君さえ


慈悲に属するサメの人魚は、監督生の驚異となり得るか(twst/お相手未定)


※固有名あり訳あり人魚オリ主
※女監督生(ユウ)の存在あり
※かなりの捏造ご都合主義
※暴力表現、体調不良表現あり
※なんでも許して


 ──あ。死んだな、これ。

 肩に何かがぶつかった感覚に視線を持ち上げ、その先にある『それ』を目にした瞬間、ユウはほとんど反射的に心の中へそんな言葉を転がした。ユウのこぼした「すみません」の言葉を最後にしんと静まり返った世界に、心臓が凍り付くような錯覚さえ覚える。
 彼女の視線を釘づけるのは、研ぎ澄まされた刃物のような輝きを深く孕んだ青い色。今しがたユウが不注意で肩をぶつけてしまった相手の持つ、酷く冷ややかな瞳の姿。柔らかさとか温かさだとか、そういった言葉の全てが抜け落ちてしまっているその双眸に見据えられてしまえば、きっと、どんな人だって恐怖に震えてしまうだろう。もちろんユウだって、その例に漏れはしない。
 一瞬にして体温の抜け落ちた身体を恐怖に固め、蒼白な表情でユウはただただその人を見上げ続けた。目測180センチ半ばと思しき長身に、深い黒を宿した短髪と目元を覆い隠すように長い前髪。加えてその顔の下半分を覆い隠す黒のマスクによって、正直その人の表情などたったの2割程度しか伺い知ることは出来ない。けれど、長い前髪の隙間から覗くその瞳があんまりにも鋭く冷たいのだから、それ以外が見えなくたって相手方が「怒っている」ことぐらいは容易に推測出来てしまう。極めつけとばかりに首元へ幾重にも巻かれた白い包帯を見て、様々なタイプの人々に満ち溢れているナイトレイブンカレッジの中でも、確実に群を抜いて「関わってはいけないタイプ」の相手だと一瞬にして理解したユウは、自らの不注意と不幸をただ内心で嘆くことしか出来ない。

 ……お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しください。

 遥か遠い世界の向こう側へと遺書代わりの念を飛ばして、ユウは自らに下されるだろう無慈悲な断罪を待つ。せめて痛かったり苦しかったりが少なければいいなぁと、儚い願いを転がしながら。
 エースたちが、ユウと同様に恐怖に侵されてしまっているだろう身体を必死に動かして、ユウをその脅威から庇おうとしてくれいるのが視界の片隅に映る。ありがとう皆、なんだかんだと苦労は沢山掛けられたけれど、やっぱり君たちは私のマブダチだ。そんなことをぼんやりと考えるユウの視線の先で、彼の瞳がゆっくりと瞬きを落とした。

 ──そして次の瞬間、その瞳はまるでユウから興味を失ったかのようにふいと背けられ、何を言うことも無くどこかへと歩き去って行った。

 予想とは大きく異なるその結果に、ユウは瞠目したままただその場に立ち尽くす。エースたちも同じく驚きを露わにして去って行く後ろ姿をただ見つめていた。
 ……どうやら、奇跡的にユウたちはあの脅威から見逃されたらしい。
 たっぷりと時間をかけてその事実をようやく理解したユウは、恐怖から解放された身体をへなへなと床にへたり込ませる。かたかたと身体中が壊れたように震えていて、人間は本当の命の脅威に晒されるとこうなってしまうのだな、なんて、学びたくはなかったことをユウはしかと学んでしまう。

「……っ、大丈夫か監督生!?」
「すまない、咄嗟に何もできなかった……!!」
「だ、大丈夫……ちょっと怖くて、力が抜けちゃっただけ、だから」

 遅れて現実へと戻って来たらしいエースとデュースが、慌てた様子でユウに駆け寄ってくる。その様子に申し訳なさとありがたさを覚えながら、ユウは何とか笑みを作って応えてみせた。あの迫力に対して恐怖も覚えず立ち向かえる一般人など、そうそういないだろう。それに、そもそもはユウが不注意であの人にぶつかってしまったことが原因なのだ。彼らに非などひとかけらもありはしない。
 アイツ、めちゃくちゃ怖かったんだゾ……。ユウの腕の中で涙目になって震えるグリムにそうだねと返して、ユウはゆっくりと立ち上がる。まだ少し震えは残っていたけれど、特に問題はなさそうだ。

