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そんな感じで始まった私の『幽霊生活inヒプマイ世界』は、成仏することも、特にこれと言った何かが起きることもなく、気づけば一週間という時間が過ぎていた。
その間私がしていたことと言えば、新宿ディビジョンを徘徊してみたり、一二三君の務めているホストクラブに侵入してシャンパンコールに混ざってみたり、他のディビジョンを回ってみたり。
やはりこの幽霊の体というのは便利なもので、食事も睡眠も要らないうえに、どれだけ動き回っても疲れない。さらには空を飛べるし壁もその他の障害物もすり抜けられる。なんだこれは、聖地巡礼にうってつけじゃないか。
できれば他のディビジョンの人たちにも会ってみたかったのだのだが、どうも世の中はそううまくはいかないものらしい。なかなかお目にかかることは出来ず、いつも肩を落としながらこの新宿ディビジョンへと帰ってくるのだ。……私が新宿ディビジョンに住み着いていることについては何も言わないでほしい。最初にいた場所に帰りたくなるのは多分帰巣本能的なあれだ。やっぱり本拠地的な場所が無いと落ち着かないのだろう、人間というものは。
しかし、外回りをしている間は新宿ディビジョンにいないとはいえ、あれ以来観音坂独歩……観音坂さんに会えていないのは少し寂しかったりする。ただ推しに会いたいというのもあるけれど、やはり一番大きいのは、彼とは会話ができるから。
生前はあまり感じたことは無かったのだが、幽霊となり街をさまよう様になった今は、やけに人との触れ合いが恋しくて堪らなくなる。誰かと話すことは人間が生きていくうえで重要なのだなと、死んでから改めて痛感させられた。
閑話休題。
そんなこんなで今日も、周囲の視線的に人前で話しかけることや話し込むことはできずとも、軽い挨拶ぐらいできたらな、なんて下心を抱きつつ私は新宿の街を徘徊していた。もうこの際姿を一目見るだけでもいいから。お願いします。
夜の8時を回った頃。空は闇に染まり、街灯やその他の明かりが世界を照らす時間。仕事帰りのサラリーマンや塾帰りの学生などが行き交う駅前の道を歩きながら、視線はついついあの赤茶色を探してしまう。
すれ違う人たちは皆、今日1日の疲れからかどこか眠そうな表情をしていて、生前の自分も帰宅時にはこんな感じだったなぁと思わず笑みが零れる。感慨深いものだ。
眠る必要がないというか、眠るという概念が存在しないこの体で1週間も過ごしていると、眠気や倦怠感といった感覚をどんどん忘れていってしまう。生前なら大喜びしただろうこれも、今の私にとってはただただ自分が死んでいるという現実を突き付けてくるものになり果ててしまっていて。
きっと、私はいつか全てを忘れてしまうのだろう。
生を意味する感覚の全てを。
まあその前に成仏、もしくは消滅する可能性もあるのだが。
死人が未来のことを心配するなんて、変なこともあるものだ。
自分のことだと言うのにどこか他人事な私は、赤信号に変わった交差点で足を止めた。
(……おっと、ここどこだ?)
ぼんやりと道を歩いているうちに、知らない場所へ迷い込んでしまったらしい。月明かりと街灯だけが照らす、ビルとビルの間の細い道。ビルに明かりは灯っていないから、もう今日の業務を終えた、もしくはもともと営業していないのだろう。
この1週間で新宿の街中を色々回ったが、ここにはまだ来たことが無い。新鮮だなぁと辺りを見回しながら、私はそのまま道を進んでいく。
夜の見知らぬ街にたったひとりだというのに、私の思考は明るい。だって幽霊ですから。不審者やガラの悪い人にはそもそも見つからないし、幽霊は同類だ。それに、知っている場所へ行きたければ、ビルを越えるぐらいの高さまで浮かんで明るい方へ迎えば大通りや駅前に戻ることができる。
折角来たのだから、ついでに散策しておこう。
……そんな私の思考に一滴の雫を垂らすかのように、遠くから何かの音が聞こえた。物が倒れるような、そんな感じの。
何かあったのだろうかとそちらへ向かうと、次第に聞こえてくる誰かの声。恐らく複数人がいる。どこかガラの悪い口調や声色、そしてその合間に聞こえる物音から推測するに、あまりよろしくない人たちが喧嘩でもしているのかもしれない。でもそれにしては罵声や怒鳴り声が少ない……?
