「裏道さん、ちょっと!」
「ん?なに」
「なにじゃなくて…さっきのこと、」
午後の収録前、男子トイレから出てきた裏道さんにすかさず声をかけたはいいものの。よく考えたら人通りある場所で、あれどういうつもりですか?なんて聞くに聞けず。
もたついてたら「あーいたいた!」と間延びした嫌な声がこちらに近づいてきた。
「探したよ裏道くん!早く行くよ?なまえちゃんも!」
「えっ、行くって…どこにですか?」
今日スタジオで撮影じゃ…、今にも消えてしまいそうな声を上げる裏道さんの肩を掴んで「やっぱり野外ロケにした!」という出来田さんに二人で凍りつく。
なぜ私も?って顔をしたら野外ロケするには人が足りないから!という一言でアシスタントのアシスタントという謎ポジションにその場で任命され、半ば拉致されるように乗り込んだロケバス。
朝はあんなに晴れていたのに。
今にも降り出しそうな雨に、風はビュービュー吹き荒れて。
揺れる海面を眺めながらまさか野外に長時間放り出されるなんて夢にも思わなかった故、今日コートを着て出勤しなかった自分を死ぬほど恨んだ。
「なぜこんな事に…」
「なまえさん随分寒そうですね」
「クマオくんは着ぐるみ、あったかそうだね」
「流石にちょっとは寒いですよ」
「嫌味?」
夏用の撮影だからか、Tシャツに海パンという格好で荒れる海に放り出されてる裏道さん。
この前一生懸命作ったセットは砂浜で海風に晒されて、直すのにまた残業になったらどうしようとも思うけどそれ以上に風邪引かないで帰れるかの方が心配である。
出番待ちのクマオくんとただ、遠くを見つめながら砂浜で佇んだ。
「…ねえ、今だけでいいから熊谷くんのダウンジャケット借りていい?ロケバスに脱ぎ捨ててあったやつ」
「俺より裏道さんから借りた方がいいと思いますけど」
「裏道さんもパーカーしか持ってきてなかった…。」
「二人して天気予報見てないんですか?昼過ぎから気温下がるって言ってましたよ」
う、耳が痛い。
「貸すのはいいですけど、同棲予定の彼氏の機嫌が悪くなっても平気なら」
「え、それ誰から聞いた?裏道さんほんとに一緒に住むって…?」
「知らん、そんなん本人に聞いてください」
「だって、」
…聞こうとしたら野外ロケだし。裏道さんがどこまで本気で言ってんのか、わかんないし。
一段と冷たい風が吹いて身震いすると「風邪引くぐらいなら早く着て来てください」と言われたので一人こっそり誰もいないロケバスに戻る。
一番後ろの席に放り投げてあった熊谷くんのジャケットを羽織って、寒空の下、半裸の演者さん達には申し訳ないが少し温まってから戻ろうとそのまま椅子に座ったら、扉が開いた。
乗り込んできたのは先程の格好のまま、タオルを首にかけた裏道さんだった。
「お、お疲れ様です。…寒くないですか?」
「寒いよ」
「ですよね!よかったらこれ、着ます?」
って言っても私も借り物だけど。
「それ誰の?かなりサイズでかくない」
「く、熊谷くん…」
「脱いで」
「機嫌悪くなっても平気なら」と言った熊谷くんの言葉がチラつくような表情で、ジャケットをくいっと引っ張っられた。
ムッとした姿ちょっと可愛いけど、絶対言えない。
脱ぎかけて、タイミング悪く色気のないくしゃみが出ちゃって鼻を啜ると「やっぱ着てな」とため息混じりの声が頭上から聞こえた。
裏道さんは鞄から新しいシャツを取り出すと当たり前のようにその場で着替えを始めて、思わず不自然に黒目が泳いでしまう。
「…今更照れることある?」
「っ不意打ちだったので、つい」
「そんなんで一緒に住めんの、これから」
「昼間のあれ…本気だったんですか?」