「さっきの人……腕章的にオクタヴィネル寮の人だったな……」
「ふなぁ……ウツボ兄弟といい、あの寮にはおっかねー奴しかいねーのか?」
「──おや、それは心外ですねぇ。僕たちはこんなにも慈悲の心に満ちているというのに」

 去っていったあの長身にぽつりぽつりと会話をこぼしていれば、そこに突然紛れ込んだ誰かの声と、先ほどの彼のそれよりもさらに大きな影。ぞ、と背筋を震わせて視線をそちらへ向ければ、そこにはにこりとあくどい笑みを浮かべた浅瀬色の麗人の姿があった。

「げ、ジェイド先輩……」
「そんなに嫌そうな反応をしないでくださいよ、傷ついてしまうじゃないですか。しくしく」

 最早白々しい泣き真似をする素振りすら見せず、話題に上がっていたオクタヴィネル寮のウツボ兄弟の片割れであるジェイドは品のいい唇の向こうにぎらりと鋭い歯をのぞかせた。今でこそ慣れたとはいえ、やはり彼もまた恐怖の対象であることに変わりはない。相変わらずおっかないひとだなと思いながら、ユウは一体どうして彼がわざわざ自分たちに話しかけに来たのかと首を傾げる。

「いえ、特に用事はありませんが……監督生さんたちがあの『ルカ・ピストリークス』さんと対峙していらっしゃったので、少し気になって駆け付けただけですよ」

 彼のその発言でユウたちが得た情報はふたつ。ひとつ目は、先程の彼が「ルカ・ピストリークス」という名前であること。ふたつ目は、そんな彼がこのジェイド・リーチという男に「あの」と称されるような存在であるということ。
 鋭い視線と佇まいから彼が普通で無いことなどもう既にユウたちは理解しきっているけれど、その脅威についてさらに知りたいと考えるのも、生き物の生存本能としておかしくはないことだろう。言葉もなく更なる詳細を求めるユウたちの視線に、ジェイドはおやおやとたおやかに微笑んだ。

「知りたいですか? 彼についてもっと詳しく」
「……対価は?」
「話が早くて嬉しいです。そうですねぇ……では、今週中にでも是非皆さんでモストロ・ラウンジにお越し頂ければ、それで。精一杯のおもてなしをさせて頂きますよ」

 一分の隙もなく指先まで揃えられた手のひらを胸に添え、慇懃に言葉を紡いだ彼は、立ち話もなんですからとユウたちを連れて食堂へと移動した。

 昼休みも残り半分を切った食堂に、人の姿は早くもまばらだ。適当な席に並んで腰かけ、ユウたちはジェイドから「ルカ・ピストリークス」という生徒についての情報を貰う。

 曰く、彼はオクタヴィネル寮の2年生であり、その故郷こそ異なってはいるけれど、ジェイドたちと同じ人魚であるとのこと。
 サメの人魚である彼の出身地は、「岩礁の海」という、珊瑚の海とは比べ物にならないほどに治安の悪い危険な場所であり、そこに住むのは強く気性の荒い人魚たちばかりだと言われているそうだ。
 自ら問題を起こす素振りは決して見せないけれど、やはりそんな出自もあってか、ユウたちも目にした通り、彼自身にもかなり殺伐としたところがあり、1年生の頃にはかなり凄惨な暴力事件を数度起こしているらしい。まあ、それも決して彼からふっかけた喧嘩ではなく、相手が先に振るってきた暴力へ対抗したがゆえのものだったために、彼へはそれほど重い罰則はつけられなかったとのことだが、骨折流血程度ならかわいいものだと言われるほどのそれは、いっそ過剰防衛にあたるのではないだろうかとユウはぼんやりと思った。が、それについては深く考えないことにした。異世界に自らの持つ常識を求めてはいけないということを、この数カ月でユウは痛いほどに学んでいるから。
 人相は悪く少し威圧的なところはありますが、意図して危害を加えようとしなければ向こうから攻撃してくることは無いはずですので、そう怯える必要はありませんよ。とオクタヴィネル寮の副寮長は軽々しく言ってのけるけれど、「純粋な暴力という点で言えばフロイドともいい勝負でしょうね」、なんていう彼の微笑みの直後に、その言葉へ素直にそうですかと頷ける訳もない。

