配慮と遠慮の食い違い




 幼なじみと食卓を囲んだ次の日。
 クロから仕掛けられたトランプ勝負に怯えていた私は、なるべくクロと鉢合わせないよう、ひっそりと行動していた。
 様子のおかしい私に、友達が心配の目を向けてくるので気まずい。

 クッソー!と内心でクロに悪態をつく。なにを企んでいるかはいまだに知らないが、ろくでもないことに違いないとにらんでいる。年々うさんくさくなる幼なじみのいやらしい笑顔が浮かび上がり、うざったくなって手を振って頭の中からかき消した。

 そして迎えた昼休み。
 お昼を食べ終えて、私は少し遠い場所にあるトイレに向かった。念のため人気のない場所を利用することで、クロとの鉢合わせを防ぐためである。
 どうか今日一日、何事もなく過ぎ去るよう祈ってトイレを出た。

「ここも隠れられそうだな」

 屋上に繋がる階段を見る。ここは穴場の隠れスポットだ。
 屋上は鍵が閉まって入れない。どうせ屋上に入れないならと、生徒たちはここに寄りつかない。
 踊り場の死角に座り込めば、だれもここに人がいるとは気づかない。最高の隠れ場だ。

 ……ちょっとだけ休んでいこうかな。教室に戻っても友達は先輩に呼ばれてていないし。

 隠れスポットの人気のなさに惹かれてしまった。
 階段を昇り、死角に入って座りこむ。

 あまり避けすぎてもクロに失礼なので、こんなことするのも今日だけ。今日を乗り切れば、向こうだってトランプ勝負ごとき、すぐ諦めるだろう。
 そんなにトランプ勝負が嫌ならハッキリ断ればいい話だとも思うが、口八丁手八丁くちはっちょうてはっちょうでクロの思う壺になるのがいつもの常である。
 あの男、やたら相手を乗せるのが上手い。断れない状況に持っていかれそうになったら、その時点でこちらの負け。ならば、そもそも会わなければ乗せられることもないと考えた。
 簡単に乗せられるような、単純な頭をしている自分が悪いと思うが、単純なので回避する手段も単純な方法しか浮かばないのだ。

 研磨も助けてくれればいいのに……いや、研磨はめんどくさがって逃げるから望むだけムダだ。
 せめてなにがあったか話してくれれば……。

 大きなため息をついていた研磨を思い出して、私も同じようにため息をついた。
 とりあえず時間を潰すために父から借りた本を開く。最近お気に入りの作家で、この人の書く文章はテンポも良く、軽くて読みやすい。内容はわりと過激だが、すんなり読めてしまうのでページをめくる手が止まらなくなる。
 主人公が普通の子に見えて、だいぶ苛烈な性格をしているのも、他のキャラがそれぞれ癖が強いのも、スピード感はあるのに読めない展開も、今のところ全部好き。

 真剣に読み進めていたが、しばらくページをめくったあたりで、急に我に返って読む手を止めた。
 愛用の腕時計を見ると――授業開始10分前。
 冷や汗が流れてきた。早く教室に戻らなくてはならない。

 自分が一度のめり込むと時間を忘れてしまう性質タチなのを忘れていた。このまま授業に遅れてしまっては元も子もない。
 その場を立ち上がり、急いで階段を降りていく。10分前ならばクロも教室にいるだろう。まず鉢合わせることはないと踏んで一直線に教室へ向かう。

 周囲の確認もせず、駆け足で廊下を歩いていると、目の前に突然影が現れた。

「見ぃつけたぁー」
「くっ…………クロ………」

 まさに今、いちばん会いたくない人物が、したり顔で目の前に立っている。
 すぐにでも逃げようと踵を返そうとしたが、素早く行手を阻まれて動けない。

「お散歩ですかー? もう授業始まりますよー?」

 顔を上げれば、お得意のうさんくさい笑顔がこちらを見下ろしている。ゾクリ――得体のしれない寒気が頭のてっぺんからつま先まで走り、一気に肌が粟立つ。

「じ、授業始まりますね……黒尾先輩……」
「こんなときだけ先輩を敬うのかー? 事あるごとに俺の髪型をからかう不敬も、俺と一戦交えてくれたら免じてやろう」

 クロがポケットから例のトランプを取り出し、私に見せつけてくる。
 たかがトランプ勝負にここまで本気を見せてくるなんて、どう考えても怪しい匂いしかしない。

「嫌だ! 絶対嫌だ! なに考えてんのかわかんないけど、とにかく嫌だ!」
「負けず嫌いが聞いて呆れるねえ。勝負する前から負けを認めんの?」
「勝負すらしてないから勝ちも負けもないでしょ!!」

 こんなくだらない押し問答をしている場合じゃない。次の授業が刻一刻と迫っている。
 ギリギリでも間に合えばいい。逃げるために隙を突こうと必死になるが、クロのほうが一枚上手だった。長い手足を広げて、私の行手を阻んでくる。

「なんでそんなにトランプがしたいのさ! 授業始まっちゃうからどいて!」
「やだ。授業サボろうぜ」
「ふざけてんの!? 嫌だよ! 先生に怒られるじゃん!」
「俺だって怒られんのは嫌だよ」
「自分がおかしいこと言ってるのわかってる!?」
「お前が素直に話を聞かないのが悪い。煽りも効かないから真っ向勝負に出てんだよ」
「真っ向勝負ゥ!? どこが!? なに企んでるか白状しろ!」

