君さえ


そういう酒への頼り方(魈)


※いつか書きたい(願望)長編夢の番外編
※旅人(蛍)の存在あり


「かんぱーい!!」

 各々の好きな酒で満ち満ちたグラスやお猪口や瓶を手に、息ぴったり大きな合唱がなされたのは今からもう一時間ほど前のこと。つまみの皿が積み重なり、床に瓶が転がり、宴もたけなわとなった大広間には酔っ払いたちによる賑わいが満ち満ちていた。
 かの旅人、蛍ちゃんたちを主催として開催された、各国から様々な人が招待されている超大規模なこの宴会。数日前にありがたくも蛍ちゃんの友達として招待して頂いた私は、もちろん一も二もなくそれへの参加に頷いた。
 そしてその一方、蛍ちゃんたちとの交流がある魈さんにも、もちろんこの宴会への招待は届いていて。そういった賑やかな場を好まない彼は当初不参加の予定だったらしいが、私や彼の尊敬する鍾離さんが参加するということで、渋々ながらも共に参加してくれることとなったのだ。
 私は元々こうした賑やかな場が嫌いではないし、参加者のほとんどが蛍ちゃん経由で知り合った顔見知りであるということもあって、開始の時点からもう既に楽しさや嬉しさが最高潮にあった。さらには隣に魈さんもいてくれているのだから、喜びもひとしおというもの。にこにこと自分でも分かるほどに頬を弛めながら、私は宴会の片隅でちびちびとお酒を嗜んでいた。

「よう、楽しんでるか?」
「はい! とっても!」

 この世界の人達は皆気のいい人ばかりで、賑わいから外れている私にも、こうしてこまめに誰かしらが声をかけてくれる。私の答えといえば、もちろん満面の笑みでの肯定だけ。こんなの、楽しまざるを得ないだろう。
 また蛍ちゃんたちにちゃんとお礼を言わなくては。そんなことを酔いの回り始めた頭の片隅で考えながら、酒にあまり強くない人たちが一足先に休みに来るのを適宜介抱する。そうしているうちに、気づけば私の回りは酔い潰れた人たちの避難所かのような有様になっていた。

「うう……お水、頂けますか……?」
「はい、どうぞ。吐き気とかはありませんか?」

 また1人、賑わいの渦中から這う這うの体で酒に呑まれかけた人が避難してくる。 水を満たしたグラスを片手にそれを迎え入れ、私は再び大広間の片隅に寝転んだり座り込んだりしている人たちの様子を確認しに向かった。
 眠ってしまった人には薄手の掛布団を被せて、水を欲している人へはまた水を。

「──あれ、魈さん?」

 そうこうしている中で、私はふと、そのひとがこちらへ歩み寄ってきていることに気づく。少し前に鍾離さんたちによって離れた席へ連行されてしまっていた彼とこうして顔を合わせるのは、しばらくぶりのことだ。
 ちらりと覗き見た時にそちらでかなりお酒を飲まされていたような気がするのだが、今私の目の前にいる彼の表情や顔色は、普段のそれから全くと言っていいほど変わっていなくて。見た目こそまだ少年と呼んでも違和感のない姿だけれど、彼も彼でその実かなりお酒には強いらしい。
 ……と、私は思っていたのだけれど。

「どうしまし──」

 私が言葉を言い切るよりも早く、彼の影が私の目前にまで迫っていた。視界が彼の姿に覆われたと知覚した直後には、私の頬を何か柔らかいものが擽っていて。
 視界の隅に見慣れた黒と緑とがちらつくのを認めてようやく、私は彼の頭が自分の肩口にすり寄せられているのだということを理解した。
 え、という驚愕の声も喉元に潰れて、ぴしりと身体が石化する。驚きのあまり、思考回路から一瞬にしてアルコールがかき消えていった。つまりその分脳内は先程よりクリアになっているはずなのに、思考回路はろくに走ってはくれないのだから本当にどうしようもない。