「黒いマスクつけて首には白い包帯巻いてってされたら、あの目付きも相まって恐怖しか覚えないっすわ……出来るだけ関わりたくねーな、俺は」
「僕もだな……あれはあまりにも『ただ者』じゃなさすぎる」
「ふふ、一応あのマスクと包帯にも意味があるそうですよ?」

 ジェイドのその言葉に、その場にいる全員の視線が彼へと一斉に向けられる。それに対して「そんなに見つめられると少し恥ずかしいですね」と彼は眉を下げるけれど、もちろんその表情はひとかけらも困ってなどいない。
 ユウたちの視線に微笑んだ彼は、「これ以上の情報を明かすのは、少し言い過ぎになってしまうのですけれど……」と勿体ぶった様子を見せる。

「──サメくん、確か喋れねーんだよねぇ」

 と、まるでジェイドの言葉を受け継ぐように、また違う誰かの声がその場に落とされた。ジェイドの頭に乗せられたもうひとつの頭は、ジェイドのそれとうりふたつのかんばせににっこりと微笑みを浮かべている。
 大人しく引き結ばれているジェイドのそれとは違ってゆったりと開かれた彼の口の向こうには、鋭い歯が惜しげもなく晒されていて。似通った造形をしたふたつの顔に浮かぶあまりにも対照的な表情に、思わず頭が混乱してしまうのも仕方のないことだろう。

「おや、フロイド。いけませんね、そう易々と情報を晒されると困ってしまいます」
「え〜? でもこれ、隠すほどのことでもねーじゃん。有名な話だし?」
「まあそれもそうですけれど」

 互い違いにはめ込まれた2色の瞳が、それぞれにそれぞれを映してにこにこと愉快そうに笑っている。食堂にまだわずかばかり存在していた生徒たちが、揃ってしまったオクタヴィネル寮のリーチ兄弟の姿を見て蜘蛛の子のように慌てて食堂から去って行った。
 そんなリーチ兄弟との関わり方にももう随分と慣れてしまったユウは、つい今しがたフロイドから与えられた答えに対して更なる疑問の声を上げる。

「喋れない?」
「そ! なんかぁ、昔首にでかい怪我したとかなんとか言ってたっけ?」
「へー……喋れないってなると、詠唱が必要な実技の授業とか大変じゃないっすか?」
「ふふ、そこは彼も闇の鏡に選ばれるほどの優秀な方ですから。無言詠唱で全てを完璧にこなしていらっしゃいますよ」

 ジェイドのその言葉に、エースとデュースがまじっすかと驚きの声を上げる。もちろんユウも、その衝撃に思わず目を丸くした。
 その理由は、簡潔に言えば「詠唱なしで魔法を使うことは非常に難しいことである」ためだ。もちろんそれは決して不可能ではないし、エースやデュースにしても簡単な魔法程度は詠唱なしで使用することが出来る。ただし、それが、このナイトレイブンカレッジにおける高度な授業内容で必要とされる魔法の全てにおいてとなると、話は大きく変わるのだ。
 ユウも未だに魔法の全てについて知ってはいないが、無言詠唱というものがいかに高度なものであるかは理解している。「確か、こないだの召喚術の授業でも無詠唱でモンスター召喚に成功したんだっけぇ?」「ええ。それには流石のアズールも歯噛みしていましたね」というリーチ兄弟の会話に、ユウたちは尊敬混じりの嘆息をこぼした。

「……なんというか、本当に色んな方がいますね。この学園」
「そうですね。とても面白い場所でしょう?」

 いやまあ、予定調和が嫌いな貴方にとってはそうでしょうけど。この世界における異世界人であるという点を除けば全てが一般人でしかないユウにとっては少し刺激の強すぎるナイトレイブンカレッジの有り様に、ユウは乾いた笑みを浮かべることしか出来なかった。


