新しい友達ができました
あの及川先輩と、スーパーでタイムセール品をかけたバトルを戦い抜けた日から一週間が経った。
「千早ちゃん、おはよ」
「お、おはようございます……」
あれから及川先輩は、学校で私を見かけると、積極的に声をかけてくるようになった。そのせいか、女子たちからの視線がビシバシ飛んできて、居心地の悪い日々を送るハメにもなった。
今も部活のために登校してきた私を見つけた途端、私の名前を呼び、及川先輩はこちらに寄ってきた。
及川先輩なら絶対女の子の視線に気づいているはずなのに、それでも声をかけてくるとか……なんで?
「今日は部活ある日なの?」
「そうです。活動日というよりは、生き物のお世話ですね。部員で交代して学校に来ています」
「へぇー。ヘビとかトカゲもいるんだっけ? よく触れるね」
「生き物は全部カワイイんです!!」
「そ、そう……」
私の唐突な力説に、及川先輩は若干引き気味になる。
「……千早、いつのまに及川さんと仲良くなったんだ?」
一緒に登校してきた飛雄が、心底不思議でたまらないと言いたげな顔で聞いてきた。
「この前、スーパーでバッタリ会ったの。おひとり様
一パックまでの卵と、おひとり様ふたつまでの箱ティッシュ5セットを多めに買いたくてお願いしたら、買い物に付き合ってくれたんだ」
「そうなのか……」
説明してもなお、飛雄は訝しむ目を向けるくる。
なにがそんなに疑わしいんだか知らないが、及川先輩が私と仲良さげにしているのが気に食わないのかもしれない。
「千早ちゃん、部活は何時終わり?」
「今日は生き物のお世話だけなので、たぶん9時半過ぎた頃か、10時頃になるかと。生き物の様子にもよりますけど」
「えー、俺ら夕方までかかるから時間合わないね」
「あはは……そうですね」
積極的になったらなったで怖いと思ってしまうのは、悪いことだろうか。最近まで苦手に思っていた及川先輩とこうして話せるようになるとは、初対面の頃は想像できなかった。世の中なにが起こるかわからない。
グイグイ来る及川先輩に困惑していると、生き物のお世話のため、汚れてもいいように着てきたジャージの裾を引っ張られる感覚がして、視線を移した。
視線の先には、飛雄が私のジャージの裾を軽く引っ張る手が見えて、なんだどうしたと疑問が止まらない。
よくわからないが、及川先輩が話しているので中断するわけにもいかず、とりあえず落ち着けと、裾をつかんできた飛雄の袖を軽くつかみ返した。
「夏休みは……さあ……」
次第に、言葉尻がしぼんでいくように小さくなる及川先輩の様子が変で、私は首をかしげる。
「おい、及川。なに後輩にカラんでんだ。さっさと部活行くぞ」
「はいはい。じゃ、またね。千早ちゃん」
岩泉先輩に連れていかれ、及川先輩は体育館のある方向へと姿を消した。
「……飛雄も部活でしょ? 早く行ってきなよ」
つかんでいた飛雄の裾をくいっと引っ張り、部活へ急ぐよう促す。
「おう」
短く一言だけ返事をして、飛雄は私の裾から手を離すと、体育館へと一直線に向かって行った。
……大丈夫かなあ。
次から次へと起こる予想外の出来事に、宮城に引っ越して初めての夏休みをまともに過ごせるか不安になるが、すぐさま切り替えて私が出しゃばる必要はないと判断した。
せめて、飛雄だけでも注意深く見てようかな。
母や、クロと研磨が私にしてくれたように、私も少しでも助けになることができればいいと、そう思った。
その後、生き物のお世話をしながら、私は飛雄と及川先輩のことを考えていた。
今日も及川先輩は飛雄をあまり見ていなかったし、沙織や彩花が言うような爽やかでにこやかな雰囲気とはかけ離れてるんだよなあ……。
出しゃばらないと思いつつ、なんだかんだふたりが気になっていた私は、ヘビの餌に使う冷凍マウスの処理をしながら思考を巡らせる。
飛雄はいつもどおりだし、普段は気にしてる様子もないけど、今朝はなんか変だったよなあ……。
飛雄が、いきなり人の裾をつかむなんて、なにか思うところがあったのだろうか。とうとう飛雄も及川先輩の様子に異変を感じ取ったのだろうか。
あー! もうわかんない!
