悩みの種は尽きない




 次の日の朝。朝日であたりが明るい中、私は自宅マンションの前で飛雄を待っていた。早朝なので少し肌寒く、たまに体を震わせながら。
 待つ間、暇に思い携帯を開いてメールの新着を確認すると、昨日の返事が入っていた。

〈時差ボケしてないか? 大丈夫か?〉

 クロからだ。
 バカヤロー宮城は海外じゃねえ、と返事をする。

〈新作のゲーム手に入れた。千早にもオススメ〉

 研磨からだ。画像付きで送ってきてある。
 よかったね、教えてくれてありがとう。夜更かし注意、と返事をして再度釘を刺した。

 携帯をいじっていると、前から人影が現れる。

「飛雄、おはよう」
「はよ」

 約束の時間5分前、ジャージに身を包んだ飛雄がやって来た。ランニングしてきたからなのか、眠気がまだ残っている私に対して、飛雄の目はシャキッとしていた。

「行こっか」
「おう」

 私の住むマンションが、飛雄の通学路に近いからという理由で、待ち合わせ場所をマンションに決めた。中学までは徒歩でも通える距離なので、我が相棒の自転車の出番はない。
 ジャージを着た飛雄と違い、新しい制服に身を包んだ私は、新鮮な気持ちで歩き出した。

「毎朝ランニングしてるんだっけ?」
「おう」
「体力ついてきた?」
「おう」
「そっかあ。……今日、初日だから緊張するよー。無難な挨拶考えたけど、なんか心配だわ」
「そうか」

 最大でも三文字程度の答えしか返ってこなくて、会話になっているのか疑問が浮かぶ。昔のほうがもっと会話が多かった気がして、一緒に行くのやっぱり嫌だったかな、とまた心配になる。

「中学のバレーは楽しい?」
「楽しい。先輩にスゲェ人がいる」
「そうなんだ。ポジションは?」
「セッター。その人がいると、チーム全体のまとまりが良くなるんだ」
「へえ、それはすごいね」
「だろ? スゲェんだ。参考になる」

 バレーの話を振ると、飛雄は途端に口数が多くなった。失念していたが、相手はバレー馬鹿だったことを思い出す。
 飛雄との会話はバレーを中心にすれば弾む。私は今日、ひとつ学んだ。

「セッターってすごいよね。試合の動きをだれよりも考えながらボール上げなきゃいけないんだから」
「そうだ。セッターは支配者っぽくてかっこいいんだ」
「し、支配者……?」

 恐ろしいワードが飛雄の口から出てきてビックリする。バレー馬鹿なだけではなく、別のヤバい方向に育っているのではないだろうか。

「部活で友達できた?」
「友達かは……知らねえけど、たまに話すやつならいる」

 飛雄の返答に少しだけ不安が芽生える。友達は絶対にいなければならないということはないが、もし飛雄が昔となにも変わらない性格のままなら、バレーに愚直すぎて極端な人間関係を築いていそうな可能性が出てきた。

 このまま変な方向に進まないように、なにかアドバイスしたほうがいいかな。いや、でも、いきなり私が出しゃばることじゃないし、余計なお世話かも……。

 まだ飛雄と再会してから日も浅い。今の飛雄の人となりもよくわかっていないうちに、どうのこうのと口を出すのは時期尚早に思える。
 いくら幼なじみとはいえ、距離感を間違えてはいけない。人助けとお節介を履き違えた行動を取らないよう、研磨の言葉を思い出して自重する。とりあえずは様子見することに決めた。

 その後もバレーの話を続けながら歩いていると、学校が見えてきた。ここまで来れば朝練のために集まった学生たちともすれ違い、中にはバレー部と思われる人たちもいた。

「お、おい見ろ! 影山が女子と登校してるぞ!」
「見たことある人だな……あっ、アレじゃね? "羊羹オンナ"」

 なんか不名誉な呼び名な聞こえてきた気がする。
 会話のするほうに視線を向けると、校門前に飛雄と同じくジャージに身を包んだ男子がふたりいた。

「ウッス」
「う……うす」
「うす……」

 飛雄が運動部らしい挨拶をすると、向こうは言葉に詰まった挨拶を返した。
 飛雄から挨拶したということは、同じバレー部の仲間なのだろう。距離感を見るかぎり、決して仲良しと言える関係性ではなさそうだ。と言っても、飛雄たちは入学しておよそ一ヶ月程度だ。飛雄の性格を考えても、このくらいの距離感はしかたなく思える。

「おはよう」
「あ……おはよう、ございます?」

 飛雄とタメ口で挨拶を交わすのを見て、おそらく後輩だと推測した。
 私が挨拶すると、尖ったように逆立った髪型をした男子が気まずそうに挨拶を返した。だれだこの人と思っていそうだ。隣にいる男子は、知らない人を相手にどう対応すべきか探っている様子だ。

「私、桂千早。二年。今日からこの学校に転校するの。飛雄とは幼なじみなんだ。よろしくね」

 にこやかに自己紹介をすれば警戒心を解いてくれるかと踏んだが、ふたりの探るような視線は変わらなかった。

 な……なにか間違ったかな……?

