別れと帰郷、そして不本意な再会
あれから時が経ち、春暖の季節に入る。
現在通っている中学は新入生を迎え、それから数日が経った。
「あと一ヶ月で引っ越しかー……」
「千早がいなくなるの寂しい……」
「私も寂しい……」
クラス替えにより、ひとつ上の階に移動したクラスで、私は友達といつものように駄弁っていた。
「せっかく後輩もできたのになあ……」
「結局、前の家は買い戻せなかったんだっけ?」
「そー。しかたないけどね」
「残念だね……」
友達の言う通り、母の実家は諦めて、マンションの一室で物件を見つけた。引っ越し先の土地は以前と変わらず、住み慣れた場所にすることはこだわったまま。
「中途半端な時期に引っ越しなんて、目立つだろうな」
「5月だもんね」
「すでに出来上がってる仲良しグループに混ざれなくて、私はクラスでひとりぼっち……あー……想像したくない」
「つらくなったら、いつでも連絡してきてね」
「めちゃめちゃするかも」
「ウェルカム」
引っ越しは寂しいばかりではないとわかってはいても、寂しさが無くなるわけではない。引っ越し当日が近付くにつれ、新たに芽生えた不安が私を襲う。
「次、移動だからそろそろ行こ」
「そうだねー」
授業開始5分前。かなりギリギリだ。
「ちょっとー歩きにくいってば」
「千早と一緒にいられるうちに、たくさんひっついておこうって思って」
友達がさりげなく腕を組んでくる。私は軽く文句を言うが、引き剥がすつもりはない。友達もそれをわかっててやっている。
「千早ってバレー部に復帰したじゃん? 最後までやりきるの?」
「うん。途中でやめるのは引っ越すからしかたないけど、できるだけめいいっぱいやりきるよ」
「がんばってね。でも怪我はしないようにね」
「引っ越し前にまた怪我してらんないからね。気をつけるよ」
ずっとバレーを応援してくれていた大切な友達。こんなふうに友達と過ごせるのも、あとわずか。
宮城に引っ越しても、わかり合える友達ができたらいいなと切に願う。
帰宅して玄関を開けると、積み上がった段ボールが目に入る。この光景を見るたび、本当に引っ越してしまうのだと実感する。
「ただいまー」
玄関の芳香剤と、夕飯の香ばしさが入り混ざり、不思議な匂いが鼻に入る。
「おかえり。夕飯できてるよ」
「唐揚げだ!」
いつものルーティン通り、着替えと手洗いうがいを済ませて、母にお線香をあげてから父と夕飯を食べる。
引っ越しの準備があるからだろうが、最近の父は仕事にかかりっきりになることがなく、共に食卓を囲む日が増えて心底うれしい。
「「いただきまーす」」
49日も過ぎて、母の納骨も済んでいる。母に早く会いに行きたい気持ちと、まだ引っ越したくない気持ちで、感情が交錯してそれなりに複雑だ。
「納骨したときは忙しくてトンボ帰りだったからさ、引っ越したらすぐ色んな人に挨拶行きたい」
「そうだなあ。俺も会いたい人いっぱいいるから、そうしようか」
本来なら母の納骨に合わせて引っ越しの予定も立てられれば良かったが、そう簡単に事は運ばなかった。
「宮城に帰ったら、先にお母さんに会いに行こうな」
「うん」
すっかり住み慣れたこの土地も、もうすぐ別れが来る。
東京に来てからお世話になった人たちとの別れも寂しい。
東京に来たばかりの頃は、宮城を懐かしんでいたのに、今は東京を離れるのが心細いと感じる。それだけ私がこの土地に馴染んだということだ。
あの河川敷も、もうすぐ行けなくなるのか。
幼なじみと一緒にバレーを楽しんだ思い出が詰まった、かけがえのない場所。引っ越しの日が近付けば近付くほど河川敷が恋しくなる。
――この先も、幼なじみとバレーで切磋琢磨していくものだと思っていた。
小学生の頃に思い描いていた理想的な未来は訪れなかった。母は亡くなり、友達や幼なじみとも離れ、私はバレー選手をやめてマネージャーを目指す。
