不確かな関係性と過去の記憶




 数日が経ち、約束の日が訪れた。

「いらっしゃい!」

 飛雄たっての希望である、ポークカレーを振る舞う日だ。

「千早ちゃん、今日もありがとう」
「一与さんにも来てもらえてうれしいです!」
「みんなで押しかけといてなんだけど、うちの飛雄がごめんね……」
「いえいえ! 私も楽しみにしてましたから!」
「今度はうちにご飯食べにおいで」
「はい! そのときはお邪魔します!」

 最初は飛雄の突飛な言動に驚いてはいたが、またみんなで食卓を囲めるこの日を、なんだかんだ待ち遠しくしていた。

「カレーの匂いがする……!」
「ふふふ……研究を重ねた新作カレーだよ!」
「新作カレー!!!」

 家に上がる前からワクワク顔でいた飛雄は、カレーの匂いでなおさらはしゃいでいた。

「みんな。座って座って!」

 飲み物は父にお任せして、私は仕込んだカレーを提供する準備を進める。
 あれからどの味噌を使うか試行錯誤して、最終的に選んだのは"赤味噌"だ。おばあちゃんちで食べたカレーの味が忘れられず、私はすっかりこのカレーが気に入り、これからは赤味噌を隠し味としたカレーが、うちの定番となるだろう。

「どうぞ! 新作カレーの温卵のせです! 福神漬けとらっきょうは各自お好みで!」
「おおーーー!!!」

 ほかほかのカレーを目の前にして、飛雄がひときわ大きな歓声を上げる。
 新作カレーのなにが特別なのか説明したかったが、カレーを前に釘付けになっている飛雄を見て、早く食べさせたほうがいいと判断して説明は後回しにすることにした。

「いただきます」
「いただきまーすッ!!!」

 飛雄はだれよりも先に温卵を崩し、スプーン一杯にごっそりすくったカレーとご飯を大きく開けた口に運んだ。

「う――ウメェ!!!」
「でしょ!? でしょ!?」

 飛雄はカレーを口に運ぶ手が止まらない。パクパク食べ進めては顔をほころばせ、またカレーを口に運んでいる。

 これだよコレ!! がんばった甲斐があった!!

 テーブルの下でグッと拳を握り、ガッツポーズする。
 味覚を犠牲にしながら作り続けたカレーは大好評。
 カレー作りは自分との戦いだったが、見事勝利を得た。

「本当においしいね! 隠し味とかあるの?」
「美羽ちゃん…! よくぞ聞いてくれました! "赤味噌"を入れているんだよ!」
「味噌!? カレーに味噌って合うんだね!?」
「そうなんだよー! 教えてもらってさあ、どの味噌がおいしいか色々試したんだ!」

 美羽ちゃんが隠し味を聞いてくれたおかげで、話したかったことを話せた。自信作なので話したくてウズウズしていたのだ。

「カレールーはどこの使ってるの?」
「ダーモントです! 中辛と辛口を半々に入れています!」
「へえ、そうなんだ! すごくおいしいよ」
「ありがとうございます!」

 一与さんも絶賛してくれて、私の気分は最高潮に達した。

「千早、がんばったもんな……」

 父は食べすぎて飽きたカレーに食が進まないのか、ゆっくり口に運んでいる。空気を読んで、カレーは飽きたとは言わなかった。

「おかわり!!!」
「はーい」

 飛雄のお皿は大盛りにしたつもりだったが、一番に食べ終えておかわりを要求してきた。
 よしよし、もっと食えと思いながらご飯とカレーをよそい、温卵をのせて飛雄の前に出す。すると飛雄は一杯目と同じように、これでもかとカレーをスプーンですくって、その大きく開けた口に運んだ。
 これだけ食べっぷりがいいと、作った側もうれしくなる。大鍋を買ってきて正解だった。

「ごちそうさまでした!!!」

 最後に食べ終えたのは飛雄で、だれよりもおかわりしたのも飛雄だった。
 大鍋で作ったので、ある程度カレーがあまるのを想定していたが、結局ほとんど残らなかった。

「お粗末さまでした」
「カレーうまかった!!」
「ならよかったよ。あれだけ食べてもらえたら、私もうれしいわ」
「また食いたい!!」
「また!? よく食べるなあ!」

 大量におかわりまでしてカレーを食べたあと、すぐにまた食べたいと言う飛雄にビックリする。私もわりと食べるほうだと思っていたが、年頃の運動部男子の胃袋の広さには舌を巻く。

 研磨はほどほどだったんだけどな。
 飛雄がスゴすぎるのかな?

