うらちみお兄さんはカメラを向けられると人が変わったように笑顔が作れる。

熊谷先輩はいつも仕事中は着ぐるみ姿だけど、


「やっぱりうらみちお兄さんみたく、撮影中は着ぐるみの中で笑顔なんですか?」

「そんなワケねえだろ。寝ぼけてんのか」


一喝されてしまった。


「じゃあどんな顔であの声出してるんです?見たいです、」

「やらねえよ。サボってないで早く仕事戻れ」

「一回だけ!」


休憩室で一人、珈琲を飲んでる熊谷先輩を見つけて声をかけてからずっと鬱陶しそうな顔されてたけど。

わざとらしく顔の前で手を合わせてお願いしたら、もっとウザったそうな顔された。


「一回しかやらねえぞ」

「はい、」

「よく見てろ」


じっとこちらを見てきたから少し照れたけど、負けじと先輩を見上げたらしれっと後頭部に回った手に引き寄せられて、


「っん、!?」


まさに不意打ちで、唇を食べられた。


「わかったか?」

「な、なにがっ…わからないですよ!だって、」

「ならもう一回」

「…っ、」


自分で一回とか言ってたくせに。

一瞬だけ離して、また食べるようにはむっと噛まれた。
誰もいない二人だけの休憩室、とても職場とは思えくらい激しく舌を絡められてちゅく、と響いた唾液の音に慌てて先輩の肩を叩いた。

足りない、と言わんばかりに眉間に皺を寄せたまま熊谷先輩が唇を離した頃にはもう、完全に虫の息。


「はあっ、…ひ、人来たらどうするんですか…っ」

「来ねえよ誰も」

「すごい自信…」

「今日泊まりに行くから夜、空けとけよ」


飲んでいた珈琲の缶をゴミ箱に放って、何事もなかったようにそう言った熊谷先輩。

……私はとんでもない人を好きになってしまったのかもしれないと、今更になって思った。







初めて熊谷先輩が家に泊まりに来て以来、最近は割と頻繁に来るようになって、家に先輩の私物が少しずつ増えた。
相変わらずTシャツは変な柄が多いけど。だんだん愛着が湧いてきてたまに勝手に借りたりもしてる。

今日もお風呂上がりしれっと着て出たらじっと見られたけど特になんにも言われなかった。

ご飯を食べた後ソファに並んで、少しウトウトしながら音楽番組を流し見してたら「おい」と横から声をかけられた。


「これ、流行ってんのか?」

「これ?…この人達ですか?」


画面に映るキラキラしたアイドル、すごい真顔で聞かれてちょっと眠気が飛んだ。


「私もよく知らないですけど、指ハートするフリが可愛いって話題にはなってましたよ」

「指はーと?」

「こうです」


笑顔でやったら真似してくれるかも、僅かな期待を持って顔の横で親指と人差し指をクロスされたらすぐ目線をテレビに戻された。…まさかのスルー?


「そんなもんで話題になるんだな」

「どういう意味です?これでもちょっと頑張ったんですよ」


アイドルと比べたら屁みたいなものだけど。申し訳ないからちゃんと本物を見てあげてほしい。

それよりも、


「熊谷先輩もやってみてくださいよ!」

「またか、やらん」

「彼女にちゃんとファンサしないと、他所に行かれちゃうかもしれませんよ?」

「お前俺のことめちゃくちゃ好きだからそれは無い」

「またすごい自信」


でもって間違いじゃないのがほんと、悔しい。
反論も出来ずにそのまま黙ってソファに座り直すと、フッと小さく笑われた気がした。


「一回しかやらねぇぞ」

「…もうその手は食わないです」

「…いいから、」


横目で先輩を見たら、今度は本当にやってた。
……ただ、なんていうか、なんだろう。熊谷先輩らしいと言えばそうだけど、指ハートってそんな険しい顔で…やるものだっけ?


「おこ…いや、キレてます?」

「あ?」

「っすいませんすいません、だって」


まずい、これは本気でやってくれてたやつだ。

そうとわかったらあまりにも不器用だし、可愛く見えてしまって笑いが堪えきれない。

顔を両手で押さえながら肩を揺らしていたら、予想はしてたけどやっぱり怒らせた。

割と強く手首を掴まれて、剥がされる。


「いい度胸してんな」

「今のは先輩が悪いですよ…あまりにも、っかわいすぎました」

「…うるせえ」


流れるようにそのままソファに組み敷かれる。
顎を掴まれて、てっきりまた噛みつかれると思ったら、今度は溶けるように甘い…優しいキスをされて。驚きのあまり唇が重なってる間はずっと、息をする事を忘れてた。


「かわいいんだろ?なら目、逸らすなよ」

「っ、かわ、…かわ…いくないですっ、」


可愛いなんていうより、エッチだ。

前々から慣れてるとは思ってたけど、最早あまりにも手慣れすぎている。


「…っ熊谷先輩、経験人数絶対多い…ですよね?」

「なんだ急に。そりゃお前よりは多いだろ」

「じゃなくて、色々…すごいから、」

「妬いてんのか?」

「……っ、」


図星だ。でも知られたら前みたくまた絶対ガキって言われると思ったから、できれば隠したかった。
赤くなった顔を逸らしたら、シャツの裾から入り込んだ先輩の手が脇腹を撫でる。
ビクッと跳ねる体に、下唇を噛み締めた。


「…かわ、…。」

「っかわ?……カワウソ?」

「違う」

「?」

「見んな」

「ゃ、っ先輩」


カプっと音がしそうな勢いで耳を、噛まれた。


「…お前のモノになってやるって前に言ったろ」

「っ…ぇ?」

「言葉通り今は、…なまえの事しか考えてねぇよ」


低い声が、吐息と一緒に耳に触れてゾクゾクする。

昔は明らかな一方通行だったのに、自惚れるわけじゃないけど、最近は熊谷先輩からの好きを感じる事が多くなってきた。…それがただ、たまらなく嬉しい。


「…熊谷、っせんぱい…」

「なんだよ」

「大好きですっ、」

「…………それ、」

「…はい?」

「このタイミングで言うのは、お前も大概だぞ」

「え、」

「…ちゃんと責任とれよ」


少し小さくなった熊谷先輩の声に、弱いと知っていながらわざとまた、腹部を撫でる手に身を捩る。

先輩のその言葉の意味を…深く深く、理解した頃には夜もだいぶ更けていた。



いくら経験があったって「かわいい」たったそんな一言が言えなかった。


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露草