2
ユエの治療が終わったのは、それから約1時間後のこと。ただし、その治療は完全とはいかなかった。
「……一体どんな毒を使いやがったんだ」
何故なら、彼女の身体を今も蝕むその毒は、ローにとって初めて見る類の物であったから。
症状から見るに、恐らく神経に害を与えるものだろうと推察できる。今確認できる症状は、急速な体温の低下だけ。指先に痺れなどがあれば推察もしやすいのだが、未だ意識の戻らない彼女にそれを確認する術は無い。
毒を塗られた銃弾による傷跡なども悉く確認したが、その毒が何であるかを判断することはできなかった。これだろうという根拠のない予測で治療を施すなんて無責任な真似を、彼が出来るわけがない。
ひとまずは怪我の治療を終わらせ、毒の回りを抑える薬を投与するだけに終わらせた。これ以降の治療を行うには、彼女が目を覚まして体の異変を報告するのを待つしかない。
───もしくは、
ローが静かに思考を巡らせていた、その時だった。
プルルルル…
部屋に鳴り響いたのは、誰かからの着信を伝える電伝虫の音。その出所はユエが持っていた小さな鞄の中だった。ローはそれに手を伸ばし、中から電伝虫を取り出して着信に応えた。
『……もしもし、』
電伝虫の向こうから聞こえたのは、若い女性の声。その声をローは知っていた。
「おれだ」
それは向こうも同じこと。短いその一言でも相手は全てを察したらしい。次に聞こえたのは安堵の声だった。
『良かった、ちゃんとあなたの所に辿り着けたのね』
電伝虫の向こうにいるのは、ユエが所属するジークリンデ海賊団の船長、ジークリンデ・アデリア。この口振りからすると、ユエがこうなってしまうような何かが彼女たちの下で起こり、そして傷ついたユエを彼女がローの下へと送ったのだと考えらえる。
「怪我の治療は終えたが毒はまだだ。何があった」
ローの問いに、一度言葉を切った相手は静かな声で語り始めた。
***
事の発端は1週間前のこと。
新たな島に上陸したジークリンデ海賊団は、もはや彼女らにとっては当たり前となった、海賊と言う肩書からは遠く離れた医療活動を行うために、その島で栄えていたユラという国を訪れた。その国は雪に覆われた冬の国で、さらには国民の間にある感染症が広まっていた。しかし、その原因を解明し治療を行おうと彼女らが腕まくりをしたところに大きな影が立ち塞がる。それはなんと、その国を統べる国王、そして王家の人間たちだった。
自らの利益だけを追い求める彼らは、国民を救おうとするジークリンデ海賊団の訴え、果ては国民たち自身の声にすら耳を傾けなかった。
それならば勝手にやってやろうじゃないかと、彼女らは国の片隅で研究を始めた。なんとか隠れ場所も見つかり、あとは研究を続けるだけ。と、彼女らがそう安堵の息を吐いた矢先、次はその国の第一王子がユエの姿を見てこんなことを宣ったのだ。
「羽根が生えた人間だ! 珍しい! あいつを捕まえろ!」
勿論それに従う道理など彼女らにはない。幸いユエがジークリンデ海賊団の者だと彼らには知られていなかったため、ユエは数日間その身を隠すことが出来た。しかし、小さな国で王族が諸手を挙げて捜索など始めてしまえば、隠れきれるはずもなく。
その居場所が見つかってしまったユエは、せめて海賊団に危害が及ばぬようにと1人空を飛んで逃げた。そして王子にも直接、「お前に従う気はない」と言い放った。けれど、やはり王子はそれを許さない。
自分の思い通りにならないものなんて消してやる。
そう言って王子はユエに容赦なく攻撃を仕掛けた。その国の研究者が編み出した新作の毒を染み込ませた銃弾を用いて。
必死に空を駆けたユエだったが、やがてはその凶弾に襲われてしまう。出血と毒に苦しむ彼女を救おうにも、この国にいる限り彼女に安全などない。早くここから逃がさなくては、でも一体どこに? その時思い出したのは、少し前に新聞で見た記事のこと。それはこの近くの島でハートの海賊団の姿が目撃されたという内容のものだった。
───もしかしたら、まだ彼らが近くにいるかもしれない。
そんな一縷の望みにかけて、彼女たちはユエを送り出した。そして、ユエは命からがら逃げてきたのだ。ハートの海賊団に、ローに、助けを求めて。
***
『───ユエに使われた毒についてはまだ私たちもよく分かっていないの。これからその研究所に行って情報を奪ってくるわ。毒の成分が分かり次第、すぐ連絡する。……だから、』
電伝虫を通したその声は、気丈を振る舞っていてもその語尾の震えを隠しきれていなかった。
「分かった」
彼女の紡ぐ言葉の先を待たず、ローは答えた。はっきりと、力強く頷いた。
『……ありがとう』
───ユエのことを、よろしくね。
安堵と、心配と、その他諸々の感情が込められた声を最後に電話は途切れた。
電伝虫を手に立ち尽くすローの視界の先には、未だ眠り続けるユエの姿。まだその顔色は青白いが、呼吸は安定している。体温の低下を抑えるためにと何重にもかけられた布団や毛布に包まれて、彼女は生きるために戦っていた。
伸ばした指先に触れた肌は氷のように冷たい。
「……死ぬなよ」
ぽつりと零れた声は、誰に聞かれることもなく空気の中に消えて行く。
2019.10.15
- 4 -