いつから、どうやって、どうして。
思うことも聞きたいこともたくさんあるけど、何よりも、私は彼に会いたかった。ずっと、ずっと。
無事に逃げられただろうか、怪我はしていないだろうか。
頭を何度も過ぎる赤く染まる白を拭い去るように首を振り、しっかりと顔を上げ前を向く。
貴方に会いたくて、会いたくて。
そんなことを思いながら帰っていたからか、思いが届いてしまったのか、それとも―――
まさか。
そう思った私は考えるよりも先に足が動いていて、駆け寄った。
我が家の前に佇むシルエットに。
「き…っ、か、快斗くん…!?」
「名前ちゃん!おかえり!」
「た、ただい…って、え、ずぶ濡れじゃない!?」
「あー…あのボウズのせいでな。」
「と、とにかく入って!私、タオル取ってくるから…!」
「お、おう…」
鍵を開けて快斗くんを招き入れ、私は急いで洗面所へと向かい大きめのバスタオルを掴み取り玄関へと戻った。
キョロキョロと周りを見渡しながら立ち尽くしていた快斗くんにタオルを渡せば、サンキュー、と言って笑い、頭と体をガシガシと拭き出した。
「あの、ここで立ち話もなんだし…」
「お、おー。じゃあ…お邪魔します。」
靴を脱いで上がった快斗くんをリビングへと案内し、適当に座っていいよと言えば、ほんの少し緊張した面持ちの快斗くんはソファへとそっと腰掛けた。
ポットでお湯を沸かし、温かいお茶を入れて快斗くんの前のテーブルへ起き、その隣に私も少しだけ間を開けて座る。
快斗くんはほんとに髪がずぶ濡れで、もちろんキッドの姿ではなく私服のようだから着替えたんだろうけど、そんなに濡れていたら風邪を引いてしまいそうだ。
「あの、なんでそんなにずぶ濡れなの…?」
「あぁ、あの坊主のせいでハンググライダーで逃げれなくなっちまってよ。だから泳いで逃げたってわけ。」
「お、泳いだ…!?」
だいぶ港に近づいていたとはいえ、泳ぐにはまあまあ距離があったはずだ。それを彼は泳いだというの?本当に無茶をする。
「それにしても、どうして私の家の前に…?」
「そりゃあ、名前ちゃんに会いたかったから、かな。」
「…っ!わ、私も…快斗くんに、会いたかったよ…!」
しどろもどろになりながら勢いに任せて言うと、快斗くんは驚いたような顔をして、くしゃっとした笑顔を見せた。
嬉しいやら恥ずかしいやらで目を逸らし俯くと、快斗くんは優しく私の頭を撫でる。ダメだ、顔がにやけそうになる。
「そ、それにしても、まさか蘭ちゃんに変装してたとはね。転がった黒真珠が爆発したのも驚いたし、びっくりしたよ!」
「おー、中々だったろ?」
「ドレスも蘭ちゃんのと同じだったし…え、まさか下着も…?」
「ばっ、下着は見てねーよ!」
「…じゃああの下着は快斗くんの趣味?」
「あのなぁ…」
私の質問に慌てたように否定した快斗くんは、頭を抱えた。
さすがに蘭ちゃんの下着までチェックしてたらちょっと驚きだけど、でも完璧主義者だって言ってたし…まぁ同じドレスの時点ですごいんだけど。
となるとやっぱり趣味…?随分可愛らしいのが好きなんだな、と思考を巡らせていると、肩を掴まれて我に返った。
「…もしあーいうのが趣味だっつったら、名前ちゃん着けてくれんの?」
「……えっ!?」
冗談みたいなことを真剣な顔して聞いてくるから、頭は思考停止しそうになるし、顔はぶわっと熱を持つ。
「な、なに言って…!」
「名前ちゃん」
吃ってしまう私の言葉を遮るように、優しい声で私の名を呼んだ。掴まれている肩をそのままゆっくりと押され、ソファに背中を付けた私の上には、快斗くんがいる。
