五 二極になる森
錆兎と義勇が最終選別に行ってから数日が経った。家の仕事を片付けて、●は鱗滝の小屋を訪れた。今日は畑で取れた野菜と薬草を持って、鱗滝の小屋へ向かう。その途中でいつも錆兎と義勇が鍛錬を積んでいた場所を通り過ぎる。『●。いつも悪いな』
錆兎の声が聞こえた気がして、急いで振り向いて見ても誰もいない、静かな森が広がるだけだった。
「…………空耳か…」
●は鱗滝の小屋の戸をノックしてから、ガラリと開ける。
「こんにちは、鱗滝さん」
「ああ……●か」
「今日はこれ採れたので、持ってきました」
●は鱗滝に籠に入れてきた野菜と薬草を差し出した。
「●、しっかり食べているか。顔色があまり良くないぞ」
「そ、そうですか?」
「気持ちは分かるがあまり杞憂しすぎないようにな」
「鱗滝さん…」
●と鱗滝は2人が最終選別に行ってから、同じような気持ちで日々を過ごしていた。
2人のことが心配で、食が進まない。悪い知らせが来ない事を祈って、不安で食事どころではないのだ。
「採れたんですが、食べ切れなくて」
「そうか……ならば腹を空かせた錆兎と義勇の為に頂いておく。すまないな」
「はい」
…そうだよね、錆兎も義勇もきっとお腹を空かせて帰ってくるんだ!もっと…もっと野菜持ってこよう!
きっと、錆兎と義勇なら大丈夫だ…!
大丈夫…、大丈夫!
そして、錆兎と約束した8日目が来た。
錆兎と義勇が最終選別から帰ってくる日。
●はいつものように畑仕事を終え、錆兎を待った。けれど、待っても待っても、錆兎は現れなかった。もう日が暮れる。●は待ちきれなくなって乾いた空気の中、鱗滝の小屋へと走った。
「はあ……はあ……」
息を切らしながら鱗滝の小屋の前まで来て、戸を叩こうと手を伸ばした瞬間
「義勇、包帯を取り替えるぞ」
義勇を呼ぶ鱗滝の声が聞こえた。
2人とも帰ってきたんだ!
錆兎と義勇に、会える。
●は走って乱れた髪を簡単に直し、高鳴る胸を落ち着かせるように深呼吸してから戸を叩いた。
「こんばんは」
日暮れの訪問者に鱗滝は一瞬手当てする手を止めた。義勇は疲れ、光の無い瞳で●を見た。
「義勇……おかえり」
「……………」
義勇は何も答えず顔を伏せ、拳を握りしめて肩を震わせる。顔は疲れ切って痛々しい怪我。
怪我をしてるこんな大変な時に、来ちゃいけなかった…!
私、頭に約束のことばかりで…!
「あの、……これ、薬草です。2人に使って下さい」
「ああ……すまない。助かる」
2人とも怪我で大変なんだ……だけど、一目だけ、一目だけでいいから、錆兎の姿も見たい。そしたら、邪魔にならない様にすぐ帰るから。
●は、薄暗い小屋の中を見渡した。
錆兎は………?
小屋の中を見渡す●に気付いて、鱗滝はすこし俯いた。義勇の手当てを終えると、重たそうに口を開いた。
「●………錆兎は死んだ」
面を付けた鱗滝の口から低く重い声でそう告げられ、●は瞳を見開いた。
「………え……?」
●の心臓がドクンと大きく脈を打った。
重たくて鈍い嫌な圧が心臓を覆う。
「………い…ない…ってことですか……?」
俯いて肩を震わせたままの義勇と、鱗滝の真剣な声。●は金縛りにあったかのようにその場から動けなかった。
「●も今日はここで休んでいくといい。夜は鬼が出る」
鱗滝は●の為に、錆兎が使っていた布団を義勇の寝る隣に敷いた。
「ここでいいか」
そう言うと、鱗滝は奥の部屋へ消えて行った。
●は錆兎の死を聞かされても、何故か涙一つ出なかった。鱗滝が敷いてくれた錆兎の布団の上に静かに座る。
「義勇……」
「……………」
手当てを終えて、仰向けに寝ていた義勇は返事をせずに、顔だけ●の方を向いた。
「おかえり……」
「…………」
●は、義勇を見て小さくそう言った。義勇は何も答えず、しばらく●を見つめたあと再び天井を見上げた。その目には涙が滲んでいた。
「…………」
「すまない………俺が…俺が錆兎の足を引っ張ってしまった……」
「………え…」
天井を見上げながら静かに涙を流す義勇。
●は思わず、隣で震える義勇の手を優しく握った。義勇の手はピクリと反応して瞳は●を見た。
「……義勇のせいじゃないよ」
そう言って●は悲しそうに微笑み、義勇の額を優しく撫でた。あの日、最終選別に向かう前……寝ている私を錆兎が撫でてくれたように……。
義勇は目を瞑り、また一筋涙を流した。
さらに夜がふけた頃
義勇が寝息を立て始め、●もすこし横になろうと錆兎の使っていた布団に入る。ふわりと香る錆兎の匂い。懐かしくて、愛しい匂い。頭まで布団を掛ければ、全身を錆兎に抱き包まれているみたいだ。錆兎の着物の袖を握るように、布団を握りしめる。
「錆兎……本当に…、もうどこにもいないの……?」
●は、布団の中で消え入るような声で呟いた。
もう、あの優しい声で名前を呼んでくれることも、力強い腕で優しく抱きしめてくれることも、大好きな笑顔で微笑んでくれることも、その頬に触れることも…………ない。出来ない。
そう思うと 心が抉り取られるかのような喪失感が襲い、今まで一滴も流れて来なかった涙が、滝のように溢れ出てきた。落涙が布団に大きなシミを作っていく。
錆兎……錆兎……
隣に寝ている義勇に聞こえないように、止まってくれない嗚咽を腕で必死に押さえ込む。
「ぅうっ……ふっ……ぅっ」
頭まで布団をかぶって忍び泣く●の身体を、布団の上から誰かがそっと触った。
錆兎……?
●はガバッと布団から起き上がる。そこには寝ていたはずの義勇の姿があった。悲しそうな顔で、●を見つめている。●は急いで、ゴシゴシと涙を拭う。
「ごめんね……起こしちゃった…ね……」
「…………」
「ごめん……」
一度出始めた涙は拭ったくらいでは止まってくれず、義勇の前でも関係なくどんどん溢れてくる。
「う……ごっ…めんっ……」
「…………」
義勇は泣き止まない●を、包帯の巻かれた自身の胸にそっと抱きしめた。義勇の心臓の音が●に伝わる。あの日の錆兎のような、力強い音だった。
「…ぅっ…あぁ……錆兎……錆兎……ひっ…」
「……………」
義勇は錆兎を呼んで泣き続ける●を抱く腕に、力を込めた。●は義勇の腕の中で夜が明けるまで泣き続けた。
***
2021.11.03編集!
きっと鱗滝さんも。
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