今考えてもどうしようもないのに、ふたりのことばっかり考えてる!
こういうときこそ、鷲匠さんたちの出番だ。
おじいちゃんは部活の指導で不在だろうから、生き物との触れ合いに癒された次は、おばあちゃんに癒される。今日もありがたく甘えさせてもらおう。
そうして部活を終えて、私は鷲匠さんの家に向かうべく学校をあとにした。
鷲匠さん宅に着き、ピンポンを鳴らすと、中からおばあちゃんが出てきた。
「あらあ! 千早ちゃん!」
「こんにちは、ちょっと遊びに来たよ」
「いらっしゃい、上がって上がって」
今日もおばあちゃんはうれしそうに笑って、私を迎え入れてくれた。
「このあいだの桃、すごくおいしかったわ」
「ほんと!? 毎年お父さんの友達が送ってくれるんだけど、おいしい桃なんだよ!」
「あら、素敵なお友達ねえ」
毎年お中元にたくさん届く桃を、影山家と鷲匠家にもおすそ分けしていた。旬を迎えた食べ頃の桃はさぞ美味かっただろう。
ああ――癒される。
どうしておばあちゃんはこんなにもホワホワしているのだろう。マイナスイオンを発生させる人間なんて聞いたことないのに、おばあちゃんならできそうだ。
出された麦茶をすすり、ふぅと息を吐く。
「ん? あれって、なに作ってるの?」
目に付いたのは、裁縫途中の布だった。
「鍛治さんがジャージの袖に穴を開けちゃってねえ。塗ってたとこなのよ」
「確かに、よく見れば白鳥沢のジャージだ」
白鳥沢独特の、白地に紫のアクセントカラーが入った、背中に"白鳥沢"と書かれたジャージが置いてある。
「ちょっと見てもいい?」
「いいわよ、針に気をつけてね」
移動して、裁縫途中の白鳥沢のジャージを手に取る。
これが強豪校のジャージかと、しみじみ思った。
「ねえ、おばあちゃん」
「なあに?」
「良かったらだけど、私にも裁縫教えてくれない?」
「まあ! もちろん!」
以前から裁縫に興味があった――というより、裁縫は今の私に必須の課題だからだ。家のタオルの修繕や、父のシャツのボタンの取り付けなど、なにかと裁縫の技術が必要になる瞬間が多い。
私は裁縫ができない。父も例にもれずそうだ。いくら父の家事スキルが高くとも、裁縫だけはダメらしい。
裁縫が苦手な私は、家庭科の授業でも実力に
違わず、目も当てられないボロボロの仕上がりになる。
だからこそ、おばあちゃんの力を借りて、裁縫の技術を磨きたかった。
「まずはなにから始めましょうねえ、ふふっ」
おばあちゃんはうれしそうに笑う。
私もおばあちゃんに裁縫を教えてもらえるのがうれしくて、一緒に笑った。
「学校でも授業でお裁縫はするんでしょう? 千早ちゃんは、どのくらいできるの?」
「……ほとんどダメ。初心者レベル」
「あらあ……それなら、縫い方の練習から始める?」
「お願いします!!」
おばあちゃんは適当な布を持ってきて、基本のなみ縫いから始めた。
「まずは基本からね。学校でもなみ縫いはやった?」
「やった! でもぐちゃぐちゃになる!」
「ふふっ、まずはお手本から見せるわね。針に糸を通したら、こうやってまっすぐに縫っていくの。目の大きさはこのくらいね。さあ、やってみて」
見本どおりに私も試す。しばらくはわりと綺麗に縫えたが、地道な作業の繰り返しに、だんだん無意識に手を抜き始める。
ある程度まで進めてみると、おばあちゃんのように等間隔の仕上がりにはならなくて、目の大きさがバラバラだ。
「これだよ……いつもこうなる」
「あまりせっかちにならないで、一つひとつ丁寧に作業してみなさい。千早ちゃんならできるわ」
「わかった」
今度こそ成功させてみせると意気込み、先ほどよりもゆっくり丁寧に、一つひとつの目を確認しながら縫った。