この体勢はどういう状況だと理解しようとしても、頭がちゃんと機能していないみたいで、只々心臓が煩いくらいに騒ぐ。
「か、かい、と…くん…?」
「他の男に先に言われてたの、すげー癪なんだけど…綺麗だ。ドレスも似合ってる。」
「…っ…!」
真っ直ぐ私を見て、彼は綺麗だと言った。見ないで欲しいと思うくらいに顔は赤く染まっているだろう。
他の男に、って言うのは何か一瞬分からなかったけれど、そういえば会場で拓也さんにからかわれた時のことを思い出した。
あの時にはもう蘭ちゃんの姿でいたということだろう。
私の顔にかかる前髪を避け、頭を撫でる快斗くんの手が優しい。はっきり言って死にそうだ。恥ずかしすぎて。
撫でてくれていた手がふと止まり、目線を上げると快斗くんは何かを考えているような難しい顔をしている。
「快斗くん…?」
「ほんとに、何もねぇんだよな…」
「へ…?」
「だから、その…三船とかいうやつ、さ。」
快斗くんが気まずそうに目線を泳がせながら、細々と呟いた言葉に思考が止まる。
三船って、拓也さん…だよね?なんで?そう思って思考を巡らせれば、ひとつ思い当たることがあった。
拓也さんにからかわれ、頭を撫でられたあの時。戻ってきた蘭ちゃんの様子が少しおかしかったように思う。
思考を一通り巡らせはっと我に返ると、快斗くんはじとっとした視線をこちらに向けていた。
「えっと…拓也さんとはほんとに何もないよ?あの時も言ったけど、昔からの知り合いってだけで…」
「…ならいいけどよ。…真田ってやつにはウインクもされてたし…」
真田さんのウインクも見ていたとは思いもしなかった。でもなんだろう。もしかして、快斗くんが?所謂、ヤキモチというやつ…?いや、そんな、まさか。そんなわけないだろうとニヤけそうになる頬を誤魔化すようにブンブンと首を横に振る。
快斗くんは息をふっと吐き出し、私の頭をぐりぐりと強く撫でた。突然のことに驚いたけれど、快斗くんの照れ隠しのようなむっとした顔を見てしまえば、胸の奥がつんとした。
「…あれ?ということは…やっぱりその時にはもう蘭ちゃんに変装してたってことだよね…?」
独り言のように呟き記憶を辿れば、あの時。真田さんがキッドの格好をして登場した時。私は蘭ちゃんの隣で取り乱していなかった…?しかもそれは蘭ちゃんではなく、本当は蘭ちゃんに変装したキッドで―――
「名前ちゃん?」
「ご、ごめん、私あの時…恥ずかしいくらいに取り乱してしまったというか、その…キッドとのこと怪しまれるかもしれないのに、あんな…っ!」
突然、私は快斗くんに抱き締められた。
まだ少し湿った髪が冷たくて、でも、包み込む快斗くんの体温が、熱くて。心臓は早鐘を打ち、そっと背中に触れた。
「名前ちゃん…オレは、名前ちゃんを置いて死んだりしねーよ。」
「…かい、と、くん…」
「名前ちゃんが待ってくれてる限り、絶対に生きて戻ってくる。だから、キッドを――オレを信じて。約束な?」
"怪盗キッド"である以上、危険な目に合うことは沢山あるだろう。
詳しくは何も聞いていないけれど、以前狙われていたことを思えば、それはきっと一部に過ぎない。
けれど、大事な何かをやり遂げるまで、彼はキッドでい続けるのだろう。
私の初恋である、真っ白な彼の姿で。
「…ずっと、どんなことがあっても信じて待ってるから。だからお願い、死なないで。無事でいて。…約束、ね。」
少しだけ離れて目が合った。快斗くんの瞳は、優しく揺れていた。私の顔に暖かな指が触れ、快斗くんの顔が近付く。
そっと目を閉じれば、唇に熱が触れた。