 ろくに弾まない会話で場の空気が怪しくなり、あまりの気まずさに内心おっかなびっくりになる。

「名前なんていうの?」
「え? あ、えっと……金田一勇太郎……っす」
「君は?」
「……国見英、っす」
「金田一君と国見君ね。これからよろしく」
「ああ……ハイ」

 かろうじて金田一君は返事をしてくれた。国見君はおとなしい性格なのか、壁を作ったままだった。
 飛雄のチームメイトだし、後輩でもあるから気立てよく接したつもりだったが、やはり私は父のようにはいかないようだ。

「朝練始まるから、そろそろ行く」
「あ、わかった。朝練がんばってね」

 飛雄は金田一君と国見君と一緒に、バレー部の朝練に向かった。去り際、金田一君と国見君が一応といった感じでペコリと頭を下げてくれたが、私は接し方を間違えた感が拭えなくて不安が残っていた。

 それから私は構内を見て回った。あちこちに朝練中の人たちを見かけて、部活の感覚が抜けきれていない私は、ついうっかり朝練に混ざりそうになってしまう。
 転校初日なので、まずは職員室に行かなければならないが、飛雄に合わせて朝早く来てしまったので、予定の時間になるまで時間を潰すしかなかった。

 迷子にだけはならないように気をつけなきゃ。

 転校初日に朝早く来て迷子になんてなったら、張り切りすぎて空回ってる人みたいだ。そんな恥ずかしい状況は避けたい。
 今日だけでも朝早く来る必要はなかった。が、新しい学校に緊張が止まらなかったのだ。
 今日を楽しみにしていた気持ちに間違いはない。けれど、不安も残っていた。その不安をどうにかかき消したくて、早朝だろうと飛雄と一緒に登校した。
 父もそれに気づいたのか、昨日飛雄たちが帰ったあと私を案じていた。思わず強がって「大丈夫」と答えてしまったが、大丈夫ではないから一与さんの提案に乗ったのだ。

 クロにも無理するなって言われてたのに……。

 一度身に染み込んだ強がる癖は、そう簡単には治らない。
 昨日、父が何度も私に大丈夫かと確認を取っていたのも、これを見越していたのだろうか。もしそうだとすれば、わずらわしいと思ってしまった自分を恥じた。

 その後も、期待と不安が胸中をぐるぐる巡りながら時間が来るまで暇を潰し、なんとか迷子になることなく10分前に職員室へ到着した。
 そして、一番の不安の時間がやってきた――。

「はじめまして。東京から引っ越してきました桂千早です。もともとは宮城出身で、小学四年生の頃まではこっちに住んでいました。これからよろしくお願いします」

 黒板の前に立ち、クラスのみんなに向かって挨拶をする。
 下手なことを言って後悔するくらいなら、簡素だろうと無難に。そう考えた結果の挨拶がこれだ。ただし、笑顔は忘れずに。

 小学生のときみたいに、カバンの中身全部ぶちまけるようなことがなくてよかった……。

 あの日の出来事は、今でも苦い記憶として残っている。教室に入る前に、何度もカバンが開いていないか確認してよかった。おかげで大事故を起こさずに済んだ。
 挨拶が終われば、クラス中からまばらに拍手が湧いて、担任の先生に席を案内される。私の席は、窓際の真ん中だった。

「よろしくね」

 隣と前後の席の人それぞれに挨拶をすれば、無難に「よろしく」と返される。
 あまりにも挨拶が簡素すぎただろうか。私が当たり障りのない対応をすれば、向こうも同じ対応を取ってきた。
 東京に引っ越したときは、転校生というだけでみんなから興味を持ってもらえたので、その記憶に頼りすぎたのかもしれない。ちゃんと友達を作れるだろうか。ふたたび不安が蘇ってきた。

「じゃあ、朝のホームルームは終わり。次の授業は国語から始まるから、準備しておいてね。桂さん、わからないことがあったら先生にいつでも聞いてください。みんなも桂さんが困ってたら手伝ってあげてね」

 山内先生が挨拶を終えて、教室を出ていく。
 授業開始前の小休憩の時間が訪れた。

「桂さん。私、高橋沙織っていうの。よろしくね」

 先生が教室を出た途端、前の席の女子が話しかけてきた。先ほどのこともあって、私はクラスの子に話しかけられて心の中で「よっしゃー!」と諸手を上げて喜んだ。

「私こそ、よろしくね」
「東京から来たんでしょ?」
「うん、そうだよ」
「東京のどこに住んでたの?」
「練馬ってとこ」
「そこ名前だけ知ってる! 東京ってやっぱりキラキラしてるの?」
「私が住んでいた場所は思ったほどキラキラって感じじゃなかったかな。東京でも、そういうのはビルがいっぱい建っている都心部とかだと思うよ」

