思い出を形に残して
「千早。アップルパイの作り方、教えてよ」
「えっ?」
引っ越しの話をした日から約一週間。私とクロと研磨の三人は、予定を合わせて河川敷で約束のバレーをしていた。
今日は私から研磨へ、研磨からクロへ、クロから私の順番でパス練だ。
「急に? どうしたの?」
「千早の作ったアップルパイ、おいしかったから自分でも作れるようにしたい」
「そう言ってくれるのはうれしいけど……本を見ながら作り方を覚えた普通のアップルパイだよ?」
ボールをパスしながら、研磨に疑問を投げかける。
「自分で言うのもアレだけど、ぶっちゃけお店で買うアップルパイのほうがおいしいと思うよ」
「毎回アップルパイ買うにもお金使うじゃん。お店で買うお菓子って、結構するんだよ。一回道具揃えれば、自分で作るほうがお金かからなくて済むから」
「研磨がアップルパイを自分で作るとか、意外だな」
「いいでしょ、おれが作ったって」
「悪いとは言ってねえよ」
クロに茶化されて、研磨がふてくされる。
でも、茶化すわけではないが、私もクロと同じ意見だった。
「アップルパイ作りたいなんて、なんでまた……」
「……千早が引っ越したら、千早のアップルパイ食べれなくなるじゃん」
つい、パスされたボールを落としてしまった。
「け、研磨……!」
「なにその目……やめて気持ち悪い」
「チクチク言葉ァ!!」
すぐさま研磨の言葉遣いを指摘すると、顔をそらして聞こえないフリをされた。
上げた直後に崖から突き落としてくる研磨に、これから先の人付き合いをちゃんとやっていけるのか心配になる。引っ越す前に、せめてツンデレくらいまで矯正すべきだろうか。
「まあ、アップルパイの作り方教えるのはいいよ。でも、季節外れの果物って基本高いんだよね」
「またしても主婦の見識が出たな」
「クロはすぐ茶化すの禁止」
落としたボールを拾い上げ、ふたたびパスをする。
研磨がアンダーでクロに返し、クロがオーバーで私にボールを返す。
「おれが教えてほしいって言ったんだから、道具と材料のお金はおれが出すよ。リンゴの時期になるの待ってられないでしょ」
「確かに、その前に私が引っ越しちゃうからね。いつやる?」
「来週の日曜、空いてる?」
「空いてる。午後からとかどう?」
「うん、わかった」
「だれの家でやる? うちオーブンあるし、私の家でもいいよ」
「……じゃあ、そうする」
「買い出しも一緒に行ったほうがいいよね」
「そのほうがいい。お願い」
「あ、でも買い出しも含めると時間かかるから、金曜の放課後に買い出しだけ先に行っちゃおうよ。顧問の先生お休みだから部活も休みだったよね?」
「そうだよ。なら、金曜の放課後よろしく」
「オッケー。クロは……」
クロはどうする? そう聞こうとしたら、クロは痛い視線をひしひし飛ばしていた。
「俺を……仲間外れにする気か? 俺も予定空いてるぞ?」
「くっ、クロも! クロも一緒にやろう!」
「よっしゃ!」
研磨と私でポンポン予定を組み立てる会話を聞いて、仲間外れにされると勘違いしたらしい。わりと子供っぽいところがある。
クロがふてくされると、正直なところ研磨より面倒くさい。元から仲間外れにする気など無かったというのに。
「あんまりクロを甘やかさないほうがいいよ」
「研磨も事あるごとに千早にお菓子作ってもらってるくせに! コラ! 聞こえないフリすんな!」
器用にボールをパスしながら、仲良く揉め合いをするふたり。
平和な光景に、なんだかとても安心してしまう。
母の葬儀を執り行った日以降、ふたりとも私に直接的な慰めの言葉は伝えてこない。
なにを言っても傷が簡単に癒えるわけでもなく、母が亡くなった事実も変わらない。
私には時間と思い出が必要なのだ。それを承知しているのかはわからないが、慰めの言葉の代わりに残された短い時間で、こうして思い出を重ねる機会を作ってくれている。
研磨にアップルパイの作り方を教えてと頼まれるのは予想外だったが、少しでも私との思い出を残したいと考えてくれているのだろうか。だとしたら、うれしい。