「おお! さっきよりは綺麗にできたかも!」
「千早ちゃんは早く終わらせたいって気持ちが裁縫にも出てるのよ。だから途中から雑になるの。裁縫は地道な作業よ。根気強くやってみて」
それから、ぐし縫い、返し縫い、まつり縫いなどの、基本的な縫い方をひととおり教わる。さすがに今日一日でおばあちゃんの実力に及ぶことはないが、私史上、一番の仕上がりになった。
「すごい! 今までで一番上手くできた!」
「飲み込みが早いわね。あとは練習あるのみよ」
おばあちゃんの師事の下、しばらく縫い方の練習を続けた。何回も針を指に刺してケガしながらも練習を続けると、短時間で私の裁縫技術は向上した。
「あ……もうこんな時間……」
練習に必死になっていると、時計の針は13時を回る。父が14時から用事で出かけるので、家を空けないためにすぐ帰らなければならない。
「ごめん、おばあちゃん。私そろそろ帰らなきゃ」
「そう? なら、この布はあげるから家でも練習しなさい」
「いいの!? ありがとう!」
名残惜しいが、もらった布をカバンにしまい、鷲匠さんの家を出た。
「バイバイ! 次はもっと上手くなってまた来るね!」
おばあちゃんに手を振って自転車に乗る。
急いで帰らなければ、父が出る時間に間に合わない。私は周囲に気をつけながら、なるべく早くペダルをこいで急いだ。
汗だくになって家に着くと、父がもう玄関にいて、すぐにでも家を出る準備を整えていた。
「おかえり。……って、その手どうしたんだ!?」
父は、私の絆創膏だらけの手を見て、目を剥いた。
「おばあちゃんに裁縫を教えてもらってたの」
「千早の手がぁ!!!」
「大袈裟だよ……」
騒がしく嘆く父を放っておき、私は玄関を上がる。
手を洗って着替え、外に干していた洗濯物を取り込み、バリっと乾いた洗濯物を畳み始める。この季節は洗濯物が早く乾くから、その点はありがたい。
「お父さん、もう出なきゃいけないんでしょ? 早く行ってきなよ」
私の手が心配な父は、家を出なきゃいけないというのに玄関先でごねている。
「ううっ……おてては大事にするんだそ!」
「わかったから早く! 待ち合わせに遅れる!」
渋々出ていく父を見送り、洗濯物を畳む作業を再開する。タオルはふわふわよりもバリバリ派なので、夏の洗濯物の仕上がりには思わずうっとりした。
洗濯物を畳み終えて、タオルや服を指定の場所に置いてからリビングに戻ると、ふとテーブルの上にA4サイズの茶封筒があるのが目に入る。
「なにこれ?」
中身を取り出してみると、小説の表紙デザインのイメージラフや、羅列された文章が書かれたA4サイズの文書などが入っていた。
「……もしかして」
父が出かけた理由は、新作小説の表紙デザインの打ち合わせに行くためだ。地元のデザイン会社へ出向き、デザイナーと話を固めてくるとのことだ。
封筒の中身からして、今日の打ち合わせに必要なものではないだろうか――。
「お父さんってば!! やらかしたな!!」
私はすぐさま出かける支度をして、茶封筒を手に家を出た。勢いをつけて自転車のスタンドを足で蹴り上げ、茶封筒をカゴの中に放り込んで走り出す。
なんでこういう
迂闊なとこまで私とそっくりなんだよ!!
父の失態に嘆きながら自転車を走らせ、ふと止まる。
父は車で向かっているはずだから、連絡が取れれば方向転換して行った道を戻ってきてくれるかもしれない。途中で待ち合わせをすれば、わざわざ家に戻らなくても早めに封筒を渡せると踏んで、私は携帯を開いた。
プルル、プルル――と何回か呼び出し音が鳴るが、一向に父が出る様子はない。
そっか! 車運転してるから出られないんだ!
