10.






私を包み込むこのぬくもりは、どこか懐かしさを感じた。
鼻を掠める香りも、私を抱き締めている腕や胸の硬さや力強さも、あの頃を思い出させる。

無理矢理にでも閉じ込めようとした、感情が。
湧き上がってくるようで。

文句を言おうとした私は言葉を失ったように、彼にただ抱き締められていた。




「…手短に話す。」



耳元で小さく囁かれた言葉に、耳を傾ける。
抱き締める力を少し強めた彼は、ぽつりぽつりと喋り出した。

とある組織に潜入する為に"安室透"という探偵に成りすましているということ。その一環で毛利探偵事務所の下のポアロでアルバイトをし、あることを調べる為に毛利探偵の弟子をしているということ。


「…あること…?」
「あぁ… 詳しくは話せないが、大体そんなところだ。」
「…そう。」
「すまない、あまり説明出来なくて。」
「それはいいわよ。元々公安が取り扱ってる事件の内容をそんなに詳しく聞けるとは思ってないし。
でも、貴方がさっき探していた盗聴器を仕掛けていたかもしれない人物がその組織の人だとして、理由はきっと、突然"安室透"の目の前に現れ人物が一体誰なのか調べられるという可能性もあるからってところでしょう?
まぁ、そんなに関わりはないように振る舞っていたけれど、これからその危険があるかもしれないとしても私の部屋まで着いてきたのは、その説明をしておきたかった為。そういうこと?」
「あぁ…それもある。」
「それも?」

そっと体が離れ、彼は微かに困ったように笑った。
零、と思わず溢れそうになった言葉は、喉に支えるように出てこなくなった。
すぐに、"安室透"の顔に戻ってしまったのだから。


「…貴方が、泣きそうだったのが気にかかってしまいましてね。」
「…なんですか、それ。」
「もしかしたら、昔あったことを思い出しているのかな、と。」
「昔…。」

私にとってのその"昔"は、貴方にとっての"昔"でもあるのに、他人行儀に言う彼に、今度は私が困ったように笑った。

「……友人達のことを、思い出しただけですよ。」
「…友人達、ですか。」
「もう亡くなってしまったんですけどね。その時のことを思い出しただけです。」
「…そうですか…」

大事な、大事な親友達。それはきっと、貴方にとっても。
彼らとの思い出は、たくさんあって、その思い出にはほとんど、貴方もいる。
少し驚いた顔をして何かを考え込む貴方は、気付いてる?
もう、貴方と私しかいないんだってことを。

「……もう一人、」
「え…?」
「もう一人、大事な友人が、いるんです。」

少し目を見開いた安室さんを見つめ、ぽつりぽつりと言葉を続ける。

「頭も切れて、強くて、なんでも出来てしまうけれど、すぐに頑張りすぎてしまう人で、どこで何をしてるかわからなくて、他の皆とよく心配してました。無茶してなかったらいいけど、って。」
「……。」
「でも、皆がいなくなってしまった。私は、皆を助けることも何も出来なかった。…もう誰も失いたくない。彼がいなくなってしまうことが、怖いんです。」
「……名前さん。」
「…以前の私は逃げ出してしまったんです。何も出来ない、自分が嫌で。でも、もし私に出来ることがあるのなら、もう一度何かしたいって、今回の事件で少しだけ思ったんです。」
「……貴方は、すごいですね。」
「そんなこと…」


そう思えたのは、今回の事件に関わったことが大きいけれど、どこで何をしてるかわからなかった人が、どうしてるか分かったってこともある。
私にいつも、力をくれる、貴方が無事でいてくれるから。


「僕の知り合いに、とても強がりな女性がいるんです。」
「…え」
「責任感が強くて、優しくて、頭もいい。けれど周りのことばかりを心配して自分のことは後回しで、自分が辛い時でも相手のことを心配してしまうような、そんな女性が。」
「…え、と」
「傍にいれたら、と思うんですけど、なかなかそういうわけにもいかなくて。」
「…あ、むろさんにとって、その人って…」


真っ直ぐと目が合う彼から目を逸らせない。
思わず口走ってしまったことに少し後悔しても、もう遅い。
誰のことを言ってるのか、想像はつく。
自惚れではないのなら。


「…尊敬してますよ、彼女を。そして、とても大切に思っています。」


貴方が、私の目を真っ直ぐと見て、
そんな風に優しく笑うから。

私の心臓は煩いくらいに騒ぎ出す。

貴方への感情が、舞い戻ってきたかのように。



「……そろそろ、帰りますね。今日は疲れたでしょう。
ゆっくり休んでくださいね。」
「…はい。送っていただき、ありがとうございました。」
「あぁ、そうだ。不審な人物や物には気をつけてくださいね。何があるかわかりませんから。戸締りもしっかりしてください。」
「御忠告、ありがとうございます。」

あ、そうだ、と先程のコンビニで買った缶コーヒーの入った袋ごと安室さんに差し出した。安室さんはきょとんとした顔をしている。

「僕に…ですか?」
「送っていただいた、御礼です。」
「…礼には及びませんが、せっかくなので有難くいただきますね。」
「はい。」
「それじゃあ。」
「はい…おやすみなさい。」
「おやすみなさい。」


ドアを開けて軽く手を振って出ていった彼の背中を見送る。
今度いつ会えるかはわからない。
また、今までのように、離れていく。

私は、貴方の傍にいることが出来ない。
だから離れたのだから。


けれど、必死に押さえ込んできた感情が―――




煩いくらい騒いだままの心臓をぎゅっと抑えるように、玄関で暫く蹲っていた。
この心拍数が落ち着く頃に、この感情も静まってくれたらと、願いながら。
















「随分遅いお帰りだこと。バーボン?」
「おや、わざわざ迎えに来てくれたんですか?ベルモット。」

名前を家まで送った帰り、少し離れたところにバイクに寄り添うように立っている金髪の女。
迎えに来た、というわけではなさそうだが。

「わざわざ家まで送って、暫く戻ってこないなんて、あのお嬢ちゃんにお熱なのかしら?それとも、貴方の昔からの知り合い、とか。」
「彼女とは、先日毛利さんを通じて知り合ったばかりですよ。
そうですね…お熱といえば、そうかもしれませんね。」
「あら、ああいう子がタイプなの?」
「さぁて、どうでしょうね。ただ、気になる存在ではありますよ。随分可愛らしい方みたいですし。」
「…ふーん?」
「あぁ、彼女はこちら側に全く関係のない存在なので、何かに巻き込んだりとかはしないでくださいよ。ただの一般市民ですから。」
「…はいはい、わかってるわよ。」


本当に分かっているんだか。この女は、何を仕出かすかわからない。
一応忠告はしたものの、やはり注意しておくに越したことはないな。

ベルモットはさっさとバイクに乗って去っていった。
"安室透"の動向を探りたかっただけか。

やれやれ、と一息ついて、先程受け取った缶コーヒーを手に取る。
昔よく飲んでいたもので、これを選ぶ辺りがあいつらしい。


久しぶりに会えた彼女を目の前に、少し舞い上がってしまったが。
彼女は、僕の傍にいることをこれからも拒むだろう。
けれど、このまま離れ離れでいるつもりはない。
せっかく再会が出来たのだから。


蹴りがついたら、彼女を必ず迎えにいく。

そう決心した。












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