──「及川徹の恋人だった自分」は、もう過去の私だ。

 そうやって、私は一日に何度も自分に言い聞かせている。
 大学の入学式、隣の椅子に座った人と交わした、当たり障りのない挨拶。蜂の巣状に広がる複雑な路線図と、ごった返す人の波。慣れない土地に足を取られそうになりながら、それでも私は前を向いて歩いている。

 ここは、及川といた場所じゃない。私の隣に、彼はいない。
 
 講義の内容が難しくて、教科書を放り投げたくなる時。飲み会で、知らないノリについていけず、引き攣った愛想笑いをしている時。いつもいつも、心のどこかで「及川がいてくれたら」と考えてしまう自分がいた。

 ──ああ、私は本当にずるい女だ。自分から「別れよう」と言ったくせに、こうやって無意識に及川を求めている。

 一人暮らしの静まり返ったアパート。勉強机の上で、スマホの画面を開く。
 最後に及川からメッセージが届いたのは、一週間前。「大学生活は慣れたー? こっちはだいぶ落ち着いたよ」という、及川らしい軽快な雰囲気の文面だった。すぐに返信したい気持ちを、ぐっとこらえる。

 どんな内容なら、及川は「友達として」読んでくれるのだろうか。バレーボールに命を懸けている彼に、私の日常の話なんて邪魔になるかもしれない。弱音なんて吐いたら、心配させてしまうかもしれない。
 東京での暮らしのこと、新しい友達のこと、本当はたくさん話したいことがあるのに。

『人が多くて毎日お祭りみたいだよ』
『そっちはご飯美味しい?』

 打っては消してを繰り返す。「彼女」だった頃なら送れたはずの言葉。結局、打ち込むのをためらって、画面を閉じてしまう。

 ふと、机の隅に置いてある革の手帳が目に入った。クリスマスの夜、彼がプレゼントしてくれたものだ。

『ナマエの夢、応援してるから』

 そう言って渡してくれた、真新しい茶色の革。それを手に取り、そっと開く。まだ書き込みの少ないカレンダー。そこには、当然だけど、彼との予定は一つも書き込まれていない。

「……復習、しなきゃ」

 私はペンを握り直し、参考書に向き直った。栄養学の勉強。これは私が自分で選んだ道だ。彼を支えたいと思って、そして彼と対等でありたいと願って選んだ道。
 だけど──。

「……っ」

 彼の匂いも、体温も、甘いキスも。身体の奥にメープルシロップのように染み付いた記憶が、ふとした拍子に蘇っては、私をあの日々に引き戻そうとする。

「……やらなきゃ」

 今はただ、ひたすら歩き続けるしかない。
 参考書のページをめくる。そこに書かれた難解な用語が、涙で少しだけ滲んで見えたけれど、私は一度だけ強く瞬きをして、ペンを走らせた。



 東京での生活が始まって、三ヶ月が過ぎた。
 住めば都とはよく言ったもので、だいぶここでの生活も慣れてきた。大学の講義のペースも掴めてきたし、一緒にお昼を食べる友達もできた。

「ねーねー、夏休みどうする? みんなでどっか行きたくない?」

 学食のテーブルで、友達が旅行雑誌を広げながら目を輝かせる。

「いいねー! やっぱ海? 思い切って沖縄とか行っちゃう?」
「それならバイトしなきゃー。駅前のカフェ、短期募集してたよ」
「え、本当? みんなで一緒にやろうよ!」

 弾む会話に、私も「いいね、楽しそう」と笑顔で相槌を打つ。みんなが広げた雑誌のページが、パラパラとめくられる。ハワイ、グアム、台湾。鮮やかな写真が次々と目に飛び込んでくる。

 ふと、私の指先がスマホの検索画面の上で止まった。
 友人たちが見ているようなリゾート地じゃない。もっと遠い、日本の裏側の国。無意識のうちに、航空券の予約サイトで『アルゼンチン』を探そうとしている自分に気づいて、ハッとする。

