9.
私は、無力だ。
ハッキングなんていう一見疎まれる能力を、ある人は必要だと言った。
それを良く使うも悪く使うも私次第だが、それで人を救うことも出来るのだと。
だから、警察官という道を選んだ。
けれど、警察官になっても私には何も出来ないんだと悟った。
だからあの場所から立ち去った。
大事な人を助けることも出来ない自分が、嫌で。
私は、逃げ出したんだ。
『―――幸せになれよ』
そう言ってくれた彼は、天国へといってしまった。
人々を助けて。自分が犠牲となって。
私は、そんな彼を救うことも出来ず、何も出来ず。
ただただ、子供のように泣き喚くことしか出来なかった。
人を助けるだなんて、そんな簡単に出来ることではなかった。
身体能力がいいわけでも、推理が出来るほど頭がいいわけでもない。
そんなこと、最初からわかっていた。わかっていたことなのに。
今になって、人助けをしようと思っても、やっぱり私には、何もできない。
私がこんな風に後ろ向きになってしまう時、いつも手を差し伸べてくれるのは、零だった。
そんな私のことを叱ったり、馬鹿だなって言って頭を撫でてくれたり、そっと抱き締めてくれたり。
私をいつも助けてくれて、前を向かせてくれる、そんな彼が好きだった―――
「なんなの…なんなのよあんたら!?」
私達を乗せた車が、安室さんの車へと突っ込んだ瞬間、なんとか座席にしがみつけた私は間一髪、怪我をせずに済んだ。
運転席の浦川さんは、エアバッグに包まれぐったりしている。余程怖かったんだろう。意識を失ってはいるが、外傷はなさそうだ。
コナンくんを抱えたまま車から降りた強盗犯は、コナンくんに銃を突き付けている。
私も降りてコナンくんを助けないと、と思いドアに手をかけようとした刹那、車の上にダンッと何かが乗る音がして、吹っ飛べだなんて叫び声が聞こえた。
窓越しに映ったのは、降ってくるバイク。
呆然とする私の目の前で、強盗犯はバイクの前輪によって顔を打たれ、言葉の通り吹っ飛んだ。
え、な、何事…?誰?どういうこと?
バイクから降りたのはボーイッシュな女の子で、よかったー!とコナンくんを抱き締めている。
し、知り合い…?蘭ちゃんのお友達とか...?
車の中からその様子を眺めていると、蘭ちゃんがコナンくんへと駆け寄ってきた。
その後ろにいた安室さんは、なにか考えるような難しい顔をしている。
すると、電話が掛かってきたのか、無言で電話に出る安室さん。無言で出るなんて、誰からなんだろう…?とぼんやり思っていると、目が合った。
そのまま目を逸らさず、何か少しだけ答えているように口を薄らと動かしてから電話を切って、こちらへと歩いてきた。
「大丈夫ですか?怪我は?」
車のドアが開かれ、覗き込んできた安室さんに手を差し出される。
心配そうな瞳に少し躊躇したが、大丈夫、と一言告げてそっとその手を取った。
車から漸く出れ、毛利さんと蘭ちゃんもこちらに気付き、声を掛けてくれる。
大丈夫だと告げれば、心底安心したような蘭ちゃんを見て、この子はほんとにいい子だなと思った。
コナンくんも無事なようで安心した。
後ろからずっと着いてきていた赤い車はいつの間にかいなくなってしまっていたが、蘭ちゃんが、博士がどうとか言っていたので、きっと知り合いだったのだろう。
サイレンの音が複数響き、パトカーが数台やってくる。
毛利さん達が呼んでくれていたようだ。
降りてきた目暮警部達に、強盗犯のことや浦川さんのこと、何故ここにバイクの少女がいるのかなど、皆で説明をして、車に突っ込ませて車を止めるという強行に出た安室さんと、バイクの前輪で強盗犯の顔面を攻撃した世良という女の子はお叱りを受けていた。
車に乗っていた私とコナンくんは、後日検査等を行うようにと言われ、この場は解放された。
のびていた強盗犯はあっという間に捕まり、もちろん、被害者とはいえ結果2人を殺害してしまった浦川さんも逮捕された。
彼女がこうなる前に、犯人が捕まっていれば。彼女はこんなことをせずに済んだだろう。
復讐をしようと思ってはいけない。
自分の手まで染めてはいけない。
けれど、愛する人が目の前で殺されてしまうという苦しみは、そんな感情をつき動かしてしまうほどのものなんだろうか。
