20.





「……もしもし」
『今家にいるか?』
「……いるけど……」

通話を押して、私が声を出してすぐに質問を投げ掛けてきたこの男は、安室透――降谷零だ。
なんで私が家にいるかなんて聞いてくるんだ。数時間前まで県外にいただろう。貴方も同じところにいたはずだ。
すると電話越しに、ふ、と笑い声が聞こえた気がして、思わず「何」と呟くと、「いや…」とどこか嬉しそうな声色で降谷くんは言葉を続けた。

『そんな気がしたんだ』
「……なにそれ」

彼は昔から、私を見つけるのが得意だ。私が皆からはぐれて迷ってしまった時も、皆から隠れて一人になった時も。いつも、私を見つけるのは降谷くんだった。

静かな部屋に、控えめに聞こえたコンコンという音。
え、と思わず漏れた声。

「嘘……」
『だから聞いただろ、“家にいるか?”って』
「来ると思わないじゃん」
『早い方がいいと思って』
「てかなんでチャイム鳴らさないの…」

会話をしながらドアの方へ向かう。覗き穴を覗くと、見覚えのある色素の薄い金髪がいた。そっと鍵を開け、ドアを開いた。

「『深夜だからな』」

静かで優しい声が、目の前と電話越しから聞こえた。




通話を切り、降谷くんは玄関へと入りドアを閉めた。この前と同じ構図だ。

「……話の前に聞きたいことがあるんだが」
「何…?」
「あの時のあっかんべーはなんだったんだ?」
「あー……」

思わず目を逸らす。何っていうか。

「……………八つ当たり…?」
「は?」

キョトンとした顔をする降谷くん。うんまあ、そうなるよね。…居た堪れない。

「えと……入る?」
「え」
「?」

前回もそうだったけど玄関で立ち話もなんだし、疲れてるから座りたい、という気持ちもあり声を掛けると、降谷くんは今度は驚いた顔をする。え、何。

「お前……そんな簡単に深夜に男を部屋に上げようとするなよ」
「………え」

何、それ。割りと真剣な顔で言われてしまい、動揺した。なにそれ、心配されてる?それとも、そんなことが起こり得る可能性があるって遠回しに言われてる…?

「…………ど、ういう意味……?」
「どうって……」

視線が、交わる。ほんの数秒。先に目を逸らしたのは、降谷くんだ。頭を抱えるように、髪をくしゃりとして。そして、小さく呟いた。

「……………………離れ難くなるだろ」
「………へ…………?」

聞こえてきた、消え入りそうな声。一瞬、なんて言ったのかわからなかった。離れ難い…?ど、どういう意味だ…
彼の表情は、前髪に隠れて殆ど見えない。
………気になる。今、どんな表情をしてるの?

そっと、手を伸ばす。彼の表情を隠している前髪をそっと払うように。降谷くんが驚いた顔でこちらを向いた。

「あ、ごめ…」

反射で謝ろうとした私の言葉を遮るように、降谷くんの手が私の手を掴む。ぐっと引き寄せられた体は、あっという間に温もりに包まれた。

―――抱きしめられている。

ドクドクと、心臓が騒ぐ。
昔よりも、大きく引き締まった筋肉質な体。さらりと頬を掠めた髪。大好きな、香り。
なんで、どうして。そう思うのに、この前とは違う。想いを自覚してしまった今では、嬉しいと感じてしまう。
恐る恐る腰辺りに手をやれば、降谷くんの体がぴくりと動いた。強くなった抱き締める腕。それとは裏腹に、頬擦りするように離れようとする顔。
すぐにでも触れてしまいそうな距離で、前髪の隙間から覗く、熱い瞳。―――逸らせない。


私を抱き締めていた腕が、離れていく。私の両腕を掴み、今にも触れそうな距離にいたのに、目を逸らされ、彼は私の肩口へ額を押し付けた。

「……ふ、るや…くん…?」
「……………悪い」

小さく息を吐き、掴まれていた腕も、全て離れていく。

「―――話がある」

ああ。あの時感じた嫌な予感は、消えてくれない。
















―――ベルツリー急行、ミステリートレイン。

シェリーがこの列車に乗るという情報を仕入れ、ベルモットとの交換条件の為にあの列車へ乗り込んだ。
そこで、彼女――苗字名前に会うとは思いもせず。
列車内で会うことは殆どなかったし、ただ、こちら側にも、偶然起こった殺人事件にも巻き込まれなければいいと思っていた。

そうであれば、自分の任務遂行に集中出来る。

貨物車の前で見たあの男。―――もしあれが、赤井だとしたら。ベルモットが確認したことにより、死んだというのが濃厚かと思われたが。じゃあ、あの男は。

もう一度、確認しなくては。確信を持てるまで。


途中で降り立った駅のホーム。ベルモットに件の詳細のファイルを見せて欲しいと頼み、人混みに紛れて距離が離れたその時。ふと前を見ると、彼女と目が合った。
ほんの数秒だろうか。目が逸らせずにいたところ、名前は突然僕に向かって、あっかんべーをしてきたのだ。
突然のことに拍子抜けしてしまい、唖然としている間に姿が見えなくなってしまった。