 やっぱり都会といえばキラキラした場所というイメージを想像するのだろう。私も引っ越した当初はそうだったから気持ちはわかる。

「へえー! そういう場所にいっぱい遊びに行ったんでしょ? いいなあ」
「いや、全然遊びに行ってないんだ」
「エッ? なんで?」
「えー……と、東京にいたときは忙しくて……毎日やること多いから遊びに行く時間を作れなかったの」
「そんなに忙しかったの?」
「うん。学校と部活と勉強と……あと家事もよく私がやっていたし、時間が空けばお父さんの仕事の手伝いもしていたから、とにかくやること多くて」
「家事と仕事の手伝い!? そんなやる!?」
「やってたんだ……あはは」

 つい、ごまかすように笑ってしまった。

「なんで引っ越したの?」
「あー……それは……」

 どうしよう。少し返答に困る質問が来てしまった。

「えっとね……お母さんの病気を治すために東京に引っ越したんだけど、治らなかったから……お母さんのお墓がこっちにあるから、私とお父さんも引っ越したの」
「え……聞いてごめん……」
「い、いいよ! 気にしないで! たくさん話しかけてくれてうれしいよ!」

 やはり気を遣わせてしまった。遅かれ早かれ知られるだろうと構えてはいたが、仲良くしたいし、変に気を遣わせたくなかったので、どうごまかすかも考えた。
 しかし、ごまかしたところで不信感を与えてしまっては元も子もない。正直に打ち明けたが、もっと考えるべきだったかと反省する。

「千早ちゃんって呼んでもいい?」
「いいよ! 私も下の名前で呼んでいい?」
「もちろん!」

 沙織ちゃんと話し込むうちに、予鈴のチャイムが鳴り響く。

「あ、授業始まるね。千早ちゃん、新しい教科書は持ってる?」
「持ってるよ。これだよね?」
「そうそう! それ!」
「わからないことあったら沙織ちゃんに聞いてもいい?」
「いいよ! いつでもなんでも聞いて!」

 近くの席にいい人がいてよかった。抱えていた不安は多少溶けて、安心へと変わった。
 その後も先生たちに、前の学校との授業の進み具合を確認されながら授業を重ね、あっという間にお昼の時間を迎えた。給食を食べるために、近くの人たちは席をくっつけ始める。私もそれに倣って席を動かした。

「この子は私の友達」
「私、吉田彩花。よろしくね」

 沙織ちゃんに声をかけようとすると、向こうから私に声をかけてきてくれた。しかも、他の友達まで紹介してくれた。

「私も千早ちゃんって下の名前で呼んでいい?」
「うん、私も彩花ちゃんって呼んでいい?」
「彩花でいいよ」
「なら、私も千早でいいよ」
「えー! 彩花が呼び捨てなら、私も千早って呼びたい!」
「呼んで呼んで! そのほうがうれしい!」

 初日からひとりご飯は寂しかったから、一緒に話してくれる人がいてうれしい。
 二年生で、しかも中途半端な時期の転校だったので、すでに固まっているであろうグループに混ぜてもらえるかが悩みの種のひとつだったが、早くも解決できそうで心から安堵する。

「千早ってバレー部だったんだ」
「背高いと思ったんだよねえ。運動部っぽいし」
「そう見える?」

 会話にもすんなり混ざれて、順調に楽しいお昼の時間を過ごせている。

「こっちではなんの部活に入るの?」
「うーん……帰宅部、かなあ」
「えっ!? バレー部入らないの!?」
「私って一回こうと決めたら、それしか見えなくなるんだよね。またプレイヤーとしてバレーやるのはなんか違う気がしてさ。しかもこの学校って強豪じゃん? 気持ちの向く方向が違うと、チームに迷惑かかりそうで入りにくい」
「そっかあ。たしかに、この学校のバレー部ってガチだもんねえ」

 実は、理由ならもうひとつある。父の仕事がまたしばらく忙しくなるので、忙しい父の代わりに家事全般を行えるよう私も家のことに集中したいと思ったからだ。そのためには帰宅部が一番時間が取りやすくて都合がいい。
 父は直接口にしていないが、あちこちに電話をかけたり、たくさんメールのやり取りをする様子を見て、これから仕事を増やそうとしていることになんとなく気がついた。
 母の治療費、私の学費、引っ越し代、その他もろもろ、我が家はここ三年間でだいぶ貯金を使い込んだのだと察する。そして、これからの出費予定を考えれば、普段どおりの仕事量では追いつかないのだろう。
 これから十分な生活をしていくお金を稼ぐため、きっと父は以前に増して仕事をするつもりだ。これまでの出費はすべて必要経費だったとはいえ、使い込んだお金を取り戻すのは容易ではないことくらい私にもわかる。
 しかし、目の前のふたりに変に気を遣わせたくないので、あえてこの理由は口にしなかった。

