もしもシリーズ1



<もしも魚のお菓子がまずかったら>

天板の上で輝く、香ばしいきつね色の焼き菓子。
英国式のアフタヌーンティーに添えたらさぞ映えるだろう。
ひとつずつ慎重にパラフィン紙でラッピングしたあとは、ロイヤルブルーのリボンを結んで完成だ。

***

「私の新作なんだ。食べてみてくれ」
満面の笑みで差し出されたフィナンシェを、なまえとミロはまじまじと見つめる。
「とってもうまそうだ・・・なあ、なまえ?」
「うん、見た目はすごくきれい・・・」
ふたりが手放しで喜べないのには理由がある。
アフロディーテの作るお菓子は見た目とは裏腹に味がすさまじいのだ。
口に入れた瞬間、強烈な甘さがやってくる。
咀嚼するたびに感じる酸味やえぐみ、鼻を突き抜けてゆく刺激臭。
その目まぐるしい変化はまるで味のジェットコースターだ。
外側はしっかり焼けているのに、なぜか生焼けのようなふにゃふにゃとした食感も特徴的だった。
そしてなんといっても一番きついのが、直後にもたらされる激しい腹痛である。
以前なにも知らずに喜んで食べたシオンは、三日三晩寝こんだあとしばらく部屋から出てこなかった。
「食べないのか?」
「いや!そうではない・・・その、見た目をまず味わっていたのだ」
そうか!と彼は喜ぶ。
しかし、
「でも、早く味も見てほしいな」
「う、うむ・・・そうだな・・・」
ミロが食べてよ、となまえは小声でつつく。
「待て、それはずるくないか!?」
「ずるいもなにもミロは聖闘士でしょ!地上の愛と平和を守るために戦ってよ!」
「おかしくないかその理屈!」
食べてくれないのか?とアフロディーテが悲しそうな表情を見せたため、彼らはあわてて「「いや!そんなことは!!」」と否定する。
「こうなったら恨みっこなしだぞ」
「ミロは黄金聖闘士だから生き返られるだろうけど、私は今度こそだめかも」
「希望を捨てるな!」
「うん・・・ああ、遺言状でも書いとけば良かった・・・」
アフロディーテの手からそっとフィナンシェを受け取る。
にこにこと笑顔を浮かべている相手の目の前で、ふたりは「せーの!」といきおいよく口に放り込んだ。
「ぐっ・・・!」
「うっ、まっ・・・、!」
まずい、と叫びそうになるのを必死でこらえる。
「どうだ?自信作なんだが」
「お前、これ味見したのか・・・?」
ミロの問いに彼は「いいや?」とあっけらかんとして答える。
「なにィ!?」
「プレゼントばかりで、いつも自分の分がなくなってしまうんだ」
お前も食えよー!という悲痛な叫びが双魚宮に響いた。