 クロと口論していると、午後の授業のチャイムが校内に鳴り響く――それを拍子に、頭の中に試合開始のゴングがカーンと鳴り響いた。

「「ふんッグァ――!!!」」

 一斉に互いの肩をガ――ッ!と掴み合う。
 先手必勝を取れたかと思いきや、私の攻撃意思を察知したクロも対抗してきた。

「授業始まっちゃったじゃん!! 今からでも走って教室に戻るから、そこをどけぇー!!」
「廊下を走ってはいけません!!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょうが!!!」

 押し合いの攻防戦。どちらも一歩も引かぬ戦いを繰り広げる。
 せめぎ合いの中、しびれを切らした私は、クロのあごを掌底打ちのように右手で押しのけた。

 今まで私が鍛えてきたのは、きっとこのときのためだったんだ――!

 クロを振り切るのに必死になりすぎて、思考が明後日に飛んでいく。
 持ちうる筋力をフル稼働して、なんとかこの場を切り抜けるべく力押しで立ち向かうが、クロも負けじと私の頭を右手でわし掴みにして思いっきり上から押しつぶしてきた。

「バッカ!! 縮む縮む!! 手ぇ離せ!!」
「お前こそ人のアゴ押すのやめろ!! しゃくれちまうだろ!!」

 だれもいない静かな廊下に、くだらない喧嘩をする私たちの声が響き渡る。
 文字通りだれもいないので、私たちの喧嘩を止める者はだれもいない。

「なんでそんなトランプなんかに本気なの!?」
「こんなことしてまで本気でトランプがしたいわけねえだろ!!」
「言ってることとやってることが違う!!」

 クロの矛盾した言動に、頭が混乱する。
 ただ、負けたくない意思だけは固く、さらに力を込めてクロの顎を押し出した。

「マジでなんなの!? 理由くらい説明して!!」
「――あぁ、もう!! 説明するから!! 頼むから一回話をさせてくれ!!!」

 クロが突然ひときわ大きい声を上げた。私はびっくりして声が出なくなり、クロの顎から手を引く。
 お互いに息をゼェゼェ切らして一度間合いを取る。その間、クロの顔は至極真面目で真剣な顔つきだった。

「な……なにを、話したいの?」
「……ここじゃなんだから、上行こうぜ」

 クロが自分の顎をさすりながら親指で差した場所は、先ほどまで私が隠れていた屋上に続く階段。このままスルーしても良いが、クロの様子を見て放っといてはいけないと判断し、話を聞くことにした。

 結局、授業サボるのか……。

 一体なんの話がしたいのか。まったく見当がつかなくてヒヤヒヤする。
 おっかなびっくりでクロのうしろをついて行き、踊り場で手招きをされて、階段にふたり並んで座り込む。

「……で? 話って、なに?」
「あー……えっと、なにから話せばいいか……」
「授業始まっちゃってるんだけど。次、国語だったの。筒井先生、怒ると怖いんだから出たかったんだけど。ここまでしたんだから、ちゃんと話して」

 授業をサボらせてまで引き留めたくせに、どもっているクロに怒気を込めて急き立てる。あわててクロが口を開くが、言葉を探しているのか、言いあぐねている。

「…………最近、お前、大丈夫か?」

 ようやく口にした一言目。
 突拍子がなくて、なんのことかさっぱりだ。

「なにが?」
「いや、あの……さ、最近のお前、変っていうか、疲れて見えるってか、なんと言えばいいか……」
「そんなことなくない? 普通だよ」
「普通なんだろうけど、普通に見せかけてるってか……」

 ごにょごにょ話してて、埒が開かない。

 普通に見せかけてる……?
 なにを言ってるの?

 明言を避けるクロに、次第にイライラが募る。要領を得ない会話に、授業をサボって先生に怒られる価値を感じない。

「ちゃんと言って。いい加減、怒るよ」
「わ、わかった! ハッキリ言うから!」

 深く、ゆっくり深呼吸をして、クロは意を決した。

「――最近、ちゃんと寝れてるのか?」

 そして、また突拍子もないことを言い始めた。

「飯も食ってるか? 家でゆっくり休む時間はあるのか?」
「ちょ、ちょっと、なにを言って……」
「部活も勉強も、あとお前にとっては家事とかお父さんの手伝いも大事だろうけど、お前が休む時間だって必要なんだからな」

 急に母親みたいなことを言うクロに、動揺が止まらない。

「全部……ちゃんとやってるよ?」
「"ちゃんとやりすぎ"なんだよ。俺が言ってる休む時間ってのは、メンタル的に休む時間って意味」
「メンタル……?」
「自分の顔、鏡で見てんのか? 目の下のクマ真っ黒だぞ」
「は? え?」

 思わず顔に手を当てる。そんなことしたって、鏡を見なければ自分の状態はわからないのに。

「そんなに、顔色悪い……?」
「めっちゃ悪い。寝てるつっても、どうせ熟睡できてないんだろ」
「そんなこと……」

 ないよ――とは言いきれなかった。
 最近、ルーティン通りの生活が送れてないことは自覚していた。

「自分の顔すら確認できないくらい疲れてるんじゃねえの」
「そう……なのかな」
「ここ最近ずっと様子がおかしいから変に思ってたんだよ。部活も勉強も真面目にやってるけど、身に入ってないというか……どう言葉にしたらいいかわかんないけど」

