3.
「……もしもし。」
『……名前か?』
つい数時間前に聞いた声。
でもさっきとは違って、聞き慣れた口調、心地よい感覚。
数年ぶりの通話に、この心地よさに、私はひどく緊張していた。
「うん。…私は、どう呼んだらいいの?」
『そうだな…今は、安室透として接してくれると助かる。』
「…わかった。」
『今、1人か?』
「うん…そう。家に着いたところだから。」
『そうか…』
ほんの僅かな沈黙すらも、私の鼓動を速める材料になるようで、終始ドクンドクンと心臓が煩い。
『久しぶりだな、って、ゆっくり話したいところなんだが、今は時間があまりないんだ。』
「そう… 相変わらず忙しそうね。」
『あぁ…また、ゆっくり話せるときに、話す。』
彼が何について話すと言っているのかは、なんとなくわかっていた。何も説明も聞かされていないのに話を合わせた私を思ってか、彼は少し申し訳なさそうに、すまない。と呟いた。
「…わかった。気長に待ってるわ。」
『あぁ。…名前、』
「なぁに?」
『いや…なんでもない。悪い、そろそろ行かないと。』
「うん。…れ、…安室さん、」
『ん…?』
「無理は、しないでね。」
『あぁ…わかってる。』
じゃあ、と優しく告げられ、電話から無機質な音が聞こえてきた。
ほんの数分しか話していないが、またどっと疲れが襲ってくる。
彼と話したのは、本当に久しぶりだった。
会ったのだって、何年ぶりだかというくらいだ。
私が、一方的に別れを切り出した。
彼は、納得出来ないと噛み付いてきたが、そうするしかなかった。
彼の為にも…いや、本当は、私が耐えられなかっただけだろう。
それでも尚、未だに吹っ切れていない私ときたら。
彼以降に、愛だの恋だの、そういった相手は特におらず、ただ自分の"やるべきこと"をやってきた。
ほとんど忘れていたと言っても過言ではないが、定期的に、ふとした瞬間に彼を思い出すことは何度もあった。
なんで別れてしまったんだろうと後悔したこともある。
それでも、これでよかったんだと思えた。
そんな時に、まさか再会するなんて思ってもいなかったから、今日は本当に驚いた。
状況が状況だったが、彼はあの頃と変わっているようで、でも、変わっていない片鱗が垣間見えて、心の奥底にしまい込んでいた感情が少し顔を出しそうになったことに驚き、ついドギマギしてしまう。
自分にもまだこんな感情が残っていたのかと気付かされた。
相変わらず忙しそうだったが、体は大丈夫なのかな、とか、すぐに無茶するからな、とか。そんなことを普通に考えてしまっている私に気付き、自嘲した。
思い出したように、電話帳に登録されていた"降谷零"の名前を、"安室透"へと変え、また一つ溜め息を吐いた。
ふと、スイッチが切れたように眠りに落ちていきそうな感覚に襲われる。
夢か現実かわからない狭間で、彼との暖かくて優しい思い出が、ただ過ぎっていた気がした―――
「…ま、ぶし…」
カーテンの隙間から指す光で目が覚める。
なんだ…朝か…ともう一度うとうとと眠りに落ちそうになったが、まだあまり働かない頭でぼんやりと考える。
…朝…あさ?
「……っ、朝!?」
やってしまった。
昨日帰ってきたときのままで寝落ちしたのを思い出した私は頭を抱えた。
着替えもせず、化粧も落とさずに寝てしまったのなんていつぶりだろう。昔はよくあったが、最近は気を使っていたのに…やらかした。
しかも寝落ちしたの夕方くらいだった気がするんだけど…寝すぎだろう。頭が痛い。
まだ早めの時間だったからよかったものの、今日も米花町で仕事があるっていうのに。携帯も放置したまま寝てしまったから電池も少ないし…散々だな、とまた溜め息を吐いた。昨日から溜め息どんだけ吐くのよ私は。
携帯を充電器に挿し、コーヒーメーカーをセットしてから急いでシャワーを浴びた。
上がってから無駄足掻きのように、化粧水や乳液をいつもより念入りにし、また化粧をする。
出来るものならスッピンで働きたいわ…と思うものの、人様の家に仕事へ行く時は化粧せざるを得ない。社会人とはめんどくさいものだな…と言っても、以前の仕事に比べれば、時々しかしなくてよくなったから楽になった方だが。
濃いめのコーヒーで目を覚まし、焼き立てのパンにかぶりついた。
そういえば、安室さんが作るハムサンドがどうとかって蘭ちゃんが言ってたな…とふと思い出す。うーん、気になる。今度食べれる…かな、と思ったところで、自分の生活にまた彼が戻って来ているような感覚に苦笑した。
まだ時間に少し余裕はあるものの、そろそろ出る準備をしないとまずいだろう。食器をシンクへと置き水をかけ、着替える。ジャケットにタイトスカート、オフィスカジュアルな服装を身に纏い、リップを塗る。お気に入りの腕時計をしっかりと付け、忘れ物がないかの確認をして家を出た。
<< title >>
