのおすそ分けに来てやったのだ。ありがたく思いたまえ」
「それはわざわざお気遣いありがとうございます」
ありったけのいやみをこめてムウは感謝を口にした。
「だけど、これすごくおいしいね。シャカ様ありがとう」
貴鬼が嬉しそうに感謝をすると、尊大な態度で彼はうなずいた。
「うむ、そうだろう」
「そうだろうって元々はアルデバランのでしょうが。ねえ、そろっと眠くなったのではありませんか?」
その言葉を聞いたシャカははっとする。
「・・・眠い」
次の瞬間、電池が切れたようにソファに突っ伏した。
「え・・・え?」
「まさかシャカ様、寝ちゃったの?」
「冗談でしょうシャカ!頼むから自分の部屋で寝てください・・・!」
怒りにまかせてムウがはげしく揺さぶるものの、いっこうに起きる気配はない。
「あれっ。ムウ様、シャカ様をどうするんですか?」
「入口の外へ置いてきます。目が覚めたら勝手に帰るでしょう」
「それはさすがにかわいそうなんじゃ・・・」
はあ、とムウは大きなため息をつく。
「こんなふうに自由に生きられたらストレスなんて感じないでしょうね」
ぷくりと膨らんだ鼻ちょうちんを彼はぱちんと潰した。


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