「暗くなってきたな。そろそろ帰るか」
「そうだね、帰ろっか」
外が明るいうちにお開きにする。途中までは帰り道が同じなので、取り留めのない会話をしながら三人揃って帰路に着いた。
「じゃあ、またな」
「ふたりとも、またね。金曜日の放課後よろしくねー」
「うん、バイバイ」
私を自宅のマンションの前まで送ってくれたふたりと手を降って別れ、いつも通りの手順で自宅に帰り、玄関を開けると、父が夕飯を作っているのか料理のいい匂いが部屋中に立ち込めていた。
「おかえり千早」
「ただいま! ……いい匂い」
「今日はハンバーグだぞ」
「やったー!」
父と隣り合って眠った日から、私たちは一層距離が近くなり、会話も弾むことが以前に増して多くなった。
母が生きていた頃、私と父は互いに自分のことで精一杯で、あえて忙殺されることで不安をかき消していた。自分を後回しにして、家族のためと努めていたが、結果的に自分も周りも見えなくなって、すれ違いが起きていた。
「手洗って着替えてきなさい」
「はーい」
父に言われた通り手を洗い、着替えを済ませてから、母の遺影の前に座ってお線香をあげた。
「ただいま、お母さん。今日も楽しかったよ」
おはよう、行ってきます、ただいま、おやすみ。毎日、毎日、繰り返しお線香をあげている。途中、父が祭壇に夕飯のハンバーグとご飯を持ってきて、お供えした。
母への挨拶が終われば、父と向かい合わせで椅子に座り、夕食を食べる。
「「いただきまーす」」
父も私も、完全に母の傷は癒えていない。今でも、ふと思い出しては泣いてしまう日がある。
「ハンバーグうんまっ!」
「だろー?」
それでも、塞ぎ込んでばかりはいられない。それこそ母を心配させてしまうだろう。
父と一緒に、ゆっくり時間をかけて前を向いていこうと思う。
「そういえば、家はどう? 不動産屋の人はなんて?」
「…………まあ、なんとかする!」
「やっぱ一度売った時取り戻すのは難しいかあ……」
「お父さんがなんとかするって!」
「お金かかりすぎても大変だから、無理しなくてもいいからね」
母の実家を取り戻したいのはやまやまだが、家のことばかりにお金をかけてはいられない。引っ越し代金や、これからの生活費も含め、すべてのことを踏まえてお金を管理していかなければならないのだ。
「前住んでいた場所でアパートとかないの? そこでもいいよ? 転校先の中学校も手続きしないといけないんだから。家探しに時間かかりすぎても大変だよ」
「ぐっ……でもなあ……」
「お母さんの実家にこだわりたい気持ちはわかるよ。私もできれば前の家に帰りたいもの。でも、他にもやらなきゃいけないことたくさんあるんだから、お母さんのお墓に近い他の家で探そうよ」
「……そうするかあ」
父はまだ納得しきれていない様子だが、こだわりすぎてもどうしようもないことはある。
「お母さんのお墓の近くだと……中学はどこになるかな」
「"北川第一"だな。知ってるか?」
「知ってる。バレー強いとこだよね」
「お母さんもそこ出身なんだよ」
「マジ!?」
母と同じ中学に通えるかもしれない。可能性の段階に過ぎないが、可能性があるだけでもワクワクしてしまう。
「明日もういっかい不動産屋に行くから、前の家以外にもアテはないか聞いてくる」
「わかった。私は学校帰ったら荷造りの続きやるね。明日の夕飯はなにがいい?」
「冷凍うどんずっと入れっぱなしだから、うどんメインのなにかお願いしようかな」
「オッケー」
今通っている中学を卒業できない寂しさを抱えつつ、新しく通うことになるかもしれない中学に思いを馳せる。もし北川第一に行けるのなら、昔よく一緒にバレーしてた男の子と同じ学校に通えるかもしれない。
あっ、でも久々に会うし、女子の私とまた仲良くなるのは気まずいかな……。
小学生と中学生では考え方が違ってくる。思春期真っ盛りであろう相手に、グイグイ行って困らせる可能性を捨ててはいけない。
……考えてもしかたない。会ってから距離感どうするか考えるか。