あー!と叫び出したい衝動をこらえて、私はふたたび走り出す。
デザイン会社のだいたいの場所はわかるので、近くまでたどり着いてからまた連絡を入れるか、あるいは父が途中で気づけば折り返し電話が来るだろう。
とにもかくにも、一刻も早く父に書類を届かなければならない。大事な大事な仕事なのだから。
強い日差しが照る中、夢中で自転車を走らせれば、せっかく引いた汗がまた滝のように流れてくる。
服が肌に張り付く気持ち悪さを我慢して自転車を走らせていれば、ようやく街中に出た。その間、父からの折り返しはなかった。
早く電話気づいてよー!
私の心の叫びはだれにも届かない。
ひたすらに自転車を走らすことしかできないのだ。
目的地はこの近くのはずだが、肝心のデザイン会社が見つからない。近辺をぐるぐる回って、見覚えある場所に戻ってまた進むの繰り返し。完全に迷子だった。
あまりの暑さに意識が朦朧としてきて思わず倒れ込みそうになるのを、なんとか踏ん張ってペダルをこぎ続けた。しかし、足の踏み込む力はだんだん弱まっていく。
も、もう無理……。
水分補給もなしに、太陽に長時間さらされ続けた体は限界を迎えていて、自転車をこぐ力は残されていなかった。
その場に止まり息を整えるが、過酷な炎天下で整うはずもなく、体はぐったりする。
「だ、大丈夫ですか!?」
視界がぼやける中、女の子の高い声が聞こえて、顔を上げる。
「ワァーッ!?!! 顔が真っ赤になってますよ!! ど、どうしよう!!」
慌ててるときの表現に"アワアワ"とあるが、目の前の女の子はその表現がピッタリ当てはまるくらい、どうしよう!どうしよう!と騒いでいた。
「と……とととりあえず日陰で休みましょう!! お水買ってきますんで!!」
女の子は私を、人通りの少ないビルの影になっている場所まで連れて行き「ここで待っててくださいね!」と言ったあと、近くのコンビニまで突っ走って行った。
日陰……涼しい……。
太陽の下から避けるだけでも体が楽になる。
地べたにしゃがみ込んで待つと、女の子はコンビニ袋を持ってすぐに戻ってきた。
「お水買ってきました! これ飲んでください! あ、あと塩飴も!」
女の子から差し出された水を受け取り、蓋を開けて一口飲み込む。身体が水分を求めていたのか、もう一口、もう一口と飲んでいるうちに、ペットボトルの半分までゴクゴクと一気に飲んでしまった。
「た、体調は、大丈夫ですか……?」
「なんとか……ありがとうございます……」
心配でたまらないといった表情で見つめてくる女の子と向き合い、かすれた声で返事をする。
「塩飴もどうぞ」
女の子が差し出した塩飴を受け取り、袋を開けて口に入れる。塩とレモンの味がして、すごくおいしく感じた。
塩飴を舐めていると、携帯の音と共にバイブレーションが鳴り、携帯画面を開く。画面には父の名前が標準されていて、やっと折り返しが来たことに少々腹立たしくなりながら、女の子に一言断って通話ボタンを押した。
『千早? どうした?』
「お父さん……どうしたじゃないよ……大事な書類忘れていったでしょ……」
『書類? ……いや、今日必要なものはあるぞ?』
「え……?」
『もしかして、テーブルの上にあった資料のことか? あれは今日必要ないんだ』
どうやら私は早とちりしたらしい。父が言うには、表紙デザインのイメージはすでに固まっており、今日は最終確認のようなものだと。
迂闊なのは私だけだった。このうっかりさんめ、などとおどけている場合ではない。ただただ馬鹿野郎と自分を罵った。
『千早、今外にいるのか? ひょっとして、書類持ってきるとか……』
「書類……持ってきちゃった……」
『え!? 今どこにいるんだ!?』
「たぶん、デザイン会社の近く……」
『ま、マジか! 声も元気ないけど、なにかあったのか?』
「暑さにやられたっぽい……今、休んでる……」
『ええ!? 大丈夫なのか!? ちょ、ちょっと待ってろよ! またすぐに電話する!』
父はそう言うと、そこを動くなと念を押して通話を切った。
