君さえ


これでお別れだ


 夢を見た。
 広大な草原の真ん中に寝そべって、美しい星空を見上げる夢だ。
 それは、以前見上げた星空よりもずっとずっと美しく星屑がちりばめられた空だった。――だからこそ漠然と理解させられた。それはきっと、『本物の星空』なのだろうと。
 おもむろに視線を自らの隣へと向けた。星の明るさを見つめ続けた網膜は深い夜闇に眩み、ほんの数瞬世界の輪郭を把握できなくなる。
 瞬きを落とす。ひとつ、ふたつと。そうしている間に目が闇に慣れて、少しずつ少しずつ、その光景が明らかになっていった。

 世界が切り開かれる。
 自分の隣には――――


「……おや、起きたのかい?」


 こちらを見下ろす彼女の瞳と視線が交わった。寝起きにまだ働きの覚束ない思考回路のまま、アルベドはただぼんやりと彼女を見つめ続ける。何か夢を見ていたような気がするのだけど、どうにもその内容を思い出せそうにない。そのもどかしさを眠気に溶かし込むように、ひとつ小さく欠伸をこぼした。

「おはようアルベド、よく眠れたかな?」

 そんな様子にくすくすと笑いながら、彼女はアルベドの頭を優しく撫ぜていく。その指先があまりにも心地よくて、このまま再び眠ってしまいたいとすら思った。もちろんそういう訳にはいかないことぐらい分かってはいるのだけれど。
 理性を駆使して自らに鞭打ち、アルベドは何とか身体を起き上がらせる。そうすれば隣に佇む彼女と視線の高さがほとんど同じになって、その瞳の色がより一層明瞭に見えた。
 今日の彼女は眠気を残した様子もなく、身体の調子がいつもよりもずっと良さそうだ。そのことに内心でほっと安堵する。木々の隙間から降り注ぐ朝陽を弾いてきらきらと輝く彼女の毛先に、その瞳に、胸が締め付けられるような心地がした。

「……おはよう、ニグレド」
 
 口に馴染んだその言葉を、その名前を、今日も紡ぐ。
 隣に彼女がいる、1800と数十回目の朝だった。


  ***


 手を繋ごうと手を伸ばしたのは、一体どちらからだっただろう。それすらも分からなくなるほど自然に、本当にいつの間にか、ふたりはお互いの手を握って言葉もなく道を歩いていた。
 彼女いわく、この道を抜けた先にある町に地上へと続く「道」があるらしい。昔一度行ったことがあるんだと言った彼女に、結局その時の詳細を聞くことは出来ぬまま今日を迎えてしまった。何とはなく、彼女がそれを聞いて欲しくないと思っていそうな気がしたから。
 アルベドの1歩先を歩くニグレドの背中を見つめていた視線を、ふと繋いだ手に落とす。こうして彼女に手を引かれて歩くのも、もう随分と久しぶりのこと。
 共に眠って、手を繋いで。それはまるで、彼女と過ごしてきたこれまでの時間をなぞっているかのようだった。

 彼女も、惜しんでくれているのだろうか。
 アルベドとの別れを。

 だとしたら嬉しい、と、素直にそう思った。そして同時に、ならばこのままずっとアルベドの手を離さないでいて欲しいとも思った。
 ふたりこうして手を繋いだまま、この世界から逃げ出すことが出来たなら。さようならのない優しい世界へ逃げ込むことが出来たなら。1歩、また1歩と地面を踏みしめる度に、そんな願いがまた胸の中に降り積もっていった。

「……ねえ、ニグレド」
「どうしたんだい?」
「…………ううん、なんでもない」
「ふふ、なんだいそれ。言いたいことがあるならなんでも言ってしまえばいいのに」

 今日が最後なのだからと言われているような気がして、唇を噛む。寂しい、哀しい、嫌だ、いやだ。そう言ってこころが泣いていた。
 その泣き声は、次第に思考を侵すほど強く激しくなっていく。頭痛すら引き起こしかねないその勢いに、アルベドは彼女と繋いだ手に少しだけ力を篭めた。