「今度また作るよ。楽しみにしてて」
「おう!!!」
「飛雄、アンタはちょっと遠慮ってものを知りなさい」

 美羽ちゃんが飛雄をたしなめる。

「今度うちでバーベキューやる予定なんだ。千早ちゃんと将吾君も来ない?」
「いいんですか?」
「もちろんだよ。ごちそうになったんだから、うちにもおいで」

 一与さんのお誘いに、私と父はぜひと了承した。

「明日の朝は私も部活あるから、学校に行くよ」
「わかった」
「いつもより30分遅い時間に集合でいい?」
「おう」

 飛雄と明日の待ち合わせを決めて、今日はお開きにする。

「また明日ね!」

 エントランスまで影山家を見送り、家に戻って夕飯の片付けを始めた。

「飛雄のおかげで今日のカレーはすっからかんだから、明日からは別のメニューを作るね」
「やったあ! カレーは好きだけど、さすがに他の食べたいと思ってた!」

 安堵する父に苦笑いして、私は付き合わせてごめんと謝る。

「飛雄君たち、喜んでくれてよかったな」
「ホントにね、よかったよ」
「やるからには全力でやるってとこはお母さんに似てるけど、おもてなしに力を入れるとこは俺に似てるよな」
「お父さんとお母さんのハイブリッドだからね」
「ハイブリッドって……言い方」

 父と談笑しながら夕飯の片付けを終えて、その後はお風呂と歯磨きを済ませて布団に入った。
 影山家とのひとときも終わり、次の予定もできて、私のウキウキ気分は寝るまで続いた。





 次の日の朝。約束の時間の10半前に、見慣れたジャージ姿の飛雄がやって来た。

「おはよ」
「はよ」

 昨晩しこたま大好物のポークカレーを食べたからなのか、飛雄の顔にツヤが出ている気がする。

「昨日のカレー、うまかった」
「ありがとう。何度でも言って」
「料理上手に間違いはなかったな」
「なに目線だよ」

 カレーの味を反芻しているのか、飛雄は宙を見つめてぽやっとしては意識を戻してハッとする様子を繰り返している。余韻がすごい。
 いつもなら学校に着くまで適当に駄弁だべっているが、幸せそうなので今日はこのまま放っておく。

「飛雄、学校着いたよ」
「あっ」

 学校に着いて、飛雄はようやくキリッとした。
 私の作ったカレーに夢中になってくれるのがうれしくないわけではないが、部活前なのにこの調子ではダメだろう。

「ほら! いつまでもカレーに浸ってないで、シャキッとして!」
「いっっっで!?」

 背中を一発バシンと叩いて喝を入れる。
 「このヤロウ!」とにらまれるが、怖くはない。

「あ、おはようございます」
「おはようございます」

 あとから、金田一君と国見君もやって来る。

「ふたりともおはよー」
「桂先輩、今日は日曜っすよ? 大丈夫すか?」
「べつに曜日感覚忘れてるわけじゃないから。私も部活で来てるの」

 最近、金田一君とそこそこ距離が縮まったのが喜ばしい。こんなふうに軽口も叩いてくれるようになった。

「部活……? ああ、生物部」
「あれ? 教えたっけ?」
「こないだロードワーク行く前に、影山と話してるの聞こえてきたんで」
「アレかあ」

 言われてみれば確かに。
 あれだけ注目されていたのだから、私たちの会話が耳に入っててもおかしくない。

「……桂先輩」

 名前を呼ばれて視線を向ける。
 話しかけてきたのは、めずらしくも国見君だった。

「影山……どうしたんですか?」

 国見君に言われて視線を切り替えると、飛雄がまたぽやっとしてはハッと意識を戻す行動を繰り返していた。

「飛雄ォ!! いい加減しっかりしなさい!!」
「ぬわっ!?」

 私が叱りつけると、飛雄は目を丸くしてこちらを見た。

「な、なんだよ!」
「なんだよ、じゃないよ! またカレーの余韻よいんに浸ってたな!?」
「よい……なに?」
「カレーのこと考えてボケッとすんなってこと!」
「ボケッとしてねえよ!」

 売り言葉に買い言葉で、飛雄は言い返す。

「これから部活でしょ!? そんなんでやれるの!?」
「やれるに決まってる!」
「ならシャキッとしなさいって!」
「してる!」
「今ぼーっとしてたでしょうが!」
「してない!」
「してた!」
「してねえっての!!!」

