君さえ


たとえば君に愛を伝えるのはどうだろう(hpmi/観音坂)


※ツイッターでの #12のワードパレット タグで書かせていただいた文

ワード:哀愁05-微睡み/さ迷う/つなぐ手


 その日が彼と彼女にとっての『記念日』にあたる日だと彼、観音坂独歩が思い出したのは、1日の半分が終わった昼下がりのことであった。 

 いつものように、憎き弊社での短い昼休みを駆使して、出来るだけ彼女が自分のために用意してくれたお弁当を味わっていた独歩は、ふとそのお弁当を自分に手渡した今朝の彼女のことを思い出した。
 早朝に家を出る自分に合わせて、毎日早起きをして弁当を用意してくれる彼女。本当は朝には弱いのに、それでも自分がやりたくてやっているのだと笑ってくれる彼女。玄関先までお弁当を持って見送りに来てくれる彼女。そんな彼女の様子が、今日はどこか不自然だったことを思い出したのだ。「行ってらっしゃい」と言った笑顔が、どこか、寂しそうで、悲しそうな。ひとつ首を傾げて、ふとスマートフォンの画面を見る。そして、そこに記されていた日付を見て、彼はようやく思い至った。

 今日がその日であると。

 彼は焦った。それはもう焦った。しかし、目の前に立ちはだかるのは仕事という大きな壁。これを放り出して家に帰って記念日を祝ったとしても、彼女に怒られてしまうだけだろう。それならば、一刻も早く仕事を終わらせて彼女の待つ家に。……そして、そんな日に限って仕事がやけに多く、残業にまで追い込まれるのは何の嫌がらせなのだろうか。
 這う這うの体で仕事を終わらせた独歩が会社を後にしたのは、もう日付が変わってしまおうかという時間だった。きっと、明日も早くから弁当作りに勤しんでくれるだろう彼女は、早起きのためにと布団に入ってしまっているだろう。けれど、それは決して足を止める理由にはならない。独歩は自分に出せる最速のスピードで家までの道を走った。
 上がった息と額を伝う汗を連れて、家のドアの鍵を開ける。がちゃ、とひとつ音を立てて扉が開き、玄関の向こうに続く廊下と、その先を独歩の視界に映しだした。

「……電気が、点いてる…?」

 そして、彼は気付く。廊下の先、リビングの方から温かい光が漏れていることに。
 まさかまだ起きているのか? 靴を脱ぎ捨てて、鞄も廊下に放り投げて、独歩はリビングへと急ぐ。自分の帰りを待っていてくれたのだろうか。こんなに大事な日を忘れていた自分に呆れて、怒っているのだろうか。不安に蝕まれる胸を携えて、独歩は明るいリビングに足を踏み入れた。
 リビングの中に視線を巡らせて、彼女の姿を探す。けれど、何故か独歩の視界にそれは見つからない。電気を消し忘れて寝てしまったのか? そう首を傾げながら、彼はリビングに置かれているソファーへ近寄っていく。そして、そこに見つけた。

「………なんでこんなところで」

 ソファーに横たわって、すやすやと眠る彼女の姿を。
 その健やかな寝顔に思わず気が抜けて、独歩はソファーの隣で座り込む。はあ、とひとつ息を吐いて、眠る彼女に手を伸ばす。風呂上がりにちゃんと髪を乾かしきらなかったのだろう。まだほんの少しだけ湿っている彼女の髪を、指で優しく梳いた。
 すると、彼女の睫毛がふるりと揺れて、丸い瞳がぱちりと世界を映す。起こしてしまっただろうかと独歩は焦ったが、どうやら彼女はまだ微睡みの中にいるようだ。ふわふわと揺蕩う瞳が独歩を見て、そして、へにゃりと笑みを浮かべた。

「おかえり、どっぽ」

 夢現の区別もついていないだろうに、それでも、さ迷うように伸ばされた彼女の手はちゃんと独歩の頬に触れるのだ。眠っていたからか少し高いその体温に独歩も頬を緩めて、そしてその手を握る。

「……ああ、ただいま」

 早く彼女を寝室へと連れて行って、自分も風呂に入って、明日に備えて寝なければ。
 けれど、今はもう少しだけ、この温もりを感じていたかった。

 明日、ちゃんと記念日を祝おう。
 彼女が喜んでくれるような何かを、用意しよう。

 そう心に決めた独歩と、再び眠りに落ちてしまった彼女。
 2人の左手の薬指には、同じデザインの指輪がきらきらと輝いていた。


2019/6/2

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