音駒高校に通って、バレー部のマネージャーをやる決意も、結局は実現しなかった。
できれば、その未来も掴みたかった。きっと楽しいだろうに、私にその未来は訪れない。
「なにひとつ、叶わなかったな……」
「ん? どうした?」
「いや……なんでもない」
理想と現実は違う。とても悲しいことだが、それが事実だ。受け入れて、これまでやってきたように、自分にできることを着実にやっていく。私にはそれしかできないし、この先もずっとそうだ。
悲しいことばかりではないのも知っている。これからの生活で、東京にいたままでは経験できないことや、新しい出会いもあるはず。
目を背けず、広い視野を待てば、きっと悪いことばかりではない。自分と周りを信じて、これからも"できること"をやっていこう。
「お父さん。宮城でも、一緒にがんばっていこうね」
「……そうだな、一緒にがんばっていこう」
正しいがんばり方は知った。母と、幼なじみに教えてもらった。
そこに不安はない。結果がどう転ぶかはまだわからないが、周りに頼って、無理をしないで、やりたいことを精一杯やるだけだ。
あと一ヶ月――できるだけの思い出を作って、最後は笑ってみんなとお別れしよう。
▼
「あれからアップルパイ作った?」
「一回だけ……自分だけで作ると難しい」
「初めはそんなもんだよ」
ボールを三人で回し、のどかに語る。
――今日は、三人でバレーができる最後の日だった。
「あと一週間かあ……引っ越しが決まってから、長いようで短かったな」
「そうだなあ。結構あっという間だったな」
「後輩はどう?」
「いいヤツらばっかだよ」
「研磨は? 仲良くやれそう?」
「まだ……よくわかんない」
クロは心配なさそうだが、研磨はしばらく時間がかかりそうだ。下手したら後輩とそれなりの関係を作るだけで、馴染むことはないかもしれない。
「転校したら部活なにやろうか迷ってるんだけど、なにがいいかな?」
「向こうの学校も部活強制なんだっけ。またバレー部でもいいんじゃねえの? 中学は大体マネージャーできないだろ」
「それも考えたけどね。マネージャーのやる気に満ち溢れているから、マネージャーできないなら入りにくいかな。人間関係も出来上がっているだろうし、半端な時期に転校するから、その中にも入りにくい」
「……それ、やだな」
研磨が渋い顔をする。想像して嫌気が差したのだろう。
一年かけて仕上がったチームの中に、新参者が入り込むのはなかなかしんどい。コミュニケーションが苦手とは言わないが、決して私はコミュ力おばけではないのだ。
「強豪なら、なおさらチームの団結力強そうだし、他になんかないかな」
「文芸部とかは? お前、小説好きだろ」
「おお……それアリかも。お父さんの名前出したら、みんな仲良くしてくれるかな」
「小賢しいな」
「うっさいなあ。大事な問題なの」
「そんなに大事? それ」
「私は友達がほしいのー」
研磨には理解してもらえないが、私にとって友達は学校生活に欠かせない存在だ。
「ややこしい人間関係なんて、めんどくさいだけじゃん……」
鬱陶しいものを語るかのような研磨に、私はボールをパスする手を止める。
突然動きを止めた私に、ふたりは疑問符を浮かべた。
「でも、研磨とクロが一緒にバレーしてくれたおかげで、私は元気になれたよ」
クロと研磨は、目を丸くしてこちらを見た。
「小学生のとき、ふたりが一緒にバレーしてくれたから、私ら友達になれたんだよ。もし研磨がバレーに誘ってくれなかったら、クロが交ざってもいいよって言ってくれなかったら、今頃どうなってたかわかんない」
あのときから、私はずっとふたりに助けられていた。
「私のバレーを一番に見せたい人は病気で家にいなくて、バレーやらないと不安だけど、バレーに関わるのもつらくて。それでも、いつか元気になるって信じてたからバレーをやめられなくて……」
東京に来たばかりの頃、バレーをやっている人にだれにも出会えなかったつらさを思い出す。
