先が見えない患い事
12月上旬。冷たい空気が骨身に染みる季節。
鈍色の空を背景に、冬枯れの景色に立ち並ぶ
梢が物寂しさを思わせる。
中学生になってから初めての冬。東京には、いまだ初雪が訪れず。
宮城はもう初雪が降っているんだったかな――。
毎朝テレビでチェックする全国の天気予報により、宮城のお天気情報も逐一耳に入る。
住んでいる地域以外のお天気情報など特に必要ないはずだが、生まれ故郷であるためか、何とはなしに気にしてしまう。
「うぅーっ! 寒いなー!」
ダウンジャケットで身を固め、ニット帽で頭と耳を守り、ポケットに入れたホッカイロで手指をあたためる父が、隣で寒い寒いと騒いでいる。
完全防備だろうと容赦なく凍えさせる冬の空気は、肌を突き刺すように痛い。
「千早は大丈夫か?」
「寒い、けど……夏よりは我慢できるかも」
「あーそれ、お父さんもわかるなあ」
寒さは着込めばなんとかなるが、暑さは何枚脱いでもなんともならない。猛暑の時期は、いっそ全裸で過ごしてやろうかと考えるほど暑さで気が狂う。
「お母さんに会えるの、久しぶりだね」
「……そうだな。久しぶりだな」
電車と徒歩を合わせて約1時間の道のり。私たちは今日、入院中の母のお見舞いをするため病院を訪れている。
真冬だからか病院の庭園には人が少なく、院内散歩している患者さんも見当たらない。入口を抜ければ、天井の高いきらびやかなエントランスが目の前に広がり、少し圧迫感すらあった。
「じゃあ、窓口行こっか」
いつも通りの流れで、窓口で面会の手続きを行い、病院のスタッフに病室まで案内してもらう。
「久しぶりだから、話止まらなくなりそう」
「面会時間は短いからな。話したいことは考えてきたか?」
「もちろん。時間は15分くらいだったよね?」
「そう。15分なんてあっという間だからな」
久々の面会だというのに、なぜか楽しみといった感情がない。もちろん会えるのは嬉しいが、素直に喜ばしいと思えない。会いたいような、会いたくないような、矛盾が絡み合った感情が胸中をざわつかせている。
母は、私が小学6年生の頃に一度退院している。
しばらくは経過観察が必要で、病気が完治したわけではなかったが、その頃の私はもう心配する必要はないのだとすっかり信じきっていた。
翌年、病気が再発するまでは――。
「入室前に手指の手洗いと消毒をお願いします。着用しているマスクはこちらと交換してください」
スタッフの指示通りに手洗いと消毒を行い、マスクを交換する。準備が終わるとスタッフの人が扉の取手に手をかけた。
息苦しいくらい脈打つ心臓がうるさくて、胸のあたりを手でギュッと握りしめる。
扉が開いて入室すると、病室独特の匂いが鼻に入ってくる。今日という日を待ち遠しく思っていたはずなのに、会いたい人が寝ているベッドまで向かう足取りは重かった。
目的のベッドまでたどり着き、焦がれていた人に声をかける。
「お、お母さん……久しぶり……」
かすれた声が出る。入室前に張り付けた笑顔は、引きつっていた。
「久しぶりね、千早。また大きくなったね」
窓から淡く入ってくる光に照らされた母の姿は、脆く、儚げで、自分の知る姿とは別人に見えた。
「あなたも久しぶりね、元気そうでよかった。前来たときは目の下真っ黒だったもの」
「心配かけてごめんな。千早のおかげで順調に仕事がんばれているよ」
両親が和気あいあいと会話している。ほほえましい光景だが、私はふたりの会話に混ざりにくかった。
「千早、こっちおいで」
母に手招きされて、ようやくふたりに混ざる。事前にいくつか考えていた話題は、入室と同時にどこかへふっ飛んでいった。
「学校はどう? 楽しくやってる?」
「あ……学校楽しいよ。友達もいるし」
「バレー部も楽しそうでよかった。ずっと入りたがっていたものね」
「うん、すごく楽しい。電話でも話したけど、控えに入ることができたんだ。レギュラー入りは、まだだけど……」
「千早すごい! がんばってるのね!」
母が会話を振ってくれるおかげで緊張がほぐれて、飛んでいった話題が戻ってくる。
バレーの練習をがんばっていること、友達がたくさんできたこと、家事が上手くなったこと、幼なじみのふたりのこと、たくさん口がくるくる回った。