「デザイン会社?」
女の子が、気づいたように声を漏らす。
「あっ! 勝手に聞き耳立てちゃってごめんなさい! あの……もしかしたら、このあたりでデザイン会社って『谷地デザイン』って会社だったりしませんか?」
「そ、そうです! その会社に行きたいんです!」
やっぱり!と、女の子が声を上げる。
「良かったら、私が案内しましょうか? お母さんの会社なんです」
「え……!? そうなんですか!?」
「あ、でもお父さん来るって言ってましたよね! 行き違いになったらダメだし、体調悪い人を連れ回すのもダメだし、どうしたら……!」
女の子はまたアワアワしている。
「そ、そういえば! お母さんの会社になんの用があって行くんですか?」
「これです……お父さんが今日打ち合わせあるんですけど、大事な書類を家に忘れて行ったんで届けに来たんです」
「だ、大事な用じゃないですか!!」
「でも、私の早とちりで、今日はいらなかったみたいなんです」
自転車のカゴに入った茶封筒を指差して状況説明すれば、女の子は動揺して、なおさら激しく慌てだした。「私もやりがちだあ!」とか「想像すると震えが……」など、ひとりごちている。
次第に顔も青くなっているように見えて、私の体調よりも女の子のほうが心配になってくる。
「お父さんまた電話するって言ってたので、とりあえずここで連絡来るのを待ちます」
「そ、そうですよね! 下手に動かないで待ってたほうが良いかもしれませんね!」
ふたりで休みながら待つことにして、女の子とデザイン会社の話や、父の小説の話などの雑談を交わすうちに、父からの連絡がすぐに来た。
通話ボタンを押すと、焦った声になっている父の声が受話口から聞こえ、少し頭にキーンと響く。
『千早! 車に乗ったからこれから向かうけど、今どこだ!?』
「えっと……ちょっと待って」
今いる場所を詳しく説明できなくて、女の子に尋ねる。近くのコンビニで待ち合わせればわかりやすいのでは、とアドバイスをもらったので、女の子から聞いたコンビニの店舗名を父に教えた。
わかったと父が電話を切り、その後しばらく待っていれば、また父から連絡が入る。
『コンビニ着いたぞ! 立てそうか? 俺がそっち行くか?』
「ううん、すぐ行くから待ってて」
電話は繋げたままコンビニへ行こうと立ち上がると、まだ体調は万全ではないようで、視界がふらつく。
よろけた私を心配してくれた女の子が、私の代わりに自転車を引くと提案してくれる。私は素直にお願いして、耳に携帯を当てたまま歩いた。
「千早!」
車の外に出て待っていた父が、私の姿をすぐさま捉えて声をかけてくる。
ようやく父と会えた安堵感で、私は体の力が抜けてまたよろけそうになった。
「体調は大丈夫か!? ああ! 顔真っ赤じゃないか!」
私の様子が異常だと気づいた父は、ひときわ大きい声を上げて慌てる。
「頭ふらふらする……」
「た、大変だ! 病院行かなきゃ! き、救急車!」
「そこまでじゃないから……」
熱中症かもしれないだろ!と張り上げる父の声すら頭に響いて、気持ち悪さが増す。静かにしてほしいと言いたくとも、そんな気力も体力も残っていない。
「君が一緒についててくれたの? ありがとう」
「いえ! そんな! 大したことは!」
女の子は否定するが、助けてくれなかったら私は本当に救急車に運ばれていたかもしれない。十分、助けになってくれた。
「あれ? だれだろ……」
父は突然音の鳴った携帯をポケットから取り出し、だれかと電話している。書類の話以外に、私の話も耳に入ってくるので、電話の相手に事情説明をしているようだ。相手はデザイン会社の人だろうか。
「はい、はい……え!? ……すみません、では、お言葉に甘えさせていただきます。お気遣いいただいて本当にありがとうございます。それでは、失礼します」
通話を切った父はこちらを振り向く。
「実は、打ち合わせ相手の人には、事情を話して遅れるって言って出てきたんだ。その人に今の状況を話したら、打ち合わせの時間ズラしてくれるって。だから一旦家に帰ろう」