 自分ですら気付けなかった自分の状態を、まさかクロに指摘されて知るとは思わなかった。

「研磨は放っといてほしいときもあるだろうから、しばらくは様子見ようって言ってたけどな。俺は……少し無理してでも話さないとダメないんじゃないかって思ったんだ」

 研磨の名前が出てきて、驚きが重なる。
 気付いていたのはクロだけではなかったらしい。

「それで……話して解決するならいいけど、千早は自分から悩みを打ち明けるタイプじゃないし、なにかキッカケがないと話さないだろうなって考えて」
「それで考えついたのが……トランプ勝負?」
「昨日たまたま雨でトランプで研磨と遊んでたからな。これだ!って一回は思ったんだけど、だんだんもしょーもねぇ策だなって後悔したときにはもう後戻りできなくなってるし……」

 研磨にも呆れられたんだよ……と、クロは手で顔を覆っている。
 クロがトランプ勝負の提案をしてきたとき、研磨がため息をついていた理由に合点がいった。

「……ごめん、心配かけた」
「おう」
「最近の自分がおかしいなんて、思わなかった。いつも通りだと思ってた。今言われても、なにがどうおかしいのか、正直よくわかんない」
「そうか」

 ――わからない。幼なじみに心配かけるほど顔色を悪くする原因なんて、わからない。
 だって、やるべきことを毎日ちゃんとこなしてる。今、必要なやるべきことを洗い出して、できることを一つひとつ漏らさずに。
 "できないこと"までいっぺんに手を出しているわけではない。"できること"を着実にやっているのだ。毎日少しずつ新しいことに手を出して、できることを増やしている。決して無茶しているつもりはない。
 だが、クロは私の心配をして、わけのわからない勝負を仕掛けてまでぶつかってきたのだ。幼なじみにこんなことさせて、自分の状態がわからないままでいるのは良くないと思った。
 だから――、

「だからさ、どうせ授業サボっちゃったし、時間もあるから、いっそ思いついたこと全部ぶち撒けようと思う。聞いてくれる?」

 クロが目を丸くする。
 私があっさり白状するからだろうか。

「これ以上、ふたりに余計な心配をかけたくない。自分でもよくわかってないから、なんとなくで話すし、まとまらなくてぐっちゃぐちゃになると思うけど、それでもいい?」
「お……おう! どんとこい! ……ングッ!」

 クロが胸をドン!と叩いて威勢を見せたが、力加減を間違えたようで、ゲホゲホとむせっていた。

 話すと決めた以上、なにか話さなければいけないが、特に思いつかないことを話すのは難しい。
 ここ最近の自分の行動、そのときどんな気持ちだったか、思い出せるかぎりのことを記憶から引っ張り出しながら話し始める。

「……寝付けなくなったのは、たぶん中学に上がってから、かな」

 ぽつりぽつり、思いついたことから口にする。

「東京に引っ越してから、お父さん前よりも忙しくなったの。仕事も家事も私の世話もこなさなきゃいけないから、毎日疲れた顔するようになった。そんなお父さんが心配だから、私もできるかぎりのことを手伝いたいって思うようになって、学校だけじゃなくて家のことにも手を出すようになった」

 掃除、洗濯、料理――自分にもできる家事を一手に引き受けて、父が仕事に専念できる環境を作ってきた。
 初めは娘に大変な思いをさせたくないと断られたが、根気強く説得して、徐々にやらせてくれるようになったのだ。

「息抜きもかねてお父さんも家事することはたまにあるけど、それ以外は私がほとんどやってる。前みたく頻繁に友達と遊びに行くことはできなくなったけど、家族の力になりたくて始めたことだから、苦労だとは思ってない」

 本心だ。小学生の頃から慣れないことばかりやってきて、大変ではあったが、やりがいもあった。
 私にばかり任せたくないと言って、私が家にいないときは父も家事をこなすが、たくさん抱えている仕事に専念してもらうために始めたのだから、以前と同じでは本末転倒だと私に多めに仕事量を分配してもらっている。

「でも……疲れてるのかな。顔ヒドイらしいし」
「そ、そこまで言ってねえよ……」

 隠しきれないほど疲労が蓄積していたのかもしれない。中学に上がってからは、毎日のルーティンに父の仕事の手伝いも含めるようになった。思い返せば、勉強、部活、家事、トレーニング、父の仕事の手伝いをほぼ毎日こなし、朝早く起きて、夜は遅く寝る。そんな生活が半年以上続いている。
 父は家族のためにお金を稼ぐのだと仕事を増やすようになり、下手すれば私よりも遅くに就寝することもある。そんな父の姿を見ると、休ませてあげたいと思って、私もなおさら張り切ってしまう。

「昨日、忙しいのに無理にジャマして悪かったよ。ごめん」
「謝らないでよ、久々に楽しかったんだから。お父さんも喜んでたし。それにさ……ふたりが来てくれたおかけで――久しぶりにお父さんと一緒にご飯が食べられたの」

 父と一緒に食事を摂らなくなってから3か月くらいだろうか。昨日はずいぶん久しぶりに顔を合わせて食事を摂った気がする。
 クロと研磨が来てくれなければ、いつものルーティンのまま、父との時間を作ることができなかったかもしれない。