「鉄朗君も研磨君も元気にしてるのね」
「してるしてる! 中学生になってから前みたいに遊ぶことは少なくなったけど、たまに会ってるよ」
「中学生になると色々なことが変わるものね。たまにだとしても、定期的に会ってくれるお友達はすごく貴重だから、大事にしなさいね」
「わかった! これからも大事にするよ!」
それからも三人でたくさんのことを話した。入院中に聞かされたくない話題もあるだろうから、そういった話題はなるべく避けて、母が喜びそうな会話を選びながら。
「千早――」
突然、母に名前を呼ばれる。
なに?と返事すれば、にっこりと柔らかに母は笑って口を開いた。
「千早は、がんばり屋だからなんでもがんばっちゃうけど、自分のためにがんばるのも大事なことだよ。だれかのためにがんばれる千早を、お母さんは誇らしいって思う。けど、千早には心から好きだと思うことに触れて、楽しく生きてほしい」
母は言い聞かせるように私を諭した。
母の言葉がなにを意味しているのかイマイチ理解できず、疑問符を浮かべた。
いつだって自分がやりたいと思うことを進んでやっているし、だれかのためにがんばりすぎているというよりも、あなたは周りの人たちに助けられてばかりだね、と言われた方が正直しっくりくる。
「桂さん、申し訳ございませんが、終了のお時間です」
看護師さんが声をかけてきた。あっという間の時間だった。
15分なんて短すぎる。一日中話したって足りないくらいなのに。父だって、もっともっと母と一緒に過ごしたいだろうに。
「じゃあ、またね、お母さん……」
「うん。来てくれてありがとね」
母に別れを告げて病室を去る。
去り際、重かった足取りは、さらに重りがついたように思えた。
母の最後の言葉。どういう意味かもっと詳しく教えてほしいと聞くつもりだったが、面会終了となってしまい聞き出せなかった。
母は一体、なにが言いたかったのだろうか――。
病院を出て携帯の電源を入れると、研磨からメールが入っていた。
〈夕方、クロと千早の家に行ってもいい? 親戚からミカンいっぱいもらったから、おすそわけに持って行きたい。クロも親戚からゆずもらったから、何個か持っていきたいんだって〉
ありがたい話だった。ゆずは使い道の汎用性が高いし、ミカンはそのまま食べるのが好きだ。食べ過ぎて爪が黄色くなるのが想像できる。
特に問題もないので、了承の返事をして携帯を閉じた。
行きと同じ景色の中を歩いて駅のホームに着き、電車を待つ。電車が来れば人に混ざって乗り込み、空いている席に父と並んで座る。
私も父も、会話はしなかった。
帰りの電車に揺られながら、母の言葉を反芻する。
心から好きだと思うこと――。
今でも十分好きなことに囲まれて生きている。あとは母が元気になって帰ってきてくれれば、充実した生活のすべてが揃う。
だれかのためにがんばっていると言われたが、そのだれかは主に両親だと思う。
父が家族のためにと言って増やした仕事で稼ぎ、それを私が支えることで今の生活が成り立っている。母がいつ帰ってきても良いように家庭の安定は大事だ。私もバレーと勉強をがんばって、学校の友達と楽しく過ごしていれば母も安心できる。それが今の私にとっての最善である。
父が家族のためにがんばるように、私も家族のためにできることをがんばるのは、家族のためにもなり自分のためにもなる。私にとっては一石二鳥に近い考えで自ら動いているのだ。
だから、母に諭されるとは露ほども思っていなかった。あれでは、まるで自分を後回しにして他人のことばがり気にしてると言われているようなものだ。
私は母を心から尊敬している。
竹を割ったような性格で、
侍気質な一面もある。母方の祖父が相当な頑固親父だったらしく、父いわく性格を受け継いでいると。とはいえ、祖父ほどの頑固者ではなく、祖母の特徴である柔軟性も併せ持っている。
厳しいけれど、優しい母。その母の言うことはいつも大体正しい。
母の言葉は、ただ正しいだけではなく、相手に歩み寄るから、素直に聞き入れたくなる。
だが、言葉の意味を理解できていない今の状況であれば、飲み込みたくても、飲み込めない。
理解し、得心がいくまで、母の言葉の意味を考え続けるだろう。
帰宅するまで、口の中に嚙みきれない食べ物がずっと残っているようだった。