「ひとりでバレーやってもつまらないのに、東京に来てバレーを一緒にやってくれる友達がいないから、もっとつらかった。もし、ふたりに出会あわなくても、私はなんだかんだ立ち直っていたと思う。そうするしかないから」
クロと研磨に出会あわなかった未来があったとしても、別のやり方で時間をかけて上を向いていただろう。そうでないと、生きていけないからだ。
「それでも、今はふたりと友達だし、おかげで不安を引きずることはなかった。綺麗さっぱり不安が消えることはなかったけど、少なくとも東京で楽しく過ごせたのは、ふたりのおかげだよ。だから……私と友達になってくれて、ありがとう」
唐突すぎただろうか。クロと研磨は黙って私の話を聞いたものの、なにもしゃべらなかった。
「あ、あの……だから、その……人と関わるのも、悪いことばかりじゃないって言いたくて……あはは……急に変なこと言ったよね。引っ越しが近いからかな、色々言いたくなっちゃったの」
妙な空気にしてしまった。自分が発端とはいえ、あまりの気まずさに居心地が悪くなる。
「な……なんか言ってよ……」
そろそろ耐えきれなくなってきた。ついには無理矢理、発言を促すことを言ってしまう。
「……俺も、楽しかったよ」
クロが、静かに口を開いた。
「初めは、研磨がクラスメイト連れてくるって聞いて、珍しいなって思った。しかも女子だし、あの研磨が?ってマジでビビったよ」
クロが過去に思いを馳せている。研磨の人となりを知っていれば、私を連れてきたことに驚くのも無理はない。
「会ってみれば、研磨はしかめっ面してるし、千早はそんな研磨が屁でもないって感じでヘラヘラしてるしで、研磨が連れてくるにしてはなおさら珍しいタイプだなって思ったよ。研磨って意外と顔に出るけど、会ったばかりのヤツにもこんな顔するんだなって新しい一面知れたのもおもしろかった」
クロの口から聞いたことのない話が出てきて驚く。チラリと研磨を見ると、ちょっと不服そうな顔をしていた。
東京に引っ越してきたばかりの頃は、周りに気を配る余裕がなかったとはいえ、ヘラヘラしたやつと思われていたとは露ほども知らなかった。
「だから、研磨を見てどんなヤツだろって興味持ったんだ。関わるうちにやっぱり変なヤツだなってわかったけど」
「え? 私って変なの……?」
「変だよ」
「ど……どんなふうに?」
「歳近いのに主婦みたいだし、短気でケンカっ早くて、やたら世話好き。ノリはいいけど、男子相手にも負けん気が強いのは肝が冷えるわ」
「……これからは、気をつけるよ……たぶん」
「たぶんじゃねえよ、気をつけろよ。いつか痛い目見るぞ」
楽しかった話はどこに行ったのやら、クロからの忠告にいたたまれなくなる。
「まあ、だからこそ、俺らに気後れすることはなくて、ずっとバレーを本気で遊んでいられたから、楽しかったよ」
私の本音に、クロも本音で返してくる。
うれしいと寂しいの気持ちが交互に入り乱れて、ただでさえ緩い涙腺が、限界を迎えそうだった。
「……おれは、幼なじみじゃなかったら、千早と友達にならなかった……と、思ってる」
「え? え? 急に切り込んでくるじゃん」
「だって、千早を知らなかったら、気が合わないタイプだから」
「そんなことなくない!?」
「あるの。おれ気が強い人苦手だし、初めて話したときグイグイ迫られて、ちょっと怖かったし」
「それは……ごめん」
研磨のターンに入って、初っ端から心が抉られる。
おかげで溢れそうだった涙は引っ込んだ。
「でもね、千早と関わるうちに、世の中こんな人もいるんだなって思ったんだよ。自分より他人を優先して、いつも他人のためにがんばれるような、そんな人。前にも言ったけど、千早のそういうところはスゴいと思うよ」
落とされてから上げられて、引っ込んだ涙が、また出そうになる。