今抱える問題は、引っ越し先の家と転校の手続きだ。優先順位を履き違えてはならない。
「「ごちそうさまでしたー」」
あれこれ話しているうちに、夕飯を食べ終えた。
「皿洗いは私がやっておくから、先にお風呂入ってきなよ」
「じゃあ、よろしく」
よし、やるかと意気込むも、シンクに溜まった食器を見て、食洗機を父にお願いするのを忘れていたと思い出す。
「今は、まだ……食洗機までは無理かな」
ハンドクリームを塗っても荒れる手をなんとかしたいが、私の手にお金をかけている余裕はない。食洗機のことは一旦忘れることにした。
皿洗いを終えた頃に、父がお風呂から上がる。父が先に入ると、烏の行水なのでテレビでも観て一服する時間はない。
交代で私もすぐにお風呂に入って、軽く勉強してからこの日は床についた。
そうして似たような毎日を繰り返し、約束の日曜日がやってくる。
目の前のテーブルに並ぶのは、アップルパイ作りに必要な調理道具と、事前に量った調味料、そして具材たち。
「今日は前より小さめのサイズで作ってみるよ。うちのお父さんも一緒にやるからね」
「張り切ってやろー!」
「おー!」と、私と父が右手の拳を突き上げる。
クロもノッて右手を挙げたのに対し、研磨は控えめに小声で「お、おー……」と呟いていた。
「はい、これ」
「……お菓子作りの、本?」
「これ見ながらお菓子作り覚えたの。研磨にあげる」
「いいの?」
「私は自分でアレンジできるくらい大体覚えたから大丈夫」
これまで助けられてきたお菓子作りのレシピが載った本。それを研磨に渡した。
自分で紙にレシピを書いて渡そうかとも一度は考えたが、本を読んでもらったほうが説明がわかりやすいと踏んだ。
「私のアップルパイの味は、この本の通りに作れば再現できると思うよ」
「ありがとう」
「今日もこれ見ながら作ってみよう」
「わかった」
以前、ふたりを自宅に招いて一緒に作ったときは、事前に下拵えを済ませていた分、時短してアップルパイを作れた。
以前と同じエプロンとバンダナを身に付けたクロと研磨が、興味深そうにレシピ本をパラパラめくって眺めている。私はその手を止めてさっそくお菓子作りに取りかかった。
「先にリンゴのフィリングを作ろう。冷やす必要があるからね」
「フィリングって?」
クロが尋ねてくる。
「アップルパイの中に入っているリンゴを煮詰めたやつ」
「へぇー」
「作るアップルパイの大きさで、リンゴのカットする大きさも変えてるの。今日は簡単に小さいアップルパイを作るから、一口サイズにカットして」
「リンゴ切れるかな……」
「練習あるのみだよ、歪でもいいから。手切らないように気を付けてね。とりあえず今日は皮剥きは私らがやるから、ヘタと種だけ切って」
私に倣って、たどたどしくも、ふたりはリンゴをカットしていく。ふたりがリンゴを切ったあとは、私と父で皮剥きをする。
スルスル切れていく皮を見るのがおもしろいらしく、クロと研磨は揃って「おお……」と感嘆の声を漏らしていた。覚えのある行動に、思わずフッと笑ってしまう。
「皮剥きが終わったら、またリンゴを切っていくよー」
このくらい、と一口サイズに切ったリンゴの見本をふたりに見せる。クロと研磨が見本を真似てどんどんリンゴを切っていき、ホールケーキ一個分は使える量が用意できた。
「リンゴが切れたら鍋にバターを入れて中火で溶かす。溶けたらカットしたリンゴとグラニュー糖を入れて混ぜる。リンゴから水分が出るから水はいらないよ」
横で指示を出しながら研磨にやらせてみる。実際そんなにやったことない作業なのだろう。手つきがいかにも不慣れだった。
慣れない作業だろうが、私がほとんどやってしまっては教える意味がないと思う。私は指示出しメインで作業を進める。
「グラニュー糖が完全に溶けたら蓋をして5分くらい煮詰める。5分経ったら、また混ぜて。ちなみに、5分待たないで煮詰めるレシピもあるけど、私は焦がすのが怖いからこうしてる」
「へぇ、そうなんだ」