「──本当に、一緒に行くことはできないのかい?」

 旅の始まりに一度聞いた言葉を、もう一度彼女に投げかけた。あの時はまだ少しの猶予があったけれど、今はもう違う。分かれ道はふたりのすぐ目の前だ。
 一緒に行くと、最後までアルベドをそばにいさせてやると、ただそう言って欲しかった。ひとりにしないでくれと、どうかそう言って欲しかった。
 彼女の視線がわずかに落とされたことが、後ろ姿からも分かった。ぴたりと止まった彼女の歩みに倣って、アルベドもその場に足を止める。ふたりの間で曖昧に揺れる繋がれた手が、まるで今にも崩れ落ちてしまいそうな儚い架け橋のように見えた。

「……ああ、行けない。私には君と一緒に地上へ行く意味が無いのだから」
「でも、」
「分かっておくれよ、アルベド」

 自分に向けられた彼女の声があまりにも悲痛なもので、それ以上言い募ることは叶わなかった。だって彼女が苦しんでいる、彼女が悲しんでいる。そのこころへ容赦なく爪を突き立てる覚悟が、アルベドにはまだ足りていなかった。

「私に残された時間はもう長くはないんだ。……それぐらい、君だってとっくに気がついていただろう?」

 時間が止まる。世界の音が掻き消える。繋いだ手の感覚が遠く遠く掠れていく。そんな錯覚がアルベドを襲い、その身体から急速に体温を奪っていった。
 彼女の口から自らに向けて直接その言葉が叩きつけられたは、それが初めての事だった。知っていたはずのその事実が堪らなく衝撃的なものに聞こえたのは、きっとそのせい。
 心の奥底で何かが砕け落ちた音を聞いてようやく、アルベドは気づいた。ずっとずっと、自らが甘えていたことに。

 何もはっきりとは言ってくれない彼女に、自らがまだ淡い希望を寄せてしまっていたことに。

 視線の先で彼女の肩が微かに震えていた。アルベドの手を握りしめる、彼女の小さく華奢な手のひらも。
 世界と自分との間に半透明の膜が張っているような錯覚に襲われた。意識がなんだかぼんやりとして、目の前の全てから現実味がなくなっていく。

「他でもない自分自身のことだからね、分かるんだよ。……運よく長らえたとしてもあと5日。それが避けることも変えることも出来ない現実だ」

 そんな私が君と共に地上に行ったとして何になる。もう何も為せはしないというのに。
 彼女と繋いでいた手が解かれた。咄嗟にそれへ追い縋ろうとするけれど、固く握りこまれた彼女の手はアルベドを明白に拒絶していて。
 彼女から生まれて初めて突きつけられたその拒絶の意志に、目の前が真っ暗に染まるような心地がした。そして同時に、自らがこれまで彼女にどこまでもどこまでも甘やかされ続けてきたのだということを痛いほどに理解させられた。
 アルベドの知る「厳しさ」のほとんどは、ニグレドではなくレインドットから与えられたもの。叱られたり注意を受けたりした記憶は確かにあれど、彼女から厳しくされたという記憶はこの5年間を隈無く探しても見当たらない。
 それだけ自分は彼女に甘やかされることに慣れきってしまっていたのだ。そして彼女は、アルベドを甘やかすことがこの世界で1番上手かった。

「……さあ、行こう。もうすぐだ」

 静かなその声は、けれどもほんの少しの震えを孕んでいて。自分と同じように、彼女のこころもまた悲鳴を上げているのだと理解させられる。再び歩み始めた彼女の背を咄嗟に追いかけることも出来ず、アルベドはその場に立ち尽くした。
 今までの彼女なら、数歩歩いて後ろにアルベドが着いてきていないことに気づけば、直ぐにこちらを振り返ってアルベドの名前を呼んでくれるはずだった。どうしたんだい? と、いつもの様に問いかけてくれるはずだった。
 けれど、ニグレドがこちらを振り返ることはなかった。立ち止まったアルベドを置いて、先へと先へと彼女は歩いていく。その事実に、喉が焼けるような心地がした。
 どうしようもなく呼吸が苦しくなって、胸のあたりを掻きむしるように握りしめる。服越しに指先へと触れる硬いその感触は、昨夜彼女からもらい受けたあのアレキサンドライトのもの。「誕生」、そして「出発」の石。彼女が教えてくれたその言葉を、頭の中に蘇らせた。

 誕生はきっと、目覚めたあの日のこと。彼女がアルベドの手を握ってくれた、あの始まりの日のこと。
 そして出発は、今日。彼女が初めてアルベドを突き放した、この別れの日のこと。