▼
「こんにちはー」
「おじゃましまーす!」
予定通り、ミカンを携えた研磨と、ゆずを携えたクロがわが家にやって来た。
「千早、これ母さんから。いつもありがとうって」
「わあ! ミカンいっぱいある! こんなにいいの?」
「むしろ、もらってくれたほうが助かるよ。いっぱいあるから」
「ミカンってだいたい箱で届くから、食べきるの大変だよね」
「ほい、俺からもこれ、ゆず。父さんがいつもありがとうだって」
「やったー! ゆずだ! 今日さっそく使お! こちらこそ、いつもありがとうございますって伝えてくれる?」
ふたりからおすそわけの品を受け取り、父に報告すると、父も仕事部屋から顔を出してきた。
「研磨君、鉄朗君、いつもありがとね。お母さんとお父さんにもあとでお礼伝えておくね」
父が、ミカンさっそく食べよーとか、今日はゆず風呂かなー?とか言って浮き立っている。見るからに上機嫌だ。
私たちは子供同士だけではなく、親同士も親交が深い。互いにお世話になる機会も多く、持ちつ持たれつの関係性が出来上がっている。したがって、ちょっとした日頃のお礼を贈り合うことが定期的にある。
今もまさに、その贈り合いだ。
「これから予定ないなら、ちょっと上がってく? ……って言いたいところだけど、ごめん、今日もうち散らかってて……」
申し訳なげに伝えると、ふたりに苦笑いされる。
「またネタ探しか?」
「ちょっとずつでも片付けしないと、大変になるよ」
「わかってるんだけど……どうしてもね……」
忙しさを理由に、やるべきことをやらないのは良くないと頭ではわかっている――が、どうしても手が出せないのだ。
母ならすぐにでも片付けに取りかかるだろうと考えたが、私は同じようにやろうとは思えなかった。
「最近、前に増して忙しそうじゃん」
「ネタ探しってそんなに散らかるものなの?」
「調べ出すと止まらなくなるんだよね。一個気になると、もっと気になるの。ネタ探しと関係ないとこまでとことん調べ上げたくなって、気づいたら資料とメモした紙が積み上がってる……みたいな」
「せめてノート使えばいいのに……かさばらないじゃん」
「感覚の話だけど、殴り書きになるから個人的にノートじゃなくて紙のほうがやりやすいんだよね」
ノートだと、あとで見返すことを想定して綺麗にまとめたくなるが、ネタ探ししている最中は次から次へと出てくる情報をひたすら書き出すので、綺麗にまとめている余裕がない。かといって、膨大になるメモの内容をノートにまとめる労力も面倒くさい。家に入ってくるチラシもメモ代わりとしても使えるので、ただ廃棄するよりメモとして使ってしまいたいという理由もある。完全に個人的な理由ではある。
余裕がないやり方ではあるが、いちばん自分に合っているやり方でネタ探しをしているのだ。結果、片付けが間に合わないほど散らかすことになるが。
「また手伝うか?」
「いや、いいよ! もう夕方でしょ? 帰らなきゃいけない時間だし!」
「あ……じゃあ、また今度なんかあったら言えよな」
「うん、ありがとう。気をつけて帰ってね」
研磨とクロに別れを告げて、私は夕飯作りに着手する。
ふたりが心配していた通り、資料やメモ用紙の片付けもやらなければいけないが、時間的に夕飯が先だ。
「じゃあ、お父さんは仕事に戻るよ」
「わかった。夕飯できたら、また声かけるね」
「……いつも悪いな」
まただ。父がまた申し訳なさそうな顔をする。
この顔を見るのは、すごくつらい。
「気にしないでって、いつも言ってるじゃん。……お仕事がんばってね」
以前、研磨とクロがうちにご飯を食べに来たときから、父が食事の時間は仕事部屋から顔を出すようになった。
なにか思うところがあったのかもしれない。それがなにかは詳しくわからないが、私にとっては
僥倖だった。
お母さんも、いたらいいのにな――。
今日、母のお見舞いに行ったからだろうか。玄関に目を向けて、つい想像してしまう。
――玄関の扉が開いて、母が「ただいま」と帰ってくる光景を。
想像したところで今すぐに叶わない願いは、私の心に影を差して、じわじわと侵食していった。
ああ……片付け、やりたくないな。
▼
不安が尽きなくとも、日々の生活は変わらない。
「千早! 前!」
