君さえ


1


 ──……おかしい。

 誰に聞かれることもないそんな言葉を私が呟いたのは、あの雨の日から1週間が経った、とある日の夕暮れ時だった。

 相変わらず幽霊を絵に描いたような体で(実際に幽霊なのだが)、人通りの疎らな道の端にぼんやりと立ち尽くしている私の視線の先には、私に背を向け足早に去って行くスーツ姿。そう、お察しの通り観音坂さんの姿がある。

 ……ひとまず、事の顛末を説明しよう。

 つい先ほど、私は道の向こうからやって来る観音坂さんに気づき、挨拶代わりに手を軽く上げてみた。すると彼もこちらに気づき、──……私の姿を見て目を見開いた次の瞬間、明らかにおかしい勢いで進行方向を180度変え、今来た道を、競歩ともいえる速度で戻り始めたのだ。

 その一連の様子を茫然と眺めた結果、冒頭のひと言に戻る。

 ……実は、この観音坂さんの奇行は今回だけに限ったことではない。

 あの雨の日の翌日、偶然にも街で彼を見かけた私は、雨に降られたせいで風邪をひいたりしていないかや子猫の行方はどうなったかなどを確認させてもらおうと、タイミングを見計らって彼に声をかけた。すると、彼は今のようにあからさまに私を避けるような反応を見せ、そして何も言わずに慌てて立ち去って行ったのだ。

 そんなことが3度も続けば、もう確信に至っても良いだろう。

 ……どうやら、私は観音坂独歩に避けられているらしい。

 その方法があまりにもあからさますぎていっそ愛おしさを感じるのは異常だろうか。異常かもしれない。不器用な観音坂独歩、推せます。

 はてさて、一体私は彼に何をやらかしてしまったのだろうか。眠らなくてもいい体と余りに余った時間を駆使してあれこれと思い出しては考えてみたが、思い当たる点は無かった。まさか無意識のうちにあふれ出る煩悩を口にしてしまっていたとか……? もしそうだとしたら私は羞恥と罪悪感で成仏する。何が何でも成仏する。

 と、まあふざけるのはここまでにしておこう。

 何故私が突然彼に避けられ始めたのか。
 今現在、私が思いつく限りで最も信憑性が高いのは、『幽霊である私の存在が異質で、気味が悪いから』という理由だ。
 出会ってからもう数週間が経っているというのに、今更どうして、と。そう思う人もいるだろうが、是非考えてみてほしい。

 いきなり現れた自称幽霊。
 確かに体は透けているし、浮いているし、膝から下は存在していないが、意思の疎通は出来るし、果ては触れることもできる。こんな異常に異常が重なり上乗せされ塗りたくられたこんな状況の中、恐らく、脳が混乱しすぎないための防衛として、彼は無意識のうちに私を『生きている人間』だと錯覚してしまっていたのだろう。私が何も考えずに生きていた時と同じような言動をしていたことも、きっとそれを助長していた。
 そのおかげで今まで観音坂さんは私に対して優しく温かく接してくれていたが、あの日の私の言葉によりこの錯覚が解かれてしまい、彼は改めて私を幽霊だと認識したのだ。それはある程度の時間を置いていたことで混乱も少なく彼の中に落ちつき、結果、その異常さを、気味の悪さを、彼は思い出してしまった。

 どこの誰とも知れない幽霊が自分の周りをうろついているなんて、冷静になればただのホラーでしかない。しかも調子に乗って話しかけに来るわ、面倒ごとを持ち込んで来るわ。本当に、考えれば考えるほど我ながら酷い。前にも言ったような気がするが、私なら気持ち悪すぎて塩を撒くしお祓いにだって行く。むしろ今まで彼がそれをしなかったことの方がおかしかったのだ。

 ……だから、彼は私を避けるようになった。

 これが私の弾き出した結論である。

 彼に確かめないとその真偽は分からないけれど、多分9割8分の確率で花丸大正解なのではないだろうか。ちなみに自分で言っていてかなり悲しくなっている。空元気でも装っていないとやっていられないぐらいだ。

 だって、推しに、この世界で唯一私と意思の疎通をしてくれる人に嫌われてしまったのだから。
 しかもその原因は私にはもうどうしようもないことで、諦めるしかないという現状。
 気分が落ち込むのも仕方ないだろう。