「バレー部以外でも気になる部活ないの?」
「生き物好きだから生物部とかあれば入ってみたかったけど、この学校には無いらしいんだよね。文芸部も興味あったけど、幽霊部員になる人が多いらしくてさ、それじゃつまんなそう」
「意外。運動部で考えてるもんだと思った」
「選択肢が文化系ばっかだね」
「結構そういう系好きなんだよね」

 雑談を重ねるうちに互いの人となりがわかってきて、私たちは次第にくだけた口調の会話になってきた。

「そういえば話変わるけど、千早って朝早くから学校にいた?」
「え!? なんで知ってるの!?」

 彩花から想定外の質問が飛んできて、ギクリとした。

「私、陸上部でさ。朝練してたらジャージ着てない子が学校うろついているの見たの。園芸部とかの子かなって思ったけど、今朝の挨拶で千早見たら朝見かけた子と同じだったから」
「あー! 恥ずかしい! 朝から学校うろついてた!」
「なんで?」
「初日だから緊張しちゃって……一年に幼なじみがいるから、一緒に登校して気を紛らわそうと……」
「幼なじみ? だれだれ?」
「影山飛雄ってバレー部の男子」
「沙織、聞いたことある?」
「あの子じゃない? いつも昼休みに体育館近くでバレーの練習やってる」

 飛雄の名前を出すと、新情報が入ってきた。

「飛雄、昼休みも練習してるんだ。さすがだな」
「影山君って、ある意味目立つってバレー部の子が言ってたんだよね。バレーが上手いってのもあるけど、バレー以外にほとんど興味を持たない変わった子だって」
「そうなんだ……やっぱりバレー馬鹿だったかあ」
「バレー馬鹿?」
「こっちに帰ってきて久々に会ったんだけど、話しかけても基本そっけないのに、バレーの話にだけやたら食い付きがいいから、たぶんそう育ったのかなって」
「"育った"って、お母さんみたいな言い方するね」
「お、お母さん……」

 クロに散々『主婦』と茶化されていたのを思い出す。

「東京にいたときも、主婦って友達に言われてた……」
「アッハハ! 中学生で主婦!」
「ふっ……か、家庭的なんだね……ふ、ふふ……」
「わ、笑わないでよ! 恥ずかしいよ!」

 ツボに入ったのか、笑い続けるふたりを前に恥ずかしさが込み上げる。まだ中学生だというのに主婦感があるのは、ちょっと腑に落ちないのだ。

「家事が嫌なわけじゃないけど、中学生で主婦って言われるのは複雑だし……かといって主婦呼ばわりが嫌だからって今の生活に手を抜くわけにもいかないし…」
「ジレンマってやつだね」

 主婦と呼ばれる所以に、理解はできるが納得はできない。私は中学生なので、周りと同じく中学生として扱ってほしいと思っている。

「お昼食べ終わったら、みんなでちょっと見に行く?」
「なにを?」
「影山君を」
「エッ!?」
「たぶん、今の時間なら体育館近くの外にいるんじゃないかな」
「おもしろそう、行こ行こ」
「彩花も!?」

 この短時間でわかったことがひとつある。
 このふたりは――悪ノリするタイプだ。

「よし! 食べ終わったし、さっさと行こっか!」
「出発!」
「ええーーー!?!!」

 せっかくできた友達に置いていかれるわけにもいかなく、しかたなく私も飛雄を見に行くことになった。







「あ、いたいた! やっぱり!」
「ホントにバレーしてる」
「飛雄……期待を裏切らないな……」

 体育館近くの外まで見に来ると、沙織の予想どおり、飛雄がボールを持って直上トスの練習をひとりで行っていた。

「話しかけてみる?」
「いやいや! 集中してるし、戻ろうよ!」
「影山くーん!」
「ちょ、ちょっとちょっと!!」

 私の制止する声に耳も貸さず、沙織はズンズン歩みを進めて、練習中の飛雄に話しかける。
 名前を呼ばれた飛雄は、練習する手を止めてこちらを振り向いた。

「なんすか? ……って、千早?」
「あっ……ええっと……」
「練習の邪魔してごめんねー、聞きたいことあってさ。千早って、お母さんみたいって言われて悩んでるんだって。影山君もお母さんみたいって思ってる?」
「よりによって聞くことソレ!?」

