君さえ


2


「……なるほど、子猫が木に………」

 突然泣きついてきた私の説明を困惑しつつも聞いてくれた観音坂さんは、子猫がいる枝を見上げてそう呟いた。私はその隣でそうなんですと頷く。

「あの子をたすけたかったんですが、以前お伝えしたように、私は観音坂さん以外の生きているものには触れなくて……お忙しいところお引き止めしてしまって本当にすみません……」

 全く関係のない彼を自分のエゴに巻き込んでしまったことには罪悪感が募る。深々と頭を下げた私に、彼は少し焦ったように言葉を投げかけてきた。

「あ、いえ……今日は休みで、今はコンビニに行っていただけなので……別に忙しいとかは……」

 休みとかそれはそれで時間を取らせてしまって申し訳ないんですが……。確かに今の彼はいつものスーツではなく、私服と思しきシンプルな黒のシャツに細身のジーンズを身に纏っていた。え、まって、なんでもの凄くシンプルなのにそれでもかっこいいんですかこんなの絶対おかしいよ。イケメンは何を着てもイケメン。それが今私の目の前で実証されている。
 …っといけない。今は彼に見惚れている場合ではないんだ。

「ありがとうございます……あの、私がその辺から梯子か何かを調達してきますので、あの子をどうか……」

 続く私の言葉を、顎に手を当て木を見上げていた彼が遮った。

「……梯子は、無くても大丈夫です。多分これぐらいなら……登れると思う、ので」

 え。予想もしなかった彼のその発言に私は固まってしまう。いやだって、観音坂さんの口から『木を登れる』なんてワードが出てくるとは思わなくて……。
 困惑に負けてしまった私の目の前で、観音坂さんは手の届く範囲にある木の枝に手をかけ、言葉通り木を登って行こうとする。

「え、ちょ、ちょっと観音坂さん……!? 危ないですよ!?!?」

「……結構この枝しっかりしてるので、大丈夫です。心配しないでください……」

 慌てて彼を止めようとするも、彼は私にそう言ってひとつ頷くだけで、降りてこようとはしない。彼は謎の身軽さですいすいと木を登っていき、もう木の中ほどを通過していた。
 危なげなく登ってはいくのだが、それでも下から見ているこちらははらはらとしてしまう。観音坂さんは身長のわりに体重が軽かったことは生前の記憶から知ってはいるが、それでも成人男性だ。今は大丈夫だとしても、いつ枝がその負荷に耐えられず折れてしまうか分からない。

「お、落ちた時はちゃんと私が受け止めますからね…! 観音坂さんならキャッチできますから!!」

 私が必死にそう叫ぶと、観音坂さんはちらりこちらを見下ろして、そして小さく笑った。

「……そんなに信用無いですかね……俺だから仕方ないか……。……まあ、…その時はお願いします」

 だから、そう軽率に私の心臓に銃弾打ち込んでくるのやめてくれませんかね!
 存在しない心臓を密かに高鳴らせる私をよそに、観音坂さんはさらに上へと昇っていく。そして、ついに子猫のもとへと辿り着いた。

「……おいで」

 一段低い枝からそっと子猫に手を伸ばし、観音坂さんは優しくその子に語りかける。しかし子猫は怯えているのか一向に動こうとはしない。

「……はは、やっぱり俺なんかにたすけられるのは嫌だよな……でも今俺以外にお前をたすけられる奴は……いや、そもそも俺がまた他の人を呼びに行けば良かったんじゃ………今更気づくとかほんと俺はこれだから………」

 そんな様子に傷ついたのか、観音坂さんはネガティブ思考に浸り始めてしまう。だから!! 今回もあなたの責任になるようなことひとつもありませんから!! 言うとすればあなたを巻き込んだ私の責任ですから!!! そう叫んだ私の声は彼に届いただろうか。
 どよんとした雰囲気を纏う彼。そんな彼を見かねたのか、子猫が丸めていた体から顔をあげ小さく鳴いた。

 にゃあ。

 その声に、項垂れていた観音坂さんも頭をあげ子猫を見る。子猫と観音坂さんの視線が交わり、何やら1人と1匹だけの世界がそこで繰り広げられてしまった。目と目が合う……。とりあえず私は実況に徹することにしよう。

 観音坂さんが子猫を見つめたままゆっくりと手を伸ばすと、子猫は少し身じろいで後ずさった。それにまた肩を落とす観音坂さんだったが、手は子猫へと伸ばしたままである。子猫はそんな彼の手のひらに興味を惹かれたのか何なのか、1度逃げたにも関わらず、ふんふんと匂いを嗅ぐように顔を近づけた。一緒に体もついてきているから、これはいい感じなのでは無いだろうか。はらはらと見守る私と、じっと子猫の行動を見つめる観音坂さん、そして観音坂さんの手に収まろうとする子猫。
 
 たしっ、と子猫が片足を観音坂さんの手のひらに乗せた。
 その瞬間観音坂さんの顔に喜色が生まれる。

「……っ深町さん……!!」

「観音坂さんその調子ですがんばって!」

 ばっと顔だけをこちらへ向けて私を呼ぶ彼に、私はそんな言葉を返す。内心でなんだこいつ可愛いなと思っていたのは内緒内緒。

 ついに彼の手のひらに乗った子猫は、へたをすれば彼の片方の手のひらだけに収まってしまいそうなほど小さくて、ふわふわで。観音坂さんの表情がこう……言葉で表すとすれば「はわわ……」みたいな感じになっていた。ちなみに私はそれを見て内心キレそうになっていた。あーはいはい可愛い可愛い。

 観音坂さんは子猫を片腕で抱えたまま、少しバランスを取り難そうにしながらもなんとか木から降りてきた。漫画や小説ならここで観音坂さんが落ちそうになって私が受けとめて──となるのだろうが、まあそんなことはなかった。別に残念とかではない。ドジっ子な観音坂さん見てみたいとか思ってもいない。ないったらない。

「観音坂さん、大丈夫ですか……!?」

 地面に降り立った彼に慌てて近寄ると、観音坂さんは小さな笑みを浮かべてから腕の中の子猫を私に見せるように抱え直した。子猫は彼の腕の中でとても落ち着いている。どうやら彼に懐いたようだ。

「何とか……こいつも無事みたいです」

 そんな子猫を見つめる彼の瞳はとても優しい。聖母か。
 にゃあ、とひとつ鳴き声をあげた子猫は確かに元気そうで、ああよかったと心からの安堵の声が私からも漏れた。

「良かった……! 観音坂さん、本当にありがとうございます!!」

「いえ、俺は別に何も……」

「いやいやいや…観音坂さんが来てくださらなければ、この子は助からなかったかもしれないので……それに、私もどうしようもできなくて困りきっただろうし……。なので、この子と私、1匹とひとりを助けてくださって、ありがとうございます」

 感極まって、子猫を抱きかかえていない方の彼の手を握って上下に振りながらそう言うと、観音坂さんは目を見開いて驚いた後、頬をやや赤くして視線を泳がせた。

「ええ、……えっと、……あの、どういたし、まして……?」

 照れくさそうに小さくへたくそな笑みを浮かべる彼。
 まってこの人本当にアラサー? 大丈夫ですかこれは幼女ではありませんか?

 内心荒ぶりつつ、私は彼の手を解放してから、いつも通り冷静を装って言葉を繋ぐ。



20181113

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