『朝日を拝む者あれど、夕日を拝む者はなし』
私の祖母は、いつもそう言って皆んなが拝む朝日と、誰も拝まない沈む夕日を静かに拝んでいた。子供の頃の私は何も考えず、言われるまま祖母の真似をして拝んだ。

「ねぇ、皆んなは朝日しか拝まないのに、婆様は毎日夕日に何を祈っているの？」
「可愛い孫の●が、毎日無事に1日を終えられた感謝だよ」
「わあ、私の為？ありがとう！婆さま！じゃあ私も婆様の為に祈るよ」
「ならあと50年は生きないとねぇ」

大好きな祖母が自分の為に毎日祈ってくれると思うと、それだけで嬉しかった。
1日の始まりである朝日には祈りを、夕日には感謝を……。
祖母の教えは、私の中で今も変わらず強く生きている。





「煉獄家は代々炎を伝えてきた立派な家系だ。失礼のないようにな」
「はい、父上」

煉獄家へ訪問する時、父は必ずそう言った。
煉獄家の隣の敷地に住む武道家の●の家族は煉獄家と昔から付き合いがあり、●はよく父親に連れられ、煉獄家に遊びに行った。初めて煉獄家を訪れた時に出会った歳の近い杏寿郎と●は、すぐに仲良くなった。臆病で怖がりの●とは反対に、杏寿郎は活発でどんな遊びをするにも●の手を引っ張って連れ出した。



ある晴れた日に、煉獄家の庭で槇寿郎、杏寿郎と●の父が稽古に励んでいた。●は瑠火と共にその様子を縁側で見守る。

「杏寿郎も大分強くなりました。父の跡目としても、鬼殺隊としてももっと強くならねばなりません」
「はい…」

納得したようにそう答えては見たものの、●の中では不安が渦巻く。汗をかきながら一生懸命素振りを繰り返す杏寿郎を静かに見つめた。


煉獄家の次期当主である杏寿郎さまも、いつかは危険な鬼殺隊に入られる……。今、目の前で稽古に励んでいるのも、その為なんだろう。
正直なところ、私は危険な鬼殺隊になど入って欲しくない。杏寿郎さまが鬼殺隊になったら……私は心から喜ぶ事ができるのだろうか…。
瑠火さまは…我が子が危険な仕事に着くことが怖くはないのか…。

●がぼーっと考えていると、目の前にさっきまで庭で稽古をしていた杏寿郎が立っていた。

「●！休憩だ。出掛けるぞ！見せたいものがある」
「えっ、休憩れなくていいのですか？」
「父上、母上！●と少し出かけて来ます！」

杏寿郎は●の手を取り、外へ走り出した。槇寿郎は2人の姿を目を細めながら見送った。

「あの2人を見ていると、幼い頃の俺と瑠火を思い出すなあ」
「ふふ、そうですね」

野原を超えて、小川を超えて、雑木林の中を杏寿郎は●の手を握ったままどんどん進んでいく。杏寿郎に握られた手は熱を帯びて、段々と頬までが熱くなる。

「ど、どこまで行くんですか？」
「もうすぐだ！」

雑木林を抜けると、小さな丘の上に一本の桜の大木があった。枝にはこぼれ落ちそうな程びっしりと花が付いている。

「わあっ……とっても綺麗ですね杏寿郎さま！」
「●にどうしても見せたかった」
「嬉しい……綺麗……綺麗です！」

●は両手を広げ、嬉しそうに桜を見つめた。そんな●を見て杏寿郎も満足そうに笑う。●は桜の木を何周も周り、いろんな角度から満開の桜を眺めた。杏寿郎はそんな●に付き合い付いて回り、ひとしきり桜を眺めた後、2人は桜の幹にもたれ座った。

「とっても綺麗…！杏寿郎さまありがとう」
「うむ！今が1番見頃だな」
「…こんなに綺麗でもすぐに散ってしまうんですね…」

●が寂しそうに笑って、桜を見上げた。

「うむ。儚いからこそ、とてつもなく美しい。来年も、再来年も桜が咲く頃には必ず2人でここへ来よう」
「はい、ずっと」
「俺たちはこれから先ずっと一緒だ」

●が言葉を理解し、驚いた顔で杏寿郎を見ると、杏寿郎は頬を染めてニッと笑った。稽古時の顔とは違う、可愛らしい照れ笑いに●の胸はトクンと鳴った。



ある日、●がお裾分けの野菜を持って煉獄家を訪れると、いつも庭で素振りをしている杏寿郎の姿が見えなかった。●が野菜を台所に置いて帰ろうとすると、一つ隣の部屋から声が聞こえた。杏寿郎の母、瑠火の部屋である。
聞いてはいけないと思いながらも、●は気になって聞き耳を立てた。