 わざわざやって来てまで飛雄に質問する内容が、まさかのまさかすぎて動揺が走る。

「お母さん……?」
「千早って主婦みたいって言われてたらしいから、影山君から見てもそうなのかなって」
「よくわからないですけど、昨日すき焼き食べさしてもらったときは、よく動くなあって思いました」
「そんなこと思ってたの!?」

 生き物の観察日記のような感想が飛雄の口から出てきて、私の動揺は止まらない。

「すき焼き?」
「あの……昨日、飛雄のおじいちゃんが引っ越し祝いを持ってきてくれて、夕飯食べてたときだったから、ついでに食べていけば?って、お父さんが誘ったの」
「そうだったんだ。で、影山君は千早のことどう思う?」
「あ、あの、沙織? そこまでにして……教室に……」
「肉ウマかった」
「え? 飛雄? なに?」

 突然、飛雄がズレた返答をしてきた。

「炊き立てのメシも、シメのうどんもウマかった」
「ああ……それはよかった……」
「俺はポークカレーの温卵のせが好きだ」
「いきなりなんなの」
「今度はそれ頼む」
「ご飯のリクエストかよ!!!」

 絶望的に会話が噛み合わない。飛雄がバレー馬鹿なだけではなく、ただの馬鹿である可能性も見えてきて、どうしようかと頭が痛くなった。

「やっぱりお母さんポジだったね」
「千早お母さん」
「ふたりともやめて!!!」

 現実から目を逸らしたくて、思わず顔を両手で覆った。

「いつ食える?」
「飛雄、私は飯炊き担当じゃない」
「昨日はうれしそうにメシ食わしてくれたじゃねえか」
「昨日はたまたまだったし、引っ越し祝いをいただいたお礼と、お客さんを歓迎する意味もあって、飛雄たちだから喜んで迎え入れたワケで……」
「ウマそうに食うからうれしいって言ってたじゃねえか」
「いや、そうだけど!」
「ポークカレー温卵のせ、食いたい」
「だからァ!!!」

 ダメだコイツ。どっかで矯正しないと、いよいよヤバいと直感が言った。

「めっちゃおもしろいね、このふたり」
「ね。たまにわざと会わせようか」
「沙織! 彩花! 帰るよ!」

 お母さんキャラを脱したいつもりが、この状況になって、そんな悠長なことを言っている場合ではないと一旦忘れることにした。
 飛雄とは後でちゃんと話をするとして、私はとりあえず今の状況を打ち切りたくて、教室まで沙織と彩花を連れて帰った。

「なんで飛雄にあんなこと聞いたの!?」
「身近な人に聞けば、なんか解決策が見つかるかもって思ったんだもん」
「それにしても色々直球すぎるでしょ!」
「こんな早くお母さんポジ獲得してるとは思わなかったわ」
「彩花まで!」

 教室の中で、私はふたりと主婦問題について騒いで初日の昼休みを終えた。その会話を盗み聞いていたクラスメイトたちにより、転校初日にして私のあだ名は『お母さん』に決まり、ネタで母親扱いされているのを知ったのは転校して三日後のことだった。

 こんなハズじゃなかったのに!!!







「ってなことがあってさあ……もう、どうしよ」
『引っ越してから初っ端しょっぱなのお悩み相談がまさかのお母さん呼びとか、俺もビックリだわ』

 初登校を迎えてから三日後の夜、私はクロと電話をしていた。内容はもちろん、お母さん呼び問題だ。

「研磨にも聞いてもらいたいのに、やりたいゲームあるからって断られたし……」
『それはしゃーねえよ。新作のゲームにどっぷりハマってるから』
「夜更かししてないといいけど」
『そればっかだな、お前』

 呆れたようなクロの声が、受話口から聞こえてくる。

「お母さん呼び問題は、クロも間接的に関わってるからね」
『は? なんで?』
「クロがよく私を主婦って茶化してたでしょ。その話を流れでクラスの友達に話したら、他の人にも聞こえてたらしくて、その話が広まったのも原因なんだよ」
『話したお前が悪いんじゃねえか!』
「流れで話しちゃったんだよ! ああもう……どうしよー!」
『もう諦めたら?』
「やだよ! 中学生にしてお母さんとか! せめてあと十年は待ってほしい!」
『俺に言われても……』

 クロの言うとおり、もういっそお母さん呼びのことは諦めて飛雄の意識改善に力を入れるべきか。私は飯炊き担当ではないと。二兎を追うものは一兎も得ずとも言うので。

『そういや、お前まただれかの世話とか焼こうと思ってねえだろうな』
「………………」
『焼いてる最中、もしくはこれから焼こうとしているのどっちかだな』
「後者だよ……」
『引っ越し早々かよ。懲りねえなあ』
「放っておいたらマズそうなヤツがいる」
『どんな?』
「良くも悪くもバレーと飯しか考えてない」
『そっちの幼なじみのことか?」
「そう。久々に会ったら、色々先が心配になって……」
『お前なあ……転校したばっかで大変なんだから、変なとこに気を回すな』
「そうだよね……」
『そうだ。まずは自分のことを考えろ』
「うん、そうする」
『そうしろ』
「話聞いてくれてありがとね。そろそろ寝るよ」
『そ。んじゃ、おやすみ』
「おやすみ」