話しながら新しいシャツに袖を通し荷物を退かすと、空いた隣の椅子をぽんぽん叩いた裏道さん。
言われた通り横に座ると私の問いかけには答えないまま、ジャケットのチャックを下ろされ結局、脱がされた。
変わりに「こっちにして」と押し付けられた裏道さんのパーカーを羽織るともれなくフードを被せられて。
塞がれた視界に、唇に慣れ親しんだ柔らかい感触。
静かな車内にちゅ、と響いたリップ音、しかも一回じゃ終わらなかった。
「ん、っ…ちょ、う、らみちさ…っ」
「…あんま声出すとバレるから、黙って」
合間に囁くように言われて、背中に電気が流れたようにゾクっとする。隠れてするには濃厚すぎるキスに結局抗えず、視界に光が戻って何事もなかった顔で裏道さんが離れていった頃にはもう、力が抜け切っていた。
「本気だって言ったら、なまえはどうすんの?」
「っこの状況でよく普通に話し続けられますね」
「何?なら別の事したいって?」
「っ言ってないです!」
「声でかい、バレるって」
誰のせいですか、とはもう言わない。さあ?って絶対とぼけられるから。
いつも骨抜きにされてしまうのは私で、悔しいけど多分、一生勝てない。
私の反応を愉しむように目を細めて、再び近づいてきた裏道さんの唇を手で押し返しながら本題に戻った。
「同棲って、…うまくいかない事が多いらしいですよ」
「だから?」
「これ以上裏道さんの存在が当たり前になったら、万が一独りに戻った時が辛い…じゃないですか」
「それは別れる前提で考えるからだろ」
「だって、絶対なんて保証もないから」
「確かにそうだけど」
「…嘘でも大丈夫だよ、とか言わないんですか?」
「そういう言葉って、安易に口にした方が胡散臭くならない?」
ぐうの音も出ない。
でも、裏道さんらしい返答だけど、今欲しい言葉かと聞かれたらそうじゃない。一緒に住む話、嬉しい反面ちょっと臆病になってるから背中を押すような何かがほしかった。
多分それは裏道さんもわかってる、だから、
「口約束はしない。でも…少なくとも俺は、 ここまで人に執着したの、なまえが初めてだから」
少しの間の後、すごく小さな声で突然そんな事を言ってきたんだと思う。
「なまえと付き合ってから知った事も、沢山あるし」
「…どんなことですか?」
「それは、」
独占欲とか、言えないくらい重たい感情とか。
ストレートな愛情表現は得意じゃないし、いつか愛想尽かされて、別れようなんて言われた日にはなまえよりよっぽど俺の方が応えるに決まってる。
なんて事は、
「…言わない。けど俺は、それでも一緒に住みたいって思ってる」
「なら執着じゃなくて、好きって言い方してほしいです。…酔った時はあんなにいっぱい言ってくれたじゃないですか」
「だからそれは、………覚えてないって言ったろ」
じとりと裏道さんを見上げたら罰が悪そうな顔をされた。
だけどすぐにさり気なく、左手の薬指同士を絡めるように握られて。
変わり、と言わんばかりに不意打ちでまたちゅと軽い音を立てされたキス。
次に目が合った時、何を言うわけでもなく明後日の方向に逃げて行く裏道さんの視線に、…今日も今日とてやり方がとてもずるいと思う。
そんな事をされたら結局、余計な不安なんか全部忘れるくらい簡単に、心を掴まれてしまうのだ。
「一緒に、住まない?」
ぎこちなく改めてそう問いかけてきた裏道さんに、ただ黙って頷いて。
その後二人一緒にバスを降りて何食わぬ顔でロケに戻ると、せっかく着替えたのに裏道さんはまたすぐずぶ濡れになっていた。
帰ったら引っ越し業者を探す、のと。とりあえず風邪ひかないといいな…裏道さん。
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