会いたいが情、見たいが病とは言うが
その日の朝。私は暇を持て余していた。
スクールバッグに入っているのは、昨日読み終えた本。新しく読みたいと思っていた本を家に置き忘れ、いつもの暇つぶしができないでいた。
時間になるまで、外でもぶらぶらしてるかな。
転校初日のときと同じように、私は外をふらついて暇をつぶすことにした。
私はいつも朝早く来るので、生物部の部長に月から金は毎日生き物のお世話やりますよ、と一度掛け合った。しかし部長には、それでは平等にならないと断られた。なので当番外である今日は、生物部に行くこともはばかられる。
外を歩いていると、運動部の生徒たちがそれぞれ朝練を行っており、園芸部の人たちが花の水やりをしている光景もあって、それらを遠巻きに
一瞥する。
東京にいた頃は、朝が暇になるなんて想像もしなかった。三年間、毎日慌ただしい生活を送っていたためか、生活習慣の違いにいまだ慣れない。
サッカー部が朝練を行う光景を見ながら校庭のそばを歩いていると、ひとりの女子生徒とすれ違う。
女子生徒が携えているビニール袋からは、植木に使う栄養剤が透けて見えた。おそらく園芸部の人だろうと予想して、そのまま歩を進めた。
「危ない!!!」
校庭から突然大声が聞こえ、思わず振り向いた。
すると、サッカーボールが大きく弧を描き、今しがたすれ違った女子生徒の元へとまっしぐらに飛んでいた。
あ、これヤバい。
そう思ったときには、すでに足が動いていた。
飛んでくるボールに身構えて、体が固まっている女子生徒の元へ駆けつける。そのまま飛んでくるボールを手で弾き、間一髪でボールの激突を防いだ。
「大丈夫ですか!?」
安否を確認する声をかけると、女子生徒は急展開に驚いているのか、あっけに取られてまだ固まっていた。
「あっ……だ、大丈夫です! ありがとうございます!」
「無事でよかったです。あ、荷物落としてますよ。はい」
「す、すみません!」
落ちた荷物を拾って、女子生徒に渡す。女子生徒は状況が飲み込めていないのか、少しぼーっとしていた。
「すみません! 大丈夫ですか!?」
サッカー部の人が、焦った顔でやって来た。
「怪我はないですか?」
「あ、大丈夫です! なんともありません!」
「それならよかった……ホントにすみませんでした」
ペコリと頭を下げたサッカー部の人に、女子生徒はじっと視線を送っている。
もしかして、これは……恋の予感!?
青春の一幕っぽい光景を目の前にして、私はテンションがグンと上がった。
華のあるサッカー部の男子との出会い、これから始まる恋模様――恋愛小説にあるあるな展開だ。
物語の一端を現実でも味わった気がして、私はワクワクが止まらなかった。
「じゃあ、私は行きますね」
「え? あ、はい、ありがとうございました!」
女子生徒とサッカー部の男子生徒に別れを告げ、私はウキウキ気分のまま、その場を立ち去った。
その日から数日が経ったある日の昼。
「桂さん、呼ばれてるよ」
教室で友達とおしゃべりしていると、クラスメイトに呼ばれる。
教室の入り口まで向かうと、そこには見覚えのある女子生徒が緊張した面持ちで立っていた。
「あれ? たしかこの前の……」
「あの、急にすみません! 桂先輩にこの前のお礼がしたくて……これ、よかったら食べてください!」
先輩と呼ばれたということは、この女子生徒は後輩ということだ。しかし、なぜ私のクラスがわかったのだろう。名乗ったことなどないのに。
後輩の女子が渡してきたのは、かわいくラッピングされたクッキーだった。
「わあ! クッキーだ! おいしそー!」
「お菓子作りが得意なので、これくらいしかお礼できませんが……」
「これくらいだなんて! すごいよ! わざわざありがとう。大事に食べさせてもらうね」
「いえ! じゃあ、失礼します」
後輩の女子が立ち去り、背中を見送った。
もらったクッキーを手にして席に戻ると、友達が声をかけてきた。
「それどうしたの?」
「後輩の子からお礼だって」
「千早なにしたの?」