「ハイッ!!」
今日も今日とて学校はあるし、授業もあれば放課後は部活もある。
どんなに気持ちが沈んでいようが、日々のやるべきことはやらなければいけないのだ。
「ッいよっし!!!」
「山田先輩! ナイスキーです!」
私は抱えた不安を無視して、部活に専念した。
「千早、またレシーブの腕上がったんじゃない?」
「ほんとですか!? 結奈と一緒に特訓してるんです!」
「うん、腕の角度はバッチリだから、だれのボールかもう少し判断早くできるといいと思うよ。声かけも積極的にね」
「はい! ありがとうございます!」
先輩に褒められ、少し沈んだ気持ちも上がってくる。その後も目の前の練習に集中し、ボールを拾い続けた。
しばらくすれば笛の音が鳴り、試合形式の練習が終わった。
「千早! 特訓の成果出てたじゃん!」
「結奈のおかけだよー! ありがとう!」
チームメイトの結奈からもプレーを褒められる。一緒に練習をがんばってきた相手からも褒めてもらえると、嬉しさは倍増した。
「5分休憩!」
顧問の先生から声が上がる。
休憩を合図に、部員たちが水分補給をして、タオルで汗を拭っていた。
なんか、変な感じする。これ、前にも……。
部活に集中しているはずが、過去に覚えのある感覚が芽生え始める。
ああ、あれだ――テレビ観ているときと同じ。
ふわふわして、現実味のない感覚。
周囲のすべてが、画面の向こう側にある光景として見えている。
「休憩終わり! 次も試合形式です!」
顧問の声に、部員たちがコートに集まる。
私も声に反応して頭を切り替え、コートに入った。
全員がポジションに着いて、試合開始の笛が鳴る。
「レフト!」
チームメイトの声が聞こえる。
切り替えたつもりの頭は、まだ浮ついていた。
「千早――!」
相手コートから飛んできたボールは、大きく弧を描いてコートの遥か後ろへ飛んでいく。
どこからか上がった声と共に、それが目に入った途端、漠然と"追いかけなきゃ"と思った。
無意識に足が動き、果敢にボールを追いかける。
必死で食らいついたボールは、手に当たると同時に、どこへ飛んでいったかわからなくなる。
――足に、激痛が走った。
「アッ……あ、ぐ――!」
皆が駆け寄ってくるのが見える。激痛は収まらない。
それでもやっぱり、テレビ画面を眺めている感覚だった。
その後のことは、よく覚えていない。
▼
「千早――!!」
「あ……お父さん……」
病院の待合室に座っていると、いつのまにか父が目の前にいた。
「桂さん。お忙しい中、来ていただいてありがとうございます。顧問の斉藤と申します」
「あ……いつも娘がお世話になっています。それで、千早の足の様子は……」
「診察はこれからでして、まだどんな具合かはなんとも……ですが、まともに歩けない状態ですので、もしかすると長期間の治療が必要になるかもしれません……」
深刻な顔で、先生が父に告げる。
「そうですか……」
「私が見ていながら……申し訳ございません」
「あっ、そんな! 頭を上げてください!」
父の動揺が手に取るようにわかる。おそらく、娘の怪我が心配だが、先生の立場も理解した上でどう声をかけような一瞬迷っているのだと思う。
先生にとっては自分の監督不行届という認識で、その責任から来る謝罪だろう。しかし、スポーツをやっている以上、怪我は切っても切り離せない。父もそこは承知している。
未経験者でありながら顧問を任された先生は、今回のことを必要以上に重く受け止めてしまいそうなほど顔を青くしていた。
気休めにもならないかもしれないが――。
「先生、本気でスポーツしているなら怪我は付きものです。先生は悪くありません」
「そうです。今も娘の面倒をよく見てくださってますし、先生には感謝しております」
先生は口をぐっとこらえていた。
「先生、私も一緒に娘に付き添ってもいいでしょうか?」
「もちろんです! ですが、桂さんお仕事などのご都合は大丈夫でしょうか……?」
「問題ありません。用があってちょうど近くにいましたが、その用事も終わってますので。今は娘に付き添わせてください」
「わかりました。次呼ばれるかと思いますので、もうしばらく待ちましょう」
そうして、三人で診察の番が回ってくるのを待つことになった。待つ間、足の様子や怪我をした理由と状況の説明を父に話した。