  ***


 はてさて、そんなルカ・ピストリークスとユウとの初邂逅から早くも2週間近くが経った今日この頃。あれ以来、学園内で遠くからその姿を見かけることはあっても、関わるといったことは一度もないまま、なんとも平和な日々をユウは過ごしていた。
 未だにあの日目にした彼の瞳の冷たさを思い出すと背筋がどうしようもなく震えるのだけれど、その度にジェイドたちの言っていた「基本的にあちらから危害を加えてくることはない」という言葉を思い出して恐怖心を宥めている。いやはや、やはり命の危機──とはいえそれもこちらが勝手に錯覚したものであるのだが──に晒された記憶というのは人間の脳裏に深く刻み込まれてしまうものであるらしい。
 放課後の校舎裏でひとり膝を抱え込みながら、ユウは取り留めもなくそんなことを考える。沈んだ気分のままでは楽しいこともなかなか思い浮かばず、恐怖や不安や怒りといった感情ばかりが掻き立てられて仕方がない。これへの対処法もないという事実がさらにその不快感を募らせるのだから、本当にこの時期ばかりは生きていることさえ嫌になってしまう。
 女子なら誰しもが経験するだろうその情緒不安定に、ユウはままならないものだと何度目かになる溜息をこぼした。このもやもやを誰かにぶつけてしまうことが恐ろしくて、この期間は出来る限りこうして1人になるよう心掛けているのだけれど、やはり1人になったらなったで、気分は急速な下降の一途を辿ってしまうばかり。誰かと会話でもしていればいくらか気は紛れるのだろうけれど、それをするのもなんだか億劫に感じてしまうという我儘具合。自分と同じ女性がいれば多少は何かが違ったのかもしれないけれど、男子校であるこの場所にそれを求めることなどもちろん出来はしない。
 これまでも耐え忍んできたのだから、今回もきっと何とかなるはず。冷静な思考回路はそう考えるのだけれど、やはり弱ってしまったメンタルでは前向きになりきれはしない。
 やだなぁ。抱えた膝に額を押し付けたまま、ユウは小さな弱音をほろりとこぼす。誰に聞かれることも無く消えていくその残響を追いかけることもせず、逃げるように木々のさざめきへと意識を集中させた。

 と、その時。

 ユウの鼓膜を打ったひとつの音に、ユウはぱっとその顔を膝から持ち上げた。聞き間違え出なければ、それは誰かの足音。こんなところに足を運ぶ人がいるなんてとユウは慌てるけれど、彼女が身を隠すよりも早く、その足音の持ち主と思しき誰かの影が、木陰の向こうからゆらりと姿を現した。
 もう見慣れた制服姿に、目を焼くような深い黒の色。その瞬間、心臓が凍り付くような錯覚が、2週間ぶりにユウへと襲いかかってきた。
 ルカ・ピストリークス。知識として記憶しているそのひとの名前が、ぱちりとユウの脳裏に弾けた。高い背丈から、あの鋭く冷たい双眸がゆるりとユウの姿を見つめている。びくびくと恐怖に震える身体では、咄嗟にその場所から逃げ出すことも叶わない。
 大丈夫。このままじっとしていれば、きっと今回も彼は直ぐにどこかへ行ってくれるはず。恐怖に震える必要なんてない。自らへ言い聞かせるようにそんな言葉を繰り返すけれど、やはり怖いものは怖い。さらには間の悪いことに、ユウの状態と言えば情緒のぐずぐずになったあまりにも不安定な有様で。

 だから、そう。つまりは色々と限界だったのだ。

 視界が滲んだと知覚するよりも早く、ほろりと何かが頬にこぼれ落ちた。
 それが自らの涙であると理解した頃には、顎に涙の渋滞が発生するほどにユウは泣きじゃくってしまっていて。こぼれる嗚咽にはしゃっくりが紛れてなんとも情けない。
 まだ顔を合わせて二度目かつ、こちらが相手を一方的に知っている間柄でしかないと言うのに、そんな彼の前で突然大泣きしてしまうなんて。あまりにも失礼すぎる上に下手をすれば締め上げられてしまってもおかしくはない自らの行動に焦りを抱くけれど、その涙を止めることも叶いはしない。
 ごめんなさい、とうわごとのように謝り続けながら、ユウは必死に手のひらで涙を拭う。
 どうか自分のことなんて無視して早くこの場所から立ち去ってくれたら。そんなユウの願いが届いたのだろうか。自らの泣き声の向こうに彼の足音が聞こえて、ユウは微かな安堵を胸に孕んだ。

 けれど、その安堵も次の瞬間には儚く掻き消されてしまう。
 それは何故か? 大きな影が、膝を抱えるユウにゆらりと落とされたためだ。

 ひ、と涙混じりの悲鳴が小さく喉元に引っかかる。
 視線を持ち上げることは出来なかった。きっと今、あのおそろしい瞳が自分を見下ろしているのだろうということが、あまりにも容易に想像できてしまったから。
 濡れそぼった視界に、誰かの革靴の姿が映り込む。その誰かが誰であるかなんて、改めて考えることも馬鹿らしい。

