君さえ


7


 自由の身を取り戻した航海士を引き連れて、ローは船を泊めてある港へと急いだ。
 辿り着いた港には、変わりなくそこに佇む潜水艦と、その周囲に倒れた数十人の男の姿。きっとこれが、船を襲った男の部下たちだろう。腹部から血を流したり、壁に頭をぶつけて昏倒したりとその倒され方は様々。
 それを一瞥して、ローは船を見上げる。

 そして、その船首に立つ人影に気付いた。

 その人影もまた、ローの姿に気付いて視線をこちらへと向ける。

 ふわふわと粉雪が舞う世界で、彼と彼女の視線が交わった。
 白い世界の中に、闇を纏ったその翼が揺らめく。

「……あ、どうもこんにちは。先日助けていただいたジークリンデ海賊団の者です」

 呼吸も止まりそうなほどに張り詰めた空気はどこへやら、ローの姿を認めたその人は、それがトラファルガー・ローであると気付いたその瞬間にその表情を緩め、へらへらと笑みを浮かべて少し間延びした声を紡いだ。その変わりように思わず呆気にとられそうになったローだが、すぐさま気を取り直して彼女に問いかける。

 ジークリンデ海賊団という名前は、確か先日気まぐれに助けた女系の海賊団のもの。何故その海賊団の人間が今ここにいるのだろうか。

「ここで何をしている」
「え、ああ、うちの船長が『助けられた恩を返さずにはいられない!』って騒いじゃって、そのお遣いに来たんですよ。これ、うちの船長のおすすめのお酒と、今まで船長が各地で集めてきた色々な病気についての資料です。良ければ受け取ってやってください」

 ふわりと船首から下りてきた彼女は、相変わらず気の抜ける笑みを浮かべながら、その手に持っていた大きな鞄をローへと差し出した。丁寧にその中身を説明する彼女のあまりの呑気さに、ローはまた怪訝な表情を隠せない。

「……うちの船員はどこにいる」
「彼らなら変なガスを盛られたらしくて船内で寝てますよ。ざっと様子は見ましたが命に別状はないと思います」

 ばさ、とひとつ空気を叩いて、彼女の背中から黒い翼が掻き消える。その時ようやく思い出したのは、あの日、仲間をその背に庇いながら必死に多勢を相手取っていた1人の姿。ああそうだ、彼女はあの船の戦闘員である能力者だ。確かあの時は大きな怪我を負っていて、ローたちが加勢した直後に意識を失ってしまっていたはず。今の姿を見るに、その怪我はもう塞がっているらしい。
 渡された鞄を航海士に預けて、ローはまだ警戒心を解き切らぬまま彼女の言葉を聞いた。

「私が辿り着いた時には皆さんもう夢の中で、さらには危なそうな人たちがそれに群がってたのでとりあえず全員叩いておきました。何があったんです?」

 けれどその警戒心もそう長くは続かない。
 ローたちに対する邪気などひとかけらも見当たらない彼女の言動に、ローはひとつ息を吐いてそれに答えを投げる。今この島で巻き起こされていたことについて。

「わ、なんか思ったよりすごいことになってたんですね」
「ああ。……お前が来てくれて助かった。感謝する」

 幸運にも彼女が今日、このタイミングでここへ来てくれたおかげで、船も船員も敵の手中に落ちることなく、ハートの海賊団は面倒ごとを簡単に退けることが出来た。彼女がいなければもっと事態は拗れ、ローたちも無事ではいられなかったことだろう。
 ローの言葉にきょとんと眼を見開いた彼女は、次の瞬間、どこか安堵したように微笑んだ。

「いえいえ、最初に命を救われたのは私たちの方ですし。先日はちゃんとお礼も言えませんでしたが、───私たちを助けてくださって、本当にありがとうございました」

 深く深く頭を下げる彼女に、ローはすぐさま「やめろ」と眉間に皺を寄せた。確かにローたちは彼女らを助けたが、今回彼女に救われたのはローたちの方である。それなのに礼を言われてしまうのは道理に合わない。

「あはは。いやあ、それにしても偶然とはいえお役に立てて良かったです!」
「これだけの人数を無傷で潰すたァ、随分と腕が立つんだな」
「いえいえ、今回は運よく相手方の意表を突けただけなので。真正面から戦うのはあんまり得意じゃないんですよ。先日もそれでやられちゃいましたし」

 苦く笑いながら彼女はそう言うが、それが完全な真実ではないことをローは知っていた。
 あの日彼女が本調子で無かったのは、その直前に仲間を庇って怪我を負ったから。そんなことをあの船の誰かが言っていた。

「……帰りを急がねえなら、うちの馬鹿共を叩き起こすのを手伝ってくれ。その後うちのコックに美味いものを用意させる。……お前の好きなものがあれば何でも注文しろ」

 不愛想な口調ではあるが、そこに滲むのは彼女への感謝の念。その言葉の真意を読み解いた彼女は、それにもしっかりと気づいて笑うのだ。


「───ユエです。お言葉に甘えてお邪魔しちゃいますね」


 よろしくお願いします、ハートの皆さん。
 きっとそれが、彼女と彼らの運命が交わった瞬間だった。


  ***

 救い、救われ、そして彼女は今、死の瀬戸際でローたちハートの海賊団に助けを求めている。全く、これは一体何の因果だというのか。伸ばされたその手を振り払うなんて選択肢は、彼らにはない。

「……あの時、俺が簡単に掴まっちまって……絶対に、あの子だけは死なせたくねぇ……!!」

 ぽつりとこぼされた航海士の言葉に、ローもまた唇を震わせる。

「それはこの船の全員が同じだ。……航路は任せたぞ」
「アイアイキャプテン! 最速で進むぜ!!」

 島への到着まであと約7時間。
 立ち止っている暇はない。


2019.10.19

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