君さえ


君に花丸満点を(juju/五条)


※捏造ご都合主義/ネームレス生徒夢主
※怪我表現有


 コンクリートの壁に叩きつけられた体が軋んで、脳みそはその痛みに耐えきれずショートする。ひゅ、と喉を通り抜けた空気は肺を満たすけれど、それでも補いきれぬあまりの苦しさに心臓は鳴き喚いた。
 そのまま床に崩れ落ち、壁に背を預けたまま動けない私は目の前に広がる絶望をただ見つめた。ゲラゲラと下品で耳障りな笑い声が鼓膜を震わせるけれど、それさえ麻痺した聴覚はまともに脳へと伝えてくれやしない。

 休日の外出中に意図せず出会ってしまった一級呪霊。とある廃墟に蔓延ったそれと、不幸にもそれに襲われてしまった一般人数名。学校へと緊急連絡を入れて、一人それに立ち向かったのが数十分前。巻き込まれた一般人は無事に逃げおおせることが出来ただろうか。床に広がる赤い色が私のものだけであることが、それの答えだろう。

 まだ三級呪術師でしかない私に、こんな呪霊を一人で祓う力なんてありはしない。出来るのは、ただひたすら全精力を懸けて救援が辿り着くまでの足止めをすることだけ。一般人を逃がしきり、ここまで時間を稼げたのだから私にしてはなかなかに頑張ったのではないだろうか。乾いた笑いは空気に溶けて消えていく。
 呪霊が私の息の根を止めようと迫ってくるのが、掠れた視界に映った。
 こんな結末に対する覚悟だってもうずっと前から出来ていたはずなのに、いざそれが目の前に現れてしまうと心が泣き喚いてしまう。結局自分もただの人間で、生き物だから、生きたいという本能を消し去ることなんてできないのだ。
 けれど、だからといってこの状況を打破する力があるのかと言われればそれは否で。迫りくる『死』を諦め混じりに受け止めながら、人の命を救って死ねるなら本望じゃないかと自身を慰めながら、私は笑った。

「───ちゃんと、言っておけばよかったなぁ」

 後悔のひとかけらを転がして、瞼を閉じる。そうすれば脳裏に蘇るのは、密かに想いを寄せていたあの人の姿。きらきらと輝く銀糸が、記憶の色だというのになぜか酷く眩かった。


「言わなきゃいけないことがあるなら、諦めちゃだめでしょ」


 ぱちん、と頭のどこかで何かが弾けるような音が聞こえた。
 世界に響いた声は未だぐらぐらと揺れた脳内にも酷く鮮明に響いて、私は閉じていた瞼をぱっと開く。その瞬間、黒と銀のコントラストが私の視界を彩って、意識の全てを奪い去って行った。

「ごじょ、せんせ、い……」

 世界にいたのは、私と彼の二人だけ。私を嬲り殺そうとしていたあの呪霊の姿は気配すら残らず消えていた。

「……ここまで一人でよく頑張ったね。君のおかげで民間の被害はゼロだ。もうすぐ治療班が来るから、もう少しだけ耐えて」

 地面に座り込んだままの私の前に膝をついて、彼はそっと私へと手のひらを伸ばす。彼の指先は優しく私の頬に触れて、そこに付いていたのだろう汚れを拭うかのような動きをした。
 その指先の温かさと声の優しさに、それまで張り詰めていた神経の糸が切れてしまった私はぼろぼろと涙を零す。怖かった。怖かった。死ぬことが怖かった。安堵した。彼が来てくれた。私はまだ、生きている。

「せ、せんせ、……怖かった、死ぬのかと、思った、」
「……うん」
「ごめんなさ、……ありがと、せんせい、」

 ぽん、と頭に乗せられた彼の手のひらが、ゆるゆると私の髪を梳くように撫でた。止まらない涙にしゃっくりをあげながらも必死に言葉を紡ぐ私を、彼は優しく包み込んでくれる。

「どういたしまして。……でも、他にも言うこと、あるんじゃない?」

 え、と彼の言葉に対する驚きで体が固まり、目も丸くなる。涙は止まらない。
 小首を傾げてこちらを見つめている彼を見つめ返して、数秒。ようやく彼の言葉の意味を理解した私は、手の甲で目元を拭って彼を真っ直ぐに見る。

 伝えたい言葉は、伝えられる時に伝えなければいけない。


「───五条先生、好きです」


 もう、後悔はしたくないから。



「うん。よくできました」



2019/11/18

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