「千早は気づいてないかもだけど、学校でも、普段から周りの人たちの手助け、よくやってたでしょ。全員がってわけじゃないけど、千早が周りを助けている分、千早を慕っている人もいたよ」
研磨の言った通り、そんな人がいたなんて気づかなかった。
ごくごく普通に、友達やバレー部の仲間に恵まれているだけの人間だとばかり。想像以上に、私は恵まれていたらしい。
「おれではそんなふうになれないから、そういうところは、ちょっと尊敬する」
泣かせないでほしい。最後まで笑っていようと決めていたのに。
「勉強そんな得意じゃないくせに、変な雑学たくさん知っているし、頑固で融通効かないとこもあって、猪突猛進をそのまま現した感じが千早。ケンカ売られたらすぐ買うし、危なっかしいけど、そうやって怒るときは家族とか友達が嫌な思いをしたときだよね。そういう思いやりがあるのも千早」
このまま引っ込んでいてほしかった涙は、とうとう溢れ出た。
人のことをボロクソに言いつつも、研磨はちゃんと深く見てくれている。わかりにくいだけで、優しいのを知っている。
「千早といて、気が合わないなとか、変なヤツって思うことはあっても、なんだかんだ長い付き合いになった。居心地は悪くなかったよ。おれも楽しかった」
私も楽しかったと言いたいのに、しゃくり上げて言葉が出てこない。
また泣いてんのかよとクロに言われ、泣き虫と研磨にからかわれる。いつもの軽口も、もう聞けなくなるかと思うと、逆にもっとほしくなった。
やっと出てきた言葉は――、
「変なヤツって言うなあ!!」
「変なヤツだよ」
「うん、変なヤツ」
「言うなあ!!!」
別れの寂しさも、いつかは思い出となるのだろう。
「高校に行ったら、絶対全国対出てよ。私の入るチームも絶対全国大会行くから」
「おう、絶対出る。サポートがんばれよ」
「おれら出れるかわかんないけど」
「研磨! そこは絶対出るって言うんだよ!」
「そうだよ! 絶対全国に行って!」
これまでバレーで繋がってきた私たちは、これからもバレーで繋がっていく。きっとそうなると心から信じた。
▼
日曜日の朝。休日なのもあって、新幹線の改札の前はたくさんさんの人でごった返していた。
「千早ー! 向こうに行っても元気でね! 絶対連絡ちょうだいね!」
「絶対連絡する! そっちこそ元気でいてね!」
見送りに来てくれたのは、クラスの友達と、親を連れたクロと研磨。
改札を通る前にクラスの友達とぎゅっと抱擁を交わし、別れを惜しんだ。
「ふたりも、来てくれてありがとう」
「元気でな。すぐお節介焼いて無理すんなよ。あと、喧嘩はなるべく買わないように」
「勉強はちゃんとやるんだよ。せめて平均点はいつも取れるようにがんばって」
「お別れのときにまでそれ言う!?」
別れ際にお説教かますのはどうなんだろうか。そんなに心配なのか。
「ちゃんとやるしかないんだから、ちゃんとやるよ! ふたりも体調には気をつけてね。クロは人を煽るのはほどほどに。研磨はゲームばかりして夜更かししないようにね」
「お前も説教すんのかい」
「約束はしかねる」
「親に怒られても知らないよー」
こんなときでも軽口を言い合えるのは、私たちらしいと言えばらしい。
最後は笑ってお別れすると決めていたから、泣くことはなさそうで安心するが。
「千早ちゃん。研磨と仲良くしてくれてありがとう」
「うちの鉄朗も、世話になったね」
「私こそ、皆さんにはたくさんお世話になりました」
クロと研磨の家族にも、それぞれお別れを伝える。
私もそうだが父も含め、ある意味、東京で一番お世話になった人たちかもしれない。学校のことから、近所のこと、そして父から子育ての相談もよく受けていたと聞く。
父も別れを惜しんで、涙目になりながら握手を交わしている。その様子を見て、もしかして私が感動すると泣きやすいのは、父譲りなのかもしれないと思った。
「じゃあね! また会おうね!」
「おう! またな!」
「またね」
バイバイではなく――"また"ね。
