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「──と、いうわけでして」
まあ長くなるとは言っても、話せることは死んだと思ったら違う世界にいて、さらに成仏の仕方が分からない、ということだけなのだが。流石に『この世界、私のいた世界では二次元の世界だったんですよ〜』なんて言えない。『最推しはあなたでした』とも言えない。
電信柱に書かれた地名やその他諸々からここが違う世界であると判断した、その経緯を説明しただけに終わった。
「まあ信じられないと思いますし……無理に信じていただかなくても大丈夫なので。というか、こんな話に付き合ってくださって本当にありがとうございます」
ずっと無言で私の話を聞いてくれていた彼は、今もなおその口を閉ざしている。少し俯き加減になったその表情は、暗さも相まって私には分からない。
聞いてくれた彼に感謝と罪悪感がこみ上げてくるが、それと同時に、何か私の中で蟠っていたものが解けていった。もしかすると心のどこかで、誰かに聞いてほしいと思っていたのかもしれない。このなんとも理解しがたい現実について。
……見知らぬ世界で、独り誰にも気づかれず存在することの孤独と恐怖について。
私が口を閉ざせば、裏路地に落ちるのは沈黙だけ。なんとなく居たたまれなくて、何か言うことは無いかと言葉を探すけれど、手を伸ばしても何ひとつ捕まりはしなかった。
話すべきじゃなかったかな。気味悪がられたかな。もう何も聞かずにここから立ち去ってしまおうか。
ぐるぐるとそんなことを考えていた私の耳に、沈黙をかき分けて彼の声が姿を見せた。
「……確かに、そう簡単に信じられる話では無いですけど……」
ぽつり、ぽつりと紡がれる言葉。ゆっくりとしたその流れは、きっと彼が言葉を選びながら話してくれている証拠だろう。その優しさが、もう動かない私の胸に温もりをもたらした。
「でも、……あなたが俺に嘘を吐く理由も無い、ですし……」
現実を生きている彼にとっては理解し難い話だったというのに、それでも彼は理解しようとしてくれている。それだけで十分だ。
「なんというか……俺が言うのもあれですけど、……とんだ災難、でしたね。あの、…お疲れ様、です」
……どうやら、幽霊にも流せる涙が存在するらしい。視界が滲んで、頬を雫が伝い落ちていく。しかし、その雫が地面を濡らすことは無い。
「…え……?あ、あの、すみません、俺何か失礼なことを…?!」
「あ、すみません、違います…!」
焦った様子の彼を留めながら、慌てて手のひらで顔を覆い隠し、彼に涙が見られないようにする。今更遅いのだけれど。
「……違うんです。なんだか、……嬉しくて」
そう、嬉しかった。
全部嬉しかった。
仕方ない、自分は大丈夫、これぐらいなんでもない。そう自分を誤魔化していたけれど。死んでしまったことも、幽霊になって誰からも気づいてもらえなくなってしまったことも、知らない世界に来てしまったことも。
本当は全部が怖くて不安で辛かった。
だから、
彼と出会えたことも、話せたことも、
彼が話を聞いてくれたことも。
彼が優しさをくれたことも。
その全てが酷く温かくて、嬉しかった。
「……本当に、ありがとうございます」
私のことを見つけてくれて。話を聞いてくれて。
こうして向き合ってくれて。
涙を拭って、何とか笑顔を作って彼に言う。へたくそな笑顔だったかもしれないけれど、それは許してもらいたい。
まあそんなこんなで、言いたいことを全て言い尽くして一息つけた私だったが、ふと彼の方を見て気づいた。……今の私は彼にとって、いきなり泣き出していきなり感謝しだす情緒不安定奴になっていることに。
その証拠に、彼はどこか茫然とした表情でこちらを見ている。
「す、すみません……!! いきなり意味の分からないこと言って!!」
「あ、いえ。お役に立てたなら、なにより、です……?」
だよね、自分置いてけぼりで勝手に話進められて勝手に自己完結されたら困惑するよね。ごめんね本当に悪気は無かった。ぽかんとした顔も可愛いなとか思ってしまったのも出来れば許してほしい。