 頑なに認めたくない飛雄がキレて、私の顔面をバレーボールのように鷲づかみにしてきた。

「いっだ!?!! イデデデ!?」

 ギリギリ握りしめてきて、顔面が潰れそうな強い痛みが走る。

「こんっっっのやろ!!!」

 つかみかかられた私も飛雄の頭を両手で鷲づかみにしてやり返し、圧縮するように力を込めた。

「いっでえな! この馬鹿力! 離せェ!」
「お前が先に手ぇ離せ!」

 くだらないバトルを繰り広げる私たちに、部活で登校してきた生徒たちからの視線が集中する。

「……俺、余計なこと言った?」
「国見はなんも悪くないぞ」

 事の発端である国見君と、国見君をかばう金田一君も、私たちにドン引きしていた。

「お前はバレー馬鹿なだけじゃなくて、カレー馬鹿でもあんのか!」
「カレー馬鹿ってなんだボゲェ! 変な呼び方すんじゃねえ! お前こそ羊羹女って呼ばれてるくせに!」
「アァ!? 羊羹女って呼ぶな!」

 つかみ合いの喧嘩は止まらない。
 過去にも似たようなことをクロとやり合った覚えがあるが、あのときと今とでは状況が違う。

「…………オイ、なにやってんだお前ら」

 ふと、聞き慣れない声が聞こえてきて、私と飛雄はピタリと動きを止めた。
 声がしたほうに視線を向けると――、

「い、岩泉さん……」
「及川……先輩まで……」

 見覚えのある顔と、苦手な顔が揃ってそこにいた。

「朝っぱらからうるせえよ。いい加減にしろ」
「す、すいません!」

 ピシャリとたしなめられ、飛雄は私の頭から手を離して体をピンと真っ直ぐにした。

「桂、だったよな。お前も冷静になれ」
「うるさくしてすいませんでした!」

 私も即刻頭を下げて、謝罪した。

「金田一君と国見君もごめんね」
「あ、いえ……」
「…………」

 少しは縮まったと思ったふたりとの距離も、今ので離れた気がして悲しくなった。

「朝からよくやるねえ」
「及川先輩も……騒がしくしてすみません……」
「まあまあ。ホントに仲いいんだね」

 及川先輩にも謝罪するとニコリとほほ笑みかけられるが、その笑顔には裏がありそうで怖く見える。

 こういう食えないヒト、苦手かも……。

 思いもよらぬタイミングで苦手なタイプを知った。私が単純なので、読めない相手は相性が悪いのかもしれない。どうも苦手だ。
 ――クロもわりと読めないタイプだよね。
 たぶんクロもそっち側の人種だ。今しがた自覚した私の苦手なタイプに当てはまる。が、クロに関しては付き合いが長いのもあり、苦手には思わない。むしろ友達として好ましく思っている。

「桂、悪いがそろそろ部活始まるから、俺らは行くぞ」
「あ、はい。がんばってください」

 岩泉先輩が、皆を引き連れて体育館へと行った。
 校門前にぽつんとひとり残された私は、周りからの視線を一身に受けて集中砲火される。
 あまりの居心地の悪さに、私は小走りで部室へ向かった。

 生き物たちのお世話をしながら触れ合い、癒されていると――、

「桂さん、バレー部の人たちとなんかあったの?」
「エ"ッ!? なんで知ってるんですか!?」
「あれだけ騒がしかったら見ちゃうよ」
「そ、そうですよね……」

 今朝の出来事を、部長に目撃されていたと知る。

「バレー部の一年に幼なじみがいるんですけど、その幼なじみと喧嘩しちゃって……」
「そうなんだ。仲良いんだね」
「仲良い……んですかね」
「え? どういうこと?」
「喧嘩するほど仲が良いってよく言いますけど、わたしの幼なじみはよくわからないんです」

 朝の登校を一緒にして、家に招き入れてもいるくせに今さらなにを言う、と指摘されそうな話ではあるが、飛雄の場合そのあたりが微妙なのだ。

「私は昔と同じように仲良くしてるつもりなんですけど、向こうは何事も深く考えないタイプでして、私の一方通行だったらどうしようかと」
「うーん……つまり、桂さんは幼なじみけん、友達として仲良くしたいけど、幼なじみの子は知り合いとしてなあなあで付き合っているだけだったらどうしようってこと?」
「まあ……有り体に言えば、そうなりますね」