瑠火の口から出る言葉『強き者が、弱き者を守る』。
煉獄家のその信念を聞いて、●は杏寿郎に身を呈して人々の為に戦う鬼殺隊になって欲しくないと思った自分が、急に恥ずかしくなった。
自分の考えは煉獄家にそぐわない。
ずいぶん長い間煉獄家と接していたのに、私は煉獄家を…何も分かっていなかったのだ。



「●さん、こちらへ」

瑠火の声が突然、聞き耳をたてている自分の名前を呼ぶので、心臓が破裂しそうな程驚いて嫌な汗が出る。

「はい…失礼します」

恐る恐る隣の台所から顔を覗かせると、杏寿郎とすやすや眠る千寿郎、そして瑠火の姿があった。

「杏寿郎は稽古へ戻りなさい」
「はい、母上！」

瑠火は杏寿郎を送り出すと、つらそうな身体で正座し●に向き合った。
聞き耳を立てていたこと謝らなければ…と思って口を開くと、先に瑠火が神妙な顔で言葉を発した。

「●さん。煉獄家を…杏寿郎をどうかよろしくお願いします」
「え…？」

思っても見なかった瑠火の言葉に、●は動くのも忘れてその場に立ち竦んだ。
何日も何日も考えたが、自分の中でその言葉の答えを見つけることは出来なかった。あれはどういう意味なのか、その答えを瑠火に聞く事すら、もう既に出来なかった。



ーーー


それから数年後、杏寿郎は鬼殺隊隊士となった。その頃から●は毎日のように、山の間へ沈む夕日が一望できる小高い丘に登り、夕暮れ時に任地へ向かう杏寿郎を想い、祈った。

煉獄家の名を背負い、危険な任務に出る杏寿郎さまに、私に出来ることはこのくらいしか無い。

『朝日に祈りを、夕陽には感謝を』という祖母の教えは、この頃から●の中で変わっていった。夕暮れに任務へ向かう杏寿朗の為、沈む夕日に毎日無事を祈り、杏寿朗が朝日と共に帰って来ると、朝日に手を合わせ感謝した。

「どうか…」






ーーー





「俺と、夫婦になって欲しい」

数年後経ち、晴れて鬼殺隊の柱となった杏寿郎と共に訪れたいつかの満開の桜の木の下で、前振なく突然に告白された。
●が本当に自分に言っているのか、と驚いて杏寿郎を見ると、彼はいつになく真剣な表情で一直線に●を見つめていた。

「俺は柱になった。●を、人を守る為に」
「…怖くはないのですか？」
「無い！俺にとって1番怖いのは●を失うことだ」
「杏寿郎さま……」
「返事は今でなくてもいい、考えておいてほしい。俺の気持ちは永遠に変わらない」


帰り道、●は先を歩く杏寿朗の大きな背中を見つめた。その背で揺れる炎の羽織が、とてもよく似合っている。この方は、煉獄家に伝わる呼吸も早々に会得し、同年の男子とは比べ物にならない程の風格がある。煉獄家の当主として全く相応しい。それに比べて…私は……？




●は家に戻ってからも、ずっと考えていた。杏寿郎のことは心から好きであるし、夫婦になれると思うと素直に嬉しかった。けれど、一つだけ心の奥にある引っ掛かりが取れない。

女子として、人として強い心を持ち、杏寿郎の胸に炎を灯した今は亡き瑠火。

私は、瑠火さまのように、煉獄家を…杏寿郎さまを奥方らしく支えられるのか……？
先人の思いを受け継いで来た煉獄家を守り、また継いでいく大役が……私に、出来るのか。
祈ることしかできない私に。

数日の間、●は煉獄家に顔を出すことも忘れ昼夜を問わず考えた。

やはり、お断りするべきだ。
煉獄家にはもっと相応しい女性がいるはず……。




「●ちゃん、少しいいかな」

●は断りを入れる為に杏寿郎の部屋に向かっている途中にその父、槇寿郎に呼び止められた。槇寿郎は●を自室へ招いて座らせ、自身も対面に腰を下ろした。

「杏寿郎から聞いたよ。●ちゃんに求婚したと」
「…はい」
「返事はまだだとも聞いてね。もしかして●ちゃんを困らせてしまっていないか心配だったんだ」
「……お断りしようと思っています…」

部屋に差し込む明るい日の光とは対照的に、●は暗い顔で俯いた。

「…そうか、残念だが仕方ないな。もし良ければ、私にだけ理由を教えてくれないか。杏寿郎には内緒にする」

●は俯いたまま、膝の上の拳をぎゅっと握った。

「私は…瑠火様のように強くありません。杏寿郎様と共にこの煉獄家を守り継いでいく強さも力も、私には…」
「……そうかそうか。俺はてっきり杏寿郎が気に入らないのかと思ったよ」
「杏寿郎様のことは、以前より……お、お慕い致して……」