(……何やってるんだろ、私)

 行けるはずがない。時間も、お金も、そして何より、今の私は彼に会いに行く立場ではない。ズキリと痛む胸の奥を誤魔化すように、私はそっとスマホの画面を伏せた。

「ナマエもバイトする? 一緒に面接行こうよ」
「…うん、行く。旅行、行きたいしね」

 嘘じゃない。友達との旅行は楽しみだ。
 ただ、心のどこかで常に彼を探してしまう自分が、どうしようもなく惨めだと思った。


 アパートに帰って一息ついた時、スマホが短く震えた。画面に表示された名前に、心臓が大きく跳ねる。

 ──【岩泉 一】

 高校卒業以来の、彼からの連絡だった。岩泉はアスレティックトレーナーを目指して、私と同じように東京の大学に進学していた。

『元気にしてるか?』

 短い文面。それだけで、岩泉のぶっきらぼうだけど温かい声が再生されるようで、目頭が熱くなる。

 ──思い出すのは、高校三年の秋。私がスポーツ栄養士を目指すと決めた時、岩泉に直接報告をしたことがあった。

『へえ、栄養士か。……まあ、お前らしいんじゃねーの』

 彼は少しだけ目を丸くして、すぐにニッと笑った。
 何も言わなかったけれど、その目は気づいていたと思う。私がその道を選んだ理由が、誰がきっかけなのか。バレーボールに全てを懸ける恋人を、支えたいと願ったからだということを。
 それでも彼は、茶化すこともなく、ただ「頑張れよ」と背中を叩いてくれた。

(……友達、だもん)

 岩泉は、「及川の相棒」である前に、私の大切な「友達」だ。このメッセージだって、友達として送ってくれたんだ。返信を躊躇う必要はない。私は深く息を吸い込むと、指を動かした。

『うん! 元気だよ! 久しぶりだね』

 ビックリマークを多めにつけて、精一杯の「元気」を装う。すぐに既読がつき、返信が来た。

『そりゃ良かった。久しぶりに会わねぇか? メシとか食いに』
 
(………どうしよう)

 スマホを握りしめる手が汗ばむ。「メシ」ということは、彼と向き合って話すということだ 。
 今、岩泉に会ってしまったら。及川と私のことを知っている岩泉相手なら、誰にも言えずに飲み込んできた、「寂しい」という本音が、決壊してしまうかもしれない。だけど、そんな不安を打ち明けることなんて出来るわけない。元気だよ、と返したばかりなのに。

 ──だったら。

『いいね! それならさ、うち来ない?』

 私は、勢いのままに文字を入力した。

『ピザパしようよ! 最近やっと部屋が片付いたんだ!』

 「ピザパ」。その陽気な響きなら、湿っぽい空気なんて吹き飛ばせる気がした。ジャンクフードを囲んで、テレビでも見ながら、ワイワイ騒ぐ。それなら、きっと泣かずに済む。
 私の無理やりの明るさに、岩泉はどう思っただろうか。少しの間を置いて、返信が来た。

『二人でピザパかよ(笑) 分かった、行くわ』

 画面越しの彼の苦笑いが目に浮かぶようで、私はほっと息を吐いた。
 大丈夫。私は、前を向いている。高校時代の友達と、楽しくピザを食べるだけ。胸の奥で疼く古傷に、そう言い聞かせた。


 岩泉との約束の時間になるまで、私は逃げるように『ピザパーティー』の準備をしていた。
 届いたばかりのピザ二枚をローテーブルの真ん中に広げ、その横には一緒に頼んだポテトとチキンをカラフルな皿に盛って準備した。

 ふと、部屋の隅にある棚に目が止まった。
 そこには、実家から持ってきたお気に入りの写真立てがかけられている。中に入っているのは、高校の卒業式の日に撮った、仲良しのクラスメイトとの集合写真。