 痛い。痛い。いたい。
 胸が酷く痛かった。
 このままずっと、彼女の隣にいたかった。

 けれど世界は、アルベドのその小さな願いを叶えてやろうともしてはくれない。時間はいつだって、誰しもに平等に与えられる。時計の針は止まらない。太陽はやがて西の空に沈んでいく。日が暮れて、夜が満ちて、そうして再び日が昇る。
 彼女のいない朝が来る。
 夕陽を浴びて赤く輝く彼女の髪があまりにも美しくて、堪らなく愛おしくて、どうしようもなく始まりの日が思い出されて、涙が溢れそうになった。


  ***


 地下世界の片隅に佇む、地上世界との繋がりを密かに保つ町。あれ以降言葉を交わすことなく歩き続けていたふたりは、夜が世界に落ち始めた頃にそこへたどり着いた。
 地上世界との交流や商売を行っているならもっと賑やかで栄えた町なのかと思っていたが、そこでアルベドを待ち構えていたのは、小さく質素で静謐に満ちた街路ばかり。誰かとすれ違うことも疎らにその道を行けば、やがてごつごつと岩肌の目立つ場所に出る。
 そこに埋め込まれるように設けられた小さな施設の前で、ニグレドは再び足を止めた。かたかたからからと、施設の中から機械の作動する音がかすかに聞こえている。

「……ここの昇降機に乗って、地上に出る」

 そこに居た管理者へと慣れたように声をかけたニグレドは、アルベドを連れて施設の奥へと向かう。壁に掘られた浅い洞窟のような構造となっているその場所は、一定間隔で壁に吊るされたランプに炎が灯されていてもなお、やはりどこか薄暗くて肌寒い。かつんかつんとふたり分の足音がその空間に反響して、どうしようもない物悲しさが掻き立てられた。

 昇降機に乗り込み、地上へと向かう。その間ずっとアルベドが考えていたのは、彼女へどんな言葉を投げかけるべきなのかということばかり。彼女とこのまま別れることはもちろん、彼女とこんな仲違いじみた関係のままでいることだって、アルベドは望んでなどいなかった。考えて、考えて、考えて。それでもなお一向に問いが得られないまま、大きな揺れひとつの後に昇降機の動きがぴたりと止まった。地上に、辿り着いてしまった。

 昇降機の扉が開く。その向こうに広がるのは、先程地下で見たのものとよく似た、奥深い洞窟に満ちる闇。ぴちゃん、とどこからか水滴のしたたり落ちる音が聞こえた。
 何も言わぬまま、ニグレドは昇降機から降りて洞窟を歩き始めた。淀みのないその足取りは、やはり彼女は過去に一度地上へやって来たことがあるのではないかという推測を、より確かなものに変えていく。
 鉛玉が括りつけられているかのように足が重たくて、1歩を踏み出すことさえ億劫だった。けれでもアルベドには、遠ざかっていく彼女の背中を追いかける以外の選択肢など残されていない。
 視界の隅に、ひとつ、またひとつとランプの姿が背後へ消えては、再び目の前から現れる。その明滅がまるで何かのカウントダウンのように見えて、耐えきれず視線を地面に落とした。さらにはそれに触発されたのか、脳裏にこれまでの記憶の走馬灯までもが流れ始めはじめるものだから。心を濃く塗りつぶしていく別れの気配に、心臓がまた鋭い痛みを訴えた。

 ニグレドの歩みが止まる。それに合わせてアルベドも立ち止まる。
 気づけばもう、洞窟の出口が目の前に迫っていた。


「――さあ、アルベド。さようならだ」


 洞窟の終わりの向こうには、深い夜の世界が広がっている。
 おもむろにこちらを振り返った彼女の瞳が、アルベドを射抜いた。その表情はつい一瞬前までの凍てついた空気をひとかけらも感じさせないほどに穏やかで、凪いでいて。
 アルベドを置いてひとりで勝手に全てに納得し、別れを、孤独を受け入れようとする彼女に、どうしようもなく腹が立った。それがあまりにも理不尽な怒りだということぐらい、理解している。けれど、もう、限界だった。

「――いやだ」
「……アルベド、」
「いやだよ。ボクはいやだ。だってこのままさようならをしてしまったら、ニグレドはひとりになってしまう」
「……それでいいんだよ」
「っ、いいわけがないだろう!」