熱はゆっくりと離れていき、目を開けて快斗くんを見ればすごく照れてしまい、目が泳ぐ。
覆い被さるようにまたぎゅっと抱き締められた。
ドキドキして胸が苦しくて、けれどどこか冷静な私がいる。
快斗くんは、どうして私にキスをするんだろう。
あの時も、そうだ。抱き締められて、キスをした。
彼は今、何を思っているんだろう。
「名前ちゃん…」
耳元で聞こえた少し掠れた声。
顔を上げた快斗くんの瞳は熱を帯びたように揺れている。
胸が苦しくて、痛くて、それでも、快斗くんから目を離すことが出来ない。
「…オレ…」
ゆっくりと躊躇うように動く唇。
これから紡がれる言葉はなんだろうか。
心臓の音が、やけに耳に着く。快斗くんにも聞こえてしまいそうな程に騒いでいる。
顔を背け、少し苦しそうな顔をする快斗くん。どうしたの、と言おうとした言葉は、私の口から零れることはなかった。
「へーっくしゅん!!!」
大きなくしゃみによって。
物凄いタイミングで出たくしゃみに驚いたが、冷静になって考えればあれだけずぶ濡れだったのだから、風邪を引いてもおかしくない。濡れた姿を見た時に風邪を引きそうだと思ったのに、タオルやお茶だけじゃなくてもっと暖かくするものを渡せばよかった。
「快斗くん、待ってて、今暖かいものを何か…」
体を起こし、ソファから抜け出そうとした私の手を、快斗くんが掴む。こんなはずじゃなかったのに…とぼそりと聞こえた声に、さっきまでの状況を思い出してまた顔が熱くなる。
「ほんと、カッコつかねぇな…。」
「…そんなことないよ。快斗くんは、カッコいいよ。でもそれだけ濡れてたんだから、ほんとに風邪引いちゃうよ?」
「…だけどよ…」
「とりあえず、暖かくしよう。それから、その…続き、ちゃんと聞くから。」
「……ん。」
快斗くんの手がそっと離れ、私は自分の部屋へ向かった。最近片付けたばかりの着る毛布を出し、後はカイロとか湯たんぽとか…と手当たり次第に暖かくなりそうな物を探していると、首元に何か違和感を感じた。キラリと光った物に驚いて手に取れば、シルバーのネックレス。トップには小ぶりな星型があり、その中心にはパールがあしらわれて揺れている。
これ、もしかして快斗くんが…?いつの間に?
驚いて、あったかグッズを手に抱え足早にリビングへと戻った。
「か、かぃ、快斗くん…!」
「ん?どうした?」
「こ、これ…!ネックレス…!いつの間に…!?」
「おー驚いたか?名前ちゃんにプレゼント。」
「な、なん…」
「色々心配掛けちまったし…あと、パールに込められた意味、知ってるか?」
「意味…?」
入口で立ち尽くす私の目の前へ来た快斗くんは、私の首元で光るネックレスに触れた。
「そう。パールは健康や長寿の意味もあるが、愛情の象徴とも言われてる。縁を結ぶって言われて、好きな人と引き寄せ合うって意味があるんだ。」
「…え…?」
「つまり、どんなに離れてても引き寄せ合う。名前ちゃんの好きな星の導きでな。だから、そのまま付けてくれてたら嬉しいんだけど。」
私が星を好きなことを覚えてくれていたことも嬉しいし、色々考えて選んでくれたことも、全部。顔が熱くて、涙腺がじわりと緩む。
そんなことを言われたら、快斗くんも私と同じ気持ちなのかと思ってしまう。それが、勘違いじゃなければいいのに。
それを確かめなければ。あの言葉の続きも、キスの意味も、聞きたいことがある。
震えそうになる声で問い掛けようとしたその時、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。