「前にサッカー部の飛ばしたボールが、さっきの子にぶつかりそうになったときがあってね。それを助けた」
「なにそのベッタベタな展開」
「私も思った」
まさか私も恋愛小説のベタな展開に出くわすとは思いもしなかった。
「あの子ね、ボール飛ばしたサッカー部の男子に釘付けだったの。目の前で恋愛フラグが立って、もう……ワクワクしちゃった!」
「……そうかな?」
「え? そうかなって?」
「どっちかっていうと、ねぇ……」
沙織と彩花は互いに見合って、意味深な目配せをした。
「な、なに?」
「おもしろそうだから黙っておく」
「なんなの!?」
友達の真意は結局わからないまま、お昼休みを終えた。
放課後、私は部活に行く友達を見送ってから帰宅しようとすると、
「あの、桂さん!」
昇降口で声をかけられ、顔を上げる。声をかけてきた人の顔を見れば、この前のサッカー部の男子生徒だった。
なんで私の名前知ってるんだよ。
心の中で軽くツッコミを入れて、男子生徒と向き合う。
「な、なんでしょう」
「この前はすみませんでした! それで、聞きたいことがあって……」
サッカー部の男子は照れくさそうにして、言葉に詰まり――、
「前に一緒にいた女の子の連絡先って知りませんか!?」
で……出たー!!!と、さらなる恋の予感がする展開にビックリして、声が出そうになった。
しかし、残念ながら私もあの子の連絡先は知らないのだ。
「ごめんなさい、知らないんです」
「えっ!? 知り合いじゃなかったんですか!?」
「あのとき初めて会いました」
「そ、そうかあ……」
サッカー部男子は、ガックリ肩を落としていた。
申し訳ないが、あとは自力でがんばってもらうしかない。
「じゃあ、私はこれで」
「あっ、ありがとうございました……」
余計な手出しは無用。恋の行く末はものすごく気になるが、私が首を突っ込んで話がこじれるなんてことが起きるのはもっての外だ。
今にもニヤけてしまいそうな口元に力を込めて、平静を保つよう努めながら颯爽と立ち去った。
サッカー部男子との一件があった日から、またまた数日が経ったある日。
私は友達と体育館でバスケを楽しんでいた。
「彩花! こっち!」
「千早!」
自チームのメンバーにボールを繋がれ、私はバスケットゴールに向かってシュートを決める。ネットにすとんと入ったボールは、トントン音を立てて床に落ちた。
「やったー!」
「いえーい!」
得点を決め、私は彩花とハイタッチして喜んだ。
この場には、沙織と彩花以外に、たまたま体育館にいた同じクラスの女子も数名いる。ちょうど3対3で分かれる人数だったので、みんなで一緒にバスケをしていた。
沙織と彩花以外、同じクラスの人とあまり交流を待てなかった私は、この機会に仲を深めることができればと張り切っていた。
「桂さんって運動神経いいんだね」
「勉強よりは得意だよ」
キリの良いところで小休憩を挟みつつ、クラスの女子と交流を続けていると――ふと、外からこちらを見ているふたりの女子生徒の姿が目に入った。
「あれ? この前の子だよね?」
ふたりのうち、見覚えのある片方の女子生徒に近づき、話しかけた。
「あ、はい! 勝手に見てすみません……!」
外から見ていた女子生徒は、このあいだのクッキーをプレゼントしてくれた後輩、おそらくその友達だった。
「いや、全然いいよ! バスケ興味あるの?」
「バスケというか……その……」
後輩の女子は、もじもじしながら言葉に詰まっている。どうしたんだろうと疑問を感じたが、そのあと私は瞬時に察した。
もしかして――恋物語の続き!?
気になっていた展開の先を知れる機会が訪れ、私はドキンと胸が高鳴った。
ふたりの恋路をそっと見守ると決めたくせに、つい出しゃばりたくなる気持ちが現れては、グッとこらえてニヤけが顔に出ないよう努めた。
後輩の女子から相談事を持ちかけられてから話に乗ろう。私からは決して手出ししない。
そう改めて決意し、後輩の女子が口を開くのを待っていると――、
「あ、あの! 私と連絡先を交換してくれませんか!?」
……ん? 今なんて?