 ──本当は、そこには別の写真が入っていた。高三の体育大会の時に、周りに囃し立てられて、及川とふたりで撮った写真。
 実家で引っ越しの準備をしていたとき、それを見ていたら涙が止まらなくなって、私は震える手でその写真を抜き取り、引き出しの奥底に片付けたのだ。

(上書き、されていくなぁ……)

 こうやって、物理的に目に入らないようにして、少しずつ自分の中から及川の存在を消していく。そうすれば、いつかこの焼けつくような胸の痛みも、忘れることができるんだろうか。

 その時、ピンポーンという電子音が、思考を遮った。時計を見ると、約束をした時間通りだった。私は口角をぐっと持ち上げてから、玄関へと向かう。

「はーい」

 ドアを開けると、そこには変わらない、けれど少しだけ大人びたような、私服姿の岩泉が立っていた。
 一緒に及川を空港で見送って以来、三ヶ月ぶり。高校の時は毎日のように顔を合わせていたのに、たったこれだけの期間が空いただけで、なんだかひどく懐かしくて、変な感じがする。

「よう。邪魔するぞ」
「いらっしゃい! どうぞどうぞ、狭いけど」

 岩泉の声は、少しだけ強張っているように聞こえた。彼もまた、久しぶりの再会に緊張しているのかもしれない。靴を脱いで上がり込んできた彼の手には、コンビニの袋が提げられていた。

「これ、菓子とか。あとジュースも適当に買ってきた」
「あ、これ好きなやつ! ありがと、気が利くね!」

 受け取りながら、私は声を張り上げた。
 ついつい、大学に入ってから身につけた「愛想笑い」を浮かべてしまう。高校の頃、及川の隣で控えめに笑っていた私じゃない。サークルの集まりや、新しい友達との付き合いの中で覚えた、場の空気を壊さないための、明るくて社交的な仮面。
 だって、こうしていないと。一瞬でも気を抜いたら、泣いてしまいそうだったから。

 ──岩泉の顔を見るのが、怖かった。
 彼の向こう側に、どうしても及川の影が見えてしまうから。そして何より──岩泉が、まるで私の古傷をなぞるみたいに、眉間に深い皺を寄せて私を見ていたから。

「適当に座って。クッション、座布団代わりにしていいからさ」
「……おい」

 座るように促したのに、岩泉は部屋に入った時のまま微動だにしなかった。

「ミョウジ」

 そして、低い声で、名前を呼ばれる。
 待って。まだ何も話してないのに。まだ、楽しいピザパーティーは始まってないのに。

「コップ持ってくるね! こっち来てから可愛いコップ買ったんだー」

 彼の言葉を遮るように、早口でまくし立ててキッチンへ向かおうとする。
 逃げなきゃ。見透かされる前に。

「おい、ミョウジ」
「あ、やっぱり紙コップでもいい? 洗い物減るしさー」

 お願い。何も言わないで。私は「高校時代の友達」として、ただ楽しく笑っていたいだけだから。
 その時。一歩足を踏み入れた岩泉に、ぐいっと腕を掴まれた。

「……っ」
「いいから」

 強くもなく、弱くもない力。けれど、私をその場に縫い止めるには十分な、確かな制止。
 動けなくなった私を、岩泉が正面から見下ろしている。その瞳は、真剣で、痛々しいものを見るように優しくて──そして、残酷なほどに鋭かった。

 ああ、そうだ。この人は、いつだってそうだった。
 あの「及川徹」が被っていた完璧な笑顔の仮面すら、いとも容易く引き剥がし、その下の本音を暴き続けてきた「相棒」なのだ。私の拙い演技なんて、彼には最初からお見通しだったんだ。

「……無理、すんなよ」

 静かに落とされた、その一言。張り詰めていた糸が、プツリと切れる音がした。

「……っ」

 鼻の奥がツンとして、視界が一気に歪む。

「……むり、なんて……」

 否定しようとした言葉は、涙と一緒に溶けてしまった。一度溢れ出した涙はもう止まらなくて、私は掴まれた腕そのままに、その場に崩れ落ちる。

「……っ、う……っ」

 座り込んで泣きじゃくる私の隣で、岩泉が同じようにしゃがみ込む気配がした。ガサッ、と無造作な音がして、視界の端に箱ティッシュが突き出される。泣き出した親友の元カノをどう扱っていいのか分からないのだろう。
 そのぶっきらぼうな手つきが、なんだか岩泉らしくて、私は涙に濡れた顔のまま、少しだけ笑ってしまった。

