君さえ


2


 私を幽霊だと認識し固まってしまった彼だったが、その後すぐ一二三君の呼びかけによりなんとか我に返った。悲鳴や派手なリアクションが無かったのは不幸中の幸いと言えよう。おかげで彼が周囲の人間から変な目で見られることは回避された。自分のせいで推しがやばい奴扱いされるのは流石に申し訳なさすぎるので本当に良かった。
 ただその顔色が一段と悪くなってしまったのは本当に居た堪れない。ごめんね……。

 観音坂独歩は私の方をちらちらと気にしながら一二三君とひと言ふた言交わしたあと、ひらひらと手を振って一二三君と擦れ違うように歩き出した。きっと用事が済んだから家に帰るのだろう。

 私の右横を歩いて行く観音坂独歩を見つめつつ、私は悩んでいた。出来ることなら観音坂独歩に着いて行きたい。けれども先程の様子からして彼には私の姿が見えている。それすなわち、霊体お得意の隠密行動が出来ないということだ。目に見える見知らぬ誰かの幽霊が自分にまとわりついてくるとかそれなんてホラー? そんな思いを推しにさせられるだろうか、いやさせられない。

 ひとまずは先程決めたように一二三君に憑いて行って、その後のことはこの辺りを散策しながら考えよう。涙を飲んでそう決意し、これが最後になるかもしれないと私は歩き去って行く観音坂独歩の後ろ姿をじっと見つめた。後ろ姿さえも尊い。

 ……と、ふと観音坂独歩がこちらを振り返った。

 その視線は一二三君やその他のものではなく、私に向けられている。視線が交わった。
 予想外の展開に、私は思わずそのまま彼を見つめ続けてしまう。えっ、なんですかこのご褒美タイムは。

 彼は何やら思い悩んだり躊躇ったりする様子を見せ、そして意を決した様に私を真っ直ぐ射抜いた。なんだ今の一連の流れめちゃくちゃ可愛かった録画したかった。なんて私が脳内で暴れていると、観音坂独歩は他の人からは分からないように、体の横で小さく手招くような仕草をした。
 まさか私のことを呼んでいるのだろうか。
 自分のことを指さして首をかしげてみると、観音坂独歩はそうだと言うようにこくりと頷いた。おうまじか。

 推しに呼ばれてしまったら行かない訳にはいかないだろう。一二三君の職場も気になるが、今の私には推しからのご指名が入ってしまった。まあまた機会があると信じて。

 私はふわふわと空中を泳ぐように彼の方へと向かった。それを確認して、観音坂独歩はまた踵を返しどこかへと歩いて行く。着いていけばいいのだろうか。


 彼に連れられ辿り着いたのは、人の行き交う大通りから外れた暗い路地裏だった。大通りから漏れてくる微かな明かりだけが照らすその場所に、人の気配はない。

 そんな路地裏に少し入ったところで観音坂独歩は足を止め、恐る恐るといった動作でこちらを振り返った。薄暗い中でも青ざめていることが分かってしまうぐらいのその顔色には本当に良心が痛む。うんうん、こんなのいたら怖いし気味悪いよね。わかる。

「……すみません、あなたは…その……」

 しばらくの沈黙のあと口を開いた彼の言葉に耳を傾ける。あああ推しが私に話しかけてくれている……。にやけそうになる顔はお得意のポーカーフェイスでなんとか隠した。真剣な推しの前でにやけてなんていられない。

「あいつに、……一二三に、取り憑いてるんですか」

 彼のその問いに、私は1度2度と目を瞬かせた。
 ……なるほど。確かに先程の様子を見れば、私についての事情を何も知らない人はそう解釈するだろう。というかそれ以外に考えつかないだろう。
 友人の周りをうろつく謎の女の霊……それは気になるし心配しちゃうわ。仕方ない。紛らわしいことをしてしまって本当に申し訳ない。
 ……でもごめんひとつ言わせて。友人のことを心配する観音坂独歩が最高にいい子で最高に可愛いです本当にありがとうございました。