…私は、余計なことを言ってしまったかもしれない。
気持ちがわかるなんてことを言ってしまったし…と悶々としながら、浦川さんに視線を向ける。
コナンくんと少し言葉を交わしていた浦川さんは、警察の人に連れられパトカーへ向かった。
「…苗字さん、」
「…え…?」
「ありがとうございました。私も、ちゃんと生きますね。」
パトカーに乗る直前、浦川さんはこちらに振り返って、そう言った。
そして、パトカーへと乗り、警察へと行ってしまった。
頭の中で、彼女の言葉を反芻するように噛み締める。
彼女の役に、少しでも立てたんだろうか。
無力で、弱い私が。
彼女が生きると言ってくれたことが、ありがとうと言ってくれたことがただ嬉しくて、涙腺が緩む。
涙が溢れぬように空を見上げれば、真っ暗な空に街中のネオンがぼんやりと映った。
突然、目の前の視界が遮られ、目の上に何かが覆いかぶさっていると分かり、それを手で掴めばハンカチで、隣を振りむけば、先程まで警部からお小言を受けていた安室さんがいた。
「…なんですか、これ。」
「いえ、泣いているのかなと思いまして。」
「なんで私が泣くんですか。」
「僕の勘違いならいいんですけどね。」
「そうですよ。…でも、お気遣いありがとうございます。」
「…どういたしまして。」
にっこりと笑った安室さんは憎たらしい。
それでも、こんな風に会話できるのが少し心地よくて、素直にハンカチを受け取った。
安室さんの車はやってきたレッカー車によって回収され、そのまま修理に出すらしい。
確かに、白く綺麗な車体がぼこぼこにへこみ窓ガラスまで割れているから、さすがにこれで帰るわけにはいかないだろう。
愛車をそうまでして車を止める必要があったんだろうか。
でも、彼のおかげで助かったのは事実だ。
結果、また私は彼に助けられたということだ。
「…安室さん、どうやって帰るんですか?」
「ん?…そうですね。タクシーか電車か…ですかね。一緒に帰りますか?」
「えっ」
「家までお送りしますよ。そういう約束でしたしね。」
「え、いや、でも」
少し離れた所から、私達を呼ぶ声がした。
毛利さん一家は、どうやら警察の人が送り届けてくれるらしい。
「名前さんも送ってもらったらどうだ?」
「あ…いえでも、私の家、ここから割りと近いので、警察の方に送ってもらうほどでも…歩いてすぐなんで大丈夫ですよ。」
「そうですか…こんなことがあったばかりですし、気をつけて帰ってください。安室くんはどうする?」
「僕は、約束通り、名前さんを送り届けてからタクシーとかで帰りますよ。」
「いや、だから…」
「近いと言っても、こんなことがあった後ですし、女性1人で帰らせるわけには行きませんから。ね?」
「……ありがとう、ございます。」
有無を云わせぬこの雰囲気よ…なんなんだその胡散臭い笑顔は。
ほんとにたまたま家の近くだから大丈夫だっていうのに…
毛利さんが、ほんとにいいのか?と聞いてくれるが、断れない雰囲気を出してくる安室さんの手前、断りすぎると逆に怪しまれそうで、お言葉に甘えて、だなんて言ってみたが。
けどそれなら警察に送ってもらうのもあまり変わらないのでは?と思った時には既に遅く、完全に言うタイミングを逃してしまった。
「名前さんがいいならいいが…お前、送り狼になるじゃねーぞ。」
「いやだなぁ、毛利さん。そんなことしないですよ。」
なんでそんな話に…。
送り狼って…さすがにないでしょう。元彼ですし。
元恋人に送り狼って…笑えない。
まぁ、絶対にバレてはならないことなんだけども。
毛利さんご一家におやすみなさいと告げて別れ、警察の方々にも挨拶をして、帰路につく。
とぼとぼと歩く私の少し斜め前には、少し距離を置いて歩く安室さんがいる。
さらりと揺れる金髪、華奢なようで逞しい背中。
何度も恋焦がれ見つめてきた姿を、こうして再び見ることになるなんて思いもしなかった。
さっき見た光景が、蘭ちゃんを引き寄せていた安室さんの姿が頭を過ぎり、頭から拭いさろうとぶんぶんと横に振れば、当の本人にその姿を見られたようで、どうかしましたか?だなんて振り向いた微笑みからそっと目を逸らした。
「…なんでもないですよ。」
「そうですか…。
それにしても、なんで彼女について行ったりしたんです?