 悲鳴のような声が洞窟の中に響き渡る。アルベドがこんなにも声を荒げたのは、後にも先にもこれが初めてのことだった。だからこそニグレドも、肩を怒らせたアルベドの姿に驚きを隠せず言葉を詰まらせてしまう。堪らない苦しさが胸を蝕んで、積み重ねられてきたアルベドの想いの堰を断ち切った。
 滲んだ視界を戒めるように目付きを鋭くする。理性が必死に感情を押し殺そうとするけれど、もう間に合わない。今伝えてしまわなければ、自分はきっとこの先永遠に後悔することになる。そんな確信もまた、アルベドの背中を押していた。彼女の心に爪を突き立てる覚悟が、ようやく決まったのだ。

「孤独は寂しくて辛いことだとボクに教えてくれたのはキミだ」
「……」
「誰かと一緒にいることが温かくて幸せなことだとボクに教えてくれたのも、その温かさと幸せをボクに与えてくれたのも、キミなんだよニグレド」
「……アルベド、」

「そんなキミが、たったひとりで迎える最期を『幸せ』だなんて呼ばないでくれ……!!」

 何も知らないアルベドに沢山の知識や知恵、そして技術を与えてくれた。迷った時には道筋を指し示し、悩んだ時には共に考えてくれた。アルベドの手を引いて歩いてくれた。アルベドの成長を誰よりも近くで見守り、そして喜んでくれた。誰よりもアルベドのことを愛してくれた。嬉しいを、楽しいを、悲しいを、寂しいを、愛おしいを、この世界の美しさを教えてくれた。そんな彼女の孤独を、どうして許すことが出来るのだろう。
 昂った感情と荒れた呼吸を宥めるように、意識して深く息を吸う。そして吐く。視線の先で、半円の夜を背景に佇む彼女が今にも泣きそうな顔をしてこちらを見つめていた。その瞳がゆらゆらと揺れているのは、映り込んだ炎のせいなどではない。

「……全くもう、君ってそんなに聞き分けの悪い子だったかい? これが世に聞く反抗期ってやつなのかな。キミの情緒的な成長は嬉しいけれど、今はちょっと困るなぁ」
「反抗期でも何でもいいさ、キミが頷いてくれるのなら」
「……あのね、君がそう言ってくれるだけで、そう思っていてくれるだけで、私はもう『孤独』なんかじゃないし、『孤独』になんてなれやしないんだよ。――だから、」
「……っ、それでも!」

 それでも。
 彼女をひとりにしたくない。彼女と別れたくない。
 そのふたつの想いが頭の中でぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、言葉が躓く。どう言えば彼女は納得してくれるのだろう、何を伝えれば彼女はアルベドと共に来てくれるのだろう。彼女の最期の瞬間までその隣に居たいと願うことは、そんなにも我儘なことなのだろうか。

「ねえ、ニグレド。キミがモンドに行けないと言うのなら、カーンルイアに戻ろう。それなら――、」
「だめだ。貴重な君の時間をこんなことに費やしてはいけない。君は君の時間を生きるんだ」

 頭を振る。手のひらで耳を覆い隠す。
 聞きたくない、聞きたくない。

「『こんなこと』なんかじゃない。ボクの大切なひととの時間を、そんな風に言わないでくれ……!」
「聞きなさい、アルベド。君は他の誰でもない白亜の子、白亜の申し子『アルベド』だ! 君の貴重な時間を割く価値なんて、私のような『欠陥品』にはない。そうだろう? どうか分かってくれアルベド、君の未来と幸せはこの先にあるんだ……!!」

 彼女の口からそんな言葉を聞きたくはなかった。
 だって彼女はレインドットの一番弟子で、誰よりも努力を重ねて天才の名に似合う錬金術師になったひとで、アルベドの姉弟子で、家族で、誰よりも大切なひとで。誰にも、世界にも、彼女自身にすらもそんなことを言われていい存在では決してないのだから。


「――キミのいない世界に、ボクの幸せはないよ」


 空からこぼれ落ちてくる最初の雨粒のような声が、アルベドの言葉を音に紡ぐ。ざあざあと鼓膜のすぐそばに土砂降りの雨音が響いているような錯覚がした。絡まりきった感情の糸が突然解けて、たったひとつのシンプルな想いだけがアルベドの心の中に残る。