意図が、全く分からない。けれど。

ふ、と笑いが込み上げた。
あっかんべーって、小学生か。
昔から、変に子供っぽいところがあった。そんなところも可愛いと思っていた。それは、今でも。

気を引き締める。
これは、彼女の為でもあることなのだと。
ヒロの、為にも。

だから、決意した。





急ぎ、東京へと戻り、組織に対する後処理、本来の仕事への報告等を済ませ、向かったのは二度目になるマンション。

彼女の―――名前の家だ。

向かってる途中で、電話を掛ける。数コール後に出た声に、在宅の有無を確認すると、やはり帰ってきているようだった。

向こうで宿泊する可能性もあったが、なんとなく、彼女なら帰ってきているだろうと思ったんだが、その通りな事に思わず笑いが込み上げた。
何、と彼女は怪訝な声を出したが、それさえも、嬉しく思う自分がいる。
まだ、彼女のことを分かっていられているということに。

彼女の部屋の前へ着き、ドアをノックする。
会話をしながら、恐る恐るドアが開かれ、彼女が現れた。





本題の前に聞いた、あのあっかんべーについて、名前は八つ当たりだと言うが。理由に検討が付かなくて呆気にとられていると、彼女はとんでもないことを口にした。

「えと……入る?」
「え」
「?」

何を言ってるんだと思った。どうせ彼女は、立ち話もなんだし、くらいの気持ちなんだろうが、男を部屋に立ち入らせる意味をわかっているんだろうか。他の奴にもそんなこと言ってないだろうな、と不安が過ぎる。


「お前……そんな簡単に深夜に男を部屋に上げようとするなよ」
「………え」

僕の言葉に動揺したのか、目を見開き、泳がせる。

「…………ど、ういう意味……?」
「どうって……」

目が、合う。意味、意味なんてそんなの。
未だに好意を寄せている彼女に誘われて、何もしない自信がない。他の男にそんなこと言ってないか不安でしょうがない。今の自分の決意が、揺らいでしまいそうになるくらい、名前が好きで堪らない。
そんなことばかりが、頭を過ぎる。……それに。

「……………………離れ難くなるだろ」
「………へ…………?」

先に目を逸らしたのは、僕の方だ。耐えられそうにない。答えようと絞り出した声は震えた。居た堪れない。
彼女を前にするとこんなにも心が掻き乱される。
今ですらこうなのだから、当時の僕に別れを告げた彼女の気持ちも、分からなくはない。

ふと、彼女の指先が、僕の前髪をそっと払った。
驚き思わず彼女を見る。その表情はまるで、あの頃のようで。彼女がまだ、僕に好意を向けていてくれているような、そんな気がした。

謝ろうとした彼女を思わず引き寄せ抱き締める。
華奢な体も、柔らかく触れた髪も、甘い香りも。全てが愛おしい。離さなければ、そう思うのに。
あろう事か、彼女は僕の腰へ小さな手で触れた。
受け入れられている、そんな仕草が嬉しくて堪らない。

彼女を抱き締める手に力が籠る。そっと顔を離した時に触れた頬は柔らかく、交わった瞳は熱を帯びてさえいるようだ。ほんの少しでも動けば触れてしまいそうな距離にいる唇の柔らかさを、まだ覚えている。



―――駄目だ。

ぐ、と拳を握り、彼女の背中から手を離し、彼女の腕を掴み体を離した。耐えるように離れ、彼女の肩口に額を押し付けた。

揺らいで、どうする。

気持ちを落ち着かせるように、息を吐く。

「話がある」

それを伝える為に、僕はここへ来たんだ。

「……何?」
「また暫く、会えなくなる。」
「………え……」
「あることの決着がつくまで。それまで、連絡しない。」
「…………どうして?」
「……けじめだ」
「けじめ……?」

あの男との―――

彼女に、ヒロのことをちゃんと伝えることが出来るようになるまで。

「……それが終わったら、また、僕の話を聞いて欲しい。」
「………なに、それ。」
「悪い」

名前は俯き、小さく呟いた。

「ほんと、勝手だね。」

顔を上げた彼女の瞳はとても強かで、僕をしっかりと見詰める。

「私は、降谷くんの邪魔をしたくない。その気持ちは変わらない。でも、」

そう続けた彼女の言葉が、胸を打つ。

「私は、私の正義を捨てることは出来ないから、もし降谷くんがしようとしていることと、私の正義がぶつかることがあっても、私は引かない。だから、降谷くんも、自分の正義を貫いて。」
「……矛盾してないか?」
「いいの。ぶつかる覚悟は、出来てるから。」
「………そうならないことを祈るよ。」

ふと息を吐き、困ったように笑った。
全く、何を言い出すかと思えば。

「大丈夫だよ。私達はぶつかったとしても、また元に戻れる。」


そう言って、名前は笑った。








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