「もしかしたら、待たないで煮詰め続けるレシピでも逐一確認するかもしれないけど、この本以外のレシピで使ったことないからわかんない」
5分経って、また混ぜてもらう。様子を見て、もう一度5分加熱してもらった。
「とろみついてきたね。シナモンは入れる? 私はレモン汁も入れてるけど、どうする?」
「どっちも入れる」
「シナモンとレモン汁はお好みで入れて」
「うん」
「入れたら蓋はしないで、リンゴの水分が全部飛ぶまで加熱して」
続けて加熱してもらい、いい感じにとろみがついてくる。
「このくらいかな。水分が飛んだらバットに出すか、フライパンのまま時間を置いて粗熱を取る。洗い物増えるの面倒だから、私はフライパンのまま放置してるよ」
「じゃあ、そうする」
クロに自然解凍していたパイシートを持ってきてもらい、適度な大きさにカットするようお願いする。
「パイシートは自然解凍なら10分くらい置けばいいかな。完全に解凍するとべちゃってするから半解凍までにしてね」
カットしたパイシートに打ち粉を振ってから、フォークで穴を空けてもらう。
「全部は空けなくていいよ。こっちだけ」
「わかった」
「研磨もやってみて」
「うん」
「終わったら、穴を空けてないこっちのパイシートは包丁で切り込みを入れて。こんな感じ」
切り込みを入れたら、穴を空けたパイシートに粗熱を取ったリンゴのフィリングを適量乗せていく。
「前作ったときは下になんか敷いてなかったっけ?」
「ケーキクラムかな? 前はホールで作ったからね。大きいと焼いたときリンゴのフィリングから水分が出て生焼きになるから、その対策で敷いたの」
「なるほど」
「大きくて火力のあるオーブンならまた違うのかもだけど、うちのはオーブンレンジだからよくわかんない。砕いたクッキー敷いてるレシピも見たことある」
卵液を作り、パイシートの周りに接着剤として刷毛で塗っていく。乗せたリンゴのフィリングの上から、切り込みを入れたパイシートを乗せて、下のパイシートときちんと接着するよう手で調整する。
「前は使いきりたい牛乳があったから卵液と混ぜたけど、基本的に牛乳はなくてもオッケー」
フォークで重ねたパイシートの周りを押し潰して、上下しっかりくっつける。
「最後に卵液をまた上からまんべんなく塗って。卵液を塗ったら、事前に予熱したオーブンで15〜20分くらい焼くよ」
「前より小さいサイズだから、焼く時間は短くていいの?」
「そのとおり!」
焼き加減を確認しながら、各々ジュースを飲んで一服する。なお、父にはいつものコーヒーを淹れてあげた。
四人で駄弁りながらゆっくりしていると、チーンとオーブンから音が鳴る。
ミトンを手にはめて、オーブンからアップルパイを取り出すと、甘い匂いが立ち込めた。
「よし! 完成!」
出来立てのおいしそうなアップルパイを前に「わあ!」と歓声が上がる。申し分ない仕上がりだった。
「出来立ては熱いから、ちょっと冷ましてから食べようか」
「その間に片付けだね」
「わかってるね研磨!」
「俺、洗うよ」
「おれは洗ったやつ拭く」
「じゃあ、私は拭いたやつ棚にしまっていくね」
「お、お父さんは……」
「……応援?」
適当に言ったのに、父が真に受けて変な動きでワーワー応援し始める。私らはゲラゲラ笑いながら、使った道具の片付けをしていった。
片付けが終われば、アップルパイも食べて問題ないくらいに冷めていたので実食とする。
「うまー!」
「千早のアップルパイの味だ……!」
「小さいサイズなら作りやすいから、暇なとき作ってみなよ」
本のレシピ通りに作れば同じ味を再現できとは思うが、細かい部分は実際に何度か作ってこれから慣れていくしかない。
「レシピは人によって微妙に違うから、慣れてきたら自分好みにアレンジしていいと思うよ」
「うーん……でもおれ、この味がいい」
出来立てのアップルパイを頬張りながら、研磨がうれしいことを言ってくれる。好物を前にすれば、普段はツンツンしている研磨もいくぶんか素直なようだ。自分で作った分、味は格別だろう。