こんな時間に誰が…?と、インターフォンのカメラに映し出された人を見ると、優しい表情をした、見たことのないおじいさんが立っていた。
「あれ、ジイちゃん!」
「え、この人が?快斗くんが前言ってた寺井さん?」
「そうそう。もしかして迎えに来てくれたのか?」
玄関へ向かい、鍵を開けてドアを開いた快斗くんに、優しい声で坊ちゃんと呼ぶ寺井さんの声が聞こえた。
快斗くんの後ろに続き顔を出せば、以前話に聞いていた通りほんとに人の良さそうなおじいさんが私を見て微笑み、お辞儀をしてくれる。
「そちらが坊ちゃんの仰っていたお嬢さんですね。夜分遅く申し訳ありません。寺井と申します。」
「は、初めまして。苗字名前です!」
「お邪魔かとは思ったのですが、坊ちゃんが海を泳いで濡れてしまったと伺っておりましたので、風邪を引いてしまわれて、名前さんにご迷惑をお掛けしてはいけないと思い、場所は坊ちゃんから伺っておりました故、お迎えに上がらせて頂いた次第でございます。」
「いえ、迷惑だなんてそんな…でも、ほんとに風邪を引いてはいけないし、早めに暖かくして休んだ方がいいかも。」
「…名前ちゃんとジイちゃんがそう言うなら…」
そう言った快斗くんの表情はどこか不満げで、諦めが滲み出ていた。その気持ちもわかる。けど。
「…快斗くん、」
「ん?」
「あの…来てくれてありがとう。嬉しかった。」
「…おう!」
一瞬驚いた顔をして、快斗くんはにっと笑った。
その笑顔も、好きだ。
「…寺井さん。私、快斗くんに寺井さんのお話を聞いて、お会いしてみたいと思っていたんです。」
「それはそれは…私も、名前さんにお会いしたいと思っておりました。」
「嬉しいです。また、ゆっくりお話出来ますか?」
「えぇ、勿論でございます。」
寺井さんは優しくにっこりと笑った。そんな私達のやりとりを見て、快斗くんも嬉しそうに笑う。
「名前ちゃんも今度ブルーパロット一緒に行こうぜ!」
「え、いいの?」
「そうですな、是非遊びにいらして下さい。」
「…ぜひ…!!」
嬉しい。快斗くんの大切な人によく思われているようで、すごく嬉しくて、顔がにやけそうになる。そんな私の頭を快斗くんはぽんぽんと撫でた。
「…じゃ、また学校でな。」
「うん!…あ、これ、使って!」
手に抱えたままでいた着る毛布やその他あったかグッズを快斗くんに差し出せば、快斗くんは目を丸くした後ぷはっと吹き出して笑った。
「サンキュ。」
ニッと笑って、私の手からそれらを受け取る。
あぁもう。その顔はずるいってば。
快斗くんはひらりと手を振り、寺井さんはまた綺麗なお辞儀をして、車へ乗り込み、発進させる。
二人を乗せた車を、窓越しに映る快斗くんを、見えなくなるまでずっと見ていた。
残された私の首元には、快斗くんがくれたネックレスが揺れている。
"どんなに離れてても引き寄せ合う"
"星の導きで"
快斗くんの言葉が何度も巡る。快斗くんの笑顔も真剣な顔も、髪に触れる指先も、抱き締めてくれる腕も。彼が好きだと全身が叫んでいるようで。
唇に触れた熱がぶり返したように、顔が熱くなる。
「好きな人、か…」
快斗くんは、私の想いに気が付いてるのかな?
快斗くんも、私と同じ気持ちでいてくれているのかな?
このよくわからない私達の関係は、
"秘密保持者"から別の関係へと変化するのだろうか?
この先がどうなるか、怪盗キッドにも分からないかもしれない。けれど。
首元で揺れる小さな"それ"に手を触れた。
彼の言葉が、優しく谺響する。
きっと、それは、星の導くままに。
ブラックスター
fin.
<< title *