「え、ぁ、あの……魈、さん……?」

 なんとか声に結べたのは、本当にただそれだけの言の葉。どうにも情けないのだけれど、今回ばかりは許してもらいたい。だって彼がこんなことを、まさかまさか人前で。
 もちろん今は宴会のまっ最中で、ここは大広間の隅の方だからそれほど人の注目は集まらないのだが。そういう問題ではないことをどうか分かって頂きたい。
 密接した彼との距離に、予想外の出来事に、じわじわと頬が熱を帯びていく。そうこうしている間に彼の腕が私の背中へ伸ばされて。しっかりと身体を抱きすくめられてしまっては、こちらはもうお手上げ状態。
 相変わらず何も言ってくれない魈さんに困惑やら動揺やらを溢れさせたまま、私は助けを求めるように視線を周囲へさまよわせた。もちろんその世界の片隅には必ず彼の髪先が映り込んでいるのだけれど……それはまあ良いだろう。これ以上考えすぎると壊れてしまう、私の心臓が。
 大広間の中心には、まだ飲めや歌えやの大騒ぎをしている酒豪の皆様が。彼らはきっとこちらの有様にも気づいていないだろう。気づかれてしまっても、恐らくあれやこれやとからかわれてしまうに違いないのでそのままでお願いしたい。
 そして次に、私は大広間の反対側の片隅へと視線を向ける。そこには鍾離さんや甘雨さんをはじめとした、静かにお酒を楽しむ方々の席が。
 確か魈さんは先程までその席に居たはず。ならば彼らに助けを求めれば──
 ぱち、と視線が交わった。そのお相手は、優雅にお猪口を傾けていた鍾離さんで。
 琥珀を閉じ込めたような瞳がこちらの姿を写し取って、そうして次の瞬間ゆるりと弧を描いた。ゆっくりと立ち上がりこちらへ向かってきてくれる彼は、どうやら私の発信した救助要請をありがたくも受信してくださったらしい。お礼は一体どうすればいいのだろうか。

「困っているようだな」
「は、はい……あの、魈さんは一体……? 私は一体どうすればいいのでしょうか……?」

 珍しいこともあるものだ、と言わんばかりの彼の表情は、けれども微笑ましげな様子を隠さずにこやかなまま私たちを見つめていて。その様子を見るに、恐らくきっと、彼はこの状況について何かしらの解決策を持っているのだろう。他力本願で大変申し訳ないが、こちらとしては好きなひとから抱きすくめられてしまっていることへの困惑で手も足も出ないのだ。
 ふむ、と顎に手をやってひとつ考えるような素振りを見せた彼は、数秒も置かずに再び言葉を紡ぐ。それとほとんど同時に私を抱きしめる魈さんの腕にさらなる力が込められて、背筋が緊張に伸びてしまった。

「どうやら、少々彼に酒を飲ませすぎてしまったようだ。見た目では分からないが、これでかなり酔ってしまっているんだろう。良ければそのまま彼を部屋まで送ってやってくれないか」

 な、なるほど。確かに、いくらお酒に強いひとでもその許容量超えて飲まされてしまえば酔ってしまうのも当たり前のこと。それが今の彼にも適用されるのだと分かれば、困惑もいくらか落ち着いた。
 お酒のせいなら仕方ない。見た目こそ素面のままだが、彼がこんな行動をとるということは、鍾離さんの言う通りかなり酔ってしまっているのだろう。
 となれば、このまま彼をこの賑やかな大広間に引き止めるのも申し訳ない。鍾離さんの提案に、私も同意の頷きを落とした。

「分かりました、お任せ下さい!」
「ああ、頼んだ。部屋はここを出て廊下の突き当たりを左手に曲がった所に用意している」

 鍾離さんの案内を脳内に刻み込みながら、まだ私に抱き着いたままの魈さんの背中へと手を伸ばす。そのままぽんぽんとできる限り優しい調子で背を叩けば、彼の頭がゆっくりと私の肩口から起き上がってきた。

「魈さん、魈さん、お部屋に行って休みましょう」
「……」

 声による答えはない。けれど彼はゆっくりと頷いてくれたから、私はそんな彼の様子にくすくすと笑みをこぼしてしまう。こんなにも素直で可愛らしい彼の姿は、初めて見た。
 静かな表情で佇む彼は、もしかすると半ば眠りかけているのかもしれない。早く部屋まで連れて行ってあげようと、私は彼の手を引いて大広間を後にした。
 そしてその後大広間に戻ることのなかった私には、そんな私たちの後ろ姿を鍾離が大変微笑ましげに見つめていたことも、彼が戻った宴席で語った言葉も、もちろん知る由がない。


 ***


「──あの、鍾離様」
「どうした?」
「魈様のことなのですが……あの方は確か、どれだけお酒を飲まれても一切酔われない体質でしたよね……?」
「ああ、そうだな」
「ということは、先程の行動は……」
「つまりそういうことだろう。……流石の彼も、自分以外の男を懇々と介抱する彼女の姿には黙っていられなかったらしい」
「それはそれは……とても微笑ましいことですね」
「全くだ。早く彼らの子を抱かせてもらいたいものだが、一体いつになるのやら」
「ふふふ、私もその日が楽しみです」

 宴もたけなわ。夜は少しずつ、けれども確かに更けていく。酒の回った宴席は、どこもかしこも明るい笑い声で満たされていた。


2021/3/16

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