「だいぶ部屋片付いたな」
部屋を見回して、クロが言う。
「毎日荷造りがんばってるからね」
「家は見つかったのか?」
「どうなの? お父さん」
「……前の家を買い戻せないか交渉したけど、無理っぽい」
「だろうねえ。もともと無理に近いってわかってたんでしょ?」
「わかってても……やっぱりな……」
「気持ちはわかるけど、諦めて他探そうよ」
頭では理解できても納得いかないこともある。それは私にもわかる。虫のいい話ではあるが、私だって可能なら前の家に帰りたかった。
「前の家? に、だれも住んでないならイケるんじゃないの?」
「細かいことはわかんないけど、契約条件とか色々あるんだって。持ち家なんてお金もめちゃくちゃかかるし、無理しないでって言ってるんだけど……」
「不動産屋の人も困らせちゃったしな。大人しく諦めて他の物件探すよ」
「それがいいよ」
子供に説得されるまで諦めない父のこだわりの強さには、たまに呆れてしまう。お母さんの実家だから、という理由が一番だろうが、無理なものは無理なのだ。
ちょっと期待していた自分もいるが、現実は思い描いた通りにはそう上手くいかない。
「本を全部運べる部屋なら……やっぱりマンション?」
「アパートだと厳しそうだし、そうかもな」
「一階の部屋ならアパートでも床抜けたりしないんじゃないかな?」
「でも部屋の広さがほしいだろ」
「確かにそうか」
「マンションでも、本の量を考えると頑丈そうなとこ選ばないと」
「細かいことは不動産屋の人に聞くしかないんじゃない?」
「そこも含めて、明日また相談してみるよ」
引っ越しが大変だとは予想していたが、実際に動き始めると予想以上に問題に直面する。小学生の頃は家探しのことなど大して考えず、父に任せっぱなしだった。きっとあの頃も様々な問題に直面し、大変な思いをしたのだろうと、過去の父がてんやわんやしている様子を想像する。
「そういえば、向こうにも幼なじみがいるんだよね。しかもめっちゃバレー好き」
「マジ!?」
"バレー好き"の言葉に、クロが凄まじく反応する。
「今どうしてっかなあ」
「連絡とか取ってないの?」
「昔は携帯持ってなかったし、お父さんの携帯借りてばかりになるのもやりづらいから、連絡はずっと取ってない」
家電にかける方法も考えたが、頻繁に連絡しても迷惑だからと父に言われて諦めたことがある。おそらく、私がいつでも電話してしまうのを見抜いて、事前に手を打ったのだ。
日々の忙しさもあいまって、次第に連絡を取る考えはなくなっていった。
「手紙も考えたけど、向こうが連絡とかマメにするタイプじゃないのわかってたから、なんとなくね」
「じゃあ、宮城に帰れば、久々の再会ってやつだね」
「昔から元気だけはあり余ってる子だったから、今でもバリバリ元気にやっていそう。おもしろいヤツになってたらいいな」
「おもしろさ重視かよ」
「楽しそうじゃん。でも思春期真っ盛りで、女子とは絡まねえ!とか言われたら、さすがに距離感は考えるけど」
「千早はグイグイ行きそうだしな。逆に困らせるかも」
「そんなことは……ないでしょ」
クロに失礼なことを言われるが、よくよく考えてみれば研磨にも初っ端グイグイ行ってたのを思い出す。研磨からしてみれば、転校してきたばかりのロクに知らないやつが、急にバレーやろうぜ!と迫ったのだ。人見知りの研磨は恐怖を覚えただろう。
私が過去を偲んでいると、研磨も思い出したように話し始める。
「おれ覚えてるよ。初めて会ったとき、千早がバレーやろうってねだってきたの」
「覚えてるわー……グイグイ行ってたわー……」
「あと、転校先では男子に喧嘩ふっかけるの、控えたほうがいいと思う」
「え!? 急になんの話!?」
「千早そんなことしてたの!?」
「ちがっ! たぶん、なんか理由があったんだよ! 思い出せないけど!」
研磨に説明を求め、カッと開いた目を向ける。
私の目にビックリした研磨が少し萎縮するが、続けて話をした。
「まあ、先に手を出したのは向こうだけど」
「なんかあったっけ……? 思い当たる節がない……」