 私の足りない言葉を、部長が察して付け足してくれた。
 朝の登校は一与さんに言われたからで、特に困ることもないから一緒にしている。
 家に来たのはカレーが食べたかっただけで、昔からの知り合いの家だし、お邪魔しても気にならなかった。
 そこに幼なじみの情や、友達としての情はなく、ご近所付き合いと似た感覚なのかもしれないと考えたら、少し悲しくなる。

「朝からぐずぐずしたこと話してすみません……」
「いや、いいよ。気にしないで。……でも、朝いつも一緒に登校してくるの見るよ? それは仲良くないとできないんじゃない?」
「それは……そうなんですけど……昨日もうちに家族と夕飯を食べに来たので、普通に考えれば仲良いんでしょうけど、普通と捉えていい相手じゃないから色々考えてしまうんです」
「えっ!? そこまでの付き合いなら、やっぱり仲良いとしか思えないよ!?」
「ですよねー……やっぱり考えすぎなんですかね」

 トカゲに餌やりをしながら、頭の中には飛雄のことが浮かんでくる。
 昔は喧嘩しながらも、友達として仲良くしていたのは間違いない。大事な幼なじみ、大事な友達――私はそう考えて今も接している。
 しかし、互いに成長し、環境もガラリと変わり、物理的にも距離が離れて過ごしていた。なんでもかんでも昔と同じようにはいかない。
 親同士が仲良いから、必然的に子供たちも関わる機会がある。ただし、決して距離は近くない。そのような小説やドラマでありがちな、微妙に壁のある関係性が私たちの現実なのだとしたら、胸が痛くなる話だ。

「ひとつ気になるんだけど、桂さんって、なんでそんな捻った考え方をするの?」
「え?」
「あ! ごめん! 言葉間違えた! いや、その……俺からしてみれば、そこまでくれば超仲良しとしか思えないんだけど、桂さんはそう思ってないみたいだから、なにか理由があるのかなあと思ったんだ」
「理由……」

 部長に聞かれて、過去の記憶を掘り起こした。
 そして、あることを思い出す。

「私、両親のこと、すごく尊敬しているんですよ」

 訥々とつとつと、自分語りを始めた。

「お父さんは人付き合いが上手で、人脈もあるし、友達もたくさんいて、仕事柄家にこもることが多いのに常に人に囲まれている、みたいな人なんです」

 昨晩のことだって、家族でうちに夕飯食べに来ないかと急に言われたところで普通なら遠慮するだろう。たとえ子供たちの仲が良く、昔からの知り合いだとしても、親戚でもなければ特別な日などでもないのだから。
 クロと研磨だってそうだ。気軽に互いの家に入り浸れたのは、私たちの見えないところで父が相手の親との付き合いを大事にしたからだ。だから、急に夕飯を食べに来ふとなったとき、クロと研磨の親も桂さんならばと許していた。
 父の人当たりの良さと、相手の心を開くコミュ力の高さに私は恩恵を受けていた。

「お母さんは、お父さんと違って変わった人というか、昔気質むかしかたぎなところがあったんです。責任感が強くて、曲がったことが嫌いで、常に身を挺して前に出ていく人で、身内をとにかく大事にする人でした」

 母は、実は料理が苦手で、洗濯や掃除をするのも下手くそ。父のほうが圧倒的に家庭的だった。
 しかし、父の小説家としての仕事が長らく軌道に乗れなくてお金に困っていたとき、母はそんな父を支え続けた。生活面でも、精神面でも、母だけはブレることなく家族を守り続けた。
 たとえば、私が同級生の男子から嫌がらせを受けて怪我をしたとき、私が事情を話すと、自ら相手の親と話をつけに行ったことがある。相手の親が厄介なタイプであったとしてもだ。逆に、私に非がある場合は、拳骨を食らわして説教してから私の首根っこをつかんで相手のお宅へ謝罪に向かった記憶もある。
 母なりの信念があって、それに則って行動し、礼儀を重んじていた。

 父が私に甘い人なら、母は私に厳しい人だった。
 ただ、どちらも優しさに溢れているのは確かだ。

「そんな両親みたいに私もなりたいと思って、昔はよく両親の真似っこをしていたんですよ。そしたら色々間違えたのか、小学生のときにクラスメイトから、私といるのは楽しくないと言われてしまったことがあるんです」