 電話を切って、私はすぐに布団をかぶった。
 早起きは元から生活ルーティンの一部なので苦にならないが、新しい環境に慣れないことから来る疲労が溜まっていて、ここ三日間は泥のように眠っている。
 飛雄と登校を共にして、初日から友達もできて、授業も追いつけないほど差は生じてはいない。今のところ悪い点は見つからない。が、不慣れな環境というものは人を疲れさせるのだ。
 初日は校内をうろつくしかできなかったが、二日目からは朝の静かな教室で本を読んで過ごし、最近のマイブームになりつつある。その時間がわりと好きで、多少なりともストレス解消に役立っている。
 今の私に必要なのは時間と慣れだ。芽生えた悩みの種も、それによっていずれ解決するだろう。

 飛雄との距離感は、クロのアドバイスを思い返して、無茶しないように気をつけよ……。

 あくまで飛雄とは仲良くしたいのであって、不快にしたいわけではない。少しずつ、距離感を見計らえばいい。
 飛雄のことで頭を悩ませながら目を閉じると、気づけば朝を迎えていた。





 そして、転校してから四日目の朝を迎える。

「おはよ」
「はよ」

 今日も飛雄と朝の登校を共にする。
 いつものジャージに身を包んだ飛雄は、いつものぶっきらぼうな表情でやって来た。いつもとひとつだけ違うのは、頭にピョコンと寝癖の束がハネていることだ。

 よくよく考えたら、飛雄はなんで私と一緒に行ってくれるんだろ。

 私には昔みたいに仲良くしたいから、という理由がある。しかし、飛雄も同じだとは決まっていない。
 特にこだわりがなくてあまり気にしていないからと思えば、そうなのかもしれない。でも、だからこそ、わざわざ一緒に行く手間も飛雄には必要ないはずだ。
 理由が気になるが、あえてこんなことを聞くのも変に思われそうで、聞くに聞けなかった。

「こないだ渡したDVD観た?」
「観た」
「どうだった?」
「スパイカーの腕がすごかった。フィジカルもいい。でも一番すごかったのは、スパイクのキレと角度だな。あれはだれにでも真似できる技術じゃねえ」
「だよね、やっぱそこ思うよね。あの選手って、普段から自分の体に合ったトレーニングしてるらしいよ。生まれ持った特徴を伸ばして生かして、すごいよね」
「自分の体を理解しているのも、それを殺さず生かすのもすげえ。すげえ参考になる」

 このように、飛雄にはバレー関連の話を振れば会話が続くのである。少しずつ、着々と、私の飛雄マニュアルは項目が増えている。

 バレー以外の話は振ってもあんまり返ってこないんだよなあ……他には、ご飯の話くらい?

 裏を返せば、バレー意外に興味がないということ。
 それすなわち、私に興味がないということ。
 私は長らく離れて暮らしていた分、今の飛雄自身のことをもっと知りたいと思っている。が、飛雄はそう思っていないのかもしれない。
 昔のように軽い喧嘩の絶えない間柄にまたなったとしても、お互いをわかり合っている関係性だった過去を思えば、今も同じようになるのも悪くない。しかし、飛雄もそう考えている確証はない。それどころか、全く考えていない可能性のほうが高い。

「前に校門前で会った男子、金田一君と国見君だっけ?」
「そうだけど」
「あのふたりとは仲良いの?」

 おそらく、それほど仲良しと言える関係ではないだろうが、少しでも会話を続けるために思いついた話を振ってみる。

「フツー」

 やっぱり、と思った。

「ま……まあ、まだ入学して一ヶ月ちょい経ったくらいだしね」
「そういや、ポークカレーはいつ食える?」
「またその話かい……」

 話の方向が明後日から切り込むように飛んできて、頭を抱えたくなる。

「おうちでも出るでしょ? なんで私のポークカレーにこだわるの」
「一与さんが、千早は料理上手だって言ってた」
「え? 一与さん、いつそんなこと聞いたのかな」
「千早のお父さんが言ってたって」
「お父さんか……」

 犯人が判明し、今すぐ回れ右して家に帰って父を説教したくなる衝動に駆られる。あの父はすぐ私の自慢話をペラペラと語るから、こういう弊害が生じるのだ。

「もう自慢話は嫌だ……」
「なんの話だ?」
「うちのお父さんって、昔からすぐ友達とか知り合いに私の自慢話を始めるんだけど、その話を聞いた人が、やたら私を褒めたり持ち上げたりして、気まずいことがよくあったんだ」
「へー」
「へーって……聞いたのそっちじゃん……」
「変なこと言うからなんだと思ったけど、思ったことのほどじゃなかった」
「なんだそれ……」
「褒められることのなにが悪いんだ?」