 なんてそんな荒ぶる心中は隠したまま、私は彼のその疑問を否定しようと口を開いた。ちゃんと会話が出来るかどうか分からないけれども。
 しかし、私が言葉を口にするよりも前に、彼の声がまた路地裏にこぼれ落ちた。

「あいつとあなたの関係性とか、2人の間に何があったのかとか全然知らない俺が口出すのもお門違いだって分かってるんですけど……! あの、あいつは……あいつは、確かに人に迷惑かけまくるし仕事上人に思わせぶりな態度とったりしてますけど……でも悪い奴じゃないんです……俺みたいな奴とも飽きずに付き合ってくれて……ああ、そうか……俺がこんな奴だからあいつに霊が……俺のせい……」
「いや、いやいやいや、ちょっ! ちょっと待ってください落ち着いてください!!誤解ですから!!」
「だからあいつを呪い殺したりするのだけは……」
「しませんから!! 話を聞いてください!!」

 あれ、もしかして私の声聞こえてない?! そんな焦りを抱きつつ、ネガティブモードにシフトし始めた彼をなんとか落ち着かせようと声を張り上げた。すると、恐る恐る私の方へ視線を戻す彼。良かった、どうやら声はちゃんと聞こえているようだ。
 少し落ち着きを取り戻した彼に、私は今だと矢継ぎ早に言葉を投げる。

「私が彼のそばにいたのは、あの……ええと、……そう!生前の知り合いに彼が似ていて!それで思わずついて行っちゃってたんです!!」

 だから彼に用も恨みも、まして殺意なんてこれっぽっちもありません!!
 半ば叫ぶような勢いだったため、言い終えた後少し息が上がってしまった。息はしていないというのに不思議なものだ。肩を軽く上下させながら、私は彼の反応を確かめる。
 彼は目を丸く見開いたまま私を見つめていて、瞬きを幾度か繰り返し、そしてゆっくりと口を開いた。

「あいつに取り憑いてたわけでは……」
「ないです。紛らわしいことをしてしまってすみません……」

 もう一度きっぱりと否定すると、彼は小さく安堵の息を吐いた。その顔色はほんの少しだけ良くなっている。んんんなんだこの天使は。
 しかしそれも一瞬のことで、次の瞬間にはまた彼の顔色は青く染まっていた。

「……す、すみませんでした…!」
「えっ」
「俺、早とちりで凄く失礼なことを……!!」

 がばっという効果音がしそうなぐらいの勢いで頭を下げる彼に、またしても私は焦らされることになる。

「あの、全然大丈夫ですから…! お気になさらず!!」
「いや、本当に、悪い霊に間違えるとか失礼すぎる……俺はいっつもこうだもっとちゃんと確かめてから言動に移すべきなのに……」
「あああ今回は私が!! 疑わしい行動したのも原因ですし!! ね!! 違う世界に来ちゃったからって不用意な行動して本当にすみませんでした!!」

 謝罪合戦になるフラグを何とか折ろうと必死になっていた私は、自分自身の失言に気づくことが出来なかった。ようやく自分の口走った言葉が何を意味していたのか理解したのは、凪いだ湖畔のような彼の瞳がゆっくりと見開かれた時だった。

「……違う、世界…?」

 私が吐いた言葉をなぞる彼の声ははっきりと困惑を孕んでいて、ああやってしまったと今度は私の方が顔を青ざめさせた。まあきっと私の顔色はもともと青白いのだろうし、変化することもないのだけど。感覚の話だ。

「え、あ、……えーと」

 頭の中で様々な考えが行き交って、今の最善策を弾き出そうと努力する。しかし、焦りも相まっていい考えが浮かばない。誤魔化すべきか? いや、口ごもってしまった時点でもうそれは意味を成さない。冗談だと言っても、信じてはもらえないだろう。本当のことを言ったとしても、きっと信じてはもらえない。


 ──それなら、もういっそ、



「……あー……ちょっと長くなるかもしれませんけど、手短に纏めるので。よろしければ聞いてやってもらえませんか?」



20181113

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