「覚えてないの? コンビニの前でおれにゴミ投げつけてきた他校の男子のこと」
「…………ああ! いた! そんなやつ!」
唐突に記憶が蘇ってくる。すっかり忘れていたが、私にゴミを投げつけてきた不届き者とやり合った事件を思い出した。
「たぶん、向こうはゴミ箱に投げ捨てようとしてたんだけど、それがおれの頭に当たったんだよ。それに気付いたのにヘラヘラ笑って、ごめんも言わずに行こうとしたから、千早が注意したとこから始まったんだよね」
「言われてみれば、そんなことあった! 『コンビニ事件』! しかも相手は二人いたのにヤベェよな!」
「口喧嘩から始まって、向こうが千早を突き飛ばしたら千早がプッツンきて追いかけ回したんだよ。向こうがビビって逃げるから、千早が自分のバッグ投げ飛ばして捕まえてた」
「綺麗にクリーンヒットしてたよな。見ててハラハラしたもんなあ、俺らなんもできなかった」
「あ……ああ……もうやめて……」
一度思い出したら、すべてが鮮明に頭の中で再現される。隣で父も話を聞いているというのに、なんたる地獄の時間か。
「おっ……お父さん! これは、その……!」
あわてて父に弁解しようと必死になるが、研磨にカミングアウトされたばかりで上手いごまかしがなんも思いつかない。
「…………千早は、こういうところも俺に似ちゃったのか……」
「……はい?」
思いもよらない父の発言にキョトンとする。
「千早……俺も昔はそうだったから説教なんてできる立場じゃない。しかも……少しだけ、すこーしだけ、よくやったと思ってしまったから、なおさらな」
「お……お父さん……?」
「変なとこばかり娘が俺に似る……」
「……あ、そっか。そうだったね」
「なにが?」
「お父さん、昔のアルバムふたりに見せるね」
「や、ちょっと……」
制止する声を無視して、問答無用で父の昔のアルバムを持ってくる。顔を覆った父が、恥ずかしそうにやめて……やめて……と呟く。
「あった。これ、昔のお父さん」
「え……?」
「これは……」
そう――ツッパリ時代の父の写真だ。
派手に盛った髪型、カラフルな刺繍で装飾された特攻服、眉毛のない厳つい顔、背もたれ付きのバイクの前でうんこ座り。ツッパリの特徴フルコースで決めた父が写っている。
落ち着いた黒髪、シンプルにまとめた服装、柔和な笑顔、人当たりのいい性格。今の父の姿からは、とても想像つかないギャップだ。
「お父さんの黒歴史だよ」
クロと研磨は驚きすぎて、まともに言葉が出てこないようだ。目の前にいる父と写真を見比べては「ええ……」としか声にしていない。
気持ちはわかる。私も同じだった。
「ウソだろ……」
「同一人物……?」
「千早! なんで見せるんだ! ふたりに知られたくなかったのに!」
「べつにいいじゃん。お父さんの血が私にも流れてる証拠なんだから」
クロと研磨はアルバムをめくり、隅々まで写真を見ていた。今と昔でギャップがありすぎて、若干引いている。
「千早がたまに血の気が多いのは、こういうことだったの?」
「ああー……転校先では、みんなと仲良くしような」
「子供に言い聞かせるみたいに言わないでよ」
先に手出した向こうが悪いんだよ、と言うと、ふたりは私にまで引いた目を向けてくる。物理的な距離は変わらないのに、心の距離を置かれた。
「き、気をつけるから……」
「そうしたほうがいいよ。いつか厄介事に首突っ込みそうで怖い」
「うっ……」
研磨の正論に言い返す言葉が見つからない。転校したらふたりは居ないのだから、短気な性格は自分で抑えていかないとならない。
「お父さん、私が暴れたらお父さんが抑えてね」
「人任せにしない! 自分でも注意しなさい! おれが言える立場じゃないかもしれないけど、いつまでも人に喧嘩を売ってはいられないんだから」
「そうします……」
経験者は語る。身に染みて経験を経た人からの助言は重い。
「にしても……ここから小説家になるとは」
クロが心底疑問といったように言う。
「だよねー、俺もこの頃は想像しなかったよ」