「私と?」
「はい! 先輩が良ければですが……」
ちょっと急展開に頭が追いつかない。
「こないだのサッカー部の人とは?」
「え?」
「え??」
いったい、どういうことだろうか――と、さらなる疑問が浮かび上がるが、私は即座に察した。
まさか!? 私に直接、恋愛相談を!?
キャー!と心が沸き立つ。それなら納得だ。
私は隠していたニヤけ顔をすでに隠しきれなくなり、緩みきった口元を抑える努力もしなくなった。
「いいよ、交換しよ」
「や、やったあ!」
「でも携帯教室だ……」
「あ、私メモ持ってます!」
「そう? ならメモにアドレスと電話番号書いていい?」
「はい!」
後輩の女子からペンとメモを受け取る。
「名前なんていうの?」
「綾瀬です! 綾瀬美桜っていいます!」
「かわいい名前だね。園芸部らしい花が似合う名前だ」
『美桜ちゃんへ』から書き出し、自分の連絡先を後輩の女子に渡す。
「はいこれ。いつでも連絡してね」
「あ、ありがとうございます!」
一緒にいた友達とキャッキャしながら、ありがとうございましたと言い去っていく後輩の背中を見送り、私もキャッキャウフフしたいとふわふわした気分でいた。
「……千早、キャラ変でもしたの?」
「なんの話?」
ジト目で見てくる沙織に疑問を投げかけるが、ハァー……とため息をつかれただけで、あとはなにも言わなくなってしまった。
「ねえ! なんの話!?」
「彩花、おもしろいから黙っててね」
「りょー」
ここぞとばかりに出る、ふたりの悪ノリに付いていけなくて、私はそのあとも問いただしていた。結局、昼休みが終わっても教えてもらえることはなく、私はしばらくふてくされることになった。
そして、その日の放課後。
今日も私は当番外のため、生き物のお世話はナシだ。
生き物と触れ合いたい欲求を抱えたまま、帰宅するべく昇降口を出ると、
「あ、桂先輩!」
お昼に連絡先を渡した美桜ちゃんが、苗を手に持ってそこにいた。
「お昼ぶりだね。それ、園芸部の?」
「そうです! 私が園芸部なの知ってたんですか?」
「前も園芸部っぽいの持ってたから、たぶんそうかなーって思って」
「正解です! 私、園芸部なんです!」
初めてまともに関わったかもしれない後輩女子を相手に、私は浮き足立っていた。
少しだけ話し込んでいると、校庭のある方向から運動部の集団がやって来る。その中にひとり、見覚えのある顔がいた。
その顔は、以前目の前にいる美桜ちゃんに、図らずともボールをぶつけようとしたサッカー部の男子だった。
「あ、あれ? ふたりとも、なんで……」
私を含めた三人が邂逅する。
サッカー部の男子は状況を飲み込めないといった様子で、唖然としていた。
「部活ですか?」
私が話しかけると、サッカー部男子はハッと意識を取り戻して、私と後輩の女子を交互に見た。
「あ、ああ、そうですけど……ふたりはなんで? 知り合いじゃあなかったんじゃ……」
「今日のお昼にたまたま会って知り合いました。今もちょっと話してたんです」
「え? そ……そうなんですか」
サッカー部男子は、どこか納得のいかない様子だ。
以前会ったときは知り合いですらないと言ったのに、短期間で知り合いに昇格しているのだから腑に落ちないのもわかる気がする。
あ! 今って、ふたりの距離が近づくチャンスなのでは!?
ようやく大事なことに気づき、お節介を焼きたくなってしまう。手出し無用と決意したにもかかわらずだ。
「あ、あの!」
すると、サッカー部男子が意を決したように、美桜ちゃんに声をかけた。
行くか!? 行くのか!?
私は目の前で起こっている恋愛模様に興奮し、黙って様子を見守った。
「俺、田口淳也って言います! よかったら、俺と連絡先を交換してくれませんか!?」
行ったーーー!!!