父はそう言って、車の後部座席を倒し始める。
ほら、と助手席に乗るよう促され、よろけながら座ってシートベルトを装着すると、一気に体の残りの力も抜けてしまった。
窓の外を見ると、父と女の子がなにやら話している。お金を渡した場面を見るかぎり、事情を聞いて水と塩飴のお代を返したのだろう。女の子は受け取りにくそうにしているが、最終的に渋々受け取った。
私も女の子にお礼を伝えようと、窓を開けた。
「助けてくれて、ありがとうございました……」
「いえ! お大事にしてくださいね!」
「良かったら、名前を聞いてもいいですか? 私、桂千早って言います」
「あ、私は谷地仁花です!」
谷地? もしかして、谷地デザインの社長の娘さん!? なんて父が驚いている。
「今度、社長にお礼するのに会社まで伺うね。うちの子を助けてくれて本当にありがとう」
「い、いえいえ! お役に立てたのなら、なによりです!」
そう言い残して、父は車を走らせた。私はクーラーの効いた車内で揺られているうちに眠くなり、静かに目を閉じる。
その後、目を覚ました頃には自宅のマンションに着いていて、父が敷いてくれた布団に横になって、夜までぐっすりまた眠った。
後日、私と父は菓子折りを手に持って、お昼前に谷地デザインまで赴いていた。
「このたびは、ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした。娘さんにも助けていただいて、深く感謝しております」
社長と、父の打ち合わせ相手らしい人の前で、父とふたりで深々と頭を下げる。
あれから体調はその日のうちに全回復し、今ではすっかり元気になった。今日のお礼に一緒に行かせてほしいと父に頼み、私も同行している。
「とんでないことです。娘からも話は聞いております。桂さんの、娘さんの体調が回復されてなによりです」
谷地さんのお母さんは、いかにもキャリアウーマンという感じで、ビシッとした出立ちのカッコいい女性だった。雰囲気は違うが、カッコいいという点においては私の母と似ていて、なんとなく母を思い出した。
ふと、社長と目がかち合い、ニコリとほほえまれてドキッとする。
「大事にならなくて良かったわ。娘がたまたま出かけていたのも幸いだったし。あれからもうちの娘が心配していたのよ」
「仁花ちゃんには本当に良くしてもらいました。おかげで体調もすぐ回復しました」
私は父の打ち合わせ相手に顔を向けて、先日の謝罪をする。
「この前は、私の早とちりで仕事の邪魔をしてすみませんでした……」
「いえいえ、お気になさらず」
打ち合わせ相手の人は、優しくほほえんで気を遣った言葉をかけてくれたが、迷惑をかけたことに変わりはない。
背負い投げの件といい、最近は父にも迷惑かけてばかりだ。もっと普段から落ち着いた行動を心がけなければ、また同じことを繰り返すだろう。気を引き締めなければならない。
谷地さんのお母さんたちには、忙しい中、時間を割いてまで謝罪の場を設けてもらったので、これ以上は邪魔になると私たちは長居はせずにその場をあとにした。
帰宅して一発目、私は父に声をかける。
「最近、迷惑ばっかりでごめん……」
「俺もテーブルに置いてたのが悪かったよ。紛らわしかったよな。体調があれ以上ひどくならなくて良かった」
父の連絡が来るまで家で待っていれば。もう少し落ち着いて考えていれば。たらればを考えだすと止まらない。
父の仕事の邪魔をしたあげく、体調も崩してさらに事を大きくし、自責の念に駆られた。周りに気を遣われれば遣われるほど、自分の至らなさを思い知ってどんどん落ち込む。
「お昼食べようか。素麺がまだまだあるから食べきらないとな」
「なら、素麺茹でてくるよ」
「じゃあ、俺はネギ切るよ」
お中元でもらった素麺を4束取り出し、水道水を鍋いっぱいに張ってコンロにかける。飛雄の希望でカレーを作ったとき以来、新しく買った大鍋はわりと重宝していて、今みたいになにかと出番が多い。
なんで私はこんなに落ち着きがないんだろ……。