「お父さんはなんで小説家になったの?」
「若いときに出会った人がおれの人生変えてくれたんだよ。高校バレー部の監督やっててね、その人のおかげでお母さんとも出会えたんだ」
「え!? どこの高校!? てかお母さんの馴れ初め!? 聞きたい!」
「恥ずかしいな……」
父が言うには、東京出身だった父が家出した先が宮城だったらしく、そこでバレー部の監督と出会いがあったらしい。行く宛てもなく外で呆けているときに声をかけられて、その人と話をしていたら、家に泊めてもらえたことがきっかけだとか。
「そこからバレーの試合を観に行くようになって、全国大会の会場で試合に出てたお母さんを見て、一目惚れしちゃって」
「じゃあ、お父さんから口説いたってこと!?」
「言い方……そうなんだけど……」
「お母さんはどこの学校だったの?」
「"新山女子"だよ」
「すごーい! めちゃくちゃ強いとこだよね!? そこもう少し聞きたいけど、あとでもっと詳しく! で? で? なんで小説家に?」
照れくさそうにしている父に、もっとちょうだいと迫る。
「その人の家に置いてあった本を読んだのがきっかけかな。すごくおもしろくて、一日で読み進めちゃったんだけど、自分の知らない人生を送った人の体験を味わえた感覚がして、なんかこう……ワクワクしたんだよ」
思い出話に花を咲かせる父の顔は、懐かしい記憶に思いを馳せているようで、うれしそうだ。
「それで小説家を目指したんだ」
「そうだったんだ! 私もその監督さんに会ったことある?」
「小さいときにな。もうずいぶん前だから覚えてないだろうな」
「宮城に帰ったら会いに行ける?」
「そうだな、一緒に挨拶しに行こうか」
楽しみがひとつ増えた。引っ越しは寂しいが、きっと寂しいだけではないとわかり、少し安心感を覚える。
「その監督の高校ってどこですか?」
バレーの話に気が向いているのか、クロが尋ねる。
「"白鳥沢"ってとこだよ」
「めっちゃ強豪じゃないですか!」
改めて父の人脈の広さに目を見張る。世の中、意外なところに出会いが転がっているものだ。
「会えるの楽しみだなあ」
「きっと先生も千早に会えたら喜んでくれるよ」
幼なじみの男の子、バレー部の監督さん。
宮城に帰っても繋がりのある人がいると思うと、うれしく感じる。
「あっ、そろそろ時間だね」
時計を見ると、針は午後4時を回っていた。
「ふたりはこれからどうする? すぐ帰る? 夕飯食べていく?」
「俺たちは帰るよ。荷造り大変だろうけど、がんばれよ」
「わかった。じゃあ食器は洗っておくから置いといて」
「アップルパイの作り方、教えてくれてありがとう」
「作り方わからないところあったら、また言ってね」
バイバイと手を振り、玄関先でふたりと別れる。
扉が閉まったら、父がいるほうに体の向きを変えて話を振った。
「お父さん! お母さんの馴れ初め、続き聞かせて!」
「恥ずかしいって!」
「もっと聞きたい!」
夕飯を作るかたわら、聞いたことのない母の話を聞かせてもらう。
「えー! 初めはつっけんどんにされたんだ!」
「態度は丁寧だったけど、まるで俺に興味ないのバリバリ伝わってきたから、しんどかったなあ」
「お母さんヤンキーとか苦手そうだもんね」
「そこからだよ。派手な格好やめて、いかにも好青年ですって見た目にイメチェンしたの。それでもなかなか振り向いてくれなかったけど」
「いつ振り向いてくれたの?」
「俺が成人したあとだな。ずっと追いかけてたから、そこまで言うならって付き合ってくれたんだ」
「そうだったんだ! もっと! もっとなんかないの!?」
「もっと? あとはなぁ……」
初めは恥ずかしそうにしていた父も、母を語る顔は次第に喜びに変わっていく。
母が生きているうちに、もっと本人も交えてたくさん昔の話を聞いておけば良かったと後悔が募る。もう後悔はしないよう、ひとつも漏らさず母を知りたいと強く思った。
東京を離れてしまう前に、友達や幼なじみとも時間を作って、思い出を形にしていこう。