「えっ、と、まあ私の話は以上でして……だからその、あなたのご友人に悪さをすることは絶対に無いのでご安心ください」
「はい……」
やや無理矢理だがなんとか会話を終わらせて、またしても路地裏に沈黙が落ちた。
できればもう少し彼と話していたいけれど、もうこれ以上話すことはない。それに、あまり長く引き留めてしまっても迷惑だろう。だって彼は社畜サラリーマン……早く家に帰ってゆっくり寝てほしい。切実に。
さあ、名残惜しいが早くここから離脱しようそう思い彼の顔を見て、私は口を開いた。
「……ご友人のこと、大事になさってるんですね」
しかし、音になったのは考えていたのとは全く違った言葉で。慌てて口を閉ざそうとしたが時すでに遅し。音になった言葉はもう戻らない。
口を開いた瞬間になぜか私の脳裏に過った、先程の彼の酷く安堵した顔。きっとその記憶のせいだ。たった一瞬の出来事だったというのに、あの光景が私の脳裏にしっかりと焼き付いている。
「え、」
「あ、すみません。また変なことを。……先ほどのあなたの様子を見ていて、…一二三さん、でしたっけ? 彼のことを大事にしてるんだなあって思って。いいご友人だな、と」
怪しく思われないようにと言葉を無理につなげていこうとするあたりがもう既に怪しいのかもしれない。そう思いつつ、一度開いてしまった口はなかなか閉じなくて。
またやらかしたなと内心猛省しつつ、彼の反応を待つ。
「……あいつは、……ほんとにデリカシーが無いし周りに迷惑かけてばっかりで…特に俺はよく巻き込まれてて……本当なんであいつはああなんだ…俺のせいか……?」
え、なんで突然のディス? ぽつりぽつりと一二三君に対する不満やらなにやらを零し始める彼に困惑するが、それを止めることも出来ずにとりあえず話を聞く。
「……でもあいつは、……さっきも言いましたけど、本当はいいやつなんです。あいつには感謝してもし足りない……」
ネガティブモードに入りかけた寸前で、彼はふとその表情を和らげて、そう言葉を紡ぐ。その様子に、思わずこちらが感極まって泣きそうになってしまった。何とか堪えたけれども。
ううう、この2人は本当に……いい幼馴染だなぁ……。
「ふふ、なんだか羨ましいです。これからも仲良くなさってくださいね」
映画化決定。とかいう字幕が脳内に流れたのは無視して、心からそう思っていますよと言わんばかりに私は笑んだ。いや、実際心から思っている。それ以外の感情が高ぶりすぎていて押さえつけるのに必死なだけだ。
曖昧ながら笑みを返してくれた彼を視界に映して、私は空中でくるりと体を一回転させた。幽霊になるとこういうこともできる。すごい。
「もうこんな時間だ……、長い時間引き留めてしまってすみません」
「いえ、最初に呼びつけたのは俺ですし…」
「でも話を引き延ばしちゃったのは私ですので」
まあお互いさまっていうことでどうですか? そう笑って見せれば、彼は微妙な顔をしたが、ほんの少しだけ微笑んで頷いてくれた。
「まあ成仏出来るかずっとここに居座るかは分かりませんが……暫くはこの辺りを漂ってると思うので、もしまたどこかで出会えた時はよろしくお願いします」
「あ、はい」
路地裏の外へ彼を導いて、私は路地裏の出入口で立ち止った。そして、彼にひらひらと手を振る。
「じゃあ、お気をつけて」
「……あなたも、お気をつけて」
幽霊の私にとって、気をつけることなんて無いに等しいんだけどなあ。そう思ったが、彼の優しさがくすぐったいほどに嬉しかったので、何も言わずにただ頷いた。
最後に軽く会釈をして去っていく彼の背中を見送る。
と、ふと彼が立ち止ってこちらを振り返った。
おやデジャヴ。なんて思っていると、彼が私に向けて言葉を投げかけてくる。
「あの、俺、観音坂独歩と言います」
ぱちり、ぱちり。
二度瞬きをして、私は笑った。
「──私は深町ひなたと言います。さようなら、観音坂さん」
20181113
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