「ずっと仕事ばかりも気が滅入るでしょう? だから息抜きさせてあげたいと思っても、上手くいかなくて。中学入ってから一緒に過ごす時間もなかなか作れなくなったし、家族のためにがんばるのは自分のためにもなるから苦しくないのに、私ががんばればかんばるほど、お父さんに申し訳なさそうな顔させるのが悲しくて、それで顔も合わせづらくなって……」

 お互いを大事に思うからこそ、お互いのためにがんばっているというのに、逆に上手くいかなくなってしまった。

「思ってたより、疲れてたんだなあ……」

 消え入りそうになる弱弱しいつぶやき。思わず口から出た弱音をごまかしたくて、顔を膝に埋めた。
 ――情けない。とことん情けない。
 こんなことすら指摘されるまで気づけなかったのか。思いを口に出すことで自覚すると、不安と自己嫌悪が押し寄せてくる。

「……千早、今日の放課後なにやる?」
「なにって……夕飯作って、昨日作ったアップルパイをクロと研磨の家に届けて、勉強もしたいし、色々やることあるよ」
「え? アップルパイ俺らの分あんの? なんで?」
「なんでって……自分で作ったものは、せっかくだし食べたくない?」
「俺、てっきりお隣さんに渡す分だと思ってた……」
「小さいサイズのもたくさん作ったでしょ。あれがお隣さんに渡す分。ふたりが作った分は、手伝ってくれたお礼もかねて持って行こうかなって。てか、私の予定がなんだって?」
「えー……と……」

 なにをためらっているのか、口元を両手で隠して言葉を探している。

「あっ……と、その……俺らにも、できることあんなら、言えよ……べつに今日だけじゃなくても、いいし……」

 歯切れの悪い小さな声が、階段の踊り場に、静かに響く。
 今度は私が目を丸くしてしまった。ポカンと口が開いて、なにを言えばいいかわからない。

「な……なんか言えよ……」
「いや……びっくりしちゃって……」

 お互いに黙りこくる。不思議と気まずい気持ちはなく、ただ驚きが続いている。
 十分に処理しきれていない頭で、やっと一言だけ発した。

「じゃあ…………とりあえず、トランプ勝負しよう」
「はぁっ!? このタイミングで!!」
「え、えっと! 急だから、なに頼めばいいかわかんなくて、あー、あの……ご……ゴメン……まだ混乱してる……」

 空気の読めない発言をしてしまい、めちゃくちゃ恥ずかしくなって頭を抱えた。
 クロの顔は見れないが、視線が痛い気がする。

「………今、何時?」
「えっ? えー…っと、あと数分で1時半」

 声をかけられて、やっと顔を上げる。
 隣のクロを見ると、顎に手を置いて考える人の像みたいなポーズになっている。

「じゃあ、まだ時間あるな。トランプするぞ」
「するの!?」
「お前が言い出したんだろ!」
「元はと言えばクロから言い出したことじゃないの!?」
「ああもう! いいからやるぞ! 賭けアリな!」
「や、やっぱり賭けるの!? なにを賭けるのさ!」
「なんでもお願いできる権利だよ!!」
「……はぁ?」

 なんでもお願いできる権利。安直ではなかろうか。
 理解が及ばなくて疑いの目を向けるが、クロの表情からは茶化すような意思は感じなかった。

「……なんでもお願いできる権利、ね。ゲームの種類は?」
「『スピード』でいこう」
「おっけ。時間も時間だし、さっそくやろうか」

 賭けのルールは簡単。時間が許すかぎり勝負をして、勝った回数だけ相手にお願いできる権利を獲得するという単純な内容に決まった。
 隣り合っていた体を向き合わせ、クロがポケットから取り出したトランプをシャッフルし、赤と黒のカードに分けて床の上に並べていく。
 さっきとは打って変わって空気が張り詰める。ふたりで首を回したり、手首をぶらぶらさせ、肩のストレッチなどを行う。ちなみに、この行動に大した意味はない。完全に雰囲気だ。
 お互い体は温まった。一度視線を見合わせ――ゲームが開始した。

「いくぞォ!!」
「やってやらァ!!」

 互いに勝ちを譲る気はなし。次々とカードをめくり、消費させていく。

「いえーい! 俺の勝ち!」
「ダァー! ……もう一回!」

 ゲームが始まれば、先ほどまでの重い空気は自然と消え去った。

「私の勝ち!」
「クッソォ! もう一回だ!」

 午後イチの授業も終わり、合間の休憩時間も含めて、私たちはギリギリまで勝負を続けた。
 戦いは最後まで白熱し、結果は私が2勝3敗、クロが3勝2敗となった。

「あ、もう5分前だよ! さすがに次の授業は出ないとマズいよ!」
「やっべ! 急げ急げ!」

 あわててトランプを片付けて、廊下を走ることで先生に注意を受けないよう、私たちは早歩きで教室へ戻った。

 うさんくさいとか、ろくでもないこと企んでるとか、酷いこと考えてごめん……。

 クロのやり口はどうであれ、私を心配しての行動だった。
 散々避けた挙句、失礼なことばかり考えていたことを内心で謝罪した。

 その後、私とクロは先生に職員室まで呼び出しを食らい、こってり絞られた。
 ふたりで肩を落として職員室を出ると研磨と出くわしたが、呆れた目を向けられ、話しかけられることもなくスルーされたのは心が痛かった。