興奮を顔に出さないよう、歯を食いしばって事の端末を観察する。
ハラハラしながら、期待を込めて美桜ちゃんに視線を送ると――なぜか美桜ちゃんは微妙な顔をしていた。
え? なんで? どうして?
てっきり美桜ちゃんもサッカー部男子に惹かれていると思っていたので、この展開は予想外だ。
「……ごめんなさい。交換はできません」
ええーーー!?!!
声には出さず、心の中で悲鳴を上げた。
まさかの展開が広がり、私は軽くパニックになっていた。
「え……え?」
サッカー部男子、もとい田口君は大いにショックを受けている。しかたないだろう、気になっている子に断られたら、だれだって悲しい。
「じゃあ、私は部活に戻ります。桂先輩! 今日、連絡しますね!」
「あ、うん……またね」
美桜ちゃんは、田口君にはあっさり別れを告げたのに、私には連絡の約束を取り付け、にこやかに去って行った。
私と田口君で扱いが違いすぎないだろうか。
田口君の様子が気になって視線を移動すると、田口君はあきらかに落ち込んで肩を落としていた。
「連絡って、どういうことですか?」
「え? なにが、ですか?」
「俺とは連絡先の交換してくれなかったのに……桂さんは交換したんですね……」
「それは……」
田口君になんと声をかけたらいいかわからない。言葉の引き出しが多い父ならば、上手い慰めの言葉をすぐに見つけられたのだろう。やはり私では父のようにいかない。
「桂さん!!!」
「は、はい!!」
突然大きな声で名前を呼ばれ、体がピンと真っ直ぐになる。
名前を呼んだ田口君は、真剣な顔つきで私を見ていた。
「どうか!! 俺にアドバイスをくれませんか!?」
「な、なんの!?」
「恋愛のアドバイスです!!!」
「えええ!?!!」
なにを思ったのか、田口君は私に助言を求めてきた。
「俺、あの子に一目惚れしちゃったんです! どうしても仲良くなりたいんです!」
「た、たしかに美桜ちゃんはかわいいですけど……」
「名前までかわいいなんて! お願いします! どうか俺に! アドバイスを!」
必死の形相で私に食らいつく田口君に、思わず若干引いてしまう。
あまりの必死さに「早く部活行けよ」とは言えず、ひたすら困惑していた。
「お願いします桂さん! このとおり!」
「そんなこと言われても!」
「なんでも言うこと聞きますからぁ!」
田口君はとうとう私の両肩を掴んで、必死に懇願してきた。
こいつの図太さはどうなっているんだ。木の幹くらい太いのではないだろうか。
ドン引きしなからも、なんとか肩から田口君の手を引き剥がそうとするが、さすが現役の運動部。力が強くてなかなか離せなかった。
私たちの尋常ではない様子に、帰宅途中の生徒や、部活動に勤しむ生徒たちからの視線が集まり、とんでもなく居心地が悪かった。
「いい加減離してください!!」
「お願いします! お願いしますぅ!」
「いい加減に……しろォ――ッ!!!」
あまりにしぶとい田口君にしびれを切らした私は、田口君の袖をつかみ取り、腰を低くして体を待ち上げ、そのまま田口君を背中から地面に投げつけた。
――背負い投げだ。
父の友人のツテで、短期間だけではあるが、柔道教室の先生から教わったことのある技を一発お見舞いした。教わった頃は、格闘技の選手にも憧れていたのだ。
「グァッ!!?!」
カエルがつぶれたような声を上げた田口君は、そのまま一発KOされ、地面で動けなくなっていた。
し、しまった! ついやらかした!