 はぁ、と大きなため息を吐くモーションだけをとって、もう視界から消えた彼の姿の記憶を脳裏になぞる。

 
 ──……彼には、嫌われたくなかったなぁ。


 そんな虫のいい話、ある訳が無いのに。
 往生際の悪い私は、どうしたってそんなことを思ってしまう。

 またため息を吐いて、私は夕焼けに染まる空を飛んだ。


 ……せめて、もう一度だけ彼と話したい。

 沢山迷惑をかけてごめんなさいと、
 今までありがとうございましたと、


 そう伝えたい。


 ──……と、こんな風に最早諦め半分になっていた私であったが、その諦めはどういうわけかその日のうちに儚くも打ち砕かれることとなった。

 それは、夕暮れ時からそう時間も経っていない夜。
 私はいつものように、行く当てもなくふらふらと街を漂っていた。ここで敢えていつもと違う点を挙げるとすれば、私の精神状態であろう。観音坂独歩に嫌われてしまったという事実は、かなりの重量をもって私の心を蝕んでいた。そのせいか、感覚などない、浮いているはずの体が少し重いような錯覚にまで陥ってしまっていた。これは重症だ。

 ……いや、問題はそこではない。

 問題は、そんな私の目の前にまた彼の姿が現れたこと。
 私は彼の後ろにいるため、彼はまだ私の存在に気づいていなかったこと。
 その彼が、ふらふらとどこか覚束ない足取りで車通りの多い道を歩いていたこと。

 そして、────彼の体が、車道の方へ、ぐらりと傾いたこと。

 多分、その瞬間、私の頭の中に意識というものは存在していなかった。
 勝手に体が動いて、気づけば私は彼の腕を掴んでいて、彼の体を歩道へと繋ぎ止めていた。人目をはばかっている暇なんて無かった。
 ぶぉんと音を立てながら、車が走り抜けて行く。正常な稼働状態に戻っていない脳内で、ああ、なんだかデジャヴだな、なんて気の抜けたことを考える私の両手は、しっかりと彼の腕を握っていた。指先が僅かに震えていたことに、彼は気づいてしまっただろうか。

「────……ぁ、」

 微かな彼の声に、私は我に返った。慌てて彼の腕から手を放して、彼との間に距離を取る。混乱の残る頭で何とか視線を周囲へ巡らせて、運良く周囲に誰もいないことを確認した。これは、幽霊としてこの世界に来て彼と接する様になってから今までずっと続けてきた習慣であり、もはや癖になっているから仕方ない。

「……すみません、危ないかなと思って、つい、体が……すみません、いきなり触ったりして。気持ち、悪いですよね……私みたいなやつに………本当に、すみません」

 丸く見開かれ、どこか焦点の合っていない彼の瞳の先で、私はもごもごとひたすらに言葉を並べる。この不規則な言葉の羅列が意味を成しているのかいないのかは分からない。でも、何かを言っていなければこの場の空気に耐えられなかった。

 彼は無言のまま、何も言わない。
 その沈黙すら、今は私を攻撃する針になって。

「あの、……観音坂さんが嫌なら、もう金輪際、あなたの前に姿は見せないようにするので………ほんと、今まで調子に乗って何回も話しかけて、……迷惑かけて、すみませんでした………」

 混乱とか、困惑とか、色々な感情がないまぜになって私を締め付ける。
 もうこの感情に任せて全て言い切ってしまおう。言いたかったことを、全部。

 きっと、これが最後だから。

「……え、」

「ちょっとだけでしたけど、観音坂さんとお話しできたこと、……すごく嬉しかったです。誰かに触れられたことも……だから、せめてこれだけは言っておきたくて、」

 じわりと滲んだ視界を無視して、何かを言おうとする彼の言葉を遮って、私は言葉を続ける。お願い、どうか最後まで言わせて。


「今まで、ありがとうございまし、」

「────ま、! ……って、ください!!!」


 けれど、今度は私の言葉が彼に遮られてしまう。一番言いたかった言葉を、最後まで言わせてもらえなかった。でも、私の言葉を止めた彼の必死さに、非難やそう言った感情は全て吹き飛ばされてしまって。残ったのは、ぽかんと間抜けな顔を浮かべている私だけ。
 口を閉ざした私の前で、彼は声を荒げたことで上がった息を整えている。
 そして、少し赤く染まった頬を携えて口を開いた。


「……俺、あなたのこと嫌ったり、気味悪がったり、してない、……です」


 少し語尾が震えたその声は、彼の真っ直ぐな瞳と連携して、私にその言葉が事実なのだと訴えかけてきた。それに心臓を射抜かれた私は、せめてもの反論とばかりに、ほとんど無意識で次の言葉を零す。

「……だって、観音坂さん、私のこと避けて……」

「そ、れは……」

 言いにくそうに彼は一度口を閉じ、視線を右往左往させた。私は静かに彼の言葉を待つ。

「…………あなたが、」

「私が……?」

 ようやく口を開いた彼は、なぜかそこで言葉を切ってしまった。私が反復して問いかけても、彼の薄く開かれた口から続く音は漏れてこない。

「観音坂さ、……!?」

 一体どうしたのかと、私が彼の名前を呼んだ、その瞬間。
 彼の、澄んだ湖畔のような色を孕んだその瞳から、

 ほろりと大粒の雫が零れ落ちた。


20181113

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