いつかまた、絶対みんなに会いに行くと誓って、改札を通った。
▼
久方ぶりの帰郷。懐かしい宮城の土地を踏み、空気をめいいっぱい吸い込む。ただの勘違いだと思うが、東京と宮城では空気の味が違う気がした。
宮城に着いて、一番に向かったのは母の眠るお墓だった。
「ただいま、お母さん。帰ってきたよ」
お墓の前で手を合わせて、母に挨拶をする。東京への心残りもある中、ようやく帰ってきたという感想も持ち合わせていた。
「そろそろ帰ろうか。引っ越し業者の人も来るだろうから」
「うん。そうだね」
また来るね、と母に別れを告げ、新しい引っ越し先のマンションに帰る。
母の納骨のため一度宮城に帰ってきたとはいえ、あのときは一日中バタバタしていたので、今日が初めての帰郷日に思える。
「三年ぶりだけど、思ったより変わらないね」
「このあたりはな。あと何年かすれば変わるんじゃないか?」
帰路に着くさなか、あたりの風景を過去の記憶を掘り起こして見比べる。馴染み深い道を歩いていると、東京に三年住んだとしても、やはり宮城は生まれ故郷なのだとしみじみ感じた。
「私、実は引っ越し先のマンションに住むの、憧れてたんだよ」
「そうなのか?」
「ただ新しいってだけで惹かれてたんだよね」
引っ越し先の低層マンションは、私が東京に引っ越す前は建設中だった。特に理由はないが、あの頃は目新しいものが好きな私にとって、建設中のマンションは夢のような建物に見えたのだ。
父とふたりで故郷の道を歩いていると、小学生の自分を思い出す。
このあたりの道を、あの男の子と一緒に歩いたな。
キリスト教の看板まだある、東京には無かったし、田舎あるあるなのかな。
ここの道路で、男の子と白線から落ちたら負けゲームをして遊んでたな。
この公園で男の子とバレーしてた。どろどろになってお母さんによく怒られてたな。
矢継ぎ早に思い出が蘇ってくる。久々の帰郷でも、宮城は私を迎えてくれている気がした。
新たな自宅となるマンションに帰り、しばらくすると予定通り引っ越し業者の人たちがやって来て、私たちは大量の荷物を預かった。引っ越し業者の人たちが返った後の部屋の中は段ボールが積み上がり、荷解きの重労働を考えると辟易した。
「荷解きは後回しにして、早めに家を出よう。歩きだと時間かかりそうだからな」
「そうだね。夜の約束に間に合わせないと」
宮城に住んでいた頃に、懇意にしていた人たちの家まで挨拶回りに行く予定がこれからある。そして、幼なじみの家だけ夜の7時に挨拶に行く約束をしている。
宮城への引っ越しが決まってから、父は幼なじみの家族に連絡を取っていた。互いに話し合って、挨拶回りのために今日伺う約束を取り付けたとのこと。夜7時だと夕飯を食べる時間帯だからと初めは父から遠慮していたが、幼なじみが部活で夕方まで家に帰ってこないので、私と幼なじみが会えるように向こうが取り計らってくれたと聞いた。
「三年くらい東京にいたんだよね。短いようで長かったな。向こうも中学生だし、昔とは変わってるかな」
「俺が思うに、あの子は今でもあまり変わってなさそうだけどな」
「そう? 三年も経てば色々変わるもんじゃない?」
「もちろん変わってることもあるだろうけど、だれよりもバレーに真っ直ぐな子だったから、そこは昔と変わらず今でもバレーに夢中だと思うよ。中学に上がってバレー部に入ったって聞いたし」
「やっぱバレー部入ったんだ。がんばってるんだなあ」
幼なじみにバレーをやめてマネージャーになると言ったら、どんな反応するだろうか。
昔は一生バレーをするのだと根拠もなく信じていた。なにも深く考えず、将来を明確に見据えることもなく、ただ”今”楽しいと思うことだけを全身で感じていた。大きくなっても今の楽しい時間が続くのだと、漠然と考えていた。
「私が変わったからって、相手も変わってるって勝手に当てはめるのは違うかな」