 小学二年生の頃の話だ。
 父の真似をしたことにより、学年関係なく、たくさんの人たちと中途半端に関わりすぎて、かえって関係性が薄いまま浅く広い人間関係を構築してしまった。
 母の真似をしたことにより、信念もなにも育っていないのに、なんでもかんでも説教臭くなって口うるさいだけのやつになった。助力とお節介の区別もつかず、クラス中から煩われることもあった。
 その結果、私と唯一仲良くしてくれたクラスの友達にさえ、私に大事にされていないと感じて離れていき、一時期クラスで孤立したことがある。
 友達がいなくなってから過剰な言動を慎むことで、いい塩梅に人間関係を立て直してきた。
 それでも、今でも人と関わりたがる性格や、お節介な部分はたまに顔をのぞかせるので、そのたびに控えなければと気を引き締めている。

「それからは心を入れ替えて、改めたらすぐ友達ができて楽しく過ごせるようになったんですけど……ちょっとトラウマになってるんです。自業自得なんですけどね」

 嫌な記憶を掘り起こして、少し気鬱になる。

「なので、幼なじみと仲良くやれているつもりでも、まだ再会してから日も浅いので、本当に仲良くやれているのか不安になるんです」

 理由を話し終えて、ずっと黙っている部長に視線を向けると、部長は肩をふるわせて口元を手でおさえていた。

「す、すいません! 変な話をして! 呆れましたよね!?」
「いや、そうじゃないんだ……そうじゃなくて……」

 部長は言葉に詰まって、なにか言いたそうにしていた。
 部長が口を開くのを待つと――、

「俺も、似たようなことがあったんだ。昔から生き物はなんでも好きで、学年が上がっても生き物と触れ合うのをやめられなかったんだ」

 部長も、昔の話を語り始めた。

「周りはみんな漫画とかゲームの話で盛り上がっているのに、俺はいつまでも生き物にしか興味がないから、みんな俺と遊ぶのは楽しくないって言って離れていったんだ。虫も好きって言ったら、今は男子でも虫が嫌いな人もたくさんいるから、とにかく引かれてばかりでね」

 悲しい過去を思い返して、部長の顔は陰りを見せる。

「中学に上がって、やっと生き物好きな人たちと関わることができたけど、俺はもう三年だから来年にはこの楽しい部活をやめなくちゃならない。一生懸命お世話してきた生き物たちともお別れしなきゃならない。それがどうしてもつらいんだ」

 好きなことに邁進するだけでは、どうにもならない現実がある。どう乗り越えるかは本人次第だが、なんでもかんでも割り切れるわけでもない。
 幸い、私には味方になってくれる人たちがいたが、部長にとっては、この生物部が心の拠り所なのだろう。
 それを嫌でも手放さなければならないのは、とてもつらいことだ。

「だから、せめて生物部のある高校に入ろうと思っているんだ。そこなら、今と同じように好きなものを共有できる仲間に出会えるかもしれないから。触れ合ったことのない新しい生き物ともね」

 つらいことだが、先輩なりに割り切る方法を模索したようだ。

「桂さんも、この先、不安は尽きないだろうけど、きっと悪いことばかりじゃないよ。幼なじみの子とも距離感に悩んでいるだろうけど、話を聞くかぎり桂さんのことが嫌いなわけじゃないと思うし、引っ越してから日も浅いんでしょう? なら、これからもっと仲良くなれるって信じてみたらどうかな?」

 部長の言葉に、兆しを得た気がした。

「……私、喧嘩してでもいいから、昔みたいに幼なじみと仲良くやれたらと思っていたんです。実際、今朝みたいにくだらない喧嘩するようになって、ちょっと距離が縮まったかなって思ったんですけど、気を緩めたらまた距離が離れる気がして、確証が待てないかぎりは仲良いって言えなかったんです」

 飛雄はバレーを続けて、私はバレーをやめた。
 進む道を納得した上で自分で決めたつもりだったが、本当にこれでいいのかと悩まなかったと言えば嘘になる。
 クロと研磨ともバレーで繋がってきた仲だから、飛雄ともバレーで繋がりができたらいいと、バレーさえあれば喧嘩しても繋がりは切れないと、そうであってほしいと願っていた。
 でも――

「でも、繋がりって、なにもひとつだけじゃないですよね。色んな形があっていいですよね。部長の言うとおり、これからもっと仲良くなれると信じて、幼なじみと関わっていこうと思います」

 私も、部長みたいに前向きになりたいと思った。
 たとえこの先、飛雄との関わりが薄くなることがあっても、過ごしてきた時間や思い出が消えるわけではないから、それを自分の中だけで大事にしていけばいい。