 そして放課後を迎え、私はこれからの予定を頭の中で立てながら帰路に着いた。

 今日は体育館に点検作業が入るため、部活は休みだ。
 体育館が使えないのであればしかたないが、バレーの練習に飢えている私は若干物足りなさを感じていた。
 かといって過剰な練習は禁物。たまには休みがあるのも悪くないと一度は頭を切り替るが、やはり物足りないことには変わらない。いつものルーティンが変わると、どうにもソワソワして落ち着かないのだ。
 しかし、バレーの練習やトレーニングを始めてしまってはいつも通りである。それも悪くはないが、せっかくできた空き時間なのだから、いっそのこと先延ばしにしていたことを片付けてしまおうと思い立ったときのこと――。

「千早」

 私と同じく部活が休みのクロが呼び止めてきた。

「クロ? どうしたの?」
「どうしたのじゃなくて、前にお願いした試合のDVDっていつ借りれるんだ?」

 クロが尋ねてきた言葉に「あっ」と声が出る。

「ご、ごめん! いま部屋が散らかってて、クロが観たいって言ってたDVDが見つからないの!」
「えっ!? マジかよ!」
「お父さんの仕事の手伝いしてたら色々溜め込んじゃって。散らかす前はあったから、もしかしたら埋もれてるかも」
「そんな……観れると思ったのに……」

 クロがショックを受けている。無理もないだろう。
 DVDをすぐに借りれると思いきや、私が部屋を散らかしているため目的のものが見つからないときた。

「お前! 俺にDVD貸す約束、頭から抜けてただろ!」
「ごめん! ぶっちゃけ抜けてた! 昨日思い出して用意したんだけど、散らかしたらどこに行ったかわからなくなって! 今日すぐに探すから!」
「はぁー……でも今日中に見つかるかわかんねえだろ?」
「散らかってるの部屋の一部だけだから! 今すぐ帰ってあされば見つかるかも!」
「漁るんじゃなくて片付けろよ!」
「……ふたりとも、どうしたの?」

 いつの間にか近くにいた研磨が、怪訝な顔をして声をかけてきた。

「千早がだらしねぇって話だ!!」
「違う違う! 私が部屋散らかしてるせいでクロが観たいDVDが見つからないって話!」
「千早がだらしないって話で違わないじゃん」
「だよね! 違わないよね!」

 研磨の目が「なに言ってんだコイツ」と伝えてくる。
 容赦のない視線が突き刺さって、私の心にヒビが入った気がした。

「……しょーがねえ。研磨! 千早の家まで一緒に行って片付けるぞ!」
「え? イヤだけど」
「即答かよ! 三人で片付ければすぐ終わるだろ!」
「おれを巻き込まないで。やりたいゲームあるから帰りたい」

 やいのやいのと騒ぐふたり。
 その傍でいたたまれない気持ちでいると、突然ひらめいた。

「ねえ、それ――賭け一回分、使える?」

 言い合いする口をピタリと止めて、ふたりがこちらを向く。

「私の賭け一回分を消費してふたりに来てもらう。手分けすればすぐに片付く。DVDも見つかるかも。一石二鳥どころじゃなく一石三鳥じゃない!?」
「あ、あのな千早……俺から行くって言ったわけだし、今わざわざ賭けを使わなくともいいんじゃないか? もうちょい別の使いどころがあるだろ」
「でも、こういうときにでも使わないと、いつまでも使えない気がする」
「"余らせてる調味料を消費する"みたいに賭けを使うなよ」

 よくわからない例えをするクロをスル―して研磨を見ると、眉間にシワを寄せていた。

「その賭けって、なんの話か知らないけど、絶対おれ関係ないじゃん」
「確か、研磨がやりたいって言ってたレトロゲーのソフトもあったと思うんだよね。散らかす前に見かけたから」
「……………………わかった、行く」
「行くのかよ! 俺が言ったときは拒否ったくせに!」
「ふたりともありがとう! 助かるよ! 終わったらお礼に肉まんおごるね!」

 こうしてDVDを早く借りたいクロと、ゲームに釣られて即答した研磨を自宅に招いた。
 そして今、ふたりはわが家のリビングにいる。

「うわっ……ヒドイな」
「ホントごめん。なんか片付ける気が起きなくて、ここまでになっちゃった」
「足場ないんだけど……」
「そこらへんのはもう捨てるものだから、悪いけどスリッパのまま踏んじゃって」

 具合が想像以上だったのか、クロも研磨も目の前の惨状に開いた口が塞がっていない。

「なんで昨日今日でこんな散らかるんだよ……」
「お父さんの仕事の手伝いしてて、忙しくて片付け後回しにしてたらこんなんなっちゃった」
「千早のお父さんは?」
「仕事部屋にこもってる。集中してるから、そっとしておこう」
「これ、ゲーム見つかるの……?」
「散らかす前に見かけたから、あるはずだよ」

 ダイニングテーブルとは別の、テレビ前に設置しているテーブルとソファの上には、自宅の本と、図書館から借りた本、ネット検索で調べた情報を書き起こした大量のメモ用紙が散らかって、ひどい有様だ。