コナンくんが誘拐されたと気付いたんでしょうけど、それなら尚更、僕達に連絡をするべきだったのでは?」
「まぁ、そうなんですけど…」
「"いてもたってもいられなくて"…」
「え…」
「…といったところですか?」
「そう、ですね…」
「本当に…困った人ですね、貴方は。」
そう言って、再び前を向いて歩く彼の姿をちらりと見た。
なにを、彼は今、どんなことを考えているんだろう、と。
自宅近くのコンビニの前で、寄りたいと声をかけ、店内へ入った。
時計を見れば、もうすぐ日が回りそうな時間帯。
長いような短いような1日だったなと少し思い返した。
レジ近くの缶コーヒーを取り、レジで支払を済ませ、入口付近で待ってくれていた安室さんの元へ駆け寄った。
「お待たせしました。」
「いえいえ。じゃあ、行きましょうか。」
「はい。」
このコンビニから徒歩5分もかからないところにあるマンション。
やっと帰ってこれたと少し安堵し、お礼を言おうと振り返った。
「…嫌じゃなければ、部屋の前まで送らせてください。
こんなことがあったばかりですし…心配ですので。」
「え?いや、でも…」
「あ、もしかして、毛利さんが言ったみたいに、送り狼になるんじゃないか、だなんて気にしてます?」
「えっ?いや、そういうわけじゃ…」
「どうしても嫌というならこのまま帰ります。
名前さんが心配だというのは本当ですが、僕はほんの数秒だとしても、貴方と話がしたいな、と思ってるというのも本音です。」
「…なんですか、それ。」
真剣な眼差し。なんの目的で、この人はこんなことを言っているんだろうか。
外だとこうして知らない他人のフリをしなければならないからなのか、それとも。
嫌、というわけではない。送り狼だなんて、そんな心配もしていない。
ただ、今の彼の状況を、少しでも知れるかもしれないと思ったから。
「…部屋の前まで、ですよ。」
「……ありがとうございます。」
私の後ろから着いてくる安室さん。謎の緊張感が走る。
エントランスを抜け、エレベーターに乗り、階数を押す。
密閉された空間で、途端に2人きりになった気分だ。
無言が重い。安室さんの少し柔らかい雰囲気とは違う感覚。
……零……?
エレベーターが着き、自室の前まで着いたが、安室さんは自分の唇に指を当て、静かに、というジェスチャーをした。
無言のまま首を傾げた私に、今度は鍵を開けるようにジェスチャーをする。
…部屋の前までって言ったのはどこのどいつだ。
小さく溜息を吐いた私は、渋々鍵を開け、ドアを開けた。
私の背中を押し、共に入ってきた安室さんに少し戸惑いつつ、流れるように鍵を閉め、何か様子を確認するかのような動きをする安室さんを呆然と見ていた。
「…もう喋ってもいいかしら?」
「あぁ…すまない。」
いつも通りの彼だ。
"安室透"ではない、私のよく知っている、"降谷零"。
「それで?人の家の玄関に入り込んで、盗聴器でも探してたわけ?」
「あぁ…まぁな。」
「どこかの誰かさんに、自宅に盗聴器を仕掛けられるような覚えはないんだけど。」
「念の為だよ。」
「あ、そう。」
こいつ…"安室さん"の方が愛想いいんだけど。なんなの。
「結局"安室さん"は部屋の前ではなく、玄関の中まで見送ってくれたみたいですけど、何か私にお話でも?」
「…お前な…今はその呼び方やめろ。」
「貴方が言ったことでしょ?」
「……怒ってるのか。」
「怒ってはないわよ。何も聞かされてないんだから、怒るに怒れないじゃない?」
「…すまない。」
「すまないすまないって、あのねぇ……っ!?」
謝ってばかりで何も言わない彼に、文句の一つでも言いかけた私は、ぬくもりに包まれた。
さらさらの金髪が頬に触れるたびにくすぐったくて、背中に回された腕が、熱くて、胸が締め付けられる感覚。
どうして、なんで。
頭が状況を理解しようとしても追いつかず、混乱している私を他所に、耳元で小さく、でもはっきりと声が聞こえた。
「…手短に話す。」
<< title >>
私は、無力だ。
ハッキングなんていう一見疎まれる能力を、ある人は必要だと言った。
それを良く使うも悪く使うも私次第だが、それで人を救うことも出来るのだと。