「想像するだけなら、なにも悪くないさ。ただ、どんなふうに成長していたとしても、別人になったわけではないからな」
「うん、そうだね。そのとおりだね」
たとえ昔と正反対の性格になっていたとしても、父の言うとおり別人になったわけではない。勝手に期待して、勝手に失望するようなことだけはしなければいい。幼なじみが想像と違う形で成長していたとしても、目の前にいるひとりの人間として接すれば、それでいいんだ。
「お土産、袋に詰めちゃうね」
「ああ、頼む」
私は東京で買ってきた有名なバナナのお菓子を、一つひとつ同封された新品の紙袋に詰めていく。今日回る予定の件数分のお菓子が揃っているか確認しながら、丁寧に袋を入れ替えた。
「お父さんが言っていたバレー部の顧問の先生にはいつ会えるんだっけ?」
「まだ予定を合わせてるとこだよ。先生は部活があって日中は空いていないからな」
お世話になった人たちに早く会いたい気持ちと、予定ばかり続く目まぐるしさへの疲労感が交差する。
引っ越してからあれもこれもと予定が立て続き、休む暇がない。少しくらい休みたい。しかし、荷造りは後回しにできるが、人付き合いは後回しになんてできない。なにより、体は疲れていても会いたい人はたくさんいる。だから、疲れた体に鞭を打って出かける準備を進めた。
「袋詰め終わったよ」
「ありがとな。じゃあ早速行こうか」
私たちはお土産のお菓子を持って、ご近所さんの元へ挨拶回りに行くために家を出た。
マンションの隣同士や上下の部屋から、以前宮城に住んでいたときにお世話になっていた人たちのお宅まで、今日のうちに行けるところはすべて回り尽くした。
車も自転車もないので徒歩でしか移動手段がなく、各お宅を回りきるまで時間がかかり、あっという間に夕方になった。
「つっかれたあ……」
「早めに車買わないとなあ……こっちに住むなら必需品だもんな……」
「せめてチャリだけでもほしい……」
私たちは憔悴した顔で帰路に着き、ぐったりして帰り道を歩く。
引っ越した後も、お金のかかる問題は残っていた。東京とは違い、引っ越し先の土地では気軽に電車を利用できる環境が整っていない。交通の便の問題は早急に解決しなければならなかった。
「車買うって言っておいて、なんだかんだ買ってなかったな。近いうちに車見に行くかあ」
「私も行けたら一緒に見に行っていい?」
「もちろん。中古だけど」
「中古で十分だよ」
これからの生活について色々話し込むうちに、住宅街から坂道に出る。これから歩く道は少し
急勾配で、ただでさえ疲れているのに、これからここを登るのかと思うとげんなりした。
「……お父さん、荷解きは明日からにしない?」
「そうだな……今日は……挨拶回りでいっぱいいっぱい……」
父とふたり並んで肩を落とす。「ハァー……」と深いため息をついて、なけなしのやる気を振り絞って歩き出した。
持ってきたお菓子をすべて配り終えて身軽とはいえ、散々歩き回ったあとの坂道はしんどい。のそのそと歩き、私以上にやる気のない父の手を引っ張り、さっさと登りきろうと急かした。
私と父では年の差もあるが、部活で普段から体力づくりのトレーニングをしていた分、私のほうが断然体力がある。仕事柄、家に閉じこもることの多い父からしてみれば、坂道を歩くだけでもとんでもない運動量だろう。
「俺も……運動しようかな……」
「だから前から言ってるじゃん。運動不足は体に悪いって」
歩くのもやっとやっとな父の介護をしながら坂道を登っていると、後ろからジャージを着た運動部らしき大勢の人たちがやって来た。全員が男子で、見た感じ、私と同じ中学生っぽい風貌だ。
おそらくロードワーク中だろうか。私もこんなふうに走ってたなあと過去を懐かしむ。マネージャーを志さなければ、今もこの人たちのように走っていたのだろうか。そう思うと不思議な感覚だ。
私たちを追い越すたくさんの背中を見ていると、ふとあることに気がつく。
あれ? ”北川第一”?