ぶっちゃけ、だれが悪いと挙げるなら、まさしく私だろう。
練習でできないことは本番でもできないと思って練習しているがゆえに、無茶なボールの追っかけ方をしてしまったかもしれない。
なにより――ちゃんと集中できていなかった。
父が神妙な顔をして、私の頭を撫でる。
一瞬驚いたが、すぐさま受け入れた。
その後、診察の順番が回ってきて、下された診断結果は『膝の靭帯損傷』だった。治療期間はリハビリも含めて最低でも約三ヶ月。経過を見て、延びる可能性もあるとのことだ。
病院を出て、先生の車で家まで送ってもらえることで話が決まり、父も先生に促されて同乗した。
「おふたりを送り届けましたら、私から改めて学校に報告しますので、後ほどまた桂さんにご連絡させていただきます」
「ありがとうございます。私まで一緒に送ってもらってすみません」
「いえいえ! とんでもないです!」
乗車してからも当たり障りのない会話が車内に響く。さすがコミュ強の父だ、先ほどまで青い顔をしていた先生も、少し緊張が和らいでいた。私ではこうはいかないだろう。
先生の様子を見て少し安心したが、いつもなら会話に混ざる私も、今日ばかりは口を開けなかった。
「送っていただいてありがとうございました」
「桂さんこそ……今日は来ていただいてありがとうございました。重ねて、このたびは申し訳ございません」
「先生……私が無茶したばかりに、怪我をしてすみませんでした……」
「そんな! 謝らないで! 部活はしばらくお休みしてもらうけど、学校では先生も力になるから、なにかあったらすぐ言ってね」
「はい……ありがとうございます……」
「では、桂さん、後ほど改めてご連絡いたします」
マンションの前で先生と別れ、父の支えに頼りながら松葉杖を突いて部屋まで戻ってきた。
平日なのに、いつもより早い時間に家にいるのが不思議な感じする。
「千早、しばらくは家事も休みな。お父さんがやるから」
「でも、洗濯物畳むのとかは座りながらでもできるし……」
「怪我してるんだから無茶するな。悪化したらどうする。一日でも早く部活に戻りたいだろ?」
「…………わかった、そうする」
――情けない。情けない。
集中を切らしていたからこそ起きた結果だ。一体なにをやっているんだ。
自分に対する責苦の言葉が止まらない。
こんなんで、両親に心配かけたくない。
すでに幼なじみの耳にも話は入っただろうか。チームメイトの顔も不安そうだった。
――情けない。本当に情けない。
泣きたい気分なのに、悲しすぎて、悔しすぎて、逆に涙は出なかった。
気を紛らわすために勉強しているうちに夕方となり、幼なじみふたりがお見舞いに来てくれた。
「わざわざ来てくれてありがとう。今日も散らかっててごめん……」
「いいから気にすんな。足はどのくらいで治るって?」
「一ヶ月だって。あとはリハビリで二ヶ月くらいかかる。でも具合によっては延びる可能性もあるって言ってた」
「ちゃんと休みなよ……千早のことだから、手が空けばなにかしそうだし」
「お父さんにも言われた。ちゃんと休むよ」
友人や、部活の仲間からも心配のメールがたくさん届いている。幼なじみにも心配をかけて、自分の情けなさが浮き彫りになっているように思えた。
「ふたりとも、今日は来てくれてありがとう。家まで送っていくよ」
「ありがとうおじさん」
「じゃあね、千早」
ソファに座ったまま、ふたりに手を振って見送る。玄関が閉まる音が聞こえると、家の中がいつもより静かに感じた。
テーピングで固く巻かれた膝を見つめる。
どす黒いなにかが心にじわりと染み込んでいく。壊れた膝を思いっきり殴りつけて、めちゃくちゃにしてやりたい衝動が一瞬走り――思いとどまった。
代わりに、さっきから苦しい心臓をかきむしりたくて、胸のあたりを強く握る。
惨めな気持ちと、自分への失望による自己嫌悪で、頭がどうにかなってしまいそうだった。
苦しくて、呼吸の仕方さえ忘れそうになる。
鈍い頭で呆然と天井を眺めていれば、自分以外のすべてがテレビ画面の向こう側で起きている出来事のように見えてくる。
次第に意識が遠くなっていき、そのまま眠気に素直に従って目を閉じた。
ああ、本当に――情けない。