故意ではなかったとしても、背負い投げはやりすぎだ。
未来ある運動部の人に怪我をさせてしまったかもしれない現実を前に、非常にゾッとした。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫……ではないですよね!?」
「う……受け身は取れたんで、大丈夫っす……」
「ほ、保健室!! 保健室行きましょう!!」
田口君の安否を確認しながら、ゆっくり体を持ち上げて肩を貸す。
一応、相手の体をコントロールして安全に着地させる技術は身につけているが、それでも痛いのは痛いだろう。一刻も早く保健室で診てもらわなければならない。
柔道の先生……ごめんなさい。
私は
一時でも武道をたしなんだ者として、やってはいけないことをやりました……武道家の風上にも置けない大馬鹿者です……。
自分のやらかしに大後悔して、保健室への道を進んでいると――、
「千早……お前……」
飛雄を筆頭に、男子バレー部の面々が目の前にいた。
「今、その人……背負い投げしてたよな……」
「うわあああ!!! 飛雄ーーー!!! どうしよーーー!!!」
馴染みのある顔に出くわし、心細かった気持ちが変化して少し気が緩んだ。必死なあまり、泣きっ面をかいて飛雄に助けを求める。
「と、とりあえず保健室だろ!!」
「今行こうとしてるの!!」
「早く連れて行けよ!!」
ふたりでパニックになってオタオタしていると、バレー部の集団の中から岩泉先輩が出てきた。
「おい! なにやってんだ!」
「岩泉先輩!!」
「俺も手貸すから、早く保健室行くぞ!」
「お、お願いします!!」
救世主の登場により、先ほどよりもスムーズに田口君を運ぶことができた。
保健室に着いて先生に田口君を診てもらうと、幸いにも大した怪我はなく、ただ尻餅をついただけのようだった。保健室に向かう際も、田口君は途中から尻の痛みが失せて、普通に歩けるようになっていた。
その後はサッカー部の顧問の先生や、田口君と私のクラスの担任の先生も保健室にやって来て、私は事情を先生方に説明した。
事の顛末を聞いた担任の先生から、もちろん私はこっぴどく叱られた。
父にも連絡が行き、急いで父が駆けつけた頃に私は校長室にいて、その場で父からも大説教を食らった。
田口君のご家庭にも連絡が行ったようで、父が先生を通して謝罪に伺う約束を取り付けた。話の流れを聞くかぎり、田口君のご両親は仕事を抜け出せなくて、今すぐに来れないとのこと。
帰り足に、父がお店で菓子折りを購入し、先生から聞いた住所を元に田口君のお宅まで父と一緒に頭を下げに向かった。
「このたびは、うちの娘が大変申し訳ございませんでした!」
「危うく怪我をさせるところでした! 本当にすみませんでした!」
父と並んで、田口君と、田口君のご両親に謝罪する。
「こちら今回の治療費です……どうぞお受け取りください」
父は治療費の入った長形の封筒を、丁寧に田口君のご両親に渡した。
田口君は尻餅をついただけとはいえ、あのあと念のため病院に向かわせて診察を受けた。病院からも特に問題はなかったと診断を受けたそうだが、一歩間違えれば大怪我になる可能性だってあった。
お金の入った封筒を見つめ、己の迂闊さを悔やむ。
そして、私と父は田口君の家をあとにした。
沈んだ空気の中、自転車をこいで帰路に着く。
「問題起こしちゃってごめん……お金も……」
「お金くらいはいいさ。でも、手を出すのはやりすぎなのはわかるよな。怪我してたら部活続けられなくなってたかもだろ」
「……そうだよね」
「家に帰ってから、もう一度ちゃんと話そう」
多方面に迷惑をかけてしまったことに、申し訳なさが募る。明日、学校で田口君に会いに行って、改めて謝罪しようと思う。
そういえば田口君って何年生?