 これは今度こそ死んだかな。
 自らの生を儚んでまたひと粒涙をこぼしたユウは、そっとその瞼を閉ざした。

 闇に包み込まれた世界の中で、ユウは大人しく自らへ下される暴力を待った。一体自分の何が彼の逆鱗に触れてしまったのかは分からないけれど、彼が悪だと言えばそれが悪なのだろうから、ユウにその決定を覆す権利などもちろんありはしない。

 せめて最後に、今度の何でもない日のパーティーで出されるトレイ先輩のタルトを食べたかったなぁ。

 そんな言葉を心の中に紡いだ直後、ユウの目の前に立っていた彼が動く気配が暗闇の中に感じられた。微かな衣擦れと地面が踏みしめられる音。

 ──直後、ユウの頭に乗せられた大きく温かい何かの感触。

 え、と驚きの声が掠れながら喉元を通り抜けていく。閉ざしていた瞼を持ち上げて、ユウはその感情のままに顔を上へと向ける。つい先ほどまでは恐怖の対象でしかなかった、そのたったひとりを視界に映し込む。

 そんなユウの網膜を焼いたのは、あまりにも優しい海の色だった。

 目の前に広がる光景を確かめるように、ユウは何度も何度も瞬きを繰り返した。けれど、いつまで経ってもそこにある世界がその姿を変えようとしないものだから、頭に乗せられた彼の手のひらが穏やかにユウの頭を撫で続けているものだから、ユウは理解せざるを得ないのだ。

 あのルカ・ピストリークスが、酷く慈しみ深い視線でユウを見つめ、そして慰めるかのようにユウの頭を撫でているという事実を。現実のものとして。

 困惑に思考回路がショートしてしまう。あり得ないと頭の中で警鐘が鳴っている。けれど、ユウに与えられるその眼差しと温もりがどこまでも優しすぎて。ユウは胸に満ちていた困惑の全ても忘れて、また涙を溢れさせることしか出来ない。
 嗚咽をこぼしながら泣きじゃくり続けるユウの傍に、ルカは何を言うこともなく寄り添い続けてくれた。その涙が止まるまで、ずっと。


  ***


 それからというもの、ユウがふとした悲しさに襲われて校舎裏で膝を抱えていれば、どこからともなく彼が姿を現し、そしてユウに寄り添ってくれるようになった。
 学校内で見かける彼は相変わらず研ぎ澄まされたナイフのような佇まいで周囲を威圧しているのだけれど、この時だけは、その冷たい恐ろしさの全てをかき消して、酷く優しい瞳でユウを見つめてくれるのだ。長い前髪も、顔の下半分を覆い隠す黒いマスクも、首に巻かれた白い包帯も、確かに恐ろしいはずなのに。それでも、ただその瞳に宿された温度ひとつでユウの心はあっという間に絆されきってしまう。
 今日も今日とてひとり膝を抱えるユウの傍にやって来たルカは、眉を下げて元気のない面持ちをしているユウに向けて、ひらりとその両手を掲げてみせた。
 何も持ってはいないその両手を、まるでユウの眼には見えない何かを捕まえるがごとくぱたりと合わせて、そうして再び開く。そうすれば、そこには先ほどはなかったはずの飴玉がひとつ佇んでいて。魔法のようなそのマジックにユウが思わず瞳を輝かせれば、ルカはその目元をゆるりと綻ばせて、その飴玉をユウへと手渡してきた。
 それをユウがありがたく受け取れば、ルカはさらに嬉しそうな表情を浮かべるものだから、ユウはより一層疑問を募らせることになる。そして、今日こそはそれを彼へ尋ねてみようと決意して、震える唇に声を紡いだ。

