『なまえの家に財布忘れた』


午前の収録前に昨日うちに泊まった熊谷先輩からそんなメッセージが来ていた。
今日取りに来ます?と返したら『行く』と一言返事が来て。

昼の休憩時間、財布のない熊谷先輩がご飯どうするのか気になって先輩の楽屋に向かう途中。

見知った後ろ姿を見かけて、駆け寄った。


「熊谷せんぱー…?」


呼びかけて気づいた、あれなんかちょっと背…縮んだ?
私の声が聞こえたのか振り向いたその人は熊谷先輩、に、似てる、けど。

やっぱり違う。先輩より遥かに柔らかいもっと可愛い顔立ちに…もしかして、


「先輩の弟さん?」

「先輩?ですか?」

「あ、すいません。熊谷先輩の…」

「ああ!はい、はち太です!お兄ちゃんの知り合いの方ですか?」


人懐っこい笑顔、先輩と似た顔でその可愛らしさはなかなかに胸を打たれてしまう。

「彼女です」とは口にする勇気はなかったのでとりあえず頷いたら「通りで見覚えあるはずや!」と言われて首を傾げた。


「会うの初めて…ですよね?」

「言われてみればそうや、けどどっかで見たことがあって…どこやっけ?」


まじまじこちらを見ながら首を傾げる先輩の弟ことはち太君を連れて、とりあえず一緒に先輩の楽屋へと向かった。
ノックして入ると熊谷先輩と、ついでに兎原先輩もいた。


「なまえちゃんに熊谷弟!珍しい組み合わせじゃね?」

「途中でたまたま会いまして」

「お兄ちゃん!昨日の朝家に財布忘れて行ったやろ、帰って来んかったから流石に持ってきたわ。今日もないと困るやろ?」

「ああ、助かる。そっちに忘れてたんだな」

「そっち?お兄ちゃん最近帰って来んことあるけど、どこ泊まってるん?」

「え〜どこ泊まってるん?」


はち太くんの問いかけにドキリと肩が跳ねる。
同時に憎たらしい言い方をしながら熊谷先輩の肩を叩いた兎原先輩は見事な肘打ちを食らっていた。

そして熊谷先輩は迷う事なくこちらを見て「あいつの家」と一言。


「え?ならもしかしてお兄ちゃんの…」

「か、彼女、です。一応…」


あんなになりたくてしょうがなかったはずなのに。
いざなって、自分から言うのはあまりに恥ずかしい。しかも先輩の身内の方だし。

「みよじなまえです」と頭を下げたが、思わず視線は逸れまくってしまった。


「一応ってなんだ。普通に彼女だろ」

「で、ですけど…今はこれ以上詰めないでくださいっ」

「だからや!見たことある人やと思てたけど思い出した、たまにお兄ちゃんが見てる写真の人や!なあ?」

「しゃ、しん?」

「…はち太、余計な事を言うな」

「いで!なんで俺を殴るん??照れ隠し?」

「黙れ」


何故か理不尽に叩かれた兎原先輩は置いといて、写真って…なんだ。
撮った記憶、全くないけど。気になりすぎて熊谷先輩を見たら今度はふいっと向こうに視線を逸らされてしまった。


「お兄ちゃんが最近楽しそうにしてる理由がやっとわかったわあ。今度うちにも遊び来とくんね、なまえさん」

「是非っ」


…やっぱり弟、かわいい。


「じゃ俺は弟、出口まで送ってきてやるから」


「ごゆっくり〜」とはち太君の肩を掴んで嫌味っぽい笑顔を浮かべながら楽屋から出て行った兎原先輩を、すごい顔で睨む熊谷先輩。

二人きりになって静まり返った部屋、先輩は弟くんが持ってきてくれた財布を机に置くと椅子に腰掛け何事もなかったように置いてあったコンビニ袋を漁り始めた。


「…昼飯まだだろ、食うか?」

「っそれより写真ってなんですか?一回でいいから見たいです」

「知らん」

「そんなの撮られた記憶ないですよ、私。もし違う女の人と間違えられてたらって思うとかなり…拗ねたくなります。」

「…めんどくせえな。一回見たら満足するんだな?」

「はい!」

「もう二度とこの話もすんじゃねえぞ」

「わかってますって」


私の引かない性格を知ってる故か、思ったより簡単に折れてくれた。
机に肘をつき、私の返事にまた深い深い皺を眉間に寄せながらスマホを操作する熊谷先輩。

こちらには一切顔を向けず、鼻先がぶつかりそうなくらいに近くに画面を突き出された。


「ち、ちか……私、ですか?これ」

「……お前以外誰がいんだ、よく見ろ」

「…っ結構昔の、なのでは…」


髪色と顔からして確実に大学生の頃、しかもまだ入学してからそんなに日も経ってない気がする。誰と写ってるわけでもなく明らかに隠し撮りであろう弓道衣姿の寝顔、だった。…どうりで記憶にないはずだ。

聞きたい事がありすぎて、何から口にしていいかもう…わからない。
「写真はこんだけだ」とスマホを机に伏せた先輩は、隠してるつもりでも少し動きが、ぎこちなく感じた。


「先輩って、そんな前から私の事…好きだったんですか?」

「違う。見せてやったんだから大人しく飯食え」

「…でもってその写真、はち太くんに認知されるくらいよく見てたんですよね?」

「…お前なあ」


大きくため息をついた後いつになく鋭く睨まれて多分、かなり怒らせた。

けどそれでも知りたかった、昔には戻れないから今熊谷先輩が言ってくれないとあの頃私の事どう思ってどんな気持ちでそれを撮ったかなんてわからないし、はち太くんの言う事が本当なら舞い上がるほど嬉しいし。

シャツの襟を引かれて少し前のめりになる、そのまま荒く口を塞がれた。


「…っん…んぅ…っ」


いつになく執拗に熱い舌が絡まる感覚がして、一瞬で力が抜け落ちる。

苦しくて弱々しく叩いた先輩の肩。止めるどころかその手を掴まれて、なんならもう片方の手は後頭部に回されてより深く、口内を犯された。


「…っ、はっ、はあ…そ、んな怒らなくてもっ」

「…お前が悪い」


唇が離れるとプツと繋がっていた糸が切れた。
呼吸が乱れまくる私とは裏腹、殆ど変わらない先輩が逆にこわい。


「私は先輩と違って消せなんて言いませんから。…なんなら撮りたいだけ撮ってもらって、構わないんですよっ」

「いらねえよ」

「…もう撮るほど魅力、感じないですか?」

「この写真が気に入ってる。だからいい」

「な、」


言いながら早くもいつも通りのクールな状態に戻った熊谷先輩は、袋から取り出したおにぎりを食べ始めた。

…今度は私の方が明らかに動揺して、今までにないくらい顔が熱い。

思わず手で仰いでたら突然カシャ、と響いたシャッター音。見ればいつの間にスマホを持った先輩のレンズがこちらに向いていて、

「やっぱこれだけもらっといてやる」と言われた。


「っさっきと言ってる事違いますよ!」

「うるせえ、いいから早く飯食えって」


…ずるい。今日は私の、完敗だ。


- 37 -

*前次#


ページ:




露草