……もしかして、誰かが絡まれている?
ヤンキー同士の喧嘩ならまだしも、ヤンキーが善良な一般市民を一方的に害しているのはいただけない。私の中にも多少はある正義感というものがむくむくとその首をもたげた。
生身ではできなくても、幽霊の今なら、もしかしたら。
私は声のする方へ急いだ。
辿り着いたのは細い路地裏。一週間前に観音坂さんと会話した場所によく似ている場所だった。奥の突き当り付近に3人の男が壁の方に向かって立ち、足元に向かって何やら言葉を吐いている。
「おいおっさんさっさと金出せよ」
「痛い目見たくないっしょ?」
「ほらほら、お金のない哀れなコドモタチにおめぐみを〜」
げらげらと下品に笑いながら彼らは誰かにお金をせびっている。あ、典型的な奴だ。絡まれている人の姿は暗さと男たちの背中のせいで見えない。見たところ殴る蹴るといった暴行はまだ行われていないようだが、それも時間の問題だろう。一刻も早く助け出すに越したことはない。
少し高く浮き上がって、何か使えそうなものは無いかと探す。ぐるりと狭い路地裏を見回すと、隅に青色のプラスチック製のごみ箱が並んでいるのが目に入った。これだ、と思った私はそのごみ箱に近寄り、その蓋を手に取る。
さて、ここで疑問に思った方もいることだろう。
なんでお前物に触れているんだ、と。
端的に言うとこの一週間で色々試していたら、無生物には触ろうと意識すれば触れるということが分かった。意識しなければすり抜ける。理由は分からない。なぜか触れる。ちなみに持っている感覚はあるが、触り心地や温度などは分からない。まあ細かいことを気にしてはいけないのだ、今こうして役に立っているのだから。
とまあそんな感じでごみ箱の蓋を手に取った私は、それをその場で思い切り地面に叩きつけた。
がしゃん、と音をたてて蓋が地面に転がる。プラスチック製だったためかそこまで大きな音は出なかった。しかしそれでもその音は、路地裏に響き渡り男たちの意識を引くには十分なものであった。
音に驚いてこちらを振り返った男たち。彼らの視線の先に、私は存在していない。ただごみ箱の蓋がひとりでに地面に落ちた、そんな光景が広がっていることだろう。
困惑する彼らに追い打ちをかけるように、私は次の行動に映る。
蓋を拝借したごみ箱を少し乱雑に倒した。またしても音が響いて、ごろんごろんとごみ箱が転がる。そのごみ箱を男たちの方へ押し転がして、間を置かずにその隣にあったごみ箱に手をかけた。その蓋を持ち上げ、不規則な動きをさせた後フリスビーのように道端へ投げる。
その蓋が地面に転がったころにはもう、男たちの顔に恐怖が滲み始めていた。
口からは「何だ!?」とか「誰かいんのか、ふざけんな!」とか強がったことを言っているけれど、その腰は引けている。
あとひと押しだろうか。
丁度良く壁に立てかけられていた木の棒数本を倒し、建物のドアやら窓やらをがたがたと揺らしてやった。
すると男たちはついに限界を迎えたようで、何やら悲鳴なのか罵声なのかよく分からない言葉を叫びながら路地裏から逃げ去って行った。ふふん、他愛もない。
ごみ箱とか、後でちゃんと全部戻しておかないとな……そう思いながら、私はあの男たちに絡まれていた被害者の方へ視線をやる。いやはや、ヤンキーたちにカツアゲされかけたと思えば次は謎のポルターガイスト……この人も災難だなぁ。同情を禁じ得ない。
──そして次の瞬間、視界に映ったその誰かの姿に、私の思考は立ち止まった。え、と小さな驚愕の声が、吐息のように零れ落ちる。
「──……深町、さん……?」
聞き覚えのある声が、私の名前を呼んだ。……この世界で私のことを知り、私のことが見える人なんてたった一人しかいない。
「……か、観音坂さん……!?」
それは、つい先ほどまで私が会いたいと願っていたひとだった。
20181113
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