<もしも魚がフィギュアだったら>

ピンポーン。
チャイムが鳴った瞬間いきおいよく起き上がる。
「はーい」
時間ぴったりの宅急便のお兄さん、感謝です。
どきどきしながら段ボールを開く。
「かっ、可愛い〜っ!」
ずーっと欲しかったアフロディーテのフィギュア。
ちょっとお値段が張るのでどうしようか迷っていたんだけれど、ついに買ってしまった。
丁寧に箱から出してじっくりと眺める。
「やっぱり顔がいい・・・」
目がぱっちりしていてまつ毛が長い。
つぶらな瞳にはハイライトも描かれている。
金色の聖衣をまとうボディーは可動式で、どんなポーズをとらせることもできるのだ。
そっと持ち上げ、さまざまな角度から観察してみる。
「へえーよくできてるなあ」
顔立ちはフェミニンなのに体つきは意外とがっちりしていた。
さすが聖闘士、鍛え方が違う。
さっそく手足を動かしてポーズを変え始める。
「やっぱり原作に忠実であるべき?でもなーこの感じもいいかも」
ぶつぶつ言いながら満足するまで遊んだあと、納得のいく形で固定した。
「よし、オッケー」
お茶でも持ってこようと思い目を離した時、
「もういいのか?」
「えっ?」
ふいに男の声がして私は部屋を見まわす。
「え、な、なに?」
誰もいないはずなのに。
とっさに最悪の事態が思い浮かんでしまい背筋が凍る気がした。
「たった今まで夢中になっていただろう?」
「・・・ぎゃー!!!」
なんで、どうして、アフロディーテのポーズがちがうの。
「す、座ってる・・・薔薇を投げていたはずなのに・・・」
テーブルのふちに優雅に腰かけているのは、まぎれもなくさっき届いたばかりのフィギュアだった。
彼は(と呼ぶのか分からないけれど)、さっきまでとは比べ物にならないほど生き生きとした表情を浮かべて、面白そうに私を見上げている。
「やっと気づいた」
「ア、フロディーテが動いてる、喋ってる・・・」
「うん。なぜだろうね」
不思議だな、と笑う彼を見てめまいがするのを感じた。

***

彼は”本物”の魚座の黄金聖闘士、アフロディーテだと名乗った。
「どうしてこんな姿になってしまったのかは分からないが・・・とにかく私は人間だし、聖域で過ごしていた記憶もある」
「そうなんですか・・・」
うーん、とそろって頭を抱える。
「だめだ、考えてもしかたがない」
「そうですね」
「君、名前はなんという?」
なまえです、と答えると、彼は「ではなまえ、」とあらためて言った。
「すまないが、事態が変わるまでしばらくここに住まわせてくれないか」
「なんですって・・・?」
小形化した推しとひとつ屋根の下。
そんな夢みたいなことがあっていいのか。
「そっか、夢なんだこれは。うんうん、もったいないけどそろっと起きよう」
「現実逃避したい気持ちは分かる、私だってそうだ。しかし、悪いが今は現実を見てくれないか」
「現実・・・?」
ああ、とアフロディーテは頷いた。
やっぱりこれは夢じゃないんだ。
「それじゃ、どうしましょうか・・・」
「幸か不幸か、まあ個人的には後者だが・・・私は体が小さい。だから、君の生活を大きく困らせることはないと思う」
いきなり同居人が現れては生活費の問題があるが、このサイズならその心配も少ない。
そう言われてみれば、もっともらしい気はするけども。
いやいやいや、どうしよう。
アフロディーテはじっと私を見つめる。
「・・・だめか?」
よろしくお願いします、と言うと、彼は「そうか」と微笑む。
「ありがとう、なまえ。恩に着る」
「っ、いえ」
ああ、やっぱり顔が良すぎる。
こんなんで本当に一緒にやっていけるのかな・・・。

***

ごはん、お風呂、着替え。
生活に必要なものをメモしていた時、ふと思い当たる。
「あ。そういえばトイレは?」
「あ」
困った、とアフロディーテは言った。
「こればっかりは・・・うーん」
難しい問題にぶつかってしまった。
そわ、と彼の体が動くのを見て、ああしまったと思う。
こういうのって意識させるんじゃなかった。
「あの、」
そう言いかけた瞬間、
「!」
「ひゃっ!」
ぼん、と音がして思わず目をつぶる。
「今度はなに・・・えーッ!」
等身大のアフロディーテが目の前で呆然としていた。
「こんな都合の良いことが本当にあるのか・・・?」
「よ、良くない・・・」
サイズが合わない聖衣がパーン、なんてことはなくてほっとしたけれど問題はそこじゃない。
うう、黄金聖衣ってこんなにまぶしいとは思わなかった。
「あの・・・」
「はい」
「大きくなってしまったんだが・・・これからよろしく」
えへ、と困ったように笑う原作にはない可愛さにやられてしまい思わず、
「よろしくお願いします」
と前のめりに答えてしまったのだった。


- 125 -

*前次#


ページ: