C-2

いろいろあって、朝ご飯は食べ損ねた。
時間には余裕あったはずなのに結局慌ただしく一緒に家を出て、沖田くんが少し先の電車に乗り私はコンビニで買ったサンドイッチを食べてから会社へと向かった。…正直もうすでにへろへろだけど。たった3歳、されど3歳。体力の差を感じる。
駅で別れた時、やたらとご機嫌だった沖田くんの顔を思い浮かべながら会社のゲートを通過したらエレベーター前で鉢合わせした。沖田くんと、隣には若い女子社員が一人。

気まずかったので、少し距離をとって気づかれないようにしようかと思ったら沖田くんと目があってしまいとりあえず会釈だけしといた。

「沖田さんの後輩ですか?」

「すいやせん。先輩の方」

聞こえてきた会話に複雑な心境。若く見られたのかそれとも社会人としての貫禄0なのか。というかあの子、どこかで見たことある顔だ。隣の部署…にあんな綺麗な子いたらさすがに覚えてる気がするけど。
私が待っていたエレベーターが先に来たので乗り込んですぐ閉めるボタンを押したら黒い革靴が割り込んできて扉が開いた。
しれっと隣に並んできたその人に、再びボタンを押す。

エレベーターが動き出したところで声をかけられた。

「おはよ。朝から浮気現場目撃したけど大丈夫なのアレ」

「会社でその話題はやめてください坂田さん。浮気現場とも思ってません」

私の返事につまんなそうな顔で壁に寄りかかった坂田さんは隣の部署の飲み仲間。沖田くんと付き合ってること、いつの間にか知っていて社内で噂がたっていた頃に誰かから聞いたのかと思ったら酔ったとき私が自分で喋っていたらしい。不覚。

「あの女、どっかで見たことあんだよな俺」

「そうやって口説く作戦ですか?」

「ばーか、俺ァあーいう計算高そうな女は趣味じゃねえよ。そっちこそライバルの素性は早めに調べといたほうがいーぞー」

「しつこいです」

沖田くんと同じ属性でもこの人からはより捻くれたタチの悪さを感じることがある。目的の階に到着してエレベーターに他に人がいなくてよかったと心から思った。

すぐに喫煙所に向かった坂田さんと特に挨拶もなく別れて自席についた。仕事を始めてから暫くして、出勤時間ギリギリの所で沖田くんがオフィスにやってきて。

気になるけど、それ以上に気にしてもキリがないのをわかってる。

余計な考えなんて浮かぶ暇もないくらい午前はひたすら仕事に没頭して、あっという間にお昼過ぎ。
午後は年内の棚卸し作業。一人で終わらせるにはなかなか骨が折れるんだよなあこれが。自分のくじ運の悪さを恨みながら朝ご飯と一緒に買ったコンビニのおにぎりをかき込んで。予定より少し巻いて備品室に到着。

そしてなぜか私が開くより先、自動ドアでもないのに勝手に扉が開いて。隙間から伸びてきた腕に勢いよく誰もいないはずの備品室の中へと引き摺りこまれた。

「待ってやした、なまえ先輩」

「っび、びっくりした…!沖田くんなにしてるの?」

「話がありやす」

プライベートの方で、と囁くように口を動かした沖田くんは片手で器用に扉の鍵をかけた。普段会社では仕事の話しかしないからちょっと驚いたけど。距離を詰め壁際に私を追い込んだ沖田くんはいつにないこの状況を少し愉しんでるような気もした。

「なに?話って」

「なんか冷たくありやせんか」

「当たり前でしょ。仕事中なんだから」

「今日一緒に家出たから鍵忘れちまいやした。帰りも最寄駅で待ち合わせしやしょう」

「それは全然いいけど…」

まさかそれだけ?どんな緊急の用かと思ったのに。LINEでいいのにって言ったら拗ねるかな。

拍子抜けしてたら私の反応を見て「あ。それと」と言葉を続けた沖田くん。

「今朝のことなんですがねィ。エレベーター待ってたら声かけられて」

「今朝…あの一緒にいた女の子?」

「へい。最初は適当に受け流してたんですがどっかで見たツラだなと思ってよくよく思い出してみたら、専務のお嬢様でした」

「え」

一瞬フリーズしたあと、沖田くんに言われて私も自分の記憶を遡る。そういえば去年初めて行われた会社の創立記念パーティーに専務とそのお嬢様が来てた気がする。
どうりで私も坂田さんも見覚えあったはずだ。なんなら一緒に挨拶行ったくらいだし。

「そん時にお嬢様に惚れこまれちまったらしくて。明日の夜に自宅の食事会に誘われてやす」

「明日…」

クリスマスイブである。しかも自宅って…めっちゃ本気じゃん。とは突っ込まずにはいられなかった。それに家に呼ぶことを許すくらいだからもれなく専務公認なの?

沖田くんはついでみたいなテンションで話すけど絶対こっちの方が本題、なんなら重大な事案。ちゃんと相談してくれたのはよかったけど。


「もちろん断りやすが、最悪クビか転勤になったらなまえ先輩に申し訳ねえし先に言っておこうと思って」

「え、断るの!?しかもクビか転勤って…」

「当たり前だろィ普通に行かねーですよんなもん」

ケロっとさも当然みたいな顔する沖田くん。
専務のお嬢様と知って、しかもあんな美人だったのにここまで動じないのもある意味すごい。こわいものないのか。

沖田くんは前にも上司の恋愛いざこざに巻き込まれてしんどい思いしてるから、寧ろこんなことでまた沖田くんに何かあったらと、居た堪れないのは私の方。


「…そんな簡単に決めて良いことなの?それって」


私が食い下がると思わなかったのか、沖田くんの眉間がぴくりと動いた。

よくないことを言った自覚はあるけど、黙ってられなかった。


「先輩には断る以外の選択肢があるつーんですかィ?」

「だって、これでもし沖田くんにまたなにかあったらどうするの」

「食事会に行くつーことは相手の気持ちを受け入れんのと大差ねえと俺ァ思ってやす。

それでも行けってんですかィ?」

珍しく怒りを含んだ沖田くんの声色に一瞬息を呑む。

静まり返った備品室にいつになく重たい空気が漂った。

沖田くんが迷いなく断るって言ったの恋人としては嬉しい反面、今まで一緒に仕事をしてきた身としては複雑で。
努力家で仕事もできる沖田くんならこの会社で充分出世できると思う。なのに今、こんなところでお偉いさんと波風立てたら最悪の事態にはならずとも今後の妨げになる可能性は高いだろうし。

それに相手が専務のお嬢様なら育ちが良すぎるくらいだし、私なんかとは天秤にかけるまでもない。

そんなこと言ったらより怒らせるのはわかってる、だからそれ以上、沖田くんの問いかけになにも答えられなくて。

「先輩にとっては俺はその程度だったつーことですかィ」

「っそんなこと言ってないでしょ?」

「同じことだろィ。最悪仕事は替えが効いても俺ァなまえ先輩の代わりはどこにもいねえと思ってやす。…けどンな簡単に送り出されちまったら」

俺だけ必死で、馬鹿みてーじゃねえか。

初めて見る、こんな険しい顔した沖田くん。
吐き捨てるように紡がれた言葉。求められてる答えはわかるのに、考えれば考えるほど何も言えない。

押し黙る私に暫くの沈黙のあと、沖田くんはそれ以上なにも言わないまま備品室を出て行った。

バタンッ。乱暴に扉が閉まる音がしてその場で大きく息を吐いてしゃがみ込む。


「…やっぱり私、恋愛向いてないのかな…」


好意を向けられてる他の女との食事会、断らない方がいいなんて恋人に言われたらそりゃ怒る、自分でもバカだとは思うけど。

私がいて沖田くんが答えを即決したのなら考え直してほしいと、邪魔になりたくないって思った。後輩としての沖田くんもすきだから。

もっと昔の私なら、あれこれ余計なこと考えなかったはずなのに。
今は色んな柵が纏わりついてどうするのが正しいのかわからない。

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露草