「……ルカ先輩、は、どうして私に優しくしてくださるんですか……?」

 そういえば、彼にこうしてちゃんとした言葉を投げかけるのはこれが初めてかもしれない。彼との邂逅は、いつだって言葉のない静かなものだったから。そんなことを思いながら、ユウは恐る恐るといった様子で彼を見つめる。
 その視線の先で、彼はぱちぱちとその瞳を瞬かせた。普段の冷徹な様子など微塵も感じさせないほどに柔らかく、いっそ愛らしさすら覚えてしまうその素振りに、またユウは不思議な感覚に落とされてしまう。彼は一体、何を考えているのだろう。彼の『本当』は一体どちらなのだろう。それは、ずっとユウの中に燻り続けていた謎だった。
 丸くなっていた海色の瞳がゆるりと細められる。あんまりにも優しいそのかたちを知っている人は、この学園の中に一体どれだけいるのだろうか。
 ルカはそっとその指先を黒いマスクにかけて、それを顎へとずらした。初めて目の前に晒された彼の口元に、今度はユウが瞠目する番。その向こうに鋭い歯を覗かせながら、薄くも形のよいその唇がゆっくりと言葉を紡いでいく姿が、世界が震えるほどの衝撃を伴ってユウの網膜に焼きついていく。

「……君にだけ、教えてあげる」

 彼の姿は、確かに男性のそれだった。背丈も、手のひらも、体つきの全てが。男子校にあってもなんら問題は無い、完全なる男性の姿。事実、彼は男性として闇の鏡に選ばれ、この学園に通い、全生徒からも男性として認知されている。そこには疑う余地など一片もない。
 けれど。
 見開かれたユウの瞳に、どこか悪戯っぽく微笑んだルカの姿が映り込む。


「──私ね、実は女の子なんだ」


 ユウの鼓膜を叩くその声は、何をどう聞いたって、愛らしい女性のそれでしかなかった。


(夢主設定とか)

ルカ・ピストリークス

・オクタヴィネル寮所属の2年生
・短い黒髪に目元を隠す長い前髪、黒のマスク常用、首元には白い包帯、深い海の色を宿した鋭い瞳
・ぱっと見はヤのつく自営業かマフィンみたいな名前のあれでしかないひと
・岩礁の海という大変治安の悪い海出身のサメの人魚(♀)
・種類的な話をするとシロワニの人魚だが、そう言うと困惑されることが多いので手っ取り早くサメの人魚だと言っている
・諸事情あって男装(魔法薬込み)してナイトレイブンカレッジに通っているが、どうしても声だけは男性のそれに変化してくれなかったため、声を出せないという設定で何とか乗り切っている
・死活問題になるので無言詠唱は血反吐を吐きながら必死に身につけた
・首に古傷はあるけど別に声帯は壊れてない、包帯は喉ぼとけがないことを隠すためでもあったりする
・治安の悪い地元で無事に生き抜くために戦闘能力と威圧スキルを獲得、陸でも応用
・相手から手を出されない限り自分からは何もしないけれど、出されたら話は別なので徹底的に潰しに行くスタイル、我が身大事に
・人間とか獣人とか陸の生き物については詳しく知らないけど、とりあえず背骨砕けば大体の生き物は黙るって母さんに教えられた
・気性はサメにしては滅茶苦茶穏やか、いや、本当に
・色々と詮索されたくことが多いので、過去の流血乱闘事件と普段の威圧とで誰も好んで自分に寄ってこない現状は大変過ごしやすく思っている

・ただ、男子校にひとり放り込まれてしまったユウに対しては色々思うところがあり、前々から密かに同情や心配は寄せていた
・今回ひとりで泣いている姿を偶然見つけてしまって、ついに放っておけず寄り添ってしまったし秘密も明かしてしまった
・この子ならきっと内緒にしていてくれるだろうという信頼

・もちろんユウはこのことを秘密にするし、何ならさらにルカに懐く
・そのうちユウちゃん、ルカ先輩って呼び合う
・女子会とかしちゃう

・ふたりきりの時以外は基本声かけたりしないけど、ある日色々あって人前でルカとユウが対面して、ユウに甘々なルカの姿に「やっべえあいつマジで猛獣使いスキルカンストさせてたわ……!!」ってエースたちにざわつかれたりしてくれたらいいなぁ
・という思いでキーボードを叩きましたが続かないんだなこれが
・実は転生していて前世の記憶もあるよ! 系のあれそれ的な設定も考えたけど一切活かせなかったとかいうそういう裏話

ユウつながりで1年生組とわちゃわちゃしたり、ユウに危害加えようとした輩に対してフロイドと共同戦線張って血祭り巻き起こしたり、ユウと一緒に居る所をジェイドに「おやおや」されたりする、そう言うのが読みたかった。完。


2020/8/30 支部にて公開
2020/11/4 サイトにて公開

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