「こんなとこでやらないで、自分の部屋でやればいいのに……」
「私、自分の部屋持ってないから」
「え!? マジで!? 自分の部屋ないとかあんの!?」
「作ればできるけど、うち本めっちゃあるから置き場所確保したくて部屋作らなかった。家事やってるとリビングにほとんどいるし、勉強もここで十分。寝場所があればいいから必要性感じなくて」
「とても年頃の女子とは思えない発言」
「千早のお父さんはそれでオッケーなの……?」
「全然。引っ越したとき、本当に部屋作らなくていいのか何度も聞かれたけど、いらないって言い続けて断ってた。今でもたまに聞かれるよ」

 わが家は、父が趣味や資料のためにかき集めた大量の本であふれている。ゆえに父の仕事部屋と――母のために用意した部屋以外に個室らしい個室はない。
 私の服や勉強道具などは本の置き場にしている部屋のクローゼットに収納しているし、基本的に私が家事以外に家でやることといえば、勉強か、父の仕事の手伝いか、バレーボールを触る程度なので、自室がなくともリビングで事足りている。

「お父さん、場所確保するのにいくらか本を処分するつもりだったらしいけど、どれも大事な本だから捨てたくなくて私から拒否したの」
「信じらんない……」
「俺、別の意味でお前が心配になってきた……」

 ふたりが憐れむような視線を向けてくる。

「研磨、このゴミ袋にそこのメモを全部捨てて。紙で手を切らないように一応手袋もして。クロはこの辺りの本をあっちの部屋まで運んでほしい」

 いたたまれなくなり、話を逸らすように片付けのお願いをした。まだなにか言いたそうなふたりだったが、特になにも言うことなく片付けを始めた。
 私はクロが運んできた本を、一つひとつ本棚の指定の場所に戻していく。

「世界の天国と地獄、モノノケ図鑑、百物語怪談、日本史における幽霊の話、本当は怖い日本の歴史――おっかねえ本ばっかだな!!」
「妖怪の種類に、残虐な江戸時代の刑罰……このメモの内容もなんなの……?」

 人を憐れんだかと思えば、恐怖におののく。ふたりの情緒が忙しい。

「お父さんの仕事の手伝いって言ったでしょ? "ネタ探し"だよ」
「どんな怖い話になるんだ……」
「まだプロット練ってる最中らしいし、よくわからない」
「プロットって?」
「物語の骨組みみたいなもの」
「へぇー」

 クロは興味津々に本をパラパラ開く。感嘆したり、渋い顔をしたり、怖がったりと百面相している。
 
「今さらだけど、こんなにたくさんメモしたのに捨てていいの?」
「うん、必要なものだけ取ってあるから大丈夫。毎回全部取っておくと、さすがにモノばっか増えるからね」
「……時間かけたのに、調べる意味あるの?」
「ヒントはあったみたいだから、まったく意味がなかったわけじゃないよ」

 研磨が首をかしげる。そこまで労力をかけることが理解できないって顔だ。

「私は素人だから、あまり知ったようなことは言えないけど、こうすれば必ず上手くいくってことはないっぽい。一度良いって思ったネタも、話を作っているうちに辻褄が合わなくなるとか、もっと良いネタが見つかったり、やっぱり気に入らなくてボツになることもあるの」

 父の仕事は『小説家』だ。
 私が宮城に住んでいた頃、父はまだ売れない小説家だった。母の病気が発覚するより前に出版した本がそこそこ売れたことで父の仕事量も次第に増していき、比例して生活習慣も不規則になった。
 東京に引っ越してからは、さらに生活費や治療費を稼がなくてはならなくなり、本業である小説以外の仕事も請け負うようになる。仕事量の増加に伴い、元より不規則だった生活習慣はますます酷くなった。
 そんな父を見かねて始めたのが『ネタ探し』だ。
 忙殺されて、なかなか捗らない執筆作業が少しでも円滑になるようにと考え、私の日々のルーティンに追加した。
 これなら私のようなズブの素人でもできると、中学生になってから手を出し始めたのだ。

「これだっていうネタが見つかるまで探し続けるから、時間かかるときもあるし、逆にすぐ見つかることもある。さっき言ったとおり、一度見つかってもボツにすることもあるから、そういうときはまた調べ物する」

 どこから糸口を得られるかはわからない。だからこそ、今まで集めた自宅に置いてある本は、一冊たりとも捨てたくない。

「お父さんひとりで調べ物するのは大変だから私も手伝っているけど……素人が集めたネタが採用されることなんて、あまり無いんだよね」

 父は、私が集めてきたネタのすべてに目を通した上で、ほぼ不採用にする。
 たまに採用されることもあるが、素人が手あたり次第に集めた情報から得られるものは少ない。ヒントだけでも見つけることができれば上出来だ。

「でも、お父さんひとりでたくさん調べ物するのは大変だから、私もできるだけ調べ物するの。お父さんの仕事は代われないけど、これくらいなら私でもできるかなって思って」

 ネタ探しは大変ではあるが、嫌いじゃない。むしろ楽しい。
 素人が集めた情報に、目を通す時間を作らせるだけ無駄にさせていないか不安に思うこともある。しかし、滅多にその機会はなくとも、足がかりとなるネタを提供できたときの喜びと感動を知ってしまったから、この手伝いはやめられない。

