君さえ


聖なる夜に降りそそぐ(juju/五条)


※捏造ご都合主義/ネームレス

 ぴんぽーん。
 部屋に鳴り響いた安っぽい電子音に、私はパソコンの画面へ向けていた視線をぱっと持ち上げた。時刻は12月25日の夜7時を回った頃。今頃世界ではきっと、多くの恋人同士や家族がイルミネーションを見たり、美味しいご馳走や豪華なケーキに舌づつみを打ったりしているのだろう。そんなクリスマスの聖なる夜に、ひとり自宅で仕事の内容が映し出されたパソコンの画面に向かっている理由なんて静かに察して口を閉ざしておいてほしい。人を傷つけるようなことを言ってはいけないと幼稚園や保育所で学んだ記憶があるはずだ。ないならぜひここで覚えていってほしい。

 閑話休題。

 そんな日のそんな時間に鳴り響いたインターホンに心当たりなど、私にはない。何か荷物が届く予定はなかったし、今日会う予定の友人や知人もいないのだから。
 それでも来客があるならまずは対応しなければいけないだろうと、私は炬燵から重たい腰を持ち上げる。その瞬間に、再びインターホンが鳴り響く。なんだか急かされているような気分になって、はいはい今出ますよ、と相手には届かない声を紡いでしまった。
 安いワンルームアパートの部屋から玄関までという、そう遠くはない道のりの中、何度も何度もインターホンが打ち鳴らされる。ここで普通の人なら恐怖を抱いて居留守に移行したり、腹が立って煩いと叫びながら扉を開けたりするのかもしれない。けれど、私はそのインターホンの鳴らし方に覚えがあった。だから、ただ恐る恐る小さなドアホールから外を覗いたのだ。

 そして、そこに見つけたその姿に、どくんと心臓が大きな悲鳴を上げた。

 慌てて鍵を開けて、チェーンを外して、そして扉を押し開ける。扉の隙間から流れ込んできた冬の夜の冷気が、あっという間に体から温度を奪い去っていった。けれど、そんなことはあっという間に私の意識から弾き飛ばされる。

「──五条先輩……!?」

 扉の向こう、寒空の下。晴れた星空を背景に立っていたのは、私の高専時代の先輩で、今の上司的な存在でもある五条悟その人だった。
 目隠しをして真っ黒な服を身に纏ったその姿は、いつもと全く変わらない彼そのもの。高い背丈から私を見下ろす彼を私も見つめ返しながら、ぐるぐると思考を回す。
 彼が私の家に訪れるのは何もこれが初めてではない。けれど、今までのそれはほとんどが仕事に関係するなにかしらによるもので。今回もまた急な仕事だろうか、とか、何か仕事でミスをしてしまっていたのだろうか、とか、そんな不安が頭を駆け抜けていった。

「や。クリスマスの夜にひとり寂しく家で持ち帰り残業なんて、相変わらず寂しい生活してるねぇ」
「は? いやいや、クリスマスの夜にひとりでいるのは先輩もじゃないですか」
「僕はいいんだよ。僕だからね」

 しかし、そんな不安も懸念も全て一瞬にして彼の言葉に吹き飛ばされてしまう。相変わらず言葉が多いし、どこまでも唯我独尊を地で行く人だ。これぐらいで腹を立てていたら身が持たないなんてことは、今までの経験から十分に学んでいる。それでも言い返さずにはいられない私は、またこうやって彼に噛みついてしまうのだ。

「ほらほら、何ぼーっと突っ立ってるの。出かけるんだから着替えて着替えて」
「え、ちょ、待ってください出かけるってどこに、」
「今晩は冷えるから、コートとマフラーを忘れないように」
「説明が圧倒的に足りてない……!」

 まあもちろん私の噛みつきなんて彼にとっては子犬にじゃれつかれているようなものでしかなくて、気付けばあっという間に彼のペースで全てが進んでしまっている。この人の行動がいつも突飛で予想外で報連相に欠けていて強制的なものであるというのも、もう経験的に理解している。だから、私は小さく悪態を呟くだけしかできないまま、結局は彼の良いなりになってしまうのだ。

 部屋着の上に薄手の上着とコートを羽織って、マフラーをぐるぐると巻いて、戸締りとその他を済ませた私は玄関先で彼の隣に並び立った。なにやら機嫌がよさそうな彼は、きっと私が斜め下からずっと送り続けている不機嫌な視線にも気付いたうえで、あえて無視しているのだろう。これもいつものことだ。ため息も零れない。

「よし、それじゃあ行こうか」

 目の前に差し出された手のひらは、確かに彼から伸ばされたもの。白魚のような美しい肌を持ってはいても、その形はやはりどこか無骨で、大きくて、男性のそれだということがはっきりと分かる。
 けれどその手のひらの意味は私には分からず、ただそれを見つめて首を傾げてしまった。そうすると頭上から深い深いため息が落とされて、見上げればそこにはどこか不機嫌そうな彼の顔。ため息を吐きたいのも不機嫌な顔をしたいのもこちらなのだが。