だから、警察官という道を選んだ。
けれど、警察官になっても私には何も出来ないんだと悟った。
だからあの場所から立ち去った。
大事な人を助けることも出来ない自分が、嫌で。
私は、逃げ出したんだ。
『―――幸せになれよ』
そう言ってくれた彼は、天国へといってしまった。
人々を助けて。自分が犠牲となって。
私は、そんな彼を救うことも出来ず、何も出来ず。
ただただ、子供のように泣き喚くことしか出来なかった。
人を助けるだなんて、そんな簡単に出来ることではなかった。
身体能力がいいわけでも、推理が出来るほど頭がいいわけでもない。
そんなこと、最初からわかっていた。わかっていたことなのに。
今になって、人助けをしようと思っても、やっぱり私には、何もできない。
私がこんな風に後ろ向きになってしまう時、いつも手を差し伸べてくれるのは、零だった。
そんな私のことを叱ったり、馬鹿だなって言って頭を撫でてくれたり、そっと抱き締めてくれたり。
私をいつも助けてくれて、前を向かせてくれる、そんな彼が好きだった―――
「なんなの…なんなのよあんたら!?」
私達を乗せた車が、安室さんの車へと突っ込んだ瞬間、なんとか座席にしがみつけた私は間一髪、怪我をせずに済んだ。
運転席の浦川さんは、エアバッグに包まれぐったりしている。余程怖かったんだろう。意識を失ってはいるが、外傷はなさそうだ。
コナンくんを抱えたまま車から降りた強盗犯は、コナンくんに銃を突き付けている。
私も降りてコナンくんを助けないと、と思いドアに手をかけようとした刹那、車の上にダンッと何かが乗る音がして、吹っ飛べだなんて叫び声が聞こえた。
窓越しに映ったのは、降ってくるバイク。
呆然とする私の目の前で、強盗犯はバイクの前輪によって顔を打たれ、言葉の通り吹っ飛んだ。
え、な、何事…?誰?どういうこと?
バイクから降りたのはボーイッシュな女の子で、よかったー!とコナンくんを抱き締めている。
し、知り合い…?蘭ちゃんのお友達とか...?
車の中からその様子を眺めていると、蘭ちゃんがコナンくんへと駆け寄ってきた。
その後ろにいた安室さんは、なにか考えるような難しい顔をしている。
すると、電話が掛かってきたのか、無言で電話に出る安室さん。無言で出るなんて、誰からなんだろう…?とぼんやり思っていると、目が合った。
そのまま目を逸らさず、何か少しだけ答えているように口を薄らと動かしてから電話を切って、こちらへと歩いてきた。
「大丈夫ですか?怪我は?」
車のドアが開かれ、覗き込んできた安室さんに手を差し出される。
心配そうな瞳に少し躊躇したが、大丈夫、と一言告げてそっとその手を取った。
車から漸く出れ、毛利さんと蘭ちゃんもこちらに気付き、声を掛けてくれる。
大丈夫だと告げれば、心底安心したような蘭ちゃんを見て、この子はほんとにいい子だなと思った。
コナンくんも無事なようで安心した。
後ろからずっと着いてきていた赤い車はいつの間にかいなくなってしまっていたが、蘭ちゃんが、博士がどうとか言っていたので、きっと知り合いだったのだろう。
サイレンの音が複数響き、パトカーが数台やってくる。
毛利さん達が呼んでくれていたようだ。
降りてきた目暮警部達に、強盗犯のことや浦川さんのこと、何故ここにバイクの少女がいるのかなど、皆で説明をして、車に突っ込ませて車を止めるという強行に出た安室さんと、バイクの前輪で強盗犯の顔面を攻撃した世良という女の子はお叱りを受けていた。
車に乗っていた私とコナンくんは、後日検査等を行うようにと言われ、この場は解放された。
のびていた強盗犯はあっという間に捕まり、もちろん、被害者とはいえ結果2人を殺害してしまった浦川さんも逮捕された。
彼女がこうなる前に、犯人が捕まっていれば。彼女はこんなことをせずに済んだだろう。
復讐をしようと思ってはいけない。
自分の手まで染めてはいけない。
けれど、愛する人が目の前で殺されてしまうという苦しみは、そんな感情をつき動かしてしまうほどのものなんだろうか。
…私は、余計なことを言ってしまったかもしれない。