 悪くはない。だれも悪くない話だ。それはわかっている。
 しかし――、

「うちの子自慢って、やりすぎるとウザがられるでしょ」
「そうなのか?」
「大体はそんなもんでしょ。私も恥ずかしいし。それに家事は……自分が不安だったからやってただけだし」
「不安? 不安だと家事やるのか?」
「そうじゃなくて……不安なときって、余計なことたくさん考えちゃうでしょ。それでなおさら不安になって、抜け出せなくなって、負のスパイラルじゃん」
「すぱ……?」
「えーっと……ぐるぐる回るみたいに、不安な気持ちがずっと胸の中に残り続けるの。嫌でも落ち込んでばかりになるから、それを解決したくて余計なことを考えなくて済むように自分から忙しくしてたの」
「へー」
「だから、あまり褒められたものじゃないというか……自分で自分を追い込むやり方だったから、褒められるのがちょっと後ろめたかったんだよ」

 思わぬ形で過去を振り返ることになり、少しきまり悪くなる。
 飛雄から返ってくる言葉は、やはり「へー」の一言だけで、なんのフォローもなければ、会話をろくに続ける気もなさそうだ。本当になんで聞いたんだ。

「別に、それを後ろめたく思う必要はないだろ」

 飛雄の放った言葉で、足が止まる。

「話を聞いても、なにが悪いかわかんねえ。お前はやれることをやったんだろ。悪いことなんもしてねえじゃん」
「う、うん」
「犯罪したわけでもねえだろ」
「例えが極端すぎない?」
「じゃあ、だれか殴ったとか」
「それは……殴っては……ない、けど……」
「……なんかやったのか?」
「…………他校の男子と、ケンカしたことある」
「オマエ……」

 マジかコイツという目で飛雄が見てくる。私はいたたまれない気持ちのまま、止めた足をふたたび進めた。

「友達が嫌な目に遭わされたのに、向こうは謝りもしないからカッときちゃって……」
「そうだったな。お前は昔からケンカっ早いヤツだった」
「飛雄もそうでしょ。私らお互いケンカを売ってたし、売られたら買ったじゃん」
「俺はケンカを売ってたつもりはねえ」
「売ってたよ。バレー勝負で、事あるごとにマウント取ってきたの覚えてるよ」
「お前が負けを認めねえのが悪い」
「認めなかったのは飛雄のほうだよ」

 売り言葉に買い言葉を返し合い、互いにヒートアップしていく。

「人のおやつ横取りもしてた」
「俺が寝てるとき、こっそり顔にラクガキしてきたの忘れてねえぞ。ヒゲなんか生やしやがって」
「それを言うなら飛雄だって、私が寝てるときズボンの紐がっちり縛ってきたじゃん。起きたらアホボンのパパみたいになっててダサいし、紐固く縛りすぎてしばらくほどけなかったんだから」
「アホボン……?」
「漫画の有名なキャラ。知らないの?」
「知らねえ」

 飛雄が口を尖らせてムッとする。あきらかにイラッとしていることに気づいたが、熱くなりかけている私はそれでも続けた。

「漫画を読めとまでは言わないけど、バレーにしか興味なさすぎても人と話すの難しくない?」
「困ってねえ」
「でも、年がら年中バレーの話しかしない、なんてことはないでしょ。人と交流するには色んな角度から責めないと」
「困ってねえ」
「バレーはチームプレイなんだから、これからもバレー続けるなら仲間と交流を深める手段を身につけるのも大事だよ」
「困ってねえって」
「今困ってなくても、いつか飛雄も困る日が来るかもよ」
「うるせえーーー!!!」
「う、うるさい!?」

 突然大きな声を張り上げて飛雄がキレた。

「お前は俺の母ちゃんか!!!」
「母ちゃん!? 違うわ!!」
「さっきからネチネチ説教しやがって!! 俺のポークカレー作る気もねえくせに!!」
「諦めが悪いな!? てか私が作るのに、俺のって何様だよ!!」
「俺のポークカレー作れ!! 温卵のせ!!」
「ずいぶん俺様な食いしん坊だな!? それが人にモノを頼む態度か!!」

 さっきまでの壁を感じる距離感はどこへ行ったのやら、今はそんなこと気にしている場合ではなくなった。
 遠慮という概念を忘れて、私はとことん言い争いに乗っかった。

「それにその寝癖!! さっきからずっとピョコンってハネてるの気になるんだけど!! 寝癖くらい直しなよ!!」
「寝グセなんかどうでもいいだろ!! 俺にカレー作るのか作らないのかどっちだ!!」
「そのポークカレーへの執念はなんなんだ!?!!」
「ウマいカレー食わせろ!!」
「カレーカレーって!! お前がうるせえ!!」