 ニグレドとさようならなんてしたくはない。

 アルベドの本音なんてものは、結局それに尽きるのだ。彼女の最期を受け入れたふりをしていながらも、実際は全くそれに納得できてなどいなかった。

 彼女のいない世界でもきっと、アルベドは今まで通りに生きていくことが出来るのだろう。きっと、今まで通りにこの世界を美しいと思うことができるのだろう。朝起きた時に彼女がいないだけ。錬成の成功を共に喜んでくれる彼女がいないだけ。星空を見上げる時、隣に彼女がいないだけ。スケッチブックを覗き込んでくる彼女がいないだけ。アルベドの名前を、彼女がもう二度と呼んではくれないだけ。

 ただ、それだけ。

 ただそれだけのことが、アルベドにとってはこんなにも悲しいのだ。こんなにも苦しいのだ。こんなにも痛いのだ。

 そのことを彼女に理解してもらいかった。
 アルベドにとってニグレドという存在がどれだけ大切なのかを、彼女にちゃんと分かってもらいたかった。

 苦しそうに歪められた彼女の表情がアルベドの心を締め付ける。ランプの灯りに照らし出されたその姿がどうしようもなく儚いものに見えて、心が騒いだ。
 アルベドを見据えていた彼女の瞳がそっと伏せられる。感情を宥めるように深い呼吸を数度繰り返し、彼女は再びその虹彩にアルベドの輪郭を描きとった。その表情が数秒前と打って変わって酷く穏やかに凪いだものとなっていたから、アルベドは直感的に理解した。彼女が何も分かってくれていないのだということを。

「……アルベド、あのね、君がそう思ってしまうのは、君が私のいない世界を知らないせいだ」
「……違うよ」
「違わない。刷り込みという現象を知っているかい? それと同じだよ。私は君が目覚めたその日からずっと君の隣にいた。だから、君のそれはただの錯覚で、幻想だ」
「違う」
「すまないね、アルベド。悪いのは私だ。君にそんなことを言わせてしまったのも、そんな思いをさせてしまったのも。全部全部私のせいだ」
「違う……!!」

「――私は、もっと早くに君を突き放してやるべきだった」

 アルベドの方へ身体と視線とを向けたまま、彼女は後ずさるようにゆっくりと洞窟の出口へと向かっていく。

「君の隣は心地がよかった。だから、手放し難くなってしまったんだ」

 靴裏に踏みしめられた砂の音が反響して、やけに騒々しく鼓膜を叩いた。

「君は私をひとりの『錬金術師』として見てくれたから。認めてくれたから。嬉しくて、……本当に嬉しくて。その期待に応えたいと思った。君の前では、最後まで『天才錬金術師のニグレド』でいたかった。……『欠陥品』としての最期の姿なんて、見せたくはなかった」

 弟弟子にいいところだけを見せたかった愚かな姉弟子の末路がこれというわけだ。笑ってくれるかい? 自嘲混じりの言葉と笑みをこぼして、彼女はアルベドの名を呼んだ。ランプの炎が遠ざかり、彼女の身体が闇に包み込まれていく。数瞬前までは焔の赤に染められていた彼女の瞳と髪先が、途端に青と黒の色彩を取り戻して夜闇の中に煌めいた。

「……でも、それじゃあだめなんだ」

 掠れた弱々しいその声の響きは、けれども洞窟の反響のおかげで確かにアルベドの下へも辿り着く。諦念と、微かな悲哀と、そして固い決意を込めた言の葉。

「やっぱりだめだね。こんな私に、教育係なんてものは向いていなかった」

 彼女は柔らかく微笑んでいた。
 嫌な予感が突如頭の天辺からつま先までを駆け抜けて、心臓が慌てたように悲鳴を上げる。軋む鼓動に急かされるがごとく咄嗟に伸ばしたアルベドの手は、空を掻くばかりで何も掴めはしなかった。


「――どうかこんな私を許さないでおくれよ、アルベド」


 彼女の足が、1歩、外の世界へと踏み出した。
 洞窟の外には満天の星空が広がっていた。
 星明かりを抱きしめた彼女の瞳が、月にも太陽にも負けないほどに眩く美しい煌めきを落としていた。昼間に見る時よりもいっそう深いその青に、呼吸までもが奪い去られていく。


「……ああ、やっぱり本物の星空は美しいね」


 両手を大きく左右に広げて空を仰いだ彼女は、噛みしめるようにそう言って、




 糸が切れた操り人形のように、地面へ崩れ落ちていった。



2021/3/30

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