気持ちがわかるなんてことを言ってしまったし…と悶々としながら、浦川さんに視線を向ける。
コナンくんと少し言葉を交わしていた浦川さんは、警察の人に連れられパトカーへ向かった。
「…苗字さん、」
「…え…?」
「ありがとうございました。私も、ちゃんと生きますね。」
パトカーに乗る直前、浦川さんはこちらに振り返って、そう言った。
そして、パトカーへと乗り、警察へと行ってしまった。
頭の中で、彼女の言葉を反芻するように噛み締める。
彼女の役に、少しでも立てたんだろうか。
無力で、弱い私が。
彼女が生きると言ってくれたことが、ありがとうと言ってくれたことがただ嬉しくて、涙腺が緩む。
涙が溢れぬように空を見上げれば、真っ暗な空に街中のネオンがぼんやりと映った。
突然、目の前の視界が遮られ、目の上に何かが覆いかぶさっていると分かり、それを手で掴めばハンカチで、隣を振りむけば、先程まで警部からお小言を受けていた安室さんがいた。
「…なんですか、これ。」
「いえ、泣いているのかなと思いまして。」
「なんで私が泣くんですか。」
「僕の勘違いならいいんですけどね。」
「そうですよ。…でも、お気遣いありがとうございます。」
「…どういたしまして。」
にっこりと笑った安室さんは憎たらしい。
それでも、こんな風に会話できるのが少し心地よくて、素直にハンカチを受け取った。
安室さんの車はやってきたレッカー車によって回収され、そのまま修理に出すらしい。
確かに、白く綺麗な車体がぼこぼこにへこみ窓ガラスまで割れているから、さすがにこれで帰るわけにはいかないだろう。
愛車をそうまでして車を止める必要があったんだろうか。
でも、彼のおかげで助かったのは事実だ。
結果、また私は彼に助けられたということだ。
「…安室さん、どうやって帰るんですか?」
「ん?…そうですね。タクシーか電車か…ですかね。一緒に帰りますか?」
「えっ」
「家までお送りしますよ。そういう約束でしたしね。」
「え、いや、でも」
少し離れた所から、私達を呼ぶ声がした。
毛利さん一家は、どうやら警察の人が送り届けてくれるらしい。
「名前さんも送ってもらったらどうだ?」
「あ…いえでも、私の家、ここから割りと近いので、警察の方に送ってもらうほどでも…歩いてすぐなんで大丈夫ですよ。」
「そうですか…こんなことがあったばかりですし、気をつけて帰ってください。安室くんはどうする?」
「僕は、約束通り、名前さんを送り届けてからタクシーとかで帰りますよ。」
「いや、だから…」
「近いと言っても、こんなことがあった後ですし、女性1人で帰らせるわけには行きませんから。ね?」
「……ありがとう、ございます。」
有無を云わせぬこの雰囲気よ…なんなんだその胡散臭い笑顔は。
ほんとにたまたま家の近くだから大丈夫だっていうのに…
毛利さんが、ほんとにいいのか?と聞いてくれるが、断れない雰囲気を出してくる安室さんの手前、断りすぎると逆に怪しまれそうで、お言葉に甘えて、だなんて言ってみたが。
けどそれなら警察に送ってもらうのもあまり変わらないのでは?と思った時には既に遅く、完全に言うタイミングを逃してしまった。
「名前さんがいいならいいが…お前、送り狼になるじゃねーぞ。」
「いやだなぁ、毛利さん。そんなことしないですよ。」
なんでそんな話に…。
送り狼って…さすがにないでしょう。元彼ですし。
元恋人に送り狼って…笑えない。
まぁ、絶対にバレてはならないことなんだけども。
毛利さんご一家におやすみなさいと告げて別れ、警察の方々にも挨拶をして、帰路につく。
とぼとぼと歩く私の少し斜め前には、少し距離を置いて歩く安室さんがいる。
さらりと揺れる金髪、華奢なようで逞しい背中。
何度も恋焦がれ見つめてきた姿を、こうして再び見ることになるなんて思いもしなかった。
さっき見た光景が、蘭ちゃんを引き寄せていた安室さんの姿が頭を過ぎり、頭から拭いさろうとぶんぶんと横に振れば、当の本人にその姿を見られたようで、どうかしましたか?だなんて振り向いた微笑みからそっと目を逸らした。
「…なんでもないですよ。」
「そうですか…。
それにしても、なんで彼女について行ったりしたんです?
