君さえ


3


「本当に、無事でよかった……この子、野良ですかね?」

 先程は反応が無かったから気づかなかったが、どうやらこの子には私が見えて、声も聞こえているようだ。覗き込むように顔を近づけてみれば、子猫はまあるい青色の瞳でこちらをじっと見つめてきた。ちなみに毛並みは黒に近い灰色だ。
 この間会った野良猫はそんな素振りを見せなかったのだが……まあ個人差…個猫差? があるのだろう。

 撫でたくてうずうずする手を自ら握って押さえながら、ふわふわと左右に揺れて見れば、子猫の視線は私に着いてくる。やはり見えているな。

「そう、ですね……首輪も無いですし、毛並みも…あまりいいとは言えませんし……」
「ですよね……こんなに小さいのに……」

 まあ今のご時世、野良猫の存在もそう珍しくはない。むしろ増えてきているのではないだろうか。詳しい統計は知らないけれど。
 けれどもこんなに小さな子が野良としてこの生き辛い世の中を生きていかなければならないのだと思うと、なんだか悲しくなる。こうして実際に目の当たりにしないとそんな感情が生まれてこないのは、人間の業だろうか。

 とりあえず、撫でようと伸ばした観音坂さんの手に子猫が自らすり寄り、それに悶えている観音坂さんというこの一連の流れをいますぐ録画したい。

「……どうなるか分からないですけど、俺がこいつの里親探してみます……」

 そんな中、彼がふと零したのはそんな言葉。
 え、という驚きの声が私の口から漏れた。

「さ、里親……?」
「あんまり人脈無い俺が言っても説得力無いかもですが……いやほんと、俺何言ってんだろうな……友達なんて一二三しかいないし、会社でも腫れもの扱いされてるくせに……里親探すとか調子づいたこと……ちゃんと後先考えて行動しないから俺はこんな……俺は……」
「本当にいいんですか……? 里親探しって手間もかかりますし……」
「……はい。俺が、したいと思ったので……」

 観音坂さんの言葉を理解しているのだろうか。子猫はにゃあにゃあと彼の腕の中で嬉し気に鳴いている。
 子猫の喉を撫でている彼は、こうやってなんだかんだと言ってはいるが、きっと最後までこの子を見守ってくれるのだろう。この観音坂独歩というひとは、なかなかに頑固で責任感が強い。

「……私も、……私もお手伝いします!!できることはあまり無いかもしれませんが……お手伝いさせてください!!」

 ぐっと拳を握って見せれば、子猫はまるでそれに返事をするかのようににゃあと鳴いた。やっぱりこの子、私の声が聞こえてるし言葉も理解してるな? 可愛いからいいけど。

「……ありがとう、ございます」

 そしてはにかみながら笑う観音坂さんも最高に可愛いからいいよ許す。今私は世界の全てを許した。いや許すべきことは特にないんだけど。気持ちの問題。

「とりあえず……こいつは俺の家でしばらく面倒見ます。猫とか飼ったことないので不安ですが………ほんと、俺なんかが面倒見るとか大丈夫か……? こいつにとっては災難なんじゃ………俺なんかが………」

「ありがとうございます……よろしくお願いします……!」

「あ、はい……頑張ります………。仕事があるのでそれが……ああ、まあその時は一二三に任せればいいか……」

 確かに、社畜をしている彼は帰宅時間が遅いだろうし彼が家にいない間子猫が心配ではある。一二三くんなら観音坂さんと生活リズムが真逆だから時間的には大丈夫だろうけれど………。

「ああ、ご友人の……かなり面倒かけてしまいますが大丈夫ですか…?」

「まあ、あいつ割と面倒見いいですし……大丈夫です。はい」

 こうやってふとした瞬間に見える幼馴染の信頼関係ほんと好きなのでやめてほしい。いややっぱやめないで。本当、なんだかんだ仲いいよなぁこの2人……。

「そうですか……。ご友人にもよろしくお伝えください。私も里親になってくださりそうな方を探してみます。幽霊なりに」

「はい、お願いします…」

 念のため子猫を動物病院に連れていこうと、子猫を連れて歩き出す。気になるので私も動物病院には同行することにした。今気づいたけどめちゃくちゃ観音坂さんと会話してしまった……周りに人いなくてほんとによかった…………。内心冷や汗をかきつつ安堵した。多分観音坂さんがやばいやつ扱いされるのは避けられた、はず。


 近くにあった動物病院にお世話になり、簡単な検査と予防接種を済ませ、さらにはサービスだと言われてシャンプーまでしてもらって、私たちは観音坂さんの帰路についた。
 病気も怪我もなく健康そのものだと言われた子猫は、今も観音坂さんの腕の中でご機嫌そうにしている。観音坂独歩と子猫の組み合わせ可愛すぎではないだろうか。私今日可愛いって何回言ってる?? 覚えてない。

「……じゃあ私はこの辺で。その子のこと、よろしくお願いします」

 駅前の大通りに出たところで、私は彼にそう言った。さすがに家まで着いていくのは駄目だろうという私のモラルが息をしたのだ。本当は行ってみたいけれど……我慢………。

「あ、はい……任されました……」
「今日は本当に、本当にありがとうございました……たすけていただいたばかりか子猫の今後まで引き受けてくださって…………」

 よくよく考えてみれば観音坂さんに迷惑をふっかけまくりの1日であった。休みだと言っていたのに……本当に申し訳ない。
 そう視線を落とした私に、観音坂さんは優しい声色で語りかけてくれる。

「…どちらも俺が決めてやったことなので……お気になさらず」

 え……あの、ほんと………

「………観音坂さん、優しすぎませんか…?」

 あ、いけない心の声が。
 慌てて観音坂さんを見ると、観音坂さんは目を見開いて、それからほんのりと頬を染めた。

「や、優しいとかそんな……俺なんかには相応しくないです………それは、その、」

 視線をうろうろとさせながら彼は続ける。
 続いた言葉に、私は心臓を貫かれた。いや、心臓なんてないからこれはただの比喩なのだけれど。


「……深町さんの方が、優しい。と、思います……」


 それぐらい、この言葉は威力が強かった。


「って俺何言ってるんだ……こんな三十路手前のおっさんにこんなこと言われても困るよな………なに気持ち悪い事言ってんだろ……ほんと俺はこれだから…………」
「……観音坂さん」
「あ、は、はい……?」
「すみませんが、手を貸していただいてもいいですか……」

 差し出された彼の手を、私は両手で包み込むようにして握る。やっぱり触れた。なんだかもうそれすら私の“嬉しい”という感情を増幅させてきて。

「………え、」

 突然笑いだした私に、観音坂さんが困惑する。ああ、困らせてしまっている、申し訳ない。そう思うけれど笑いは止まらなくて、彼には今しばらく困ってもらうしかないなと、とんでもなく理不尽なことを考えた。


 ────だから私は気づかなかった。
 触れた彼の手のひらが、温かかったことに。

 自分が、彼の体温を感じられていることに。



20181113

- 10 -

*前次#