「相変わらず、お前ってそういうところあるよね」

 そういうところってなんだ。どこだ。疑問と悪態に満ちる私の脳内に気付いているのかいないのか、彼はそれ以上何を言うこともなく再び手のひらを伸ばしてきた。今度は私の目の前ではなく、私の身体の横。私の手のひらに向けて、真っ直ぐに。

「手、離すなよ」

 離すも何も、そっちからこれだけしっかりと握られていたらこちらからは離しようがないじゃないですか。そんな言葉を吐く暇もなく、あっという間に私の視界はぱちんと弾けた。

 手のひらを包み込む温かな温度に導かれるように、私は目を開く。
肌を包むのは冷たい冬の夜。足裏に感じるのは、冷たく固いコンクリートの感触。視線の高さからして、きっとここはビルの屋上なのだろう。そうやってすぐさま思考が弾き出した答えも、あっという間に意識の隅に追いやられてしまう。
何故なら私の視界を埋めたからだ。夜の闇と───その中に輝く、光の芸術が。
 瞬きも呼吸も忘れて、私はその世界を網膜に焼き付けた。きらきらと輝いて、ぴかぴかと弾けて、はらはらと消えていく。眩い光と、闇の対比。それがあまりにも美しくて、美しくて。

「……気に入った?」

 隣から転がされた彼の声に、私はほとんど反射的に頷きを返す。その音が酷く優しかったことにも、私の横顔を眺める彼の瞳があまりにも穏やかだったことにも、イルミネーションの瞬く世界に意識の全てを奪われていた私は気付けなかった。

 あちらへ視線をやって、こちらにも視線を向けて。ようやく視界の全てを意識に収めた私は、ふと隣の彼に問いかける。

「……どうしたんですか、突然こんなところに連れてくるなんて」
「ん? だってほら、この間言ってたじゃない。『イルミネーションが見たいけど人混みは嫌だ』って」

 返ってきた答えに過去の記憶を漁れば、その言葉はすぐさま検索にひっかかった。確かに言った。2週間ほど前のふとした瞬間に、ぼやくように呟いた覚えがある。……けれど。

「……なんでそんなこと覚えてるんですか」

 自分がその言葉を吐いたのは彼に向けてではなかったし、特別印象に残るような会話の中に紡いだものでもなかった。大したことのない、ただの呟きだった。彼が覚えている意味も、理由も、何もないようなそんな、ちっぽけな私の願望だった。
 それなのに、彼はそれをどうしてか拾い上げて、手のひらに収めて、そしてさらには叶えてくれた。こんな廃ビルの屋上なんていう穴場を見つけて、移動のために術式の無駄遣いまでして。
 彼の方を見ることも無く、ただ私は問いかける。視界の中に揺れるイルミネーションの足元にはきっと、人が溢れては、私と同じようにその美しさに呼吸を奪われているのだろう。
 はあ、と吐いた息は白く染まって夜闇のなかに掻き消えていく。
 ───ふと、頬に温かい温度が触れて、私はぱっと視線を揺らす。瞳に映り込んだのは、世界を照らす光ではなかった。けれどそれと同じぐらいに、いや、それ以上に眩しく輝いている存在のかたち。
 遠く淡い光を受け、私の頬を指先でなぞりながら柔く微笑むその姿に、心臓が変に泣き喚く。きらきらと光を受けて輝くその銀糸の美しさが、何故か私の涙腺を緩ませた。

「──どうしてだと思う?」

 問いかけるその声も、穏やかで、優しくて。でもどうしようもなく意地悪で残酷だった。いつの間にか外されていた目隠しの向こうに隠されていた瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。ばくばくと騒ぐ心臓の音が彼にも聞こえてしまいそうで、気が気ではない。頬に触れた指先の温度は酷く熱くて、今にもそこから溶け落ちてしまいそうだった。
 彼の問いかけに何も答えられない私に、彼はふ、と笑みを深めてみせる。

「いいよ。今は分からなくても」

 それはきっと、彼なりの優しさだった。どうしてもまだそれを受け止めきれない私に対する、猶予という名の恩情。

「───今は、分からないふりを許してあげる」

 けれど、結局それは未来の確定したただの執行猶予であることに変わりはない。
 ゆるりと無限を映すその瞳が弧を描いた。
 どうしたって、私がこの瞳から逃れることなどできはしない。きっと、最初からずっと、そんな選択肢など私には与えられていなかった。

 どくんと、心臓が大きく鳴る。

 ───もう答えなんて決まっているくせにと、私を責めるかのように。

「メリークリスマス」



2019/12/25
メリークリスマス

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