コナンくんが誘拐されたと気付いたんでしょうけど、それなら尚更、僕達に連絡をするべきだったのでは?」
「まぁ、そうなんですけど…」
「"いてもたってもいられなくて"…」
「え…」
「…といったところですか?」
「そう、ですね…」
「本当に…困った人ですね、貴方は。」
そう言って、再び前を向いて歩く彼の姿をちらりと見た。
なにを、彼は今、どんなことを考えているんだろう、と。
自宅近くのコンビニの前で、寄りたいと声をかけ、店内へ入った。
時計を見れば、もうすぐ日が回りそうな時間帯。
長いような短いような1日だったなと少し思い返した。
レジ近くの缶コーヒーを取り、レジで支払を済ませ、入口付近で待ってくれていた安室さんの元へ駆け寄った。
「お待たせしました。」
「いえいえ。じゃあ、行きましょうか。」
「はい。」
このコンビニから徒歩5分もかからないところにあるマンション。
やっと帰ってこれたと少し安堵し、お礼を言おうと振り返った。
「…嫌じゃなければ、部屋の前まで送らせてください。
こんなことがあったばかりですし…心配ですので。」
「え?いや、でも…」
「あ、もしかして、毛利さんが言ったみたいに、送り狼になるんじゃないか、だなんて気にしてます?」
「えっ?いや、そういうわけじゃ…」
「どうしても嫌というならこのまま帰ります。
名前さんが心配だというのは本当ですが、僕はほんの数秒だとしても、貴方と話がしたいな、と思ってるというのも本音です。」
「…なんですか、それ。」
真剣な眼差し。なんの目的で、この人はこんなことを言っているんだろうか。
外だとこうして知らない他人のフリをしなければならないからなのか、それとも。
嫌、というわけではない。送り狼だなんて、そんな心配もしていない。
ただ、今の彼の状況を、少しでも知れるかもしれないと思ったから。
「…部屋の前まで、ですよ。」
「……ありがとうございます。」
私の後ろから着いてくる安室さん。謎の緊張感が走る。
エントランスを抜け、エレベーターに乗り、階数を押す。
密閉された空間で、途端に2人きりになった気分だ。
無言が重い。安室さんの少し柔らかい雰囲気とは違う感覚。
……零……?
エレベーターが着き、自室の前まで着いたが、安室さんは自分の唇に指を当て、静かに、というジェスチャーをした。
無言のまま首を傾げた私に、今度は鍵を開けるようにジェスチャーをする。
…部屋の前までって言ったのはどこのどいつだ。
小さく溜息を吐いた私は、渋々鍵を開け、ドアを開けた。
私の背中を押し、共に入ってきた安室さんに少し戸惑いつつ、流れるように鍵を閉め、何か様子を確認するかのような動きをする安室さんを呆然と見ていた。
「…もう喋ってもいいかしら?」
「あぁ…すまない。」
いつも通りの彼だ。
"安室透"ではない、私のよく知っている、"降谷零"。
「それで?人の家の玄関に入り込んで、盗聴器でも探してたわけ?」
「あぁ…まぁな。」
「どこかの誰かさんに、自宅に盗聴器を仕掛けられるような覚えはないんだけど。」
「念の為だよ。」
「あ、そう。」
こいつ…"安室さん"の方が愛想いいんだけど。なんなの。
「結局"安室さん"は部屋の前ではなく、玄関の中まで見送ってくれたみたいですけど、何か私にお話でも?」
「…お前な…今はその呼び方やめろ。」
「貴方が言ったことでしょ?」
「……怒ってるのか。」
「怒ってはないわよ。何も聞かされてないんだから、怒るに怒れないじゃない?」
「…すまない。」
「すまないすまないって、あのねぇ……っ!?」
謝ってばかりで何も言わない彼に、文句の一つでも言いかけた私は、ぬくもりに包まれた。
さらさらの金髪が頬に触れるたびにくすぐったくて、背中に回された腕が、熱くて、胸が締め付けられる感覚。
どうして、なんで。
頭が状況を理解しようとしても追いつかず、混乱している私を他所に、耳元で小さく、でもはっきりと声が聞こえた。
「…手短に話す。」
<< title >>