「千早って、おじさんの仕事の話になると饒舌になるよね」
「うそ!? くどかったかな!?」
「そういうことじゃないけど……まあ、いいや」

 研磨は、なにか諦めたように話を止めた。たぶん面倒くさくなったのだろう。疑問は生じたが、いつものことだし、特に続きを追求する気にはならなかった。

「おっ! これ、おじさんの書いた小説か?」

 クロが本棚から見つけた一冊の本を取り出し、表紙を見せてきた。
 青々とした空を見上げる、小さな少年の背中。爽やかで人情味がありつつも、どこか物寂しさも感じ取れる水彩で描かれたその絵に、懐かしさが込み上げてくる。

「それ、お父さんが初めて出した本! なつかしー!」
「マジか! タイトルは……なんて読むんだ?」
「憧憬(しょうけい)って読むの」

 とある少年が、周りの人たちにはあって自分にはないものを追い求めていく物語。
 貧乏な家庭に生まれ、両親とも折が悪く、少年は14歳で非行に走る。日々悪さを繰り返し、たくさんの人に迷惑をかけるが、18歳で出会った恩人により人生をやり直すという内容。
 ありがちにも思える設定だが、深みのある人物描写により共感してしまう面もあれば、やたらリアリティのある暗い展開に胸が痛くなる場面もある。主人公である少年の目線で物語が進むので、少年を応援したくなる気持ちも湧いてくるが、今までしでかした非行のツケが回ってくる展開もあり、決して少年が良い人間ではないことも突きつけられる。
 たくさんの出会いの中で、酸いも甘いも経験していく少年が、本当に心から欲しいものはなにか。それを見つけた先になにがあるのか。果たして少年は、心から欲しいものを手に入れられるのか、というストーリーだ。

「この本は初めて見たな」
「だいぶ前の本だからね。名前が売れてから人の目に触れるようになったから、お父さんの名前は知ってても、この作品を知らないって人は結構いると思うよ」
「おじさんって、いつから売れたんだっけ?」
「確か、私が小三の頃だったかな」

 クロはへぇーと関心を寄せて、わくわくした顔でページをめくる。

「これ、ちょっと読んでもいいか?」
「いいよいいよ! ぜひ読んで! めっちゃおもしろいから!」
「俺、あんまり本読まないんだよな、読み切れるかな」
「お父さんの小説は読みやすいから大丈夫! 主人公視点で話が進むから主人公の心理描写に目が行きがちだけど、他の登場人物から見た主人公の印象とかもイメージしながら読むとさらにおもしろいよ! オススメ!」
「めっちゃおもしろそう! それで読むわ!」

 クロと父の小説トークで盛り上がっていると、背後から怒りのこもった視線がひしひしと感じてきた。

「ねぇ……読んでないで……片付け……」

 小さくとも迫力のある声に、私とクロの肩が大きく跳ねる。
 振り返ると、めずらしく眼光の鋭い研磨が、ゴミ袋を片手に圧をかけていた。

「「す……スイマセン!!」」

 即座に謝罪アンド片付け再開。人に頼みごとをしておきながら、当人である私がサボるなんて言語道断。すぐに反省して、その後は黙々と、かつテキパキと行動した。
 しばらくして片付けの終わりが見えてきたところで、研磨の目的のブツが目に入る。

「――あっ、研磨! ゲーム見つかった!」
「!? ホント!?」

 そこからの研磨は速かった。手に持っていたゴミ袋を丁寧に放り投げ、つかつかと歩み寄り、私からレトロ感たっぷりのゲームカセットを受け取った。

「前にお父さんが研磨に話してたゲームって、これで合ってるよね?」
「これ……! コレだよ……!」

 弧爪って動くの? クラスメイトにそう評されるあの研磨が素早く動いた。
 教育番組のドキュメンタリーで、稀まれに見る野生動物の行動をとらえた瞬間を観たときと同じ感動を覚えた。
 古いゲームを手にしてハイテンションになっている研磨につられて、クロもなんだなんだとやって来る。

「そんなにおもしろそうなゲームなのか?」
「おもしろそうってのもあるけど、これ滅多に市場に出回らないゲームなんだよ。マニアなら、こぞってお金出すレベル」
「やば。私そんなレア物をテキトーに置いてたんだ」
「ゲーム専用のリサイクルショップのサイト見たんだけど、10万近い買取価格だった」
「えぇッ!?
「じゅっ……10万!?!!」

 想像だにしない金額が出てきて、全身が総毛立つ。

「お……お父さんってば、そんな高いゲーム、友達が処分に困ってるからもらったーとか言って……価値を知らないって怖い……」
「あまり興味ない人からすれば、そんなものだろうね」
「お父さんが、研磨が気に入ればあげてもいいよって言ってたの。……どうする?」
「エェ……? どうって……どうしよう……」
「10万だものね……」
「う……売りに行くか?」
「なに言ってんのクロ! もったいないでしょ!」
「クロにはゼッタイ渡さない」
「ふたりして怒んないで!」