勝手に君呼びしてたけど、クラスもわかんないや……先生に聞けばわかるかな。
田口君だけではない。岩泉先輩や、担任の先生、サッカー部の顧問の先生、各方面にもお詫び行脚をしなければならない。
明日が来るのが憂鬱だが、すでにやらかしてしまったことは今さら変わらないのだ。
これから訪れる説教の時間に気を落としながら、私は静かな空気の中、自転車をひたすらに漕いでいた。
次の日の朝。
「飛雄……昨日は驚かせてごめんね……」
「俺は平気だけどよ、昨日の人は大丈夫だったのか?」
「尻餅ついただけみたい」
「そうか」
飛雄といつものように朝の登校を一緒にする。
移動中の話題はもちろん、昨日の背負い投げのことだ。
「背負い投げなんていつ覚えたんだよ」
「小学生のときにちょっとね……技とコツを柔道の先生に教えてもらったことがあるの」
柔道教室に通ったのは短期間のみだったが、先生に筋がいいと褒められた記憶がある。
しかし、武道とは精神を鍛え、人格を磨き、礼節を重んじることが大切だと教わった。決して素人を相手に危ない目に遭わせるための技術ではない。
「はあー……気が重い……」
「みんなビビってたぞ。ロードワークに行こうとしたら、千早が男子を背負い投げしてたから」
「そりゃそうだよね……」
目撃者の目には、さぞ恐ろしい女に映っていただろう。金田一君と国見君なんて、もう二度と話すらしてくれないかもしれない。
昨日の事態により、さらに変な噂を重ね、私が学校で浮いた存在になっている可能性を思うと、とてもいつもどおりの調子ではいられなかった。
それから学校に着くと、登校してきた生徒たちからの痛い視線がビシビシと刺さってくる。すでに昨日のことは広まっているようだ。
ばつが悪くて、今すぐにでも隠れたい気持ちをなんとかこらえていると、
「桂先輩!」
美桜ちゃんがやって来て、私に話しかけてくれた。
「おはようございます! 昨日、大変だったんですよね! 大丈夫ですか!?」
「おはよ。むしろ大丈夫じゃないのは、私より向こうだと思うよ……」
美桜ちゃんは私に心配の目を向けてくるが、心配すべきはどちらかと言えば田口君だ。
「でも、あの人が先に先輩を困らせたんですよね? 先輩に迫ってたって」
「迫ってたっていうかなんというか……アドバイスを必死に求めてた、の方が正しいかな」
「私は先輩の味方ですからね! 私がいますよ!」
「あ、ありがとう、美桜ちゃん」
昨日、約束どおり連絡をくれた美桜ちゃんには、事の顛末を説明していた。昨日の時点で話が校内に広まっていたらしく、初っ端の連絡から話題は田口君のことだった。
私のこと怖がってもおかしくないのに、美桜ちゃんは私に好意的でいてくれる。
美桜ちゃんと話していると、「あっ」と美桜ちゃんが声を漏らしたので、振り向いて視線の先を見ると――、
「あっ」
「あっ……」
そこにいたのは田口君だった。
昨日、謝罪のためにお宅へお邪魔して以来の再会だ。
なんでこのタイミングなんだ。
「あ、あの! 昨日はすみませんでした!」
当人を前に、気まずくて即刻この場を去りたい衝動に駆られたが、これ以上、恥の上塗りをしてたまるかと、衝動をグッとこらえて頭を下げた。
「い、いえ、俺も昨日は冷静じゃありませんでした。俺こそ、すみませんでした」
「いや! 謝るべきは私のほうなんで! 謝らないでください!」
気まずいのはお互い様のようだ。田口君と私で、俺が私がと謝罪合戦を繰り広げていた。
「あ、あの! 桂さん!」
「はい!? なんでしょう!」
謝罪もそこそこに切り上げた田口君が、突然私の名前を呼ぶ。
なにを言われるのか怖くて身構えていたら――、
「俺と――連絡先を交換してくれませんか!?」
まったくの予想外な展開となった。
頭が追いつかなくて唖然としてしまったが、すぐさまハッと意識を取り戻して口を開く。
「な、なんで!?」
「昨日の背負い投げ、かっこよかったです! 自分よりタッパのある男を投げ飛ばせる実力! その豪快さにシビれました! ぜひ仲良くなりたいんです!」
急展開に驚いているのは私だけではなく、飛雄も美桜ちゃんもポカンとしていた。
「昨日は親もいたんで何も言えませんでしたが、俺は桂さんと仲良くなりたいんです!」