 言い争いは止まらない。やがて学校の生徒たちが目に入り、校門に近づいてきたことがわかる。周囲には朝練のために登校した人たちばかりだが、私たちは周りを気に留めてる余裕などなかった。

「だいたい飛雄は脊髄反射で喋るのやめてよ! 東京の友達にも人付き合い苦手なヤツいたけど、ちゃんと会話は成立してたよ!」
「セキズイなんたらってなんだ!! 日本語で喋れ!!」
「日本語だよッ!!!」

 もうめちゃくちゃだ。会話が噛み合わないことが、こんなにもストレスだと知らなかった。

「もうカレーの話とかは一旦置いといて、とにかく今はその寝癖直させて! 気になってしかたないの!」
「触んじゃねえ!!」
「じゃあせめて帽子とか被って! 跡ついて寝癖直るかもしれないし!」
「帽子なんて持ってきてねえよ! そんなに言うならタオルでやれよ! ほら!」

 飛雄がスポーツバッグからタオルを取り出したかと思えば、私にずいっと頭も差し出してきた。
 今しがた触んじゃねえと言ったのはどこのどいつだとツッコミそうになるが、それを言ってしまったら飛雄は差し出した頭を引っ込めるだろう。
 私は何も言わずにタオルを受け取り、少し下がった飛雄の頭にぐるりと巻いた。

「影山……と、桂先輩……?」

 飛雄の顎のあたりで巻いたタオルを結んでいると、後ろから名前を呼ばれる。

「あ、金田一君と国見君。おはよ」
「お、おはざっす……」
「……っす」

 あいかわらず壁を感じるふたりだが、挨拶すれば普通に返してくれるくらいには距離が近づいた、と思いたい。国見君が、数文字程度の挨拶の言葉を口にしてくれるようになっただけ進展していると信じる。

「なんで……ほっかむり?」

 金田一君が、飛雄の頭に指を差す。国見君の困惑に満ちた目も、飛雄の頭に向けられていた。

「寝グセなおし」
「ね、寝癖……」
「……朝練始まるから、行こうぜ」

 国見君は見なかったことにするようだ。ツッコむことも、話を広げることもなく、金田一君を連れて体育館へ向かった。飛雄を連れて行かなかったのは、おそらく一緒にいたくないからだろうか。

 飛雄に悪いことをしちゃったかも……。

 急激に頭が冷えていく。仲間とのコミュニケーションの大切さを語ったくせに、私が阻害してどうする。頭に血が上って冷静さを欠いていた。

「ご、ごめんね飛雄。言いすぎた」
「なんだよ急に」

 意外にも、飛雄はあっけらかんとしていた。

「……ふ、ふふっ」
「だからなんだよ急に」
「いや、ほっかむりでポカンとしてるから、なんかおもしろくて」
「ああ"!?」
「あっははは!」
「笑ってんじゃねえよ! お前がコレやったんだろ!」

 自分がやったとはいえ、飛雄のまぬけな姿がツボに入ってしまった。

「はあー……おもしろ」
「ぶっ飛ばすぞ」
「飛雄」
「今度はなんだよ!」
「ポークカレー、いつでもいいから食べにおいで」
「……え?」
「たくさん作ってあげるよ。温卵をのせたポークカレー。手の凝ったものは作れないけど」
「ま、マジか!!」

 眉間にシワを寄せてキレ散らかしていたのに、ポークカレーの話を振ると、飛雄は表情を明るくして喜びを露にした。

「だから、部活がんばってこい」
「おう!!!」

 飛雄は目をキラキラさせて、ポークカレーの喜びに浸っている。そんなに好きなんだなと思い、私の飛雄マニュアルに項目がまたひとつ追加された。

「今日食えるか!?」
「いつでもいいとは言ったけど、いくらなんでも急すぎるでしょ」
「じゃあ、いつだ!!」
「また話すから。とりあえず朝練に遅刻するから行ってきなよ」
「わかった!!!」

 ほっかむりのまま、意気揚々と体育館に向かった飛雄を見送り、私は早朝のだれもいない教室へと足を進めた。
 悩みの種だった飛雄との距離感は、そんなに深く考えなくても案外なんとかなるかもしれないと思った。

 そしてしばらくすると、沙織と彩花が教室にやって来て私に一言、

「千早お母さん。噂になってるよ」
「朝っぱらから校門前で親子喧嘩したんだって?」

 と、からかってきた。

「もうやめて……」

 やっと消えたと思った悩みの種は、別の形となってふたたび芽吹いてしまった。ほぼ自業自得である。