 研磨の話を聞いて、古めかしいとだけ思っていたゲームカセットが、燦然さんぜんと輝く10万円の札束に見えてくる。先ほどまで紙ゴミの下敷きにしていた自分が恐ろしい。

「ひ、ひとまず、もらうかどうかは、とりあえずゲームをやってみてから考えたら?」
「うん、そうする……」

 研磨に専用のゲーム機を入れた紙袋を渡すと、慎重に、丁寧にゲームカセットを紙袋にしまい込んだ。

「あ、そういえば、クロが観たがっていたDVDも見つかったよ。イタリア対ブラジルの」
「おお! サンキュ!」

 バレー公式戦のDVDを手にして、クロがすごくウキウキしている。

「じゃあ、部屋もだいぶ片付いたし、ふたりに渡したかったものも見つかったから、あとは私がやっておく。助かったよ、ありがとね」
「おう、千早の賭けはあと一回分か?」
「うん。クロはあと三回だよね。なんでもやるから、なんでも言うんだよ!」
「言ったな?」
「あっ……」

 まずいことを言ってしまったかもしれない。怪しげなクロの笑みにゾッとした。
 うさんくさいとか、ろくでもないこと企んでるとか、酷いこと考えてごめん――その謝罪は前言撤回したほうが良さそうな気がしてきた。

「こ、これからコンビニ行く? 約束通り肉まんおごるよ」

 とりあえず話題をかわすため、コンビニへ行こうと提案する。

「せっかくだし、行こうぜ研磨」
「えー……」

 乗り気なクロに対し研磨は、おれは早く家に帰ってレトロゲーを堪能したい、と言いたげな顔をしている。

「先に家帰る? 送っていくし、あとから肉まん持って行くよ」
「いや、それはちょっと……」
「え、でもさ、10万円をずっと持ち歩くのも怖くない?」
「だれもこれを10万円だと思って盗まないよ……千早はこれが10万円札にでも見えてるの?」
「うん。さっきから触るのも怖い」
「………………」
「なんだコイツみたいな目で見るのやめてくださーい」

 結局、研磨を先に家に帰して、クロと一緒に近所のコンビニへ行くこととなった。
 10万円を持ち歩く研磨をひとりにして大丈夫なのか不安で、何度も家まで送ろうか掛け合ったが、しつこいと断られてしまった。

「どんだけ10万が怖いんだよ」
「怖いでしょ! 大金だよ!? 食費2カ月分……いや、3カ月はいけそうだな」
「食費換算するあたりが、もう主婦」

 コンビニで肉まんを買い終えて、クロと談笑しながら夕方の薄暗い道を並んで歩く。
 ほかほかの肉まんを携えて、研磨の家まで向かっていた。

「研磨、今頃ゲームに夢中になってるかなあ」
「だろうよ。超ホクホク顔だったじゃん」

 集中モードでゲーム画面にかじりつく研磨が、容易に想像できる。
 親に隠れて徹夜しなければいいなと、まだ起きてもいない研磨の睡眠不足が心配になった。

「千早」

 ふと、クロに名前を呼ばれる。

「なに?」

 聞き返すと、クロは神妙な面持ちでこちらに目を向けた。

「もう少し、上手い頼り方ってもんを覚えろよ」

 またも突拍子のないことを言い始めたクロ。
 でもやっぱり、茶化しているわけではないと表情でわかる。

「勝負仕掛けておきながら言うのもアレだけど、ホントは賭けとかどうでもよくて、そんなの無くても頼られれば力になるつもりだからな」

 どうでもいいなら賭けをした意味がないだろう――とは口にしない。
 野暮であることくらい察せる。

「ちょっと無理あっても誰かに頼れる状況作ってやらないと、千早はそのまま溜めこみそうだったからな」
「うん……そうかもね」
「研磨には回りくどいって言われたし、正直もっとマシなやり方なんていくらでもあったと今でも思うけど、結果的に今日ひとつ頼ってもらえて良かったよ」

 安心した顔でクロは言うが、ここまでお膳立てしてもらった上でようやく頼み事をする自分の不器用さが情けなくて、少し気を落とした。

「研磨はああだけど、研磨なりにお前のこと心配していたからな。今日付いてきたのだってゲーム貸してもらえるからってだけじゃないと思うぞ」
「そ、そうなの?」
「それだけで人の家の片付けを手伝いに来るやつじゃねえよ。研磨は研磨で、千早の助けになれること考えてたからな」
「……私もまだまだ研磨の理解が足りてないな」
「そこじゃねえだろ」

 クロがあきれかえる。自分が不器用なのは自覚している。自覚しているが、不器用なりになんとかやっていこうと考えた結果がコレだ。
 結果、幼なじみに心配をかける羽目になった。まさに本末転倒である。

「家のこと、学校のやつらには言いにくいんだろ? 俺らなら、まだ話しやすいだろうし、ちょっとずつでいいから頼れよ」
「………………ありがとう。本当に、ありがとう」

 申し訳ない、なんて考えるのはナンセンスだ。

「ほら、着いたぞ」

 見上げると、窓から研磨がこちらをのぞいていた。
 私が手を振ると、研磨も小さく振り返した。

 ――研磨なりにお前のこと心配していたからな。

 クロの言葉を思い出す。
 こんなにも気にかけてくれる幼なじみふたりがいて、私は恵まれていると思った。

 いきなりアレコレ頼むのはまだ難しいけど、これから人に頼ることに慣れていこう。

 幼なじみの優しさに触れたおかげで、今まで抱えていた重い荷物が、少しだけ軽くなった気がした。