「ま……待って待って待って! ワケがわからないです!」
「あ、俺二年です。二年三組の田口淳也です」
「名前は知ってますが、同じ二年だったんですね。……って、そうじゃなくて!」
「敬語じゃなくていいです! タメ口で! で、俺と連絡先を交換してくれませんか!?」
もうめちゃくちゃだ。
切り替えの早さが自分の良いところと自負していたが、その利点も今は発揮できなかった。
ふと、美桜ちゃんの様子が気になり、チラリと視線を向ける。
想い人が他の女に気を取られていたら、心中穏やかではないだろう。嫌な思いをしていないか、これを機に私との交流が途絶えてしまわないかが不安になる。
美桜ちゃんを見ると、ワナワナと震えて顔を伏せている。
やはりかと不安が加速し、どうフォローしようか悩んでいると――、
「桂先輩は……桂先輩は私のです! 取らないでください!」
またも予想外な展開となった。
「桂先輩は私と仲良くなるんです! 田口先輩とじゃありません!」
「お、俺だって桂さんと仲良くなりたいんだよ!」
私を巡って争い始めるふたりを前に、私はどうしたらいいかわからず、ただ困惑するしかなかった。
「と、飛雄……」
「俺は知らねえ」
「そんな!」
飛雄に助けを求めるも、即座に切り捨てられてしまう。
この薄情者!と罵るが、飛雄の我関せずな態度は依然と変わらない。
「桂先輩は私と仲良くなるんですよね!?」
「俺とも友達になってくれるよね!?」
「いやあ……その……」
だれでもいいから助けてくれ。
私の心からの叫びは、どの人にも届かなかった。
「私と!」
「俺と!」
ふたりはとうとう私の腕をつかんで、互いに引っ張り合ってきた。
「ふ、ふたりとも落ち着いて!」
私の静止する声すら、ふたりの耳には届かない。
「私の先輩なんです!」
「俺とも仲良くして!」
もう手の施しようがない。なぜ私は朝っぱらから昼ドラのような展開に巻き込まれなきゃならんのだ。
飛雄もあきれてさっさと去ろうとし、せめて置いてかないでくれと懇願した。
「……桂、お前はいつ見ても騒がしいな」
後ろから声が聞こえて顔を向けると、そこには岩泉先輩と及川先輩、そして金田一君と国見君もいた。
「い、岩泉先輩!」
「はぁー……おい、お前ら。いい加減にしろ。桂が困ってるだろ」
岩泉先輩が、圧のある声でピシャリと言い放つと、私の腕を引っ張り合っていたふたりは動きを止めて、手の力を緩めた。
「ご、ごめんなさい! つい桂先輩の腕を……」
「俺も、また冷静じゃなくなってた……ごめん」
「いや……大丈夫……」
やっとふたりが落ち着いてくれて、私は安堵する。
「岩泉先輩、昨日に続いて今日もすみません……それから、ありがとうございます」
「あまり騒ぎ立てるなよ。桂も、もう少し冷静になる努力をしろ」
「はい……」
まるで先生のような岩泉先輩を前に、私ら三人は並んでガックリうなだれる。
「前々から思ってたけど、桂先輩って影山とは違うタイプの変人だよな」
「類は友を呼ぶってやつじゃねえの?」
金田一君と国見君が、ヒソヒソと私を変人呼ばわりしてくる。密話のつもりだろうが、ガッツリ聞こえてきた。
「桂ちゃんって、思ってたイメージと違うね」
「どんなイメージ持ってたんですか」
「こましゃくれた感じ」
「どうしてそうなっちゃったんですか……」
及川先輩が、爽やかにひどいことを言ってくる。
だれがどんな話をして、そのようなイメージを持ってしまったのかが気になるところだが、今はそこを追及している場合ではない。
「もう部活始まるから行くぞ」
岩泉先輩の一声で、昼ドラ騒ぎはお開きとなり、各々が部活の活動場所へと赴いた。
私も今日は生物部の活動があるので、飛雄と別れ、部室へと向かった。
その後、教室で沙織と彩花に今朝の出来事について大爆笑され、話を聞いて以前ふたりが意味深な態度を取っていた理由も判明した。
田口君に恋してたんじゃないんかい!!!
美桜ちゃんは初めから私に目を付けていたようで、それに気づけなかったのは私だけだった。
恋とかではなく――ただ憧れの先輩と仲良くなりたかっただけと。
昨日と今日で、立て続けに騒ぎを起こした場面を男バレの部員たちに見られ、羊羹女に追加して様々なあだ名を命名されているのを知るのは、しばらく先のことだった。