「うん。深く考えないで、今を楽しめばいいよ」
「部長……ありがとうございます」
「俺も急に変な話してごめんね」
「そんなことないです。大変な思いをしてきた部長だからこそ、私の話を真剣に聞いてくれたんですよね。すごくありがたいです」
「そっか、そう思ってくれるならよかった。じゃあ、残りのお世話もがんばろうか」
「はい!」

 その後、部長と残りの生き物のお世話をして、私は晴れやかな気分で部活を出た。





 生物部は、週一の活動日以外は生き物のお世話で終わるので、土日は午前中のうちに帰ることができる。
 飛雄は部活がんばってるんだろうなあと、幼なじみのことを考えながら校舎を出ると、目の前に既視感のある光景があった。

 あ、バレー部だ。

 すっかり一目見ただけでバレー部だとわかるくらい見分けがつくようになった。案の定、飛雄の姿もそこにある。
 声をかけようとしたが、喧嘩別れしたばかりで少し気まずいのと、部活の邪魔をするのは良くないと思い、声をかけずにこっそり帰ろうとした。
 が――、

「お、千早」

 向こうから平然と声をかけてきた。

「部活終わったのか?」
「う、うん。これから帰るところ。飛雄はこれからロードワーク?」
「おう。先輩待ってるとこ。……そうだ! ちょうど千早に見せたいのがあるんだ! こっち来てみろ!」
「え? なに?」

 またアイツらかと言いたげな視線をバレー部員たちに向けられながら、やたらテンションを上げた飛雄について行くと――、

「見ろ!!! でっけぇイモムシ!!!」

 校門脇の植木にいる、バカでかい芋虫を見せつけられた。

「…………ブッ――! あっははは! ホントだ! デカいね!」

 あまりに唐突すぎて、気まずいとか、邪魔したら悪いとか、そういったことは頭から抜けてしまった。

「だろ!!」
「これは……セスジスズメの幼虫だね」
「スズメ!? イモムシって鳥になんのか!?」
「んなわけないでしょ! だよ! 蛾の幼虫!」
「ガになんのかコレ! どんなガだ!?」
「セスジスズメは茶色い蛾で、スズメガ科に属する虫だよ。これから夕方から夜にかけてそのへんによく出るよ」
「よくわかんねえけど、お前はムシ博士だな!」
「うちの部長には敵わないけどね!!」
「なんでドヤ顔してんだ?」

 でかい芋虫のおかげで、すぐに飛雄との会話はいつもの調子を取り戻していた。ゴキゲンで芋虫トークを繰り広げる私たちに、部員たちからの痛い視線が刺さる。

「なんでコレ見せようと思ったの?」

 率直な疑問を投げつけると――、

「千早が喜ぶと思ったから」

 ――意外な答えが返ってきた。
 息を呑み、思考が一瞬止まった。

「昨日のカレーのお礼だ!」
「…………私以外の人にお礼するときは、だれかに相談してからにしなね」
「? おう」

 やっぱり飛雄は、何事も深く考えないやつだった。

「なに……やってんだ、お前ら」

 後ろから声がして振り向けば、岩泉先輩が奇異なものを見る目をしてそこにいた。

「あ……あの……」
「おわっ!? でっけぇ芋虫!?」

 どこから説明するべきか言葉を選んでいると、岩泉先輩は芋虫を見つけて驚いた。

「ガの幼虫らしいっす」
「蛾!? これ蛾になんのか!?」

 飛雄と似たり寄ったりの感想が岩泉先輩の口から出る。

「……って、思わず驚いちまったけど、芋虫なんかどうでもいいから早く行くぞ」
「あ、うす」

 飛雄は岩泉先輩の後ろをついて行き、さっさと部活に戻ってしまった。
 他の部員たちは、私と飛雄を交互に見てはヒソヒソしている。その中には、金田一君と国見君もいる。

 ……この空気でどうしろと?

 呼ぶだけ呼んでおいて、放置しやがった飛雄に恨みを抱きながら、私もさっさと帰ろうとした。

「千早!」

 馴染みある声に名前を呼ばれ、振り向いた。

「また明日な!」

 飛雄がそう言って、ロードワークに行ってしまった。
 私は驚いて、しばらく立ち尽くしていた。

 飛雄から、初めてまた明日って言った……。

 なんと表現すればいいかわからない感情が込み上げるが、悪くはない気分だった。
 "また明日"――姿が見えなくなって、もう聞こえないであろう飛雄に向かって、私も小さい声で返した。