ジャージの背中には、私がこれから通う学校である北川第一の文字が書かれていた。
私は謎に親近感を覚え、なんの部活の人たちだろうかと真剣に考え始めた。が、突然手元がピタリと止まり、不思議に思って後ろを振り向く。すると息を切らした父が、これ以上は無理と言わんばかりに歩けなくなっていて、片手を膝について、凄まじいほど汗だくになっていた。
「ちょっとお父さん! 大丈夫!?」
「も……もう、無理……」
「まだ先は長いよ! ここでくたばらないで!」
「死んだみたいに言わないで……ちょっと……休ませて……」
「ふんばれ中年! 腹の贅肉もここで消費しよう!」
「まだお父さんは中年じゃない……! おじさん扱いしないで……!」
「十分おじさんだよ! 身の程をわきまえてやる気出せ!」
「なんでそんな辛辣なの!?」
「時間的に急がないと夜の約束に間に合わなくなっちゃうよ!」
互いに疲れもピークとなり親子喧嘩が始まる。私たちの様子を横目に、隣を走る運動部の人たちから伝わる視線が痛かった。
「ほら! さっき佐藤さんからもらった
羊羹あるよ! これ食べて栄養補給して!」
「今!? ここで羊羹食べるの!?」
「疲れたときに甘いものは鉄板でしょ!」
「今は疲れすぎてなんも腹に入んない! 帰ってから食べたいよ!」
挨拶回りの際にいただいた手のひらサイズの羊羹。その包装を剥いて、父に食べるよう無理矢理渡した。絶対ここでは食べたくないと羊羹を押し返す父に、負けじと私も羊羹を差し出して、押し付け合いになる。
「食べろ!!!」
「嫌だァ!!!」
どんな手を使ってでも一刻も早く帰りたい私VSあまりに疲れすぎて今は食べたくない父のバトルが始まる。なお、運動部の人たちの視線は、さらに痛くなった。
「もう開けちゃったんだから食べてよ!」
「俺食べる気ないのに開けたのが悪いだろ! 千早が食べなさい!」
私も父も根っこは負けん気が強く、一度火がつくと引けに引けなくなる。これは、どちらかが諦めるまでの戦いだ。
運動部の人たちに見守られ(?)ながら羊羹を押し付け合っていると、力を込めた拍子で手がすべる。持っていた羊羹は高く宙を舞い、べちゃりと音を立てて地面に落ちて、砂にまみれた哀れな姿になった。
「羊羹がァーーー!!」
「なにやってんだ千早ーーー!!」
見るも無惨な状態になった羊羹を前に、父は頭を抱え、私は口に手を当てて呆然とする。
さ、佐藤さんにもらった羊羹が……!
運動部の人たちの視線はもう気にしている場合ではない。それよりも、せっかくいただいた羊羹をダメにしてしまったことが残念でならなかった。
「もうこれ食べられないよ!」
「さ……3秒ルールじゃないか!?」
「3秒ルールつっても無理があるでしょ! もう3秒経ってるし!」
とりあえず道を汚したまま放ってはおけないと、ポケットティッシュを取り出して食べられなくなった羊羹を泣く泣く拾う。
「――千早?」
父と一緒にしょんぼりしながら片付けていると、ふと横から私の名前を呼ぶ知らない声が耳に入ってきた。
だれだと思い顔を上げると、そこにいたのは――、
「……飛雄?」
昔の記憶とは違い、ずいぶんと背の高くなった懐かしい顔がそこに立っていた。