「……もしもし。」
『……名前か?』
つい数時間前に聞いた声。
でもさっきとは違って、聞き慣れた口調、心地よい感覚。
数年ぶりの通話に、この心地よさに、私はひどく緊張していた。
「うん。…私は、どう呼んだらいいの?」
『そうだな…今は、安室透として接してくれると助かる。』
「…わかった。」
『今、1人か?』
「うん…そう。家に着いたところだから。」
『そうか…』
ほんの僅かな沈黙すらも、私の鼓動を速める材料になるようで、終始ドクンドクンと心臓が煩い。
『久しぶりだな、って、ゆっくり話したいところなんだが、今は時間があまりないんだ。』
「そう… 相変わらず忙しそうね。」
『あぁ…また、ゆっくり話せるときに、話す。』
彼が何について話すと言っているのかは、なんとなくわかっていた。何も説明も聞かされていないのに話を合わせた私を思ってか、彼は少し申し訳なさそうに、すまない。と呟いた。
「…わかった。気長に待ってるわ。」
『あぁ。…名前、』
「なぁに?」
『いや…なんでもない。悪い、そろそろ行かないと。』
「うん。…れ、…安室さん、」
『ん…?』
「無理は、しないでね。」
『あぁ…わかってる。』
じゃあ、と優しく告げられ、電話から無機質な音が聞こえてきた。
ほんの数分しか話していないが、またどっと疲れが襲ってくる。
彼と話したのは、本当に久しぶりだった。
会ったのだって、何年ぶりだかというくらいだ。
私が、一方的に別れを切り出した。
彼は、納得出来ないと噛み付いてきたが、そうするしかなかった。
彼の為にも…いや、本当は、私が耐えられなかっただけだろう。
それでも尚、未だに吹っ切れていない私ときたら。
彼以降に、愛だの恋だの、そういった相手は特におらず、ただ自分の"やるべきこと"をやってきた。
ほとんど忘れていたと言っても過言ではないが、定期的に、ふとした瞬間に彼を思い出すことは何度もあった。
なんで別れてしまったんだろうと後悔したこともある。
それでも、これでよかったんだと思えた。
そんな時に、まさか再会するなんて思ってもいなかったから、今日は本当に驚いた。
状況が状況だったが、彼はあの頃と変わっているようで、でも、変わっていない片鱗が垣間見えて、心の奥底にしまい込んでいた感情が少し顔を出しそうになったことに驚き、ついドギマギしてしまう。
自分にもまだこんな感情が残っていたのかと気付かされた。
相変わらず忙しそうだったが、体は大丈夫なのかな、とか、すぐに無茶するからな、とか。そんなことを普通に考えてしまっている私に気付き、自嘲した。
思い出したように、電話帳に登録されていた"降谷零"の名前を、"安室透"へと変え、また一つ溜め息を吐いた。
ふと、スイッチが切れたように眠りに落ちていきそうな感覚に襲われる。
夢か現実かわからない狭間で、彼との暖かくて優しい思い出が、ただ過ぎっていた気がした―――
「…ま、ぶし…」
カーテンの隙間から指す光で目が覚める。
なんだ…朝か…ともう一度うとうとと眠りに落ちそうになったが、まだあまり働かない頭でぼんやりと考える。
…朝…あさ?
「……っ、朝!?」
やってしまった。
昨日帰ってきたときのままで寝落ちしたのを思い出した私は頭を抱えた。
着替えもせず、化粧も落とさずに寝てしまったのなんていつぶりだろう。昔はよくあったが、最近は気を使っていたのに…やらかした。
しかも寝落ちしたの夕方くらいだった気がするんだけど…寝すぎだろう。頭が痛い。
まだ早めの時間だったからよかったものの、今日も米花町で仕事があるっていうのに。携帯も放置したまま寝てしまったから電池も少ないし…散々だな、とまた溜め息を吐いた。昨日から溜め息どんだけ吐くのよ私は。
携帯を充電器に挿し、コーヒーメーカーをセットしてから急いでシャワーを浴びた。
上がってから無駄足掻きのように、化粧水や乳液をいつもより念入りにし、また化粧をする。
出来るものならスッピンで働きたいわ…と思うものの、人様の家に仕事へ行く時は化粧せざるを得ない。社会人とはめんどくさいものだな…と言っても、以前の仕事に比べれば、時々しかしなくてよくなったから楽になった方だが。
濃いめのコーヒーで目を覚まし、焼き立てのパンにかぶりついた。
そういえば、安室さんが作るハムサンドがどうとかって蘭ちゃんが言ってたな…とふと思い出す。うーん、気になる。今度食べれる…かな、と思ったところで、自分の生活にまた彼が戻って来ているような感覚に苦笑した。
まだ時間に少し余裕はあるものの、そろそろ出る準備をしないとまずいだろう。食器をシンクへと置き水をかけ、着替える。ジャケットにタイトスカート、オフィスカジュアルな服装を身に纏い、リップを塗る。お気に入りの腕時計をしっかりと付け、忘れ物がないかの確認をして家を出た。
<< title >>