これまでの行動を思い返しても、なにか問題が起こると視野狭窄になる場面が多かった。すぐカッとなってしまう性格はあきらかに私の短所で、今後ずっとこのままでいるわけにもいかない。
毎日、手の甲に"落ち着け"って書いておこうかな。
動く前に一旦落ち着くよう一度癖づけをすれば、そのあとは手の甲にわざわざ書かなくとも持続できるだろうと踏み、なんでもいいからやらないよりはマシだ、と明日から手の甲にメモ作戦を始めることにした。
安直な方法しか思い浮かばないのは、私なのでしかたないとして。
高校生になるまでには、なんとか性格を変えたいな……。
クロにも気をつけろと言われたのだ。言いつけを破りたくはない。……もうすでに破っているのだが、ずっと直さないままでいるよりは意識改革するための行動を取るほうが良いだろう。
鍋の中で揺らぐ素麺を箸で混ぜながら、自己反省をしては落ち込み、また反省する流れをしばらく繰り返した。
そして次の日。
「これ美桜ちゃんに似合うよ!」
「ホントですか?」
「うん! かわいい!」
私は美桜ちゃんとふたりで、ショッピングモールへ遊びに来ていた。
「これ買います!」
「うんうん、買ってきな」
ウキウキでワンピースをレジに持って行く美桜ちゃんに連れ、私もレジまで向かう。夏休みに入る前、美桜ちゃんに誘われて一緒に遊ぶ予定を立てていた。今日がその日だ。
「桂先輩に選んでもらったワンピース……えへへ」
普段ガーリーな服を着ない私のセンスで良いのかイマイチ悩むが、美桜ちゃんが気に入ってくれたので良かった。ワンピースの入った袋を眺めてニヤニヤしているのは少し疑問だが。
「先輩の私服ってカッコいいですね! メンズライクってやつですか?」
「どうしても動きやすさ重視で選んじゃうんだよね。テキトーに選んではないけど」
「すごく似合ってます!」
「ありがとう、うれしいよ」
夏休みらしく、友達とお出かけすることができて、私も美桜ちゃんと同じくウキウキしていた。
「最近、田口君とは会ってる?」
「朝たまに。会うたびに桂先輩の話してますよ」
「あはは……」
田口君もサッカーの部活で忙しく、学校で会うときにしかしゃべれない。たまにメールのやり取りはするが、背負い投げの極意ばかり聞かれるので、まともな会話をした覚えがない。
「田口君もアレだよね、変なとこあるよね」
「そうですね。……私、友達から田口先輩と同じ枠で扱われているんですよ」
「え? なんで?」
「わからないです……」
話を聞くと、美桜ちゃんは田口君と同じ"変人枠"で扱われているらしい。前まではそうでもなかったのに、最近になって扱いが変わってきたとのこと。
「私と友達になってからだったりして」
「まっさかー! 桂先輩は違いますよ!」
アハハと冗談混じりに笑い合う。
「今日はありがとうございました! もう少し一緒にいたかったですけど……」
「いいよいいよ! 予定あるんでしょ?」
「絶対また遊びましょうね!」
「うん、気をつけて帰ってね」
美桜ちゃんはこれから他に出かける予定があるらしく、私たちは午後になる頃に解散した。両親が迎えに来ているとのことで、美桜ちゃんを駐車場近くまで送ったあと、私はせっかく出てきたのだから本屋に寄りたいと思い、踵を返す。
ショッピングモール内の本屋に着くと、様々な本が並ぶ棚にうっとりする。
勉強が苦手なくせに本は好きなんだ、なんて研磨に言われたことがある。私だって本ならなんでも好きというわけではなく、参考書とか頭を使うような難しい本は苦手だ。父親が小説家の仕事をしていなければ、自ら本に触れる機会もなかっただろう。私が本好きなのは、環境あってのものだ。
あ、この人の新作もう出てたんだ。
……買っちゃおうかな。
本屋に来ると、いつもお財布と相談するハメになる。わが家の床事情を心配するのであれば、こうやってどんどん本を増やすべきではないと頭ではわかってはいても、出会いは大事にしたいのだ。
お父さんも新しい本買ったって言ってたし、迷うけど……ええいままよ! 買っちゃえー!