「……ありが、と……」

 数枚まとめて引き抜き、乱暴に涙を拭う。すると、背中に、温かい衝撃があった。

 ポン、ポン、と。ぎこちなく、本当にぎこちなく、岩泉の手が私の丸まった背中を叩いていた。
 その手は、及川の手とは違った。もっとゴツゴツとしていて、大きくて、硬い、チームを勝利に導いてきたスパイカーの手。でも、その不器用なリズムには、どんな言葉よりも「大丈夫だ」と言ってくれているような安心感があった。

 その優しさに触れた瞬間、ずっと喉の奥に押し込んでいた、醜くて情けない本音が、ポロリと零れ落ちた。

「……会いたい……」

 情けないくらいに震えた声だった。

「……自分で、決めたのに……。アルゼンチンでのこと、応援してるのに……っ…」

 彼を縛りたくなくて手放した自分の決断を、後悔はしていない。それでも、寂しいものは寂しいのだ。こんな矛盾した私の本音は、岩泉の前でしか吐き出すことが出来ない。

「──……」

 岩泉は、私の弱音を否定することも、慰めることもせず、ただ黙って背中を叩き続けてくれた。


 ひとしきり泣いて、少しだけ心が軽くなった頃。私たちはようやく、すっかり冷めてしまったピザに向き合った。

「……わりぃ、なんか湿っぽくさせて」
「ううん、私が勝手に泣いただけだから。……食べよっか。お腹すいちゃったね」

 岩泉が買ってきたくれたジュースを開けて紙コップに注ぎ、ささやかな乾杯をする。冷めて少し固くなったチーズの味すら、今の私には温かく感じられた。

「……そっちの大学、どうだ? 勉強きつくねえか?」

 ピザを齧りながら、岩泉が何気なく尋ねてくる。

「うん、覚えることいっぱいで大変。…でもね、面白いよ」

 私は手元の紙コップを見つめながら、素直な気持ちを口にした。

「食べたものがどうやって消化されて、どうやって筋肉やエネルギーになるのか。それを知るとさ、人間の体ってすごいなって思うの。今までは、見様見真似で料理をしてきたけど、選手が最高のパフォーマンスをするために、食事がどれだけ大事か、理論で分かると、責任重大だなって思う」

 自然と熱が入る。私の言葉に、岩泉は「ああ、そうだな」と頷いた。

「食ったもんで身体は出来てるって、知識として学ぶと、もっと勉強しなきゃって思うよな」
「…うん。岩泉の学んでることもすごいよ。医療知識も頭に入れて選手のコンディションを守る仕事でしょ?」
「まあな。…でも、お互いにやることは違っても、結局目指すとこは同じなんだよな。『選手を支える』っていう」

