これが幸せというものか (bnst/織田作)
※キスの日ネタ/捏造ご都合主義/現代文/ネームレス
今日5月23日が巷では「キスの日」なんて酔狂な名前で呼ばれていることを私が知ったのは、つい昨日のことだ。久しぶりに会った友人と久しぶりにランチを食べに行った時の雑談の中に、そんな話題が上がったのだったか。その時は「へえ、そうなんだ」と酷く薄っぺらな返答して話題を流してしまった私であったが、いざその日がやって来て、さらには目の前に意中の……いや、恋人がいるとなれば話は別になる。
スプーンと食器が擦れ合うかちゃかちゃという音が時折響くだけの、静かな食事。だがそれを覆う空気は決して冷え切ってはおらず、むしろむず痒いほどの温かさを孕んでいた。
食器に盛り付けられたカレーをひと口スプーンですくい上げ、口に運び、そして咀嚼して飲み下す。そんな単調な作業を続ける私の視界の先には、恋人である織田作之助が、私と同じようにカレーを食べている姿。 酷く所帯臭いはずのその姿さえどこか洗練されているように見えてしまうのは、惚れた弱みというものだろうか。
私と彼、織田作が恋人同士となり数ヶ月が経つ今日このごろだが、如何せん彼も私も元から『恋愛事』というものに左程熱狂的ではなく、どちらかと淡白な部類の2人であったから、実はと言うとキスという行為すら両手で数えられる程しか経験していないのだ。いい歳をした男女がそれでいいのか、とは私の友人の叫びだ。別に私としてはこれで不満はないし、彼の方も、特に何を思うこともないようだ。それが寂しくないかと聞かれれば、ほんの少し答えには困るけれど。
却説、そんな私たち、そんな私ではあるが、別にキスやそういった行為が嫌いではないし、正直に言えば私は好きな方だ。回数を求めないだけで。
……うん、回りくどいのは止めよう。端的に言うと私はこの「キスの日」に託けて彼とキスがしたい。そんなことを考えている。カレーを食べながら。
だがしかし、如何せん私という女は恋愛というものに疎いうえ、上記の理由からそういうことにも慣れていない。だから一体いつ、どういうタイミングで彼の唇を奪うべきなのかが分からないのだ。
空になった食器の上にからん、とスプーンを置いて、私は水に満たされたコップを手に取る。少し辛めだったカレーによって火照った口の中をその水で潤して、ひとつ息を吐く。目の前では彼が最後のひと口をその口に収めているところだった。
その光景をぼんやり眺めて思うのは、「きれいな唇だなぁ」なんて変態じみたこと。毒されすぎではないだろうか。落ち着いてくれ私。
特にいい案も何も浮かばぬまま終わってしまった食事の時間。食器を片そうと立ち上がれば、さっと彼の手に私の分の食器が攫われていく。それにありがとう、と笑ってから、彼と一緒に私も台所へ向かった。
流し台にふた組の食器が吸い込まれて、「洗い物は私がやるからいいよ」と、私が言おうとしたその瞬間だった。
私よりも随分高いところにある彼の顔が、気づけばすぐ目の前にあって、青い色が視界を色付けたかと思えば、唇に何かが触れる感触。額に触れた彼の髪の毛がくすぐったい。柔らかいけれど、少し乾燥しているその唇は、私のよく知る彼のものだった。
触れるだけのキスを3回と、戯れのように舌同士を合わせるキスを1回。それだけで終わった短い逢瀬。離れていく彼の体温に何だか切なくなった。
「……どうしたの、」
内心はばくばくと心臓を高鳴らせて困惑に踊る私は、表面上は割と冷静にそう問いかける。
「……何となく、したいと思った。駄目だっただろうか」
ほんの僅かに首を傾けてそんなことを言う彼の愛らしさよ。無精髭を生やした無骨な長身の男だというのにどうしてこうも可愛いと思ってしまうのだろう。惚れた弱みか、そうか。
「いや、駄目では、ない、けど……」
恋人同士であるし、私自身もしたいと思ってタイミングを見計らっていたのだから否やはない。ないのだが。
「………カレーの味がする」
思わず笑ってしまったのも、仕方の無いことだと思うんだ。
2019/5/23
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