本を一冊手に取り、ホクホクでレジに向かう。
新しい物語に期待をふくらませ、にやけそうになる顔を我慢してレジに並ぶと、列の前にいる人が目に入る。
あれ? この後ろ姿、見たこと――。
「あっ!」
「エッ!?」
思わず出てしまった私の声にビックリした前の人は、少し怯えた顔で振り向いた。
「な、なな……あ、あれ?」
「えっと……急に声出してすみません……」
列の前に並んでいたその人は――以前、私を助けてくれた、谷地デザインの社長の娘さんだった。
▼
「この前は本当にありがとうございました!」
本屋を出た後、私は谷地デザインの社長の娘さん――谷地仁花ちゃんを誘って、ショッピングモール内のファミレスでデザートをごちそうしていた。
「家に帰ってからも心配してくれてたとお母さんから聞きました。あのとき谷地さんがいなかったら、もっとひどいことになってたかもしれないです」
「いえいえ! あれから何事もなくてよかったです! むしろごちそうになっちゃって、申し訳ないです……」
「このくらいなんてことないです! お礼ですから!」
本人は謙遜しているが、谷地さんがあの場いなかったらと思うと、恐怖心が湧いてくる。
「その手の甲に書いてあるものって……」
「あ、これは、もう早とちりはしないようにと思って、忘れないように書いているんです」
「な、なるほど……?」
谷地さんは、"落ち着け"と書かれた私の手の甲を見て、なるほどと言いつつ疑問を浮かべている。やはり安直すぎただろうかと、私も不安になってきた。
「あの、敬語じゃなくてもいいですよ? 二年生なんですよね? 私、一年なんです」
「でも、他校だし……なら、お互いタメ口でどうです?」
「ええ!? でも、先輩にそれは……」
「私は気にしないですよ」
「え、えと……じゃあ、それなら……」
「良かったら、名前で呼んでもいい?」
「も、もちろん!」
「私のことも名前で呼んでくれるとうれしい」
「……千早ちゃん?」
「そうそう!」
礼儀正しく控えめな仁花ちゃんは、初めは挙動不審だったが、話しているうちに打ち解けて、自然と名前で呼んでくれるようになった。
「お父さんの本買ってくれたの!? うれしい!」
「お母さんから小説家の人だって話を聞いていたから、どんな本書いてるんだろうって気になったの」
「お父さん喜ぶよ! 読んだら感想聞かせて! お父さん若い人がなにを好むのかずっと気にしてるの!」
「あ、じゃあ、連絡先とか……」
「もちろん! 交換しよ!」
赤外線交換をすると、連絡先に"谷地仁花"の項目が追加された。私は連絡先が増えてうれしくなり、顔がほころんだ。
「うれしー! ありがとう!」
「私もうれしいよ。読んだらすぐメールするね」
「うん! してして!」
その後も仁花ちゃんとひとしきり語らい、楽しい時間を過ごした。
一時間ほどファミレスに居座ったが、互いに帰宅する時間になったため、名残惜しい気持ちを残してお店を出た。
「じゃあ、またね仁花ちゃん!」
「千早ちゃんも! またね!」
ほがらかに笑う仁花ちゃんを手を振って見送り、私も自転車に乗ってそのまま帰路に着く。
新しい出会いに高揚感が湧いて、帰る最中ずっと鼻歌を歌いながら自転車を走らせた。
帰ったらお父さんに仁花ちゃんのこと話そう。
きっとビックリするだろうなあ。
明日はなにをしよう。明後日は、その次の日は。
部活を楽しんでいた去年とは、また一味違う今年の夏休み。最後まで楽しい毎日が続けば良いと、そう願った。