 岩泉の言葉に、ハッとする。
 目指す場所は同じ。私たちは別々の大学で、別々の勉強をしているけれど、見ている先は繋がっている。

 ──そして、その道の先には、きっと。地球の裏側で、誰よりも心身を削りながら戦っている、あの人の姿がある。

「……うん、そうだね」

 岩泉が、真剣な眼差しで私を見ていた。彼も戦っているんだ。慣れない東京で、夢に向かって。その姿に、私は背筋が伸びる思いがした。

「なんか、いい意味で刺激もらえるね」
「……ああ。俺も負けてらんねえわ」
「ふふ、岩泉に負けないように、私も頑張るよ」

 今度は、愛想笑いじゃなく、心からの笑顔で言えた気がした。

「……あのさ、岩泉」

 お互いに他愛もない近況を報告している中、私はふと、思い切って口を開く。

「ん?」
「これから、たまに連絡してもいいかな?」

 自分でも少し唐突だったと思う。僅かに目を見張った岩泉の表情を見て、言い訳をするように慌てて言葉を付け足した。

「その……やっぱり、地元の友達と話すとすごく落ち着くっていうか。大学の話とかも、たまには聞いてほしいな、なんて……」

 本当は、そんなのは建前だ。無理して作った愛想笑いの仮面を被らなくてもいい、素の自分でいられるこの空気感が、今の私にはどうしようもなく心地よかったから。
 迷惑だろうか、と少し身構えたけれど、岩泉は拍子抜けするほどあっさりと頷いた。

「おう、いいぜ。別に気兼ねすることねぇよ。俺でよけりゃ、いつでも連絡してこい」
「……ほんと?」
「ああ。まあ、講義や実習で忙しくて、すぐには返せねぇかもしれねぇけどな」
「うん、全然大丈夫。ありがとう」

 その気負いのない、彼の返事に、胸の奥がじんわりと解けていくようだった。
 


「…じゃあ、そろそろ帰るわ」

 陽が傾き始めた頃、立ち上がった彼を玄関まで見送る。靴を履いた岩泉が、ドアノブに手をかける前で、ふと動きを止めた。

「……おい、ミョウジ」
「うん?」

 振り返った彼の顔を見て、私は小首を傾げる。岩泉は、さっきまでの戦友のような表情とは違う、真剣な眼差しで私を真っ直ぐに見据えていた。

「あんまり、不用心なことすんじゃねぇぞ。特に、男相手にはな」
「え?」

 急な説教じみた言葉に、私はきょとんとしてしまう。

「簡単にホイホイと住所教えたり、あんまり深く考えずに男を家に上げたりすんな。世の中、俺みたいな……自分で言うのもなんだが、良い奴ばかりじゃねぇからな」

 彼は少しだけ冗談めかして言ったけれど、その目は笑っていなかった。本気で心配し、警告してくれているのだと分かる。
 そうだ。私は、あまりにも無防備に彼を招き入れてしまった。相手が岩泉だから良かったものの、もし違う人だったら──。

「…まあ、及川が聞いたら、俺のことだって家に入れるなって、ギャーギャー騒ぎそうだけどな」

 岩泉が肩をすくめてそう言うと、怒って頬を膨らませる及川の顔が目に浮かんで、私は「ふっ」と小さく吹き出した。

「たしかに…言いそう」
「だろ?」

 少しだけ空気が和らぐ。でも、岩泉はすぐにまた真面目な顔に戻った。

「……とにかく、気をつけろよ。何かあってからじゃ遅ぇんだからな。…心配してんだよ、こっちも」

 彼は一瞬言葉を切り、ドアノブを回しながら、背中で呟いた。

「……きっと、地球の裏側にいる、あいつも、同じ気持ちだ」

 ──あいつも。

 その言葉に、胸がじんわりと熱くなる。ここにいない彼の存在を、岩泉が繋ぎ止めてくれている。彼もまた、遠い空の下で私を案じてくれているのだと、そう信じさせてくれる。

「…うん。ありがとう、岩泉。本当に、気をつける」

 私がしっかりと頷くと、岩泉は「おう。じゃあな」と短く手を上げ、ドアの向こうへと消えていった。

 パタンと扉が閉まる音。鍵をかけて部屋に戻ると、一人の静けさが戻ってきた。でも、岩泉が来る前のような冷たい孤独感はない。テーブルの上に残されたピザと、空になった紙コップ。それを見つめながら、私は及川にもらった桜のネックレスにそっと触れた。

『結局目指すとこは同じなんだよな。「選手を支える」っていう』

 岩泉の言葉が、空港で見送った及川の背中と重なる。

 離れていても、私がやることは、彼に繋がっていく。その事実を噛み締めながら、私は冷めたピザを一切れ、口に運んだ。

滲んだインクと、消えない温度



メランコリー