気持ちを言葉にして出すのはとても恥ずかしく、●の顔は耳まで赤く染まった。

「ハハハ！そうか、それは微笑ましい」

槇寿郎は●の真っ赤な顔を見て思わず笑った。だが、その顔はすぐに真剣な表情に変わる。

「●ちゃんは、自分の気持ちより煉獄家の行く末を案じてくれているんだね。優しい子だ。瑠火も君のように優しい女性だったよ」

槇寿郎はコホンと咳払いをすると、若き頃の思い出に浸るように目を伏せる。少しの沈黙の後、再び静かに口を開いた。

「俺の瑠火とて、最初からあれほど強くあったわけではない」
「えっ…？」
「最初から強い人間などいないものだよ」

顔を上げた●に、槇寿郎はにっこり笑いかけた。

「人とは…、夫婦とは共に成長していくものだから」
「……それは…」
「杏寿郎はただ君にそばに居てもらいたいんだと思う」
「…………」
「●ちゃんはいつも夕陽に祈っているだろう。杏寿郎は●ちゃんが祈ってくれるだけで力が湧いてくるんだろうな」
「…………」
「愛しい人が自分の無事を祈ってくれる。それ程までに力が湧く事は他に無い。……●ちゃんも、きっとそうだろう」

●はそう言われて、祈ることを教えてくれた祖母を思い出した。祖母がいつも自分の為に祈ってくれたことは、すごく嬉しくて今日も頑張ろう…そう思えた。

祈る事がきっと力になれている…槇寿郎の言葉が●の中のモヤを晴らしてくれた。

「それに」
「はい……？」
「子が生まれれば、女子は不思議と強くなるものだ」

杏寿朗と自分の子を想像し頬を染める●を見て、槇寿朗はまた笑った。


槇寿朗の部屋を出て、●は縁側で空を見上げていた。

『最初から強い人間などいないものだよ』

私もいつかなれるのだろうか。瑠火さまのように。強く。

「●」

突然名前を呼ばれ振り向くと、そこには杏寿朗の姿があった。

「あ、杏寿朗さま」
「今日も一緒に桜を見にいかないか？」
「はい」


杏寿朗と●は、数日前に告白されたばかりの桜の木の下に来た。花びらが雪のように舞い落ち、地面に桃色の模様を作っている。

「数日経っただけで、こんなに散るのですね」
「うむ！雪のように花舞うこの姿も美しいな」

今日の姿は今日までのもの…
桜も人間も、どこか似ている。

「本当に…私でいいのですか？」

杏寿朗は真剣な表情で、●と向き合った。


「俺は人として限りある時間を●と共に生きたい。共に年老いてこの桜を」
「杏寿朗さま…」
「共に見よう、●」

見つめあったままの2人の間を、桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。花びらの舞う向こうで私を見つめるこの人の姿を、私は決して忘れないだろう。

「杏寿郎さま…もう一度、言ってくれませんか？あの日の言葉を」
「何度でも言おう。俺と夫婦になってほしい！俺と夫婦になってほし」
「も、もういいです、ありがとうございます」

●は顔を真っ赤にして杏寿朗を制止した。


まだどこか不安そうな●が、ふいに杏寿朗を見上げると、唇に柔らかいものが触れた。目の前に杏寿朗の伏せられた目蓋が見え、それが口付けだと気付いた。

唇が離れ、杏寿郎は頬の赤い●の肩を力強く抱いた。

「●が俺の側で笑い、俺の為に祈ってくれるなら、俺の炎は何倍にも燃え上がるだろう」


俺の胸に、母・瑠火が灯した炎。
その炎に勢いを付けるは、想い人の存在…
●の存在が、俺の炎を限りなく熱く強くする。




『朝日を拝む者あれど、夕日を拝む者は無し』

お婆さま、私は今日も、これからも夕日に祈り続けます。
愛しいあの人が、無事に私たちの元へ帰って来てくれますように…。

「お前も祈るのですよ、凛火」
「はい、母上！」

祈り続ける。
鬼がいない平和な世界が訪れるその日まで。


＊＊＊
『麗し炎』に提出した物語。

提出後にすこし編集しました。
煉獄さん誕生日おめでとう！

『朝日を拝む者あれど、夕日を拝むものはなし』
私の実の祖母から教わりました。（生きています）
企画参加テーマが『夕暮れ』だったので祖母の教えをそのまま取り込みました。
夢主はオリジナルキャラクターです。

この小説の杏寿郎